09.魔物の活性化
それからダミアンの態度は、元のように横暴なものになっていった。
どうやらバートをやり込めたことにより、すっきりしたらしい。もうエメラインに優しくする必要もなくなったというわけだ。
ダミアンは自分のものに手を出されそうになったのが気に入らなかっただけで、エメラインのことを大切に思っているわけではない。
しかし、もはやエメラインは傷つくことはなかった。
ダミアンに対しては、見切りを付けて諦めていたからだ。
このまま、彼の妻となって義務を果たしていくだけの人生なのだろう。
バートに対しても、罪悪感ばかりが募っていく。だが、今更どんな顔をして彼に会えばいいのかわからない。
エメラインはそんなことを考えながら、ぼんやりと窓の外を見つめた。
「……お嬢さま、お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
エメラインはアルマからティーカップを受け取ると、一口飲んだ。ふわりとした香りが広がり、気持ちが落ち着く。
「……最近は、魔物が活性化しているそうですね」
「え?」
突然の話題に、エメラインは首を傾げた。
「以前、十五年ほど前でしょうか。一度、魔物が大量発生したことがございました。そのときと同じことが起こっているのではないか、という話を聞きまして……」
「ああ……」
エメラインも、その話は聞いたことがある。
一定期間ごとに魔物が活性化する現象が起こるのだが、前回はエメラインが生まれる前だった。そろそろ起こっても不思議ではない時期だ。
「私は当時、まだ幼かったためによく覚えてはいないのですが、その頃に母が弟を連れて家に帰ってきた記憶がございます。魔物のせいで、父を失ってしまったと聞きました」
「まあ……」
エメラインは目を見開いた。
初めて聞く話だった。アルマは早くに父を亡くし、母がこの屋敷でメイドとして働いている間は祖父母に預けられていたと聞いていたが、まさかそんな事情があったとは知らなかったのだ。
「そうだったのね……そういえば、当時はたくさんの被害が出たそうね。確か……ダミアンさまの家でも、死者が出たと聞いたような気がするわ……」
いつだったか、誰かがそのようなことを言っていたような気がする。
エメラインは嫌な予感が這い上がってくるのを感じた。
「魔物が本当に活性化したのだとすれば、真っ先に危険になるのは辺境伯領よね。大丈夫なのかしら……」
あと数か月で、エメラインはギャレット辺境伯領に行くことになるのだ。そこでダミアンの妻となり、彼の子を産んで跡継ぎを作らねばならない。
不安が胸に押し寄せ、エメラインは思わず眉根を寄せた。
「お嬢さま……」
「……あ、ごめんなさい」
心配そうなアルマの顔を見て、エメラインはハッと我に返る。そして、努めて明るい声を出した。
「私なら平気よ。辺境伯領は強者揃いだって聞いているもの。きっと何事もなく、無事に過ごせるはずよ」
「……そうですね」
エメラインの言葉に、アルマは微笑み返す。しかし、どこか表情には影があるように見えた。
アルマには平気だと言ったものの、エメラインの胸中は穏やかではなかった。
いずれエメラインは辺境伯夫人となるというのに、何も知らないままでよいのだろうか。
そう思い、父に尋ねてみたのだが、返ってきたのは素っ気ない答えだった。
「お前がそのようなことを心配する必要はない」
「でも……」
「魔物や領地のことは夫の辺境伯に全て任せ、お前は家庭を守っていればよいのだ。余計なことを考えるな」
「……はい」
エメラインはそれ以上は何も言わず、ただ俯いた。
父はいつもこうなのだ。
エメラインが意見をしても、自分の考えが正しいと思い込んでいるため、決して譲らない。エメラインがどう考えても、最終的には父の決定に従わなければならないのだ。
「わかったのならば、さっさと部屋に戻れ。邪魔だ」
「申し訳ございません……」
エメラインは肩を落とし、自室へと戻った。
確かに、知ったところでエメラインにできることなど何もないのだろう。
魔力が少ないエメラインでは、戦力にもならない。その血を次代に繋げることこそが、自分にできる唯一のことだ。
ギャレット辺境伯である祖父とは、最後に会ったのがいつかも思い出せない。
祖父は領地での仕事が忙しいらしく、王都に出てくることは稀だ。定期的に手紙は書いているが、それも元気だと伝える程度のものだ。
本当は祖父に相談できればよいのだが、父と同じことを言われるだけかもしれない。
いずれ辺境伯夫人になったところで、お飾りとして置かれるだけで、本当の居場所などないのだろう。
子を産む道具として使われるだけの人生だ。
エメラインは自分の両手を見下ろし、ぎゅっと握りしめた。
しかし、それでも何かしたいという気持ちだけは膨れ上がっていく。
エメラインに流れるギャレット辺境伯家の血がそうさせるのか、それとも自分自身の心の問題なのか、それはわからない。
行き止まりの壁を前にして、もがこうとしているだけなのかもしれない。
だが、このままじっとしていることはできなかった。