08.拒絶
それから数日間、ダミアンはエメラインを連れ回して遊んでいた。
買い物やお茶会など、普通の令嬢であれば喜ぶであろうことを次々と体験させる。そしてそのたび、バートへの当てつけを行った。エメラインは内心で憤ったが、表面上は従順にダミアンに従うしかなかった。
傍から見れば、仲睦まじい恋人同士に見えるかもしれない。
しかし、実際にはダミアンの一方的な独占欲によって成り立っている関係であり、エメラインにとっては苦痛でしかない時間だった。
とはいえ、ダミアンは婚約者だ。
それも辺境伯家が絡んだことであり、エメラインの都合で裏切ることはできない。
まして辺境伯である祖父は、ダミアンの出身であるボーナム伯爵家を気に入っているという噂だ。だからこそ、次期辺境伯としてダミアンが選ばれたらしい。
それを知っていればこそ、エメラインは耐えるしかなかった。
「そうよ……どうせ、バートとは結ばれることなどできないのだもの。諦めるしかないわ……諦めることには慣れているもの……大丈夫よ……」
一人になった部屋で、エメラインは自分に言い聞かせるように呟く。しかし、胸の痛みが消えることはなかった。
それから、エメラインはバートと距離を置くようにした。
最低限の伝達しかせず、会話もなるべくしないようにする。彼が話しかけてきても冷たくあしらい、目も合わせないようにした。
そうすればいつかは彼を諦められるのではないかと思ったからだ。
「お嬢さま、弟が何か粗相をいたしましたか……?」
ある日のこと、侍女アルマが心配そうな顔で尋ねてきた。
エメラインは一瞬どきりとしたが、努めて冷静に答える。
「いいえ、そんなことはないわ」
「しかし最近、弟の様子がおかしいのです。いつもぼんやりしていて……。まるで魂が抜けてしまったみたいです」
「それはきっと疲れているせいよ。しばらくゆっくりさせてあげたらどうかしら。それに彼はもともと、無口な人でしょう?」
「いえ、以前はもう少し喋る子でした。最近は一言二言話すだけで、すぐに黙ってしまうのです。……まさか、お嬢様に失礼なことをしたのでは」
「そんなことは絶対にないわ!」
思わず声を荒らげると、アルマはびくりとした。エメラインはすぐに後悔したが、一度口から出てしまった言葉は取り戻せない。
「……ごめんなさい。大きな声を出してしまって」
「いえ、私こそ申し訳ございません……。差し出がましいことを申してしまいました」
「あなたは何も悪くないわ。本当に悪いのは、私だもの」
エメラインは自嘲気味に笑う。すると、アルマは不思議そうな顔をしていた。
「……どうかなさったのですか? やはり、どこか具合が悪いとか……」
「違うの。ただ、少しだけ……そう、十五歳になるのが近づいているから、ちょっと落ち着かないだけよ。気にしないで」
エメラインは力なく笑い返すことしかできなかった。
バートが変わってしまった原因は、もちろんエメラインにある。
自分が彼を遠ざけたせいで、彼につらい思いをさせてしまっているのだと思うと、罪悪感を覚えた。しかし、今更どうすることもできない。
エメラインは、バートから逃げ続けるほかなかったのだ。
そんなある日のことだった。
ダミアンが迎えにきた際、エメラインは粗相をしてしまった。
玄関から出るときに、急ごうとするダミアンに腕を引かれて転んでしまい、スカートが汚れてしまったのだ。幸いにも怪我はなかったが、ダミアンが大層怒ってしまった。
「急いでいる時にこんなことになるなんて! きみは何て鈍臭いんだ!」
「も……申し訳ございません……」
エメラインは俯きながら謝るが、ダミアンの怒りは収まらないようだった。
「まったく、これだから出来損ないは困るんだよ! こんなことで僕の時間を無駄にさせるんじゃない。恥を知れ!」
ここ最近の優しい態度はどこへやら、ダミアンは苛立った様子で怒鳴りつける。
エメラインは唇を噛み締めた。
「さあ、行くぞ」
ダミアンはエメラインの腕を掴むと、無理やり立たせようとする。痛みに眉根を寄せながらもエメラインはそれに従ったが、立ち上がった瞬間にまたバランスを崩して倒れ込んでしまう。
「きゃあっ……!」
「何度同じことをすれば気が済むんだ!? いい加減にしろ!」
再びダミアンの罵声が響き渡る。
エメラインは身を縮こまらせ、必死に耐えていた。
「お嬢さま……!」
そこに現れたのは、バートだった。彼は二人の間に割って入り、エメラインを守るように立ち塞がる。その表情は険しく、明らかに怒りの色を見せていた。
「なんだ犬か。邪魔をするな!」
「お嬢さまが嫌がっています。離してください」
バートの言葉に、ダミアンはふんと鼻を鳴らす。
「この女が僕を待たせるのが悪い。僕は忙しい身なのだ。たかが犬の分際で、口を挟まないでもらおうか」
「……お嬢さまに対しての非礼の数々は、見過ごせません」
バートは淡々とした口調で言うと、ダミアンを睨みつけた。彼の鋭い視線を受けても、ダミアンは怯むことなく、逆に嘲笑うように口元を歪めた。
「はっ、何を言っている。この女は婚約者である僕のものだ。お前のものなどではない。……ほら、立て! きみからも言ってやれ!」
ダミアンはエメラインの腕を掴み、強引に立ち上がらせた。そして、バートに見せつけるかのようにエメラインの腰に手を回す。
「お嬢さま……」
「……私は、ダミアンさまの婚約者です」
心配そうなバートから目を背け、エメラインは呟く。
「……お嬢、さま……」
「ははは、そうだ、それでいい!」
ダミアンは満足げな笑みを浮かべると、エメラインの手を引いて歩き出す。エメラインは抵抗しなかった。いや、できなかったというほうが正しいかもしれない。
後ろを振り向くと、呆然と佇んでいるバートの姿が見えた。
エメラインは、胸が張り裂けそうになるほどの痛みを感じた。