闇の住人
†
「……つ…」
全身に走る鈍い痛みに、思わず呻いた。
最悪の目覚めだった。
「気付いた?」
「…ああ」
「痛むかい?めちゃめちゃにやられたみたいだね」
どこかおもしろそうに話す彼が気に食わなくて、睨みをきかせて見つめる。
「冗談、そんなに怒らないでよ」
「…シオン」
「んー?」
「誰、こいつ」
すぐ隣のベッドで眠る患者に、少年は視線を移した。
片方は無傷で、もう片方は酷い怪我を負っていた。
先程の記憶の一部が、脳裏によみがえる。
「…あの猫か」
「覚えてるんだ?」
「そのあとの記憶は、ない。…この女は」
「その“黒猫さん”の飼い主、璃玖ちゃん」
飼い主という言葉に、疑問を覚えた。思案が顔に現れていたのか、シオンは唇に人差し指をあてた。
「色々と事情があるんだよ、“彼”にもね」
関わる気など毛頭なかったので、それ以上触れることはしなかった。
「…で?消したんだろうな、そいつの記憶」
「そのことなんだけどねー、ちょっと様子を見ようと思って」
「…何のつもりだ?」
「んー。ちょこっとだけ、事態が複雑なんだよね。まあ任せておいてよ」
彼はそう言って、にっこりと微笑んだ。
†
目を開けてまず目に入ってきたのは、青いカーテンだった。
それがいつも見慣れている保健室のついたてであると気付くのに、そう時間はかからなかった。
「……リオ…いっ!」
勢い良く起き上がれば、割れるような痛みが頭に響いた。思わずそのまま、白いシーツに伏せる。
「…リオ、璃央りおぉっ…」
肩が震えた。
脳裏に焼き付いて離れない映像が、何度も何度もリピートされた。
──璃央は、もう。
「…ニャアァ」
「!」
確かに聞こえた、鳴き声。聞き間違えるはずがなかった。
ベッドから飛び降りて、璃玖は青いカーテンを乱暴に開け放った。
「ニャー」
体の至る所に巻かれた白い包帯は、璃央の黒い身体では余計に目立って見えた。
白い処置台の上に座る璃央は、璃玖の姿を見ると、よたよたと歩きはじめた。
「だめだよ璃央、ひどい怪我してるのに…!」
近寄ってこようとする璃央を、璃玖は慌てて止める。
璃玖の方からそっと近づいて、璃央の目線に合わせて顔を寄せれば、嬉しそうに頬に擦り寄ってきた。
「良かった、璃央…」
ガラリという音と共に、スライド式のドアがゆっくりと開く。
「あ、璃玖ちゃん。目、覚めた?」
璃玖は反射的に璃央を抱きかかえると、後ずさるようにして現れた人物との距離をとった。
「相変わらずの反応だなあ、璃玖ちゃん。水未ちゃんがいない時に僕に関わるのは嫌?」
困ったような表情を浮かべて問い掛けてくる、神崎先生。
残酷な光景と彼の笑みが、重なり合って見えた。
「や…嫌っ、来ないでよ!」
「うーん、すっかり嫌われちゃったなあ」
ため息混じりにそう呟いて、神崎先生はソファに腰掛ける。
璃玖は警戒心を解かぬまま、神崎先生を睨み付けていた。
「ま、仕方ないね。誤解を招くようなことをしちゃったのは、僕だし」
「…誤解…?」
「そ、誤解。んー、何から話そうかなあ」
先生は璃玖から璃央へと視線を移して、思いついたように、もう一つのベッドをおおっている青いカーテンを見つめた。
「そうだね…まずはお互いに自己紹介、かな?」
そう言うなり、先生はカーテンを勢い良く開いた。
「…!」
そこにいたのは、見知らぬ少年だった。
カーテンが開け放たれたせいで差し込んでくる蛍光灯の光に気付いたのか、彼は閉じていた目をゆっくりと開いた。
「…何」
深い緑色をした瞳が、璃玖をとらえる。
「璃玖ちゃんがね、目を覚ましたんだ」
「知ってる…騒がしかったから」
額に手を当てて、さも面倒臭そうに答える少年に、璃玖は男に対する嫌悪より先に腹立たしさを覚えた。
「紹介するね、璃玖ちゃん。この子は若松瀬名……単刀直入に言うと、君の新しいルームメイトだよ」
「わかまつ、せな…?」
わかまつせな、ワカマツセナ──“若松瀬名”。
「うそ……」
「嘘じゃないよ?新入生として、今年から高等学部に編入したんだ」
「だって、男なのに!」
てっきり、女の子だとばかり思っていた。
いや、そうではない。……男だなんて、考えもしなかった。
そもそもこの聖霞学園への入学は、女子のみに限られているのではないのだろうか。
「戸惑うのも無理ないよね」
茫然と立ち尽くしたまま言葉を失った璃玖に、先生は笑みを浮かべながら言った。
「でもこの学園への入学にはもとから、性別の条件はないんだよ。過去に、前例だってある」
パチンという軽い音とともに、古びた本のようなものが宙に浮かんだ状態で現れた。
声を出すのも忘れて、璃玖は目を見開いた。
「これが証拠だよ」
パラパラとめくるたびに見える写真から、それが古いの卒業アルバムであることがわかった。
かなり昔の代物なのか写真はすべて色がなく、白黒だった。
「見てごらん璃玖ちゃん」
璃玖は先生にうながされて、開かれたページに視線を落とす。
クラスごとにまとめられた個人写真のページだった。
ページに並ぶ個人写真のなかに、見覚えのある名前を見つけた。
「“神崎紫苑”…」
面影は、確かにあった。おさげ髪の女子生徒の顔写真のなかに、その姿を見つけた。
はっきりとしていて整った目鼻立ちはどこか中性的で、肩のあたりまである髪の毛がさらにそれを強調させていた。
それは見間違えようがなく、神崎紫苑先生本人であると認めざるをえなかった。
「…でも、こんなに古いアルバムにどうして……」
すっかり頭が混乱してしまった。
「さて、ネタばらしは一通りすんだし。そろそろ説明しないと、璃玖ちゃんも困るよね」
先生はそう言うなり指をパチンと鳴らした。
音とともにどこからか髪とペンが現れて、先生の手の中におさまった。
「これはね、単なるマジックとかじゃないんだよ。術って言ってね、まあいわゆる魔法みたいなものかな」
話しながら、紙のうえにペンを走らせ書き込んでいく。
紙には“寿命”“魔術”の文字、そしてイコールと書かれて、“吸血種族”と付け足された。
「僕らは魔術を扱えるし、寿命も長い。抵抗力や治癒力、運動能力も普通の人間に比べてはるかに高いんだ。だから普通なら命を落というる怪我でも、死ぬことはない。それはつまり僕らが人間じゃないから、なんだけど」
普通の人間じゃない。
先生の言葉に、璃玖は紙にかかれたある言葉に目をとめる。
そして確かめるように、呟いた。
「吸血、種族…?」
「ご名答」
まるで璃玖の反応を楽しむかのように、先生はにっこりと微笑んだ。
「…説明は済んだのか、シオン」
璃玖が頭の整理を終えるより先に、それまで黙ったままだった少年が口を開いた。
「まあね。ちょっと乱暴なやり方だったけど、一応ひと通りは」
「それなら説明しろ。どうして俺が、この女と一緒の部屋に住まう必要がある?」
少年の圧力的な物言いに、璃玖の少年に対する嫌悪は深まるばかり。しかし先生はというととくに気にする様子もなく、いつもの笑みを崩さなかった。
「んー?何故かっていうと……おもしろいから、かなあ?」
璃玖と少年とが、まったく同じ反応を見せた瞬間だった。
「男嫌いの璃玖ちゃん、人間不信のセナ。璃玖ちゃんは学校に内緒で猫飼っちゃってるし、セナは人間じゃないし。問題児同士が同室で暮らすなんて、おもしろそうでしょ?」
聞き間違いであったらどんなに良いだろうか。
そうであれば璃玖は、全身をかけ巡る激しい怒りを、抑えることができるのに。
「……どうやら本気で殺されたいらしいな」
少年・瀬名もまったく同意見だったらしく、全身から真っ黒のオーラを放ちながら先生を睨んでいた。
パチンという音の後、神崎先生の悲痛の叫びが保健室中に響き渡ったのだった。
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