地獄はここにある、頭蓋骨はいつも笑っている。
死化粧師、棺に納められるその時を飾る仕事。しかし、それは暦が変わると共に消え、後にネクロマンサー達にその名は略奪される。それはなぜか。
一つの科学的事実によって、死後における肉体の無意味さを人々が悟ったからだ。
その事実、それは命の理解だ。
我々の意思や意識は単なる肉体の付属物に過ぎない。そしてそれらは、死後においてなんら意味も持たなのである。そのタンパク質の塊と同じなのだ。天国の門は血液脳関門と同じだ。天国とは魂のみが至れる聖域だった。
そして約1400ccという小さな私の世界で精神世界と物質世界を著しく破壊しかねない事実が産声を上げようとしていた。その事実こそが、300年前、世界を破壊した悪魔の真理なのかもしれない。そしてそうで無かったのならば、第二の悪魔の真理になる。
「よく食べれるね...」
大聖堂とその横の州警察署を正面に捉える十字路、そこを右に曲がって三軒先、個人的にドイチェス合衆国一のスイーツ店、Sweets,Sweetがある。
「仕事前だからね。ニックは食べれないタイプ?」
しかし、せっかく紹介したのにあんま食べてくれないというのは悲しい。ほら、この苺とチョコのアイスパフェとかめちゃくちゃ美味しい。
まぁ無理もないか。この苺は動脈の血、このチョコとイチゴソースが混じった赤黒い部分は静脈の赤黒い血、そしてこのチョコ苺バニラアイスが混ざった一番美味しそうな部分は骨と血液が混じった光景を想起させてしまうだろう。そして、これらはこれから見るものであるのだから。
「あぁ、その、これから見る物を思うとどうしてもね。」
正直に言って、私は彼の気持ちがわからない。だって私がこれからいじるものはただのタンパク質の塊だ。魚を捌くのとなんら変わりない。唯一の差異があるとすればそれは自分に近いしい形をしているというだけだ。でもそれは自分ではないし、自分の友人でも親でもない。それに友人だったり、親だったとしても、それには個人を個人たらしめる魂という物がない。ただの死体だ。
故に、それらに共感し、自らの行動を制限してしまうことは愚かだと私は考える。
「まぁ、そう残念がる必要は無いんじゃ無いかな。それはあなたの心が優しい証拠でしょ?」
「結構良いこと言うんだな。でもそれは、君自身が君自身を冷たい人間だと言っている事にならないか?」
「そうだよ。私は私を冷酷な人間だと思ってる。逆にニック、あなたは私をそう思わなかったの?だって私は勝手にあなたを...」
「思っているし、思ってないと言える。君は両面的な人だからね。ある部分は暖かいけど、ある部分は残酷だ。言葉を選ばずに言うと、まるで子供のように見える。」
「子供?私が?」
私はその言葉にオウム返しで答えた。私が子供か?子供というのはもっと純粋な物だろう?だって私は身体を覆い尽くすほどの堆積した嘘でできた人間だ。
「フラン、君はきっと今も頭の中で小難しい言葉を並べているだろうが、その陳述のベールの先には君の幼稚さが見られる。」
「幼稚、言い得て妙だ。私は研究者だけど、その研究の動機は純粋な知的好奇心だからね。その点を鑑みれば、私は幼稚な子供なのかもしれない。」
「あぁ、だけど君が考えてるほど子供と言うのは単純では無い。あれはある意味では残酷だ。他人に関心が向けられるほど成熟した社会性を持ち得ないからね。しかしその反面、社会的損得によらない選択ができるから、決して冷酷では無い。」
耳の痛い話だ。私の自覚する私の欠点を指摘してくる。でも、他人である彼が私について深く理解していると言うことはそうなんだろう。私は子供で、彼は大人だ。
「まさに君だよ。でも、そこを含めて君は魅力的だ。」
「口説いても意味ないよ。」
ただ、私は自分を見透かされて負け惜しみを言うしかなかった。難攻不落を誇る私の嘘の要塞を陥落させられたのだから。
「意味はある。概念器官についての論理的見解が読めない。」
「うーん、難しめのやつだ。脳科学の勉強をしてからだね。その後なら一緒に読んであげるよ。」
さて、と言いながら立ち上がり、右手で口を隠し、その中で口横についた少しの苺ソースを舐めた。仕事前、今は少しでも糖分が欲しい。今回の素材的に精巧な死体人形が創れる。結構な金になるはずだ。
...己のことながら軽蔑する。自分の知的好奇心を満たさんとするために故人の遺体を水商売の道具に変えるのだから。私も女だ。もし、自分の死後、この肉体が陵辱の限りを尽くされるとなると、ゾッとするどころではない。女性自殺者達がこぞって焼身自殺や投身自殺など、著しく遺体を損壊させる方法を選ぶのはそういうことなのだろう。
「仕事の時間だよ。」
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大聖堂の地下、石造りの薄暗い部屋には計20の台とその上に乗る20の死体、そして部屋の中央、柱には女神像が4つついてあり、それは20の台を見張っている。
私たちは白いコートにペストマスクをつける。私を含め16人が同じ格好しているのだから、さながら死神の群れだ。
オレンジ色のガス灯をつけて回る。しかし、それでも部屋は明るいとは言えない。
「しかし先輩、まさかあなたがアトリエの人間を呼ぶなんて思わなかったっす。」
男、クライヤーと思われる死神はフランと思われる死神に話しかける。身体のほとんどを覆ってしまう関係で、誰が誰だかわからないのだ。
「まぁね。戦場帰りだからアトリエの連中みたいに騒いだり倒れたりはしないと思うから良いかなって。」
「彼氏すか?」
フランは長靴でクライヤーの長靴を軽く蹴った。
「違うよバーカ。」
彼女は目を瞑り、深呼吸をする。
「...其、己が肉の塊を我らに捧げんとす。」
彼女がそのフレーズを言うと同時に周りには鎮まり、すべての人々が手を合わせて祈る。
「慈悲深き其の清き魂が天井にあらせられる主の思し召しを授かること、我ら祈る。」
彼女は胸元で十時を切る。私はそれらの行為の無意味さを知っているにも関わらず、場の空気というものに流され、自然と祈って居た。
「アーメン。」
祈祷に何の意味があろうか、それは彼らが一番理解しているはずだ。リビングデッド理論によれば意思も意識も肉体の付属物に過ぎないのだから。
「んーこの素材ならセクシャルデッドを一体、通常のリビングデッドを二体、低品質なやつを二体かな。損壊度的にセクシャルデッドの素体は1番でパーツは3、6番から取る。」
「通常リビングデッドは5と4番。低品質なやつは8と12番。そっちは素材共通でやっちゃって。」
「担当はセクシャルデッドはもちろん私とクライヤーとアン。5と4番はBチームで8番はCチーム、12番は新人にやらせちゃって、BとCの人は適時新人にアドバイス入れる感じでお願いね。」
研究以外の彼女の仕事姿を見たことはなかったが、こんなにもしっかりしてるとは意外だった。
「んで最後に重要事項。今回の素材がいい感じだからお給金は高くなるよ。」
男達が腕を挙げ雄叫びを上げる。だがその雰囲気はこの場に正しいとは私には思えない。だが、論理的考えた瞬間、その私の疑念は消えた。なぜならこれらは肉の塊であり、これらは我が国の経済活動に従事する機械であるからだ。つまり彼らがしているのは機械を造ることとなんら変わりない。工場労働者が給与上昇に関して喜ばしく思うのはとても自然な反応である。
「んじゃ始めちゃって。」
私という存在はフラン・K・スタインの被造物だ。そうであるのなら、私の今見てる光景は私の造られる工程と言ってもいい。その目で、情報媒体を介せず子宮で赤子が育つ過程を目撃する人間など、未だかつて存在したものか。
「確かこの人は夫との喧嘩の末に腹部を複数回包丁で刺され、出血多量で死亡だっけか。間違いなく腹部大動脈周辺は交換が必要だね。それで元々の持病の関係では胃の取り替えが必要、それでセクシャルデッドとして利用するのだから卵巣の摘出が必要だ。」
彼女のいうように、その女性の遺体は腹部に大きな傷を抱えて居た。
「ではフランさん、私とクライヤーが3、6番を部分解体しておくので、フランさんは顔周りの整形と豊胸を頼みます。」
私の記憶にも女性の裸体を何個かある。しかし、そのすべての記憶で私は蠱惑的な肉の塊に対して激しい情欲を抱いていた。だが、この肉はどうだ?私がこの肉から読み取れるのは終わりだけだ。
これもあれも、同じ肉だ。多数のアミノ酸が結合したポリペプチドに過ぎない。
そして、これも次期に動き出す。そしてこれの運用法を鑑みれば、これは終わりだけを感じさせるものではなくなるのだろう。
だが、私はこれが動いても、これの肉に対して激しい情欲を抱くことは無いだろう。それはこれが死んでいると明確に私が知覚しているからなのだろうな。
しかしこれが私のように動き出したら、私のように生き返ったならば?
「おっけ。いつも通りね。そろそろアンにも整形の方の経験も積ませた方がいいかもね。」
待て、なぜ私はそこまで生と死を重要視する?私は一度死んでいる。死を経験しているのに。
「まぁそうですね。しかし今回ばかりはフランさんにして頂いた方がよろしいかと。何せ弟の誕生日が近いので。」
死、想像すると恐怖を感じる。だが私の経験したであろう死は恐ろしいもではなかった。
ただ、安らぎの川の中で静か眠るだけだ。それの何が恐ろしい?この世には戦争や拷問、奴隷労働や貧困など、死よりも恐ろしいものはたくさんある。だが、なぜ私は死をそれよりも恐ろしい者として感じているのだ?
狼が満月を見て吠えるのだ。あれは丸いと、それに対して他の狼が吠えるのだ、それは光る、だけどなぜ光る?
そして狼は未だ吠える。それはなぜか?彼らは満足に触れることが叶わないからだ。
「いいじゃん。私頑張っちゃうよじゃあ。」
取り敢えず、今はその死に触れた肉体達を観測しよう。そしてこのスケッチブックに書き留めよう。それで私は、ニックでは無くフラン・K・スタインの創造物として今日のことを包み隠さずフラン、いやフラン・K・スタイン博士に話そう。彼女であれば私に何かを与えてくれるか、それ彼女自身が何かを見出してくれるかもしれない。
「頼みますよ、フラン。」
私はその女性をスケッチブックに描く。その白い肌を、キューティクルの失われた黒髪を、光放つことのない碧眼を、無惨にもズタズタとなった腹部を、この終わりを、私がmRNAとしてその肉の塊から得られる情報をキャンパスに転写するのだ。
それを描くうち、私はその肉に情が湧く。無機物に情を沸かすなど、バカバカしいことだとわかっている。だけど、だけどだ。私はその肉の塊を今すぐに土に埋めるか、それか焼いてしまいたいと思った。
落葉の釣果か、この終わりを人々の欲と理屈で汚される、それを嫌悪している。
「心臓を持ってきてくれ!その番号じゃない!7番の心臓だ!」
4番の手術をしている奴がそう叫ぶ。その手には心臓が握られており、彼はその心臓を粗雑に籠に捨てた。
次に小腸を鳥葬の鴉が如く引き出し、それも同じ籠に捨てる。
私は、その光景を自然とスケッチしていた。
腹を割かれた男、四人の死神が彼の臓物を引き摺り出し、それを捨てる。
私は地獄をスケッチしているのだ。そしてそれは確かにここに存在する。個々人の冷徹を社会が肯定することで倫理は破壊され、地獄は顕現する。
地獄の種は生命の脳味噌に普遍的に存在する。それが進化の中で獲得した機能であるように。
「くそ!頭蓋骨が剥き出しな時点で察していたが奴隷商(死体屋)め、雑な仕事をする!」
だが不思議だ。地獄を内包しているのに、頭蓋骨はどうも笑って見える。