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【コミックス③発売記念SS】普段着の午後、甘やかなひととき

エメラインとバートの想いは通じ合ったものの、国王から結婚の許可が下りない時期の話です。(Web版29話「婚約」の後あたり)

バート視点です。

 国王から結婚の許可が下りぬまま、一か月近くが過ぎようとしていた。

 待ち続けるだけの時間は、剣を握る腕よりも心を重くする。


 バートは庭で剣を振っていた。

 振り下ろすたびに空を裂く音が響く。だが、いくら型を繰り返しても、焦りは削げない。

 鍛錬に没頭しても事態が変わるわけではないとわかっていても、何もせずにはいられなかった。


「……やっぱり剣を振っているのね」


 背後から声がした。

 振り向けば、籠を抱えた姉アルマが立っていた。

 町娘風の巻きスカートに白いブラウスという、動きやすい装いだ。軽やかな布地が風に揺れて、彼女の穏やかな笑顔を引き立てている。


「お嬢さまに食べてもらう新しいお菓子を試したいの。材料を買いに行くから、付き合ってちょうだい」


 そう言われ、バートは剣を納めて立ち上がる。

 稽古着のまま町へ出るのはどうかと考え、屋敷に戻ろうとすると、アルマが小さく肩をすくめた。


「そのままでもいいんじゃないの?」


「でも、汗をかいたから……シャツだけでも着替えてくる」


 そう答えると、アルマはふっと笑った。


「急いでね。私はここで待ってるわ」


 バートは短く頷き、濡れた服を脱ぎ替える。清潔なシャツに袖を通しただけで、胸のざわめきが少し整った気がした。

 籠を抱え直したアルマが歩き出す。

 バートは剣を片付け、彼女の後を追った。焦燥に乾いた胸に、少しだけ風が通るのを感じながら。




 辺境伯領の町は、昼時とあって人の往来が多い。

 露店には野菜や果物が並び、香ばしい焼き菓子の匂いが漂っている。焼きたてのパンを求める人だかりや、子どもが駆け抜ける姿も目についた。

 アルマは手際よく材料を選んでいく。小麦粉に砂糖、蜂蜜、果物。店主とのやり取りも慣れたものだ。


「今日は少し甘さを抑えてみようかしら。お嬢さまは、濃い味より上品なほうを好まれるもの」


 そう言いながら、アルマは包みを受け取り、籠に収める。

 バートは無言で荷物を受け取った。

 剣より軽い荷物に、妙に肩の力が抜けていく。普段通りに振る舞う姉の姿が、不安で張りつめていた胸を少し和らげた。


 一通りの材料を買い終えると、アルマはふと立ち止まり、別の店先に目を向けた。並んでいたのは裁縫道具の類である。


「太い針を一本いただけますか」


 そう言って代金を払い、新しい針を包んでもらう。


「……裁縫にしては、大きいな」


 何気なく問うと、アルマはにこやかに答えた。


「この間、ちょっと力を入れすぎて折ってしまったの。新しいのを持っておかないと」


 軽やかな口調で微笑む姉の横顔。

 毛皮の処理か何かに使ったのだろう、とバートは思い直す。そうだ、先日も魔物を狩ってきたのだから、きっとそのせいだ。


 ──微笑みが、ほんの一瞬だけ鋭く見えたのは気のせいに違いない。

 いつも優しく穏やかな姉を、怖いと感じるなどおかしい。そう思い込むように、バートは荷物を持ち直した。




 屋敷に戻ると、アルマはすぐに厨房へ向かった。

 籠から材料を取り出し、手際よく台の上に並べていく。粉を量り、果物を刻み、蜂蜜を垂らす。慣れた所作に、厨房の使用人たちも手を貸すことなく見守っている。


「バート、そこに置いて。……そう、ありがとう」


 言われるままに荷を下ろし、袖をまくる。

 彼女の手伝いといっても、力仕事くらいしかない。

 それでも、黙々と器を支えたり火加減を見たりしていれば、不安に囚われていた心は少しずつ落ち着いていった。


 甘い香りが漂いはじめた頃、焼き上がった菓子を皿に盛り付ける。

 色よく仕上がったそれを前に、アルマが満足そうに微笑んだ。


「これなら、お嬢さまにも喜んでいただけるはず」


 その笑みに、バートも自然と口元が緩む。


 ──焦ったところで、何も変わらない。

 今はただ、姉の隣でできることをする。それで十分だと思えた。


 皿を携え、二人でエメラインの部屋を訪ねる。扉を叩くと、柔らかな声が返ってきた。


「入ってちょうだい」


 部屋着のエメラインが、窓辺の椅子に腰掛けていた。

 白一色のゆったりとした衣。装飾はほとんどなく、袖口に細い刺繍があるだけだ。いつものドレスより締めつけが少なく、肩の力が抜けた佇まいに見える。


 その姿を目にした瞬間、バートはわずかに息を呑んだ。

 華やかな衣装のときとは違う、近さがある。

 恋人になってから、そのささやかな違いがいっそう愛おしいと思えるようになった。

 白が彼女の穏やかさを映し、胸の奥が温かくなる。

 ──この時間を守りたい。早く並び立てる日を迎えたい。そう静かに願う。


「お嬢さま、新作のお菓子をお持ちしました」


 アルマが恭しく盆を差し出すと、エメラインの表情が和らぐ。


「まあ、ありがとう。とてもいい香りね」


 紅茶の香りとともに、焼き菓子の甘い匂いが部屋に満ちた。

 三人で卓を囲み、静かな時間が流れる。


「……美味しいわ」


 一口含んだエメラインが、目を細めて微笑む。その姿に、アルマは嬉しそうに胸を張った。

 バートは黙って菓子を口に運ぶ。温かな甘みが広がり、強張っていた心が少し解けていく。


 剣ではなく、こうした日常があるからこそ、立ち続けられるのだと気づく。

 その隣に、彼女の微笑みがある限り、どんな試練も恐れる必要はない。

本日2025/9/26にヤングチャンピオンコミックス様より、コミックス3巻が発売となりました。

エメラインがバートと共に立ち向かっていく姿に成長が感じられ、二人の絆が美しく優雅な構図や装飾で描かれているのも必見です!


また、柏木先生による、エメラインとバート・アルマの出会いの日の漫画、さらに休日のバートとアルマ、お部屋でくつろぐエメラインの描き下ろしイラストも収録されています!


ぜひお手に取っていただければ嬉しいです!

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◆コミカライズ◆
『無能と蔑まれた令嬢は婚約破棄され、辺境の聖女と呼ばれる~傲慢な婚約者を捨て、護衛騎士と幸せになります~』
1巻
2巻
3巻
無能令嬢は辺境の聖女と呼ばれる1   無能令嬢は辺境の聖女と呼ばれる2
無能令嬢は辺境の聖女と呼ばれる3

◆電子書籍◆
『無能と蔑まれた令嬢は婚約破棄され、辺境の聖女と呼ばれる~傲慢な婚約者を捨て、護衛騎士と幸せになります~』
1巻
2巻
無能令嬢は辺境の聖女と呼ばれる1   無能令嬢は辺境の聖女と呼ばれる2
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