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オラシオン・ムエルテ



 死よ、我は汝を恐れる者なり。故に死よ、汝それを我に与える事なかれ。故に死よ、汝、死にたまへ。


 ベンチの軋む音、私は自ら投げ出した意識を取り戻す。これは誰の祈りだろう。私が意識を宙に投げ出して空を見つめる時、もしくは机の紙を眺める時、それは聞こえる。


 「何してるんです?」


 隣に座った黒髪の女が私に問いかけた。私を眺める静止した口、それに塗られる紅い口紅。それが今だけは忌々しい。


 「君は...アン?えっと、アン・グレイシアス、だったか。」


 透き通るような白い肌、もちもちとした頬に乗せられた可愛らしいチーク。そして彼女の童顔に似合う長めのウルフカット。

 とても魅力的な女性だと思った。だが今は彼女の美貌についてあれやこれやとその美貌を構成するパーツに言及したり、彼女とどうしたらデートできるかとか、そんな事を考えられなかった。


 「はい、覚えていてくれたんですね。ニックさん。」


 その肌、髪、それらは粉と熱によって造られたものだ。君が死体でもフランなら生きている君の肌の見掛けを再現できるだろう。

 もし、まともに思考できるリビングデッドがいたら、私はそれを死体を断定できるのか?

 そして何より、それは私の存在そのものだ。私は生きているのか?死んでいるのか?


 「もちろん。君は特別記憶に残りやすかった。」


 死、考える度に怖くなる。それがありふれたものであり、やがて訪れる結果であり、それを恐れていても意味がないことはわかっているのに。


 「なぜです?」


 「君を可愛いと思ったから。それだけだ。」


 その微笑み...雪、冬、暖炉に火を入れて、私は手をその火に近づけた。手を近づけるにつれ、どんどん暖かくなっていく。私は火を物質だと捉えて、それを掴もうとしたたんだ。一瞬の痛み、火傷、とまではいかないが私は指に鋭い痛みを感じ、後ろに後退りしていく。


 「ふふっ、嬉しい。でも、私のこと口説いても意味ありませんよ?」


 フランの後輩っていう感じなのか、さっきのフランと同じような事を言った。だけどフランの時とは違う。なんだか、言われ慣れている気がする。


 「意味はある。教えて欲しいことがあるんだ。」


 「教えて欲しいこととは?」


 彼女の口調の目が鋭くなった気がする。やはり彼女もフランと同じだ。学問を貪り食う人間なのだろう。


 「君たちのような、そのリビングデッドに身近に触れる人間からしたら、話しかけなくてもリビングデッドかどうかってわかるものなのか。」


 この社会は死体に依存している。故に街中にリビングデッドが居るというのも珍しくない。だがそれを普通巧妙に隠されていて見つけることが難しいのだ。死人だからと言って瞳に光がないとか、独特の匂いがするだとか、そういうわけではないのである

 しかしそれを唯一見破る方法がある。それが会話だ。リビングデッドの会話は大抵キャッチボールにならない。端的にいうと文脈が無いのだ。

 フラン曰く、リビングデッドは死体の記憶を読み取って会話する。でも会話の内容を理解できないから会話が成立しないと。

 つまり奴らはおはようにはおはようを返せるが、コーヒーを一杯飲もうと聞くと、途端に黙ったり、コーヒーの原料を言い出したり、コーヒー以外の飲料水の話をし始めるということだ。しかも大抵その話は一文話終わったところで終わってしまう。


 「えーっと。今から時間あります?」


 「あるが、何かするのか?」


 「お散歩。」


 彼女は立ち上がり、ほら、っと言って手を私に差し出した。私はその手を取り立ち上がり、そして私たちは公園を出ていき、噴水のある広場の方に向かう。


 「今からお散歩が終わるまで、私のことは先生と言ってください。」


 私は道路側を歩くために彼女の左側に回った。西陽に照らされ、カラスが回る大聖堂はなにか物悲しい雰囲気を纏っている。そしてその情景と彼女の慎ましい可憐さは死臭を忘れさせてくれる。


 「ん、あぁ。わかったよ先生。」


 20分ほど世間話をしながら歩いた後、突然彼女は静止する。私もそれに合わせて静止した。彼女は私の左側で何かを眺める。

 私は考察する時、しばしば左手を顎に置く癖がある。


 「ではさっきの質問なんですけど。それはもちろんイエス。だだし、表情と身体が見える状態ならね。だからほら、あそこの宝石店の前に立ってるやつ。」


 夜入り、街灯が照らす宝石店の前には二人のガードマンが立っている。一人はガタイのいい大男で、もう一人は中肉中背の中年男である。


 「あのガタイのいい方は多分リビングデッドです。そしてもう一人が人間ですね。」


 意外だった。だって中肉中背の方はピタリと静止していてマネキンみたいだし、その逆ガタイのいい方は少し揺れたり、指を動かしていたりしている。


 「逆だと思っていた。」


 吸い込まれるような黒い瞳に私の碧と茶が見合う。彼女は一瞬眼を落とし、再び眼が合う


 「それは死体というイメージが尾を引いてるせいですね。」


 人差し指を立てながらそう説明する。彼女の細かな所作全てが魅力的だと思った。それは長年の研究と経験で培われたものなのだろう。


 「では、それを踏まえなぜガタイがいい方がリビングデッドなのか、わかりますか?」


 彼女は宝石店を見る時、わざわざ俺の左側に回ってきた。そしてさっき一瞬眼を落とした時、あれは腕時計を見ていたのだろう。

 つまり彼女は見極める際に時計を、時間を使った。そしてあの動作、もしかしたら...


 「パターン?あれを繰り返している?」


 彼女は眼を丸くして驚き、両手を顔の前でパンと一度合わせる。


 「おぉ!正解です!」


 「リビングデッド、彼らは記憶を読み取ることはできますから、しばしばそこにある無意識の行為を意識的に再現してしまいます。」


 「現にあのリビングデッドは22秒おきに右、左と揺れ、その5秒後に右手で猫ふんじゃったを一小節演奏します。」


 確かに揺れていることはわかったが、さすがに猫ふんじゃったを演奏していることはわからなかった。彼女の観察眼にはとても驚かされる。


 「御本人の記憶を辿って御本人の癖を再上映する。再上映(リバイバル)と言われる所以ですよ。」


 「なるほど。ではもし、私が死んで私を再上映(リバイバル)したら私のこの癖が再現されるというわけか。」


 私はわざとらしく左手で顎先を触った。


 「はい。そうなりますね。」


 彼女は眼を瞑り、下を向いてからもう一度私と眼を合わせた。


 「ところで。」


 「貴方って死んで生き返ってたりしませんか?」


 私は動揺を隠しきれず、一歩後ろに下がってしまった。彼女の観察眼は素晴らしいが、もはやここまでくると恐怖である。彼女は私の一番の秘密を出会って数時間そこらで見透かしたのだから。


 「はっはっは、まさか。もしそうであるのなら時代を私で分けなくてはならなくなってしまうよ。」


 わざとらしい笑い方だなと、私は自らを軽蔑する。


 「ふふっ。ですよね。まさかと思ってしまった自分が馬鹿みたいです。」


 彼女は微笑んでいるが、もう一度見るその黒い瞳は恐ろしく感じる。


 「ところで、なぜそう思ったんだい?アン先生。」


 再び眼が向き合う。また私はその黒い瞳に吸い込まれる、いや、堕ちてしまいそうになる。まるでブラックホールだ。


 「だってそんなに容姿端麗なのにオッドアイで、絵もお上手ですしその上教養深く、思慮深い。そんな完璧に近い人間が産まれる確率より、その人間を造れる人間が産まれる確率の方が高いのは明らかでしょう?」


 私の脳裏にフランの顔が浮かぶ。


 「私はそんなに完璧では無いよ。教養深く感じるのも思慮深く感じるのも、私がただ齧ってきた知識を適当に積み上げて自分の浅ましさを隠しているに過ぎないからね。」


 「そういう口ぶりですよ。ふふふっ。それが貴方の完璧性を際立ているんです。」


 この言葉に呼応するように頭の後ろを掻いていた。これも私が再上映(リバイバル)されたら再現されるのだろうか。


 「んじゃあ、こうしようか。君はピーマン好き?」


 「ん、もちろんですよ。ピーマンの肉詰めとか特に。」


 あれを好きというのか。ピーマンの肉詰め、300年前に消えていればよかったのに。ピーマンとかいう模型な付属物をハンバーグにつけたせいで味がわけわからなくなり、その上にソースはオミットされる。正しく消えるべき料理だ。


 「実は僕、ピーマンが食べれないんだ。」


 その後も私がパプリカが嫌いだとか、彼女が蜜柑が嫌いだとか、猫が好きだとか犬が好きだとかの他愛の無い会話は続く。

 そして私は彼女と夜食をとり、そして帰路に着いた。


 「ただきま。」

 

 私は居候している彼女の家の玄関を開ける。鍵がかかっていない?


 「フラン?」


 彼女の名を呼ぶが、反応がない。風呂にいる様子もないし、部屋にもいない。灯がついているし、お酒が出してあるままだし外出した可能性はほぼないだろう。

 そんな訳はないだろう、と思いながら私は食器棚の下、小麦粉だとかが入っている横開きの棚を開ける。


 「うわぁ!」


 驚きのあまり声が漏れてしまう。小麦粉袋の隣に、赤子の如くコンパクトに丸まったフランがそこに居たのだ。


 「酔っているのか?」


 彼女の肩に手を触れる。寝ていると思ったが、そうでは無いらしい。肩が小刻みに揺れ、小さく啜り泣いているのがわかった。


 「一回そこから出てきてくれ。」


 彼女は棚から転がりながら出てくる。背を撫で、私は彼女を彼女自身の部屋に運び、ベッドに寝かせて毛布をかけた。その様子は子供が何かに怯えているようであった。

 さすがに夜が深くなり、私も眠くなってきたので早急に風呂を済まし、寝巻きに着替えて灯を消した。フランが散らかした部屋は明日片付けよう。


 「おやすみ、フラン。」


 彼女の部屋の前で私はそう言ってから自らの部屋に入り、ベッドに身体を落とす。

 そこで私は思い出す。私の中に眠る、誰かの祈りを。


 「死よ、我は汝を恐れる者なり。」


 死者に対する祈りではなく、死への祈り。

 これは死というものを神として捉えることはなく、死をそのまま死として捉えている。またこれには何かしらの宗教的要素を感じない。何せこの祈り、抗いようのない、いずれくる結末、死に対して死にたく無い、死なんて無くなってしまえ、と子供のように駄々を捏ねているようにしか解釈できないのだ。


 「故に死よ、汝それを我に与える事なかれ。」


 正しく死の祈り(オラシオン・ムエルテ)だ。


 「故に死よ、汝、死にたまえ。」


 記憶に残っている範囲を言い終え、眼を閉じる。その時、ドアが開く音が聞こえた。


 そのドアにはネグリジェに着替えた彼女が居る。そして彼女はその祈りを唱えた。


 「死よ、その暗がり、無限に等しき虚空の川よ。」


 彼女は私の布団に入る。私は困惑を隠せず、なぜ?と聞く。

 怖いの、暗いのが怖いの。彼女は小声でそう呟く。


 「死よ、安らぎの黒よ。」


 普通では無い。そう感じとった私はあやすように彼女の後頭部を撫でた。


 「死よ、我は汝を恐れる者なり。」


 私は彼女と共に祈る。それが彼女にとっての少しの慰めにでもなればいいなと素直に思いながら。


 「故に死よ、汝それを我に与える事なかれ。」


 「故に死よ、汝、死にたまへ。」


 



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