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赤夜  作者: 璃玖
10/11

始まりの日〔3〕

 †



「……璃玖に、何したの?」


「主人の危機を感じたか…随分と忠実な飼い猫だな」


 皮肉るように言って、瀬名は対峙する青年を見据えた。人型をとった彼は瀬名よりもいくぶんか背が高く、目の位置からすると相手からは見下ろされている状態になる。

 何となく、気に食わないと瀬名は思った。


「璃央くん、だよね?…安心して、僕らは彼女を傷つけるつもりはないから」


「ボクは、あなたたちを信じてなんかない。璃玖に危害を及ぼすものに、容赦はしない」


 彼は紫苑に抱かれて目を閉じたままの璃玖に視線をうつすと、あからさまな敵意を瀬名に向けた。


「首にあざがある。気を失っているのは君のせい?」


 瀬名は彼の瞳に怒りが宿ったのを見た。答えを聞くよりも早く、彼は瀬名に向かって攻撃を仕掛けてきた。


「ちょ、セナ!璃央くん!」


 紫苑の声も、瀬名や璃央の耳には届かなかった。互いに敵意をむき出しにして睨み合い、攻撃を仕掛けては避けてを繰り返していた。


「…う…ん…」


 声に反応したのか、紫苑の腕に抱えられていた彼女が小さく身じろぎした。


「あ…璃玖ちゃん?」


 自らの名前を呼ばれて、彼女は意識を取り戻した。


「…!…璃玖」


 青年はそう呟くと、黒い猫へとその姿をかえた。



 †



 誰かが呼んだ璃央という名に、璃玖は真っ暗だった視界に光を取り戻したような気がした。


「……り、お?」


「璃玖ちゃん、大丈夫?」


「神崎せんせ…どうして、私…」


 思考回路がはっきりしないまま、璃玖は目だけを動かして辺りを眺めた。

 吹き飛んだ資料、倒れた棚。割れた窓ガラス、こちらを見つめる黒い猫。


「…璃央」


「ニャア」


「何で璃央がここに」


 ふらつきながらも自力で起き上がって、飼い猫の体に触れる。


「璃央、一体どうやって部屋から出たの…?」


「璃玖ちゃん、とりあえず話はあと。誰かに見つからないうちに教室を修復しないと。立てる?」


 促されるまま、疑問を一旦頭から振り切って、璃玖は璃央を抱いて立ち上がった。


「璃玖ちゃんとセナ、それに璃央君は、保健室へ向かうんだ。ここの後始末は僕に任せて」


 先生は指をぱちん、パチンと数回鳴らした。倒れた棚は起き上がり、割れた窓ガラスはひとりでに窓枠へと集まっていき、元どおりになった。


「ニャー」


 不思議な光景に思わず見入ってしまった璃玖だったが、璃央の声に急かされるようにして教室をあとにしたのだった。






 璃玖たちが保健室にたどり着いて数分も経たないうちに、神崎先生は保健室へとやってきた。

 わが身に降り掛かった、普通では信じがたい出来事に、璃玖はすっかり疲れ切ってしまっていた。


「璃玖ちゃん。こっちへきて、首を見せてごらん」


 促されるまま診察台に腰掛けると、先生は璃玖の首筋に触れた。瞬間、鈍い痛みが走って、思わず息を止めた。


「アザになってる。すぐに手当てするからね」


 手当てを始めてから終えるまで、璃玖はほとんど痛みを感じなかった。手際の良さに、思わず感心せずにはいられなかった。


「…はい、終わり」


「ありがとうございました」


「さて、セナ。君にもすべきことがあるんじゃないかな?」


 保健室に来てから終始無言だった少年は、変わらず黙ったまま。先生の言葉にも、窓の外を眺めたまま振り向くことさえしなかった。


「セナ」


 二度目の呼び掛けに、少年は顔だけ動かして先生を見た。


「それは僕が処理するよ」


「…勝手にしろ」


 短い会話の後、少年は先生に向かってペットボトルを投げた。なかで青い炎が揺らめいて、淡い光を放っていた。



「ごめんね、璃玖ちゃん」


「……?」


「セナの分も、謝っておかなきゃって思って」


 確かに、璃玖を傷つけたのは瀬名だった。しかしそれ以上に、瀬名は璃玖の命を救ってくれた。


「…私はただ、助けられただけです」


 何の返答にもならない言葉。しかし先生は、どこか安心したように笑った。


「遊魂の説明を、璃玖ちゃんにもすべきかな」


「ゆうこん、さっきのポルターガイスト?」


「遊ぶ魂と書いて遊魂。本来名前のとおり、自由で気ままな魔物なんだ。守護霊なんかとは違って、主人もなく、縛られるものが何もない。けど、彼は違ったみたいだね」


 先生は光を放つペットボトルを、璃玖の顔の位置まであげた。青い光はどこか神秘的で、璃玖はしばらく眺めていた。


『……居心地か悪い』


 どこか拗ねたような声が聞こえたかと思えば、青い光が瞬間的に強く輝いた。眩しさに目を閉じて、次にその目を開いたとき、璃玖は小さく声を上げた。


「あ…!」


 先程までは淡く光を放っていただけだったペットボトルの中に、窮屈そうに身を縮める小さな生きものがあらわれた。

 襲われたときの恐ろしい形相からは想像もつかないくらいに小さく愛らしいその姿に、璃玖は穴が開くほどペットボトルを見つめてしまっていた。


『ナメた真似しやがって。おいそこのクソガキ!さっさとオレをここから出しやがれ!』


 可愛らしい見た目とその口から出る罵声が、あまりにも不相応だった。喚く遊魂に瀬名は一瞥(イチベツ)をくれると、不機嫌そうなオーラをにじませながら保健室を出ていったのだった。


『けっ、逃げやがったぜ。あの腰抜け野郎』


「…君ねえ、あんまりセナを挑発しないほうがいい。今殺されなかったのはラッキーだったよ、本当に」


 呆れ顔で言いながら、先生はため息と一緒にペットボトルを机に置いた。


『知るか。何でもいいけどな、早く出さなねえと痛い目見るぜ』


「セナの力に負けてその中に閉じ込められたんでしょ?」


『うるせーっ!それ以上言うと、本当に容赦しないからな!』


 喚いては狂暴に牙を剥いてみせる遊魂だったが、今は何をされても恐怖を感じなかった。恐怖という負の感情よりも、込み上げてくる別の感情があった。


「かわいい…」


『え』


「え」


 璃玖の言葉に、先生と遊魂は口をポカンと開けて固まるというまったく同じ反応をみせた。


「小さい狐なんて、私、初めて見ました!」


 璃玖の心は、もうすっかり小さな狐の姿をした遊魂に夢中だった。口調はどこか興奮気味で、瞳も輝いて見えるほど。


「私、動物が大好きで」


『お前な、オレ様は遊魂だ。単なる動物なんかと一緒に…』


「キミ、名前は?どこからきたの?」


『おいコラ待て、話を聞け!』


「先生、この子私にくれませんか?」


『何言ってんだ、オレは物じゃ…』


「全然構わないよ」


『待てっつってんだろー!』


 遊魂が喚いて暴れるせいで、ペットボトルは終始カタカタとゆれて音を立てていた。璃玖と先生の会話は、お構いなしにすすんでいく。


「遊魂を支配するためには、名前を付ける必要があるんだけど…主人は璃玖ちゃんだから、璃玖ちゃんが決めるんだ」


「支配?」


 遊魂は璃玖の言葉と同時にぴたりと動きを止めた。表情が凍り付き、絶望さえうかがえた。


『わあぁぁっ!嫌だからな、支配だけは嫌だーっ!』


 遊魂は、さっきよりも一層声を張って暴れ始めた。動きに耐えられなくなったペットボトルが、倒れて机の上を転がった。



「いや、私、支配とかそういうつもりじゃなくて…」


 倒れたペットボトルを手にとって、怯えるように震える遊魂に、璃玖は笑いかけた。


「ごめんね。ただ、話をしてみたかっただけなんだけど」


 かすかに震えていた遊魂の表情から、怯えの色が消えた。


「キミは悪い子じゃないって、思ったから…仲良くなれたら楽しいかなって」


 自由を奪うつもりなんてなかった。興味本位の思い付きでも、物珍しいからでもなく。


「…誰かを傷つけてしまったほうだって、つらくて悲しいんだよね?」


 それがたとえ、人間ではない生きものだとしても。


「…さて。じゃあここからは、遊魂である君の意志を尊重しよう。璃玖ちゃん、それでいい?」


「もちろん、決めるのは私じゃないことくらいわかってます。自由あっての遊魂、ですよね」


 璃玖の言葉に先生は頷いて、ペットボトルの蓋を開けた。

 保健室全体に行き渡るほどの光を放ちながら、遊魂は再びその悠々とした姿を現わした。


『お前バカだろ。出されたら逃げるに決まってんだろ!』


「うん、止める気はないよ。ただ一つ約束してくれる?もう、何かを傷つけることはしないでね」


『……知るか、バーカ!』


 遊魂は悪態を吐きながら、空中で霧散して姿を消したのだった。




始まりの日...END

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