35.神殿
神殿への道中は平穏そのもので、エメラインは拍子抜けしてしまうほどだった。
しかし、いざ神殿に着いてみれば、エメラインの予想どおりの展開が待っていた。
神殿に足を踏み入れた途端に、冷ややかな視線がエメラインに降り注ぐ。貴族らしき男女が侮蔑の色を滲ませて、ひそひそと囁き合っている。その中には、エメラインが見知った顔もあった。
エメラインはその視線を真っ向から受け止めると、毅然として歩き続けた。
バートが傍にいるのだから、何も怖くはない。恐れるものなどないのだと自分に言い聞かせて、堂々と胸を張る。
「……あれが、あの無能令嬢? まるで別人じゃない」
「本当に……信じられないわ。堂々として……こんなにも変わるものなのかしら……」
「辺境の聖女と呼ばれていると聞いて、何の冗談かと思っていましたけれど……確かに、これは本物かもしれませんわね……」
女性陣は扇子の向こうでヒソヒソと小声で話していたが、その内容はしっかりとエメラインの耳に届いていた。
意外にも好意的な意見が多いことに、内心驚く。
以前までであれば、この場で悪しざまに言われていてもおかしくはなかった。
それだけ、エメラインは変わったということだ。
エメラインは自分の力を信じて、バートと共に前に進み続ける。
「やあ、よく来たね。兄妹で婚姻を結ぼうとした背徳者でも、僕はきみのことを見捨てないよ。だって、きみは僕と結ばれるべきなんだから」
神殿の奥にある礼拝堂では、すでに先客がいた。
元婚約者であるダミアンが、親しげな笑みを浮かべて話しかけてくる。すっかりやつれて、げっそりと頬がこけているが、その目はギラついていて不気味だ。
「……あなたのような人と、誰が結婚するものですか。たとえ、バートとの婚約が無効となったとしても、あなたと結婚することなど、絶対にないわ」
エメラインは嫌悪感を隠すことなく告げた。
「ふん……傷物になった女を娶ろうという物好きなんて、僕くらいのものだよ。何せ、僕はきみのことを愛しているからね。いくら愚かなきみでも、いずれわかるさ」
そう言って、ダミアンは勝ち誇ったように笑う。
「本当に愚かな方ね! お兄さまにこれほど愛されていながら、卑しい平民と……それも、兄妹同士で結婚しようだなんて、恥を知りなさい!」
そう叫んだのは、ダミアンの妹のキャメロンだった。
彼女はダミアンに寄り添いながら、憎悪に満ちた目つきでエメラインを睨みつけている。
「……そもそも、どうしてあなたたちは私とバートが兄妹だと確信しているの?」
軽く首を傾げながら、エメラインは冷静に尋ねた。
「そんなこと決まっているだろう。きみの父が手を付けたメイドが、その犬の母親だ。それなら、その犬ときみが血縁なのは当然じゃないか」
ダミアンが呆れたような口調で答える。
「そうよ。状況的にどう考えても兄妹じゃない。あなたは馬鹿だから、こんなこともわからないのね。頭が悪い方はこれだから……」
嘲笑うキャメロンの声が響く。
「ふーん……」
エメラインは興味深そうな声を上げると、じっと二人を見つめた。
「何だ、その反応は? まさか、こうもはっきり言われてもわからないのか?」
「いいえ。ただ、あなたたちのお粗末なおつむに感心していただけよ」
エメラインがさらりと返すと、二人の表情が変わった。
「おい、今なんと言った!?」
「ちょっと、どういう意味かしら!」
激昂した二人が詰め寄ってくる。
「そのままの意味だけれど? 馬鹿って言う奴が馬鹿なんだってよく言うけれど、本当ね。まさか、自分たちがそうだと気づいていないのかしら」
余裕たっぷりに微笑みながら、エメラインは言い放つ。
「貴様、言わせておけば!」
「この愚鈍な女が……!」
怒りに震える二人は、同時にエメラインに掴みかかってくる。
しかし、次の瞬間には、エメラインはバートによって抱き寄せられていた。
「エメラインさまに何をするんだ」
バートはエメラインを守るように立ちふさがり、鋭い視線を向ける。
「バート……」
このような状況ではあったが、エメラインはバートの腕の中にいると思うだけで、幸せだった。
ずっとこうしていられたらと、思わず願ってしまうほどに。
「ふ、ふん……どうせ、もうすぐきみたちが兄妹だということが証明される。その時になれば、泣いて謝ることになるぞ」
やや怯みながらもダミアンは不敵に笑って、その場を去った。
キャメロンも慌てて兄の後を追いかけていく。
その後、エメラインとバートは神官たちに連れられて、神殿の奥へと進んだ。
控えの部屋に通され、しばらく待っていると、そこに神殿長が現れた。
「お待たせいたしました。こちらへ来てください」
白髪の初老の男性である神殿長は、穏やかな声で促す。
エメラインとバートは顔を見合わせると、しっかりと手を繋いで立ち上がった。
神殿長が案内したのは、神殿の一番奥にある部屋だった。
中央に祭壇があり、その後ろに椅子が置かれている。
一際豪華な椅子に座っている金髪碧眼の青年が、第四王子だろう。その隣には、ダミアンとキャメロンが座っていた。
そして、部屋の端の方には、たくさんの人々が並んでいるのが見える。その中には、クレスウェル子爵夫妻やボーナム伯爵夫人の姿もあった。
「……さて、そちらの席についてください」
神殿長がエメラインとバートを促した。
エメラインとバートは並んで、用意された座席につく。
「我が婚約者キャメロンより、彼女の兄の婚約者が下賤の者にたぶらかされていると聞いた。ギャレット辺境伯家とボーナム伯爵家の約束を反故にしたばかりか、なんとその二人は兄妹であることを隠しながら、婚姻を結ぼうとしているというではないか。これは由々しき事態である」
第四王子が芝居じみた調子で語り始める。
「……そこで、皆に問いたい。はたして、兄妹で婚姻を結ぶことは許されるのだろうか?」
第四王子がそう問いかけると、貴族たちの間にざわめきが広がる。
「許されないでしょうな……」
「兄妹での婚姻など、神への冒涜です」
「そうよ、許されていいはずがないわ。罪人よ」
「私も同意見だ。兄妹が婚姻するなど、あってはならないことだ。恥を知れ!」
第四王子の言葉に賛同するように、次々と侮蔑の言葉が投げかけられる。
エメラインは決して顔を伏せることなく、正面からそれらの言葉を受け止めた。
「今からでも罪を認め、悔い改めれば、神は慈悲を示されるだろう。儀式による暴露などという不名誉からは逃れられる。さあ、どうか賢明な判断を」
そう言って第四王子が締めくくると、人々は口々にエメラインを非難し始めた。
蔑みの言葉を次々と浴びせられながら、それでもエメラインは怯まずに、真っ直ぐ前を向き続ける。
やがて、人々の罵声が止み、静寂が訪れた頃、エメラインはようやく口を開いた。
「……認めません。私とバートは兄妹ではないと信じております。私は、誰に何を言われようと、自分の気持ちを変えることはありません」
はっきりとした声で、エメラインは堂々と宣言した。
すると、貴族たちの罵倒が再開し、再びエメラインは非難に晒される。
苦笑しながら第四王子が手をかざすと、喧騒は収まった。
「……下賤の者に騙されている、哀れな令嬢の目を覚まさせてやらねばなるまい。二人はどうやら、自分たちが兄妹だと頑なに認めようとしない様子。ならば、はっきりとした証拠を示せばよい。そうだな、神殿長」
第四王子は、神殿長に水を向けた。
「はい、血縁を確認する儀式を執り行いましょう」
淡々と神殿長がそう答えると、第四王子は満足げに微笑んだ。
「では、早速始めよう。証人は、ここに並ぶ者たち全員とする。異議のある者は?」
そう言って、第四王子はぐるりと辺りを見回す。
しかし、異議を唱える者はいなかった。
「それでは、これより血縁関係の鑑定の儀式を始めます」
神殿長が宣言すると、祭壇に銀色の盆が置かれた。その上に乗せられているのは、装飾の施された銀の盃だ。
「この盃に、お二人の血液を垂らします」
神殿長が指示を出すと、二人の前にそれぞれナイフと小皿が置かれる。
エメラインとバートはお互いの顔を見ると、小さく頷きあった。
エメラインはナイフで指先を切ると、小皿の上に赤い雫を落とした。続いて、バートも同じようにして、自らの血を落とす。
二人から小皿を受け取ると、神殿長はその中身を盃に注ぐ。
「これで準備は整いました。あとは祈りを捧げれば、この盃が光り輝くはずです。その光が強ければ強いほど、お二人の血縁は濃いということになります」
神殿長が厳かに告げるのを、エメラインは緊張しながら聞いていた。
兄妹ではないはずだと信じてはいるが、もし万が一、バートがエメラインの兄だったらと思うと、不安になる。
その恐怖心はどうしても消えなかった。
「大丈夫ですよ、エメラインさま」
バートが優しく声をかけてくる。
深呼吸して、エメラインはバートの手を強く握り返した。
「ええ、ありがとう」
エメラインはバートに笑顔を向けると、再び盃に視線を移す。
そして、神官たちが祈りを捧げ始めたのに合わせて、エメラインとバートも手を組んで祈った。