【コミックス④発売記念SS】エメライン
本編終了後の話です。
これまでの様々な出来事を乗り越え、今ではこのギャレット辺境伯家が、バートにとっての帰る場所となっていた。
エメラインも、アルマも──きっと同じように思っているだろう。
庭園に、やわらかな風が吹き抜けていく。
陽光に照らされた白い花が揺れ、その香りがふわりと広がった。
その中を歩きながら、バートは何気なく口を開いた。
「──エメライン」
少しだけぎこちない響き。
けれど確かに、その名前を呼んだ。
それを聞いたアルマが、ふと足を止める。
振り返ったその顔には、どこかくすぐったそうな笑みが浮かんでいた。
「……エメラインと呼ぶようになったのね」
からかうでもなく、ただ確かめるような声音だった。
バートは一瞬だけ言葉に詰まり、それから軽く肩をすくめる。
「まだ慣れないけれど」
そう言いながらも、先ほどの呼び方を頭の中でなぞる。
以前は、『お嬢さま』だった。
恋人同士になったときに、ようやく『エメラインさま』と呼ぶようになったが、敬称を取ることはできなかった。
それが今では、名前をただ呼ぶだけ。
ほんのわずかな違いとも言える。
それなのに、どうしてこうも落ち着かないのか。
そんなバートの様子を見て、アルマは小さく息をついた。
「私もよ」
「……姉さんも?」
思わず聞き返すと、アルマは苦笑する。
「ええ。まだ慣れなくて……」
ほんの少しだけ声を落とし、いたずらを打ち明けるように続けた。
「実はね。こっそり、一人で練習しているの」
「……そうなのか」
意外な思いで目を瞬かせたあと、バートは一瞬だけ言葉を切った。
わずかに視線を逸らし、観念したように続ける。
「……俺もだ」
アルマが目を瞬かせる。
「あなたも?」
「ああ。誰もいないところで、何度か」
そう言って、わずかに苦笑する。
アルマは小さく息をついた。
「同じね」
どこかくすぐったそうに微笑むその様子に、バートも肩の力を抜いた。
アルマは元々、エメライン付きの侍女だった。
その頃の彼女にとって、『さま』を外すことなど考えられなかったはずだ。
だが今は違う。
辺境伯の養女となり、エメラインの姉として並び立つ存在になった。
だからこそ、呼び方も変わった。
けれど──。
「名前を呼ぶだけなのに、不思議ね」
アルマが、どこか遠くを見るように呟く。
「ずっと昔から知っているはずなのに……今になって初めて呼ぶみたい」
その言葉に、バートは静かに頷いた。
「……わかる」
自分も同じだ。
仕える立場だった頃は、名前を呼び捨てにするなど許されないことだった。
敬意を込めて距離を置くことが、当然だった。
だが今は──。
「俺は夫で……姉さんは家族だ」
ぽつりとこぼす。
アルマが、ふっと微笑んだ。
「ええ。だから呼び方も変わったのよね」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。
変わったのは呼び方だけではない。
関係そのものが変わったのだと、改めて思い知らされる。
アルマが小さく息を吸った。
「……エメライン」
今度ははっきりとした声。
けれどやはり、どこかぎこちない。
バートも続くように口を開く。
「エメライン」
二人で顔を見合わせ、思わず苦笑した。
「まだ、少し照れるわね」
「……ああ」
そのときだった。
「二人で私の名前を呼んでいたの?」
背後から、穏やかな声がかかる。
振り返ると、そこにはエメラインが立っていた。
いつの間にか近くまで来ていたらしい。
エメラインは楽しげに首を傾げている。
「い、いえ、これは……」
アルマが珍しく言葉に詰まる。
バートもわずかに視線を逸らした。
そんな二人の様子を見て、エメラインはくすりと笑う。
「でも、嬉しいわ」
やわらかな声が響く。
「家族が、私の名前を呼んでくれるのは」
その言葉に、二人は顔を見合わせた。
少しだけ照れくさくて、それでも──。
バートが先に口を開く。
「……エメライン」
アルマも続く。
「エメライン」
今度は先ほどよりも、ほんの少しだけ自然に。
エメラインは満足そうに微笑んだ。
白い花が風に揺れ、香りがまた広がる。
その中で、三人は並んで歩き出す。
呼び方はまだ少しだけぎこちない。
けれどその距離は、確かに近づいていた。
その名を呼ぶたびに、確かめることになる。
ここが、自分の帰る場所なのだと。
本日2026/3/26にヤングチャンピオンコミックス様より、コミックス4巻が発売となりました。
とうとう最終巻、原作以上に感情を揺さぶられるハッピーエンドです!
また、柏木先生による、バートがエメラインの名前を呼ぶ練習などの漫画も収録されています。
とても微笑ましいおまけマンガとなっています。
ぜひお手に取っていただければ嬉しいです!










