37.ボーナム伯爵家
「は……?」
思いがけない言葉に、ダミアンがぽかんとした顔になる。
エメラインも唖然として、ザッカリーを見つめた。これまでエメラインとバートの仲を応援してくれた祖父が、まさかこんなことを言うなんて信じられなかった。
「おじいさま、何を言って……」
エメラインが問いかけようとすると、ザッカリーは穏やかな笑みを浮かべる。
「そこのバートの本当の名は、ウィルバート・ボーナム。先代ボーナム伯爵の長男オーガストの一人息子だ。つまり、ダミアンの従兄弟にあたる」
「えっ……」
呆然としながら、エメラインはバートと顔を見合わせた。
バートの顔には困惑した表情が浮かんでいる。それはエメラインも同じ気持ちだった。
兄妹という話から一転して、バートがボーナム伯爵家の血を引いているというのだ。理解が追いつかない。
「嘘だ! そんな下賤な犬が、高貴な僕の従兄弟だというのか? ふざけるな! そんなはずはない! ありえない! きっと誰かの陰謀だ!」
ダミアンは激しく首を振りながら叫んだ。
「陰謀、か。確かにそうかもしれんな」
苦々しい表情で、ザッカリーは吐き捨てるように言った。その視線の先には、ダミアンの母であるボーナム伯爵夫人がいる。
ボーナム伯爵夫人は、怯えたような顔で震えていた。
「そんな馬鹿な……あのとき、確かに魔物に襲われて死んだと……どうして……あり得ないわ……だって、あれは……」
ぶつぶつと呟く姿は尋常ではない。その様子は、まるで亡霊に取り憑かれたかのようだ。
「母上……?」
ダミアンですら、母親の様子を怪しんだ。
「そうよ! ウィルバートであるはずがないわ! だって、あの子はまだ幼くて、生き残れるはずがないもの! これこそ私を貶めるための陰謀です! 騙されてはいけません!」
突然、ボーナム伯爵夫人がヒステリックな声で叫ぶ。
その勢いに押されて、居並ぶ貴族達が思わず後ずさった。
しかし、ザッカリーは落ち着いた態度を崩さない。
「ならば、血縁を確かめてみればよかろう。バートが本当にボーナム伯爵家の血を引く者なのか、それともダミアンの言うとおりただの平民なのか、な」
「……いいでしょう。そこの犬が、僕の従兄弟ではないことを証明して差し上げます」
ダミアンが冷静さを装って答える。しかし、その声は微かに震えていた。
「よろしいですね、第四王子殿下」
ザッカリーが念を押すと、それまで呆然と成り行きを見守っていた第四王子は、はっと我に返ったようだ。
「……ああ、構わん。神殿長」
自棄になったような態度で第四王子が言うと、神官達は儀式の準備を始めた。
ダミアンの前にナイフと小皿が用意され、彼はやや怯みながらもそこに血を垂らす。
それを神殿長が受け取ると、新しい盃にバートの血と一緒に注ぎ入れた。
「では、始めます」
神殿長の厳かな宣言とともに、儀式が始まる。
バートは緊張した面持ちだったが、特に恐れている風ではなかった。それとは対照的にダミアンは顔を強張らせ、手が細かく震えている。
二人の血が混ざり合った杯に向けて、祈りが捧げられた。
すると、ぼんやりと光が浮かぶ。エメラインと父のときほど鮮烈ではないが、それでもはっきりと確認できる。
「血縁関係があることが確認されました。親子兄弟ほど近くはなく、従兄弟程度というのが妥当なところでしょうか」
神殿長の言葉に、ダミアンは今度こそ絶望的な顔つきになった。
「う……嘘だ……嘘だ……嘘だ……!」
壊れたように同じ言葉を繰り返すダミアンに、ザッカリーは冷たく言い放つ。
「これでわかっただろう。バートはボーナム伯爵家の血を引いているのだ。さらに言えば、本来の爵位継承者でもある。下賤な犬どころか、そなたよりも上の立場にある人間なのだぞ」
「嘘だ……嘘だ……!」
ダミアンは力なく首を振っていたが、やがてふらりと立ち上がった。そして、バートに向かってゆっくりと歩いていく。
「違う……僕は……間違っていない……お前なんか……僕の従兄弟じゃない!」
ぶつぶつと言いながら近づいてくるダミアンに、バートは身構えた。
「バート!」
エメラインは思わず叫んだ。バートに危ない目にあって欲しくはなかった。しかし、ダミアンの様子は明らかに普通ではなく、とても説得できそうにもない。
それならば、せめてバートを守ろうと思った。エメラインは咄嵯に前に出ると、バートを庇おうと両手を広げる。
「どけ! エメライン! そこをどかないなら、貴様も一緒に殺すまでだ!」
ダミアンが狂ったような形相で、隠し持っていた短剣を抜いた。エメラインはその切っ先を見て息をのむ。
だが、エメラインが何かするよりも先に、バートが動いた。
ダミアンの腕を掴み、捻じり上げる。ダミアンの手から短剣が落ちた。
「ぐあっ……」
痛みに耐えかねて、ダミアンが悲鳴を上げる。
「バート!」
「大丈夫です」
駆け寄ろうとするエメラインを、バートは片手で制した。
「お騒がせいたしました」
バートは淡々と謝罪を口にする。その顔は平静そのものだ。
「あれは……確かに、優れた騎士と評判だったオーガスト殿の面影があるな」
「ええ、それにしても、見事な動きでしたね」
「まさか、ボーナム伯爵家のご子息だったとは……」
ざわめく貴族達の前で、ダミアンは床に転がされていた。
「く……こんなはずじゃ……どうして……」
まだ状況が信じられないという顔で、ダミアンは呟いている。
キャメロンはすでに状況を理解することを放棄したのか、心ここにあらずといった顔で固まっていた。
「さて、それでは話を戻そうか。そもそも、そなたが婚約破棄などしなければ、そして権力に物を言わせて無様にあがかなければ、このようなことにはならなかったのだ」
ザッカリーがダミアンを見下ろしながら言った。
「しかし……」
なおも言い募ろうとしたダミアンに、ザッカリーはさらに冷ややかな視線を向ける。
「これ以上、私の可愛い孫娘を侮辱するつもりならば、この場で叩き斬るぞ」
その凄まじい気迫に押されて、ダミアンは口をつぐんだ。
ザッカリーは唖然としたままの第四王子に向けて、意味ありげな視線を送る。
「さて、それでは、この件について第四王子殿下の裁定を仰ぎたいと存じます」
「あ、ああ……」
第四王子は、急展開についていけずに呆けたような返事をした。
だが、ザッカリーの視線に気づくと、何かを考え込こむように顎に手を当てる。ややあって、彼はずるそうな笑みを浮かべた。
「そうだな……まずは兄妹ではないというのなら、二人の結婚に何の問題もあるまい。しかもボーナム伯爵家の血を引いているというのなら、本来あるべき姿だったギャレット辺境伯家とボーナム伯爵家の結びつきを、改めて確認できたとも言える。私としては、むしろ喜ばしいくらいだ」
第四王子の言葉に、貴族たちが同意を示すように拍手を始める。
「なるほど。さすがは第四王子殿下でございますな」
「これはめでたきこと」
口々に褒め称える声を聞きながら、第四王子は満足気に微笑む。
急に手のひらを返した貴族たちを、エメラインは冷ややかな目で見つめる。しかし、自分の利になることなのだ。やりきれない気持ちはぐっとこらえて、ただ黙っていた。
すると、ザッカリーがエメラインの肩を軽く叩く。
「エメライン……色々と思うところはあるだろうが、これで堂々とバートと結婚することができるのだ。そなたはそれを喜べばよい。貴族たちの茶番は第四王子に任せておけ」
小声で囁かれた言葉に、エメラインは苦笑を浮かべる。
第四王子はこのような場を設けて恥をかいたはずだ。ならば、挽回の機会を逃さないだろう。それをザッカリーは利用して、自分たちに有利なように事態を動かしているのだ。
それを知ってか知らずか、第四王子は機嫌良く言葉を続ける。
「そして、私を貶めようとしたダミアン、キャメロンの両名には、それ相応の責任を取ってもらうことになるだろう。だが、それよりも」
第四王子はそこで言葉を切ると、ボーナム伯爵夫人に鋭い眼差しを向けた。
「そちらの夫人は、どうやら何かを隠しているようだな。それも、かなり重大なことを。もし、それが我が王国にとって不利益をもたらすようなものであれば、捨て置けん。正直に話してもらおうか」