【コミックス②発売記念SS】アルマの祈り
本編終了後の話です。
コミックス①発売記念SSの「アルマと不思議な店」、コミックス①の書き下ろしSS「アルマの一日」の続きとなります。
春先の柔らかな風が吹き込む窓辺で、アルマは埃をかぶった小箱を手に取った。
それは、もう随分と前にしまったままにしていた、藁人形が入った箱だ。
蓋を開ければ、今も中には針が刺さったままの人形が入っている。けれど、それを見てももう、怒りはわいてこなかった。
「もう、遠い昔のことのようだわ……」
そう呟きながら、アルマはそっと箱を閉じる。
今やエメラインは元婚約者のダミアンから完全に離れ、彼女をずっと守り続けていたバートと結ばれた。
ダミアンは身分を剥奪され、鉱山送りとなっている。死ぬまで強制労働させられるだろうとのことだ。
アルマも正式にギャレット辺境伯家の養女となり、今やエメラインとは姉妹だ。
ダミアンを呪って夜ごと藁人形に針を突き立てていていた、あのつらく苦しい日々は、もはや遠い日の出来事となっている。
「……もう、これは必要ないわね」
アルマは藁人形を処分することにした。
箱を持って外に出て、焼却炉へと向かおうとする。
すると、不意に見慣れない小道が目に入った。
(こんな道……あったかしら?)
ギャレット辺境伯家の屋敷まわりは何度も歩いている。
それでも、まるで景色の一部が書き換わったように、そこには知らない細道が伸びていた。
導かれるように一歩踏み出すと、懐かしい香が鼻をかすめた。紙とインク、古い木と埃……そして、あの扉。
古本屋がそこにあった。
「……ここは、王都じゃないのに」
驚きに眉をひそめながら、アルマはそっと扉を押した。
薄暗い店内には、以前と変わらぬ空気が漂っている。
カウンターの奥にいた店主が、静かに目を上げて言った。
「おや……お久しぶりですね」
「……また、来てしまいました」
「ええ、あなたが来るのを、待っていましたよ」
変わらぬ微笑のまま、店主は問いかける。
「呪いは、成就したようですね。どのような形で、叶ったのでしょう?」
アルマはしばらく黙っていたが、やがて言葉を選ぶように口を開いた。
「……彼は、貴族としての称号も、名誉もすべて剥奪されて……今は、鉱山に送られています。強制労働のために」
その言葉を受けて、店主は静かに頷いた。
「少々、お見せしましょう」
そう言って店主が手をかざすと、カウンターの奥にかかった鏡がぼんやりと光を帯びる。
映し出されたのは、岩肌の剥き出しになった坑道だった。
薄暗い灯りがぼんやりと揺れ、湿り気を帯びた空気が地面を這っている。
その片隅に、ひとりの若者がいた。
顔には煤と泥がこびりつき、囚人服は擦れて肩が覗いている。
かつて威張っていた男の面影はどこにもなく、彼はうつむいたまま、視線をさまよわせていた。
──ダミアン。
その周囲には、体格のいい男たちが数人いた。
ひとりが肩を抱くようにして近づき、もうひとりが顎を持ち上げて覗き込む。
男たちの視線は、狩りの前の沈黙のように冷たい。
ダミアンは小刻みに首を振った。
何かを言おうと口を開き、確かに叫んだ。
だが、その言葉に反応したのは、ただ乾いた笑いだった。
肩を揺らして嗤う者。
腕を伸ばして彼の腰を押す者。
無抵抗な体を、遊ぶように扱う手。
引きずられるようにして歩かされながらも、ダミアンはなおも声を上げた。
だが、返ってくるのは冷笑ばかりだった。誰一人、助けようとはしない。
そのときだった。
ダミアンの目に、わずかな涙が滲んだ。
目尻に留まったそれは、落ちることなく震えたまま光を帯びていた。
憤怒でも悔恨でもない。そこにあったのは、踏みにじられた誇りの残骸だった。
やがて、ひとりの男が扉を開け、もうひとりが彼の腕を乱暴に引く。
扉の奥は闇に沈んでおり、光はほとんど差していない。
最後に彼の足が地面を掻くように動いたが、その抵抗は意味をなさなかった。
扉が閉まる。
鏡の中の光景が、ゆらりと滲み、やがてゆっくりと闇に沈んでいった。
アルマは目を見開いた。
これは……呪いが成した「結末」なのか。
かつて彼が他者に与えていた「痛み」の、報いなのか。
だがアルマは、目を背けなかった。
この映像を見て、涙する気もなかった。彼がエメラインに与えた心の傷を思えば、同情する気など起こらない。
店主が、静かに言った。
「お代は、確かにいただきました」
その声に、アルマがふと気づくと、そこはもう屋敷の裏庭だった。
手には何も持っていない。ただ、風だけがやさしく頬をなでている。
さっきまでの出来事は、夢だったのだろうか。
だが、アルマの心には、確かな何かが残っていた。
もう、あの藁人形は必要ない。
もう、あの怒りに支配されることもない。
アルマは空を仰ぎ、目を細めて微笑んだ。
「お嬢さま……いえ、エメラインが笑っていられる日々が、ずっと続きますように」
それが、アルマの本当の祈りだった。
本日2025/4/25にヤングチャンピオンコミックス様より、コミックス2巻が発売となりました。
緊迫感のある戦闘シーンが描かれた巻です。
そして、ザッカリーがイケオジで素晴らしいです……!
ぜひお手に取っていただければ嬉しいです!









