銀貨30枚
プロメテウス、人を造りし神。なればこそ、人が人を造ったならばそれは人が神と成ったという事だろう。人は自らの肉体が単なる天然有機高分子化合物の塊である事を理解している。故に、人体など時代と技術が進歩すれば容易に再現できるだろう。
だが、魂だけは違う。あれは私たちには理解できない物だ。魂の造り方など想像もつかない。魂の成分を私たちが知らないのだから。
つまり我々は魂を知る必要がある。その手段こそが死者蘇生だ。
死者蘇生の歴史は古い。辿れば紀元前3200年前、エジプト。そこではオシリスの神話に基づき、ミイラという形で死者蘇生を目論んでいた。しかしその方法は現在の、特に死者蘇生に一番近い技術として存在する死体の再上映技術の面から言えば杜撰で、まるで幼稚と言える。
だが、リビングデッド理論やプロメテウス理論は違う。あれは完全なる科学に基づき、再上映と死者蘇生を行っている。科学は魂にまで届いたのだ。
「それじゃ、やろうか。」
映者機にセクシャデッドを座らせる。電気椅子のような見た目で、また椅子部分の前方、ちょうど死体の頭部を正面に捉える場所には凹面鏡に似た円盤で中心に棒のついた装着、外部的曼荼羅自覚装置がある。
と、こんな感じに彼に説明してもいいが、この装置を解説するにはあまりにも前提知識が多すぎる。電子工学と脳科学の深い知識が必要だ。
「クライヤー、A3の電極をB5に変えて。アンは浄玻璃鏡を2度上げて、人頭杖をBA3と5T9に設定。」
映者機メーカーは数多くあるが、やはり雪花工房の製品は良い。メーテル式やシェルコルキー社製よりも、浄玻璃鏡の制御が楽だ。そして何より雪花工房のヤマラージャ・シャダール並列処理システムの発想は素晴らしい。しかし人頭杖のシンジェ補正とタターガタ調整弁の同期という面では旧来のメーテル式の方に部があるだろう。
「浄玻璃鏡の焦点をブローカー中枢に向けて、人頭杖を十二指腸に向けて。」
心とは、小腸環境と前頭葉が密接に、かつ乱雑に絡み合うことで生じる現象だ。そしてこの心という現象が生じた時、肉体は生を自覚する。動くタンパク質、魂無き肉塊、生命と機械の辺獄、動く死体が完成する。
「周波数をナザレ=テサロニケループに設定。5秒後に電圧を42V。」
その瞬間、死体はリビングデッドとなる。
「開発者用1111。」
リビングデッドは記憶に基づいて行動を再現できる。しかしそれらは一時的な行動と言っても良いもので、複数の行動が複合した複雑な行動はできない。そこで擬似記憶にキーとそのキーに対応する複雑な行動を書き込み、それを再現する。特にこれは軍用リビングデッドによく取りれる手法だ。軍用リビングデッドはラッパの音をキーとして、敵を認識し銃を撃ちリロードするという複雑な動作をこなしている。
「うん、できてるね。」
セクシャデッドは開発者用1111というキーに応じ、微笑みながら手を振ってウィンクした。死人と生者の違いは表情だというミーハーも見るが、それは違う。死者と生者の違い、それは魂の有無であり、それ以外の方法でそれらを隔てることは叶わない。結局表情も言葉も筋肉によって操られて生じる現象に過ぎないのだから。故にこれらを突き詰めると違いは魂の有無以外に認めることができなくなる。そしてそれはリビングデッド理論が完成し、最初のリビングデッドが造られた時に決めたことだ。
「肉体は正常に動作している。イド値を計測して。」
「え、イド値ですか?」
彼は椅子の裏にある計器を読み取る。
「そりゃ、0.05に収束していますが...あぁ、イド値というのは自我の強さを表す数値ですね。普通死体のイド値はゼロですが、擬似記憶のプログラムの関係でプラス0.05されている訳です。」
彼は唐突なイド値の測定を、アトリエから来たという設定の私の学習の為であると解釈したのだろう。しかし私はただ気まぐれに聞いてみただけだ。ニックの顔を見たら聞いてみたくなった、それだけだ。
「ではその数値は擬似記憶の植え付け以外での変動はあり得るのですか?」
初歩中の初歩、東洋のボードゲーム、ショウギで言えばなぜ二歩が反則なのかというレベルの問いだ。
「はい。まぁその、主に精神面での成長の過程で顕著な変動が見られます。」
具体的な数値で言うと0歳児段階では平均0.5であり、そこから2歳くらいにかけて0.97まで一次上昇し、14歳から18歳にかけて緩やかな二次上昇を見せる。
「0歳から2歳にかけて一次上昇し14歳から18歳にかけて二次上昇を見せ、19歳までにほとんどの人はイド値が1に収束します。これは自他境界線の確立が主な要因であると考えられています。」
尚且つ、イド値が1以上の場合はあり得ない。なぜならその状況を我々が定義できないからだ。
「またその日のメンタルによる変動もあると考えられていますが、これを裏付ける決定的なデータは存在しません。なぜなら日常的な要因によるイド値を計測できるほどの精密な計器を発明できていないからです。」
これも知っている知識だし、何よりこの辺の話は私直々に彼に教授した。
「では人為的にイド値を上昇させることは可能なのですか?」
「現時点では不可能ですし、俺、失礼、個人的には将来的にも不可能だと願っています。イド値への干渉は心への干渉ですから。私たちにとっても心という部位は未だにブラックボックスなのです。」
リビングデッド技師と数学は似ている。あれは合理的に見えてご都合的なものだし、これは黒魔術的に見えて医学に則した科学的なものなのだ。
故に未だ心は文学の領域にある。
「しかし科学の進化は緩慢ですが急速で、しばしば予想の範疇を超越しますから現技術における予想など無意味なものでしょう。現に300年前の人間は死体が生産業に従事していると想像できないと思われます。皮肉的な意味を除いて。」
彼の例えは適切では無い。なぜなら技術面で言うのであれば現在よりも300年前の方が遥かに先進的である。故に300年前に死体を操る技術が無いとは一概には言えない。第一、その高度な文明を破壊した戦争の名前は生命戦争であり、これは生命に関する一つの事実を発見してしまったが為に始まった戦争である。
「確かに、我々のこの現在の社会を300年前の人間が予想できるとは思えませんね。300年前では埋葬行為が一般的であった訳ですから。」
リビングデッドの到来とともに最後の審判は貴族や王族の特権的なものになった。つまり我々は経済活動のために死体を、復活の時に入れる魂の器を捨てた。ある意味では人類社会そのものがイスカリオテのユダという訳である。これを300年前の人類が、社会が予想できるものか。
「えぇ、まぁ、一般的に言えば...うわぁ!?」
低く恐ろしい唸る様な音が聞こえる。建物全体が揺れ、天井に溜まった砂埃が降り注ぐ。
「爆発!?何が起こって...」