07.婚約者の意図
店から出ると、ダミアンはバートに見せつけるように、エメラインの腰に手を回して歩き始めた。
「さあ、次の場所へ行こうか」
「ええ……」
エメラインは力なく答える。
「……」
その様子を見たバートは、一瞬険しい表情を浮かべたが、すぐに元の無表情に戻った。そして、距離を置いて二人の後を追いかけていく。
その後もダミアンは、エメラインをあちこち連れまわした。服屋や宝飾店など、貴族の令嬢が喜びそうな店を次々に訪れる。
ダミアンは自分の選んだ品をエメラインが身に着けると、上機嫌になった。
エメラインにとっては苦痛の時間だったが、彼はまったく気にする様子はない。それどころか、エメラインの肩を抱き寄せたり、腕を組んだりまでしてきた。
「そろそろ休憩しようか。疲れただろう?」
「え? ええ……」
エメラインは曖昧に頷く。すると、ダミアンは近くのカフェテラスへと連れて行った。
「好きなものを頼んでいいんだよ」
「ありがとうございます……」
エメラインは礼を言いながらメニュー表を開く。だが、あまり食欲は湧かなかった。
飲み物だけを注文し、ちびちびと口をつける。
これまでずっとエメラインをないがしろにして、贈り物一つしてきたことのないダミアンの豹変ぶりを目にして、エメラインは戸惑っていた。
どうしてここまでしてくれるのか。今までは、何かといえば婚約破棄だと脅してばかりいたのに、これではまるで仲睦まじい恋人のようだ。
ダミアンの意図がまったく読めず、エメラインは混乱していた。
「最近、魔物の動きが活発になってきていると……」
「まあ、恐ろしい……」
ふと聞こえてきた会話に、エメラインは顔を上げる。
見ると、隣のテーブルに座っている若い男女が話しているようだった。その声がたまたま耳に入ってきたのだ。
「でも、王都は関係ないんだろう? ここはまだ平和だよね」
「そうね。……だけど、最近は国境付近の村で被害が出ているみたいよ」
「怖いなぁ……」
エメラインはその会話を聞いているうちに不安になり、ダミアンの顔を見た。
「大丈夫だよ。きみを守ってあげるから、心配はいらない。僕は高い魔力持ちだからね。あの犬も人間相手なら少しはやるのかもしれないけれど、魔物相手じゃあね」
ダミアンは自信たっぷりに言い放つ。
それを聞き、エメラインはますます不安を募らせる。いくら魔力が高くても、ずっと王都で平穏にぬくぬくと暮らしてきたダミアンが、魔物を相手に戦えるとは思えない。
どう考えてもバートのほうが戦えるが、魔物相手では厳しいのも確かだ。彼は魔力を持っていたが、微量だという。弱い魔物くらいならば倒せるだろうが、強いものとなると難しいはずだ。
「さて、そろそろ行こうか」
ダミアンは立ち上がる。エメラインは黙ってその後についていった。
カフェテラスを出るとき、入り口で待機していたバートの前で、ダミアンはわざとらしくエメラインの腰を抱いた。そして、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「……っ!」
エメラインは慌てて身をよじるが、ダミアンの腕から逃れることはできなかった。
こらえるようにバートを見ると、彼はいつものように無表情のまま立っている。しかし、どこか悲しげな目をしているようでもあった。
その目を見ると、エメラインの胸はずきりと痛む。どうしてこんな気持ちになるのだろうか。エメラインは自分でもよくわからなかった。
「さあ、次はどこへ行こうか?」
ダミアンはエメラインの耳元に顔を近づけて囁きかける。
エメラインは彼の吐息を感じ、思わず身震いした。
しかし、ダミアンはそんなことにはお構いなしだ。すたすたと歩き始めてしまう。エメラインは仕方なく彼の後を追った。
「……あの犬の顔を見たかい?」
少し歩いたところで、ダミアンがぽつりと口にする。
「え?」
エメラインは立ち止まり、振り返る。少し離れた場所からついてくるバートの表情は、よくわからない。
続いてダミアンを眺めると、彼は意地悪そうな笑顔を浮かべていた。
「あいつ、今にも泣きだしそうな顔をしていたじゃないか。きっと悔しいんだろうなぁ……。大事なご主人様を僕に取られちゃって」
ダミアンはそう言って笑う。
エメラインは、何も言わずに彼を見つめることしかできなかった。
「ああ、なんてかわいそうな奴なんだろう。身分も財産も何もない、ただの平民の分際で貴族の女に懸想するなんてね。身の程知らずもいいところだ。でも、少しは思い知ったんじゃないかな」
嘲笑うダミアンを見て、エメラインははっと気づく。
急に優しい態度を取ったのは、バートに見せつけるためだったのだろう。決して心を入れ替えたわけでも、愛情が芽生えたわけでもない。
ダミアンは、自分の所有物を他の人間が奪おうとしていることが気に入らないだけなのだ。
エメラインはようやく合点がいき、同時に心底呆れた。
結局この男は、何一つ変わっていない。相変わらず自分勝手で傲慢な男なのだ。
「そもそも、きみが好きなのは僕なのにね。あんな犬に好かれたところで、きみだって迷惑だろう」
ダミアンは再びエメラインの腰を抱く。
嫌悪感に苛まれながら、エメラインは必死に耐えた。ここで下手に逆らえば、ダミアンが何をするかわからない。
そして、自分の心にはもはやダミアンに対する想いはないのだと、はっきりと自覚する。
エメラインの心はもうすでに──。
「……はい」
それでも、婚約者の機嫌を損ねるわけにはいかない。バートのためにも、ここで反論するのは得策ではないのだ。
エメラインが諦めたように頷くと、ダミアンは満足げに微笑んだ。