36.血縁
まるで永劫とも思える時が流れていく。
しかし、どれだけ待っても、盃は沈黙したままだ。
神官たちの祈る声だけが響き渡る中、とうとうダミアンが痺れを切らして、声を上げた。
「おい、まだか! いつまで待たせるつもりだ!」
苛立ったようにダミアンが叫ぶ。
それに呼応するように、他の貴族からも不満の声が上がった。
「早くしろ!」
「まさか、兄妹でないなんてことはないでしょうね!?」
そんな声が飛び交う中で、やがて神官たちの祈りが止んだ。
盃は最後に一瞬だけぼんやりと光ったもののすぐに消え、静かに佇んでいる。
「……終わりました。ご覧ください。盃は輝きを失っております。つまり、お二人は近しい血縁ではないということです」
神殿長は淡々とした口調で結果を告げる。
その途端、安堵のあまりエメラインの全身から力が抜けていく。
やはりバートとは兄妹ではなかったのだ。エメラインはほっとして、思わず涙ぐむ。
「そ……そんなわけがない! 何かの間違いだ!」
「そ、そうよ! おかしいわ!」
貴族たちがざわめく中、ダミアンとキャメロンが声を上げる。
「神殿の力を疑うのですか?」
神殿長が咎めるような目でダミアンとキャメロンを見る。
「そ……そういうわけではありませんが……」
ぼそぼそと呟きながら、ダミアンは焦った表情を浮かべた。
キャメロンは何も言わずに、ぐっと唇を噛みしめる。
「これはどういうことだ?」
第四王子がダミアンを睨みつける。
ダミアンは気まずそうに目をそらした。隣にいるキャメロンも、俯いて微かに震えている。
「……もう一度、試させてください」
絞り出すような声でダミアンは呟く。
「同じことです。それならば、エメライン嬢の父君であるクレスウェル子爵と、お二人の血縁を確かめてみてはいかがでしょう? そうすれば、結果は明らかになります」
神殿長が提案すると、第四王子は渋々といった様子で了承する。
「わかった。それでいいだろう。……クレスウェル子爵、前へ」
そう言うと、第四王子はエメラインの父親を呼び出した。
すぐにエメラインの父が、祭壇の前に進み出る。
父がエメラインを見る目は気まずさと戸惑い、そして怒りが混ざっているように見えた。
しかし、それでも父は何も言うことなく、用意されたナイフを手に取ると親指の腹を切りつけた。滴る血を、小皿に垂らす。
それを神殿長が受け取ると、新しく持ってきた盃に注ぎ入れた。さらにエメラインの血が注がれる。
「まずは、エメライン嬢とクレスウェル子爵との血縁を調べます。さあ、始めましょう」
神殿長が厳かな声で宣言し、再び儀式が始まった。
エメラインと父の血が注がれた盃を前に、神官たちは再び祈りを捧げる。
その様子を固唾を飲んで見守っていると、突然、盃が強い光を放った。
「おおっ」
周囲から歓声が上がる。
眩い光を放つ盃を見て、エメラインはほっと安堵した。やはり儀式が間違っていたわけではなかった。
「結果は明らかです。エメライン嬢とクレスウェル子爵の血縁の濃さを証明しています」
「嘘だ! こんなことがあるはずない!」
ダミアンが悲鳴のような叫び声を上げ、血走った目をエメラインたちに向けた。
「ならば、今度はクレスウェル子爵とバート殿の血縁を確認しましょう」
冷たい口調でそう告げると、神殿長は新しい盃に二人の血液を垂らす。
そして、神官たちが祈りを捧げ始めると、ダミアンの顔に絶望的な色が浮かぶ。
父とバートの血液が注がれた盃から、光が放たれることはなかったのだ。
「これでわかりましたか? エメライン嬢とバート殿は近しい血縁関係にはありません」
はっきりとした口調で、神殿長がダミアンに向かって言い放つ。
「……そんな馬鹿な」
ダミアンは呆然とした顔で、盃を見つめていた。その隣では、キャメロンが愕然とした表情で震えている。
「……ダミアン、私を騙したのか? もしや私に恥をかかせるために仕組んだのではないだろうな」
第四王子が険しい表情で詰め寄ると、ダミアンは首を横に振った。
「ち……違います! あの二人が兄妹でないなど、何かの間違いです!」
「だが、現に儀式で確認されたではないか」
「それは……」
「もうよい」
ため息を吐き、第四王子は冷ややかな視線を向けた。
「お前の愚行のせいで、こちらまで恥ずかしい思いをさせられたぞ」
「……申し訳ございません。で……ですが! たとえ兄妹ではなかったとしても、平民を夫に迎えるなど許されません! まして、僕との婚約は個人間のものではなく、ボーナム伯爵家とギャレット辺境伯家の繋がりでもあります。それを反故にするということは、重大な契約違反であり……」
「自分から婚約を破棄しておいて、よくぞそのように言えたものだな」
必死の形相で訴えるダミアンを遮る声が響いた。
いつの間にか部屋の入り口にザッカリーが立っていたのだ。
「ギャレット辺境伯!?」
驚いたように声を上げるダミアンを無視して、ギャレットはエメラインとバートの方へと近づいてくる。
そして、バートの前で立ち止まると、懐かしむようにじっと上から下まで眺めた。
「おじいさま……?」
その視線に戸惑い、エメラインは小さく呟く。
バートも不思議そうな顔をしていた。
しかし、ザッカリーは気持ちを切り替えるように首を軽く左右に振ると、周囲をぐるりと見回す。その眼光は鋭く、威圧感があった。
それまでざわめいていた貴族たちが、一斉に口をつぐむ。第四王子ですら、気圧されたかのように黙っていた。
「このような茶番のために集められた皆さまには、同情申し上げる。しかし、せっかくなので茶番ついでに付き合っていただこう」
ザッカリーの口調は穏やかだったが、有無を言わせない迫力がある。
その場にいる全員が、これから何が起こるのだろうと緊張した面持ちになった。
「今回の件は、ボーナム伯爵令息ダミアンの妄言によるものだ。そもそも、ダミアンが我が孫娘エメラインに怪我を負わせ、婚約破棄を言い渡したにもかかわらず、それをまるでエメラインの非であるかのように責め立てるなど言語道断」
厳しい口調でそう言うと、ザッカリーは鋭い目でダミアンを見た。
「そ……そんなこと、僕は……」
「さらに、自分から婚約者の座を捨てたのに、エメラインが他の男を選んだと恨んで嫌がらせをするばかりか、彼女を貶めようと画策するなど到底許されるものではない」
「お待ちください!」
ダミアンが慌てて口を挟む。
「ぼ……僕に不適切なところがあったことは認めます。しかし、エメライン嬢に問題があったことは事実です。彼女は僕の愛を受け入れず、卑しい身分の男を婚約者として選んだのです。それがボーナム伯爵家に対する冒涜だということをお忘れなきよう!」
真っ青になりながらも、ダミアンは必死に訴えた。
しかし、ザッカリーはそれを鼻で笑う。
「エメラインに問題があるだと? 自分の都合の良い部分だけを切り取って、勝手なことばかりほざくな。この愚か者が」
「しかし!」
なおも食い下がるダミアンに、ザッカリーは侮蔑の目を向ける。
「それに、ボーナム伯爵家に対する冒涜などあり得ぬことだ。なぜなら、エメラインと結婚するのはボーナム伯爵家の正当な血を引く者だからな」