38.家族
茫然自失となったボーナム伯爵夫人は、何も答えられる状態ではなかった。
ダミアンは未だにショックから立ち直れずに、床の上でうずくまっている。キャメロンも唖然としたままだ。
三人は第四王子の命令により、取り調べのために騎士たちに連行されていった。
第四王子を始めとした貴族たちは、まるで失態を隠すかのようにエメラインとバートを祝福する。二人が兄妹だという疑いなど、なかったかのようだ。
彼らの態度に呆れたエメラインだったが、ザッカリーが鷹揚に笑いながら目配せしてくるのを見て、自分もまた笑顔で応じることにした。
いっそこの流れに乗ってやろうと、エメラインはバートの腕を取り、幸せそうに寄り添ってみせる。そんな二人を見て、周囲の人々はさらに盛り上がった。
こうして茶番劇は無事に幕を閉じたのだ。
エメラインとバートはザッカリーに連れられて、王都にあるギャレット邸にやってきた。
領地の屋敷と比べると小さな建物だが、十分に立派な佇まいである。
ザッカリーは滅多に領地から出ることがないが、主人が不在でも管理はしっかりと行き届いているようだった。
「お嬢さま、お帰りなさいませ」
しかも、アルマも来てくれたようだ。すでに神殿での首尾が伝わっているのか、彼女は嬉しそうな笑みを浮かべて迎えてくれる。
「アルマ……」
その笑顔を見た途端、これまで張り詰めていたものが切れたようだ。エメラインはほっと息をつき、アルマに抱きつく。
「ただいま、アルマ……」
「お嬢さま……」
アルマは優しくエメラインの背中を撫でてくれた。
しばし姉のような母のような存在に癒されたところで、それまで待っていたザッカリーが口を開く。
「さて、応接室に行こう。アルマ、そなたも一緒に来るとよい」
ザッカリーに促され、エメラインとバート、アルマは応接室に向かう。
それぞれがソファに腰掛けると、ザッカリーが穏やかな笑みを浮かべる。
「さて、まずは無事に事が進んだことを祝おうか。エメライン、バート。ご苦労だったな」
「ありがとうございます。ですが……俺がボーナム伯爵家の血を引いているというのは……本当のことなんでしょうか?」
不安そうにバートが尋ねる。神殿の儀式のときは堂々としていたが、やはりまだ半信半疑なのかもしれない。
「ああ、神殿の儀式でも確認できたのだし、間違いない。だが、信じられないのも無理はない。だから、これまでの経緯について説明しよう」
「お願いします」
バートが緊張した面持ちで頭を下げる。
「まず、先代ボーナム伯爵には二人の息子がいた。長男であり、本来の爵位継承者だったのが、そなたの父となるオーガストだ。彼は優れた騎士で、わしは娘パトリシアと娶せたいと思っておった。しかし、パトリシアは見る目がなくて別の男を……」
ザッカリーはそこで言葉を切って、苦々しそうな顔をした。
「まあ、それはいい。ともかく、オーガストはとある伯爵令嬢を娶ったが、なかなか子どもに恵まれなかった。そのうちにオーガストの弟夫婦が先に男子を授かったのだ」
本来の跡継ぎだった兄夫婦を差し置いて、現ボーナム伯爵夫人が先に男子を授かったとは、以前キャメロンが話していたことだ。
エメラインは思い出しながら、ザッカリーの話を聞いていた。
「だが、やがてオーガストにも子ができた。それがバート、そなただ。オーガストの子が生まれたことで、ボーナム伯爵家は安堵の息をついた。だが、それを快く思わなかった者がいる」
「それが……現ボーナム伯爵夫人ですか?」
おそるおそるエメラインが尋ねると、ザッカリーは重々しく頷いた。
「そうだ。没落寸前の男爵家に生まれた彼女は、なんとかして自分こそが伯爵夫人になれるようにと、あらゆる手段を使ってきたらしい。そこで、いっそ邪魔な一家を始末しようと思い立ったのだろう」
「それで、事故に見せかけて……?」
「ああ。ちょうど魔物が活性化した時期だったため、彼女の計画には好都合だった。馬車の御者を買収し、魔の森に放り込むように仕向けたのだ」
「そんな……」
あまりのことに絶句するエメラインを気遣うように、ずっと黙って話を聞いていたバートが手を握りしめてくる。
当事者であるバートが一番つらいはずなのに、彼の手はそっとエメラインを包み込んでくれていた。その優しさに、胸がいっぱいになる。
「そして、その計画は見事に成功した。だが、オーガストが魔物を食い止めている間に、妻は子どもを抱えて逃げることができたのだ。傷を負いながら、どうにか近くの村までたどり着いたものの、そこで力尽きてしまった。そこに偶然通りかかったのが、屋敷を追い出されて故郷に帰ろうとしていた、とあるメイドだ」
「まさか、それって……」
思わずといったようにバートが呟くと、ザッカリーは深く頷いた。
「そうだ。アルマの母であり、クレスウェル子爵家でメイドをしていた女性だ。彼女は当主の手が付き身ごもったため、当主の母に追い出された。女性は救護院に身を寄せたものの、その子は生まれてすぐに亡くなってしまったという」
ザッカリーの言葉を聞き、エメラインはつい眉根を寄せてしまう。
どうやらアルマの母に対して、エメラインの父だけではなく祖母もひどい仕打ちをしていたようだ。
そっとアルマの様子をうかがってみれば、さほど驚いたようでもなかったが、ほんのわずか眉間に皺が刻まれている。
「オーガストの妻は、そのメイドに子どもを託して命を失った。メイドはその子を亡くなってしまった我が子の生まれ変わりのように感じ、己の子として育てたのだ」
「じゃあ、俺は本当に……?」
「そうだ。そなたは間違いなくオーガストの息子だ。それも母も貴族であり、正当なボーナム伯爵家の人間なのだよ」
「そう……なんですね……」
呆然と呟くバートの手は、微かに震えていた。
エメラインは繋いだままのバートの手を強く握る。すると、バートもまたしっかりと握り返してきた。
「おめでとうございます、お嬢さま、バート……いえ、ウィルバートさまとお呼びするべきですね」
「姉さん……?」
微笑むアルマの顔を、バートは不思議そうに見つめる。
「あなたは正当な伯爵令息であり、私とは身分が違います。そもそも、血も繋がっていなかったのですから」
寂しげに笑うアルマは、何かを覚悟したようでもあった。
おそらく、ここに来る前にバートの本当の血筋について聞かされていたのだろう。それを受け入れ、線を引こうとしているのだ。
しかし、バートは首を横に振った。
「でも、俺にとって姉さんは姉さんだ。血の繋がりなんて関係ない。ずっと俺を慈しんでくれた、たった一人の家族なんだから!」
バートが必死に訴えかけると、アルマの目から涙がこぼれ落ちた。
「バート……」
「俺はボーナム伯爵家の血を引いてるらしいけれど、でも俺は何も変わっていない。これまでもこれからも、ずっと姉さんの弟だよ」
「ありがとう……バート……。こんな私のことを、慕ってくれて……」
二人は泣き笑いのような表情を浮かべると、ぎゅっと抱きしめ合った。
「……よかったわ」
そんな二人を見て、エメラインの瞳にもじわりと涙が浮かぶ。
血の繋がりがなくても、バートとアルマが姉弟として育ってきたことは事実だ。二人の間には、確かに固い絆がある。
流れている血によって、これまでの絆が否定されるなどあってはならないことだ。
エメラインが感慨にふけっていると、ザッカリーが穏やかな声で口を挟む。
「アルマ。そなたが望むなら、わしの養女にしてもよいぞ」
「えっ?」
突然の提案に驚いたのか、アルマは目を見開く。
「不甲斐ないわしがエメラインのことを気にかけてやれずにいた間、そなたとバートがエメラインを守ってくれたのだろう? わしはそなたに感謝している。エメラインもそなたのことを姉のように思っているようだし、わしとしても、そなたに何かしてやりたいのだ」
「ですが、私は使用人です……」
「そんなものは気にしなくてよい。わしが許す」
きっぱりと告げられたザッカリーの言葉を噛み締めるように、アルマは俯きがちに沈黙する。
「アルマ、あなたが本当の姉になってくれたら私も嬉しいわ。もちろん、無理強いはしないけど……」
エメラインが遠慮がちに声をかけると、アルマはゆっくりと顔を上げた。
「……いいんですか?」
「もちろんよ! ねえ、バート?」
「ああ、エメラインさまの言うとおりだ。それに、辺境伯さまのご厚意を無駄にしちゃいけないと思う」
「……わかりました。では、よろしくお願いします」
そう言って、アルマは深々と頭を下げたのだった。