34.前哨戦
ザッカリーは早速行動を開始したらしく、忙しそうに動き回っていた。
エメラインとバートは呼び出しがあるまで、することがないはずだった。しかし、前哨戦とも言うべき嫌がらせがすでに始まっていたのだ。
まず、エメラインの元に届けられたのは、手紙だった。
差出人はダミアンで、内容はエメラインに対する非難だった。
曰く、エメラインがバートと結婚することは許されない。
それはギャレット辺境伯家の恥であり、名誉を傷つける行為だと書かれていた。さらには、エメラインとバートの許されぬ関係を公にするよう働きかけることまで示唆されていた。
エメラインはその文面に怒りを覚えつつも、思い描いたとおりに事が進んでいるのだとほくそ笑む。
手紙は無視して、エメラインはバートと普段のように仲睦まじく過ごした。
すると、今度はまだ滞在していた父と夫人による説得が始まったのだ。
「お前たちは兄妹だ。結婚などできるはずもない。諦めなさい」
「せっかく、エメラインさんの名誉を傷つけないように気遣ったというのに……恩を仇で返すのですか? 今まで育ててもらった恩を忘れてしまったのですか?」
玄関ホールを一人で歩いていたエメラインを捕まえると、二人は口々に責め立ててくる。
エメラインは冷ややかな視線を向けつつ、冷淡に返した。
「申し訳ありませんが、私はバートのことを兄だなどと思っておりません。ですから、あなた方に従うつもりはありません」
「なんと! 親に向かってなんてことを言うんだ!」
父が顔を真っ赤にして怒鳴ってくる。
エメラインは怯むことなく、堂々と胸を張っていた。
「そもそも、誰のせいでこのような事態になっているのだと? すべてはお父さまのせいではありませんか」
「そ……それは……そうかもしれないが……」
父は言葉に詰まる。
「エメラインさん、それはあんまりですわ。私たちは、エメラインさんの幸せのために、諦めるべきだと言っているだけなのに……」
夫人が目に涙を浮かべて訴えてきた。
「私の幸せを勝手に決めないでください。私の気持ちは私が決めることです。それに、私の幸せはバートと一緒になることなんです」
エメラインがきっぱりと告げても、二人は渋い顔のままだ。
「で……でも、エメラインさんはまだお若いわ。だから、判断を間違えることだってあるでしょう。そもそも、バートさんは平民ですよ。あなただって貴族なのですから、身分をわきまえて私たちの言うことを……」
「そうですか。ならば、黙りなさい。クレスウェル子爵夫人」
夫人の言葉を遮り、エメラインはぴしゃりと言い放つ。
「なっ……」
「私はすでに成人しており、ギャレット辺境伯家の正式な跡継ぎです。身分で言えば、あなたたちクレスウェル子爵夫妻よりも上になります。そのような相手に命令しようとは……それが貴族として正しい姿なのでしょうか?」
エメラインが畳み掛けるように問うと、二人はますますうろたえる。
この国の貴族社会において正式な跡継ぎは、いずれ受け継ぐ爵位に準じた身分となるのだ。辺境伯を受け継ぐ予定のエメラインは、現時点で子爵夫妻よりも身分が高い。
「うっ……いや、だが……」
「そんな……」
「それとも、私の意見を聞き入れられないとおっしゃいますか? ならば、今すぐお帰りください。そして、二度とこちらには来ないでいただきたい」
エメラインは毅然とした態度で言う。
「そ……そういうわけじゃ……」
「エメラインさん、落ち着いて考えましょう。ね?」
二人は慌てふためきながら、どうにかエメラインを宥めようとする。
「考える必要はありません。私はバートと添い遂げると決めただけです。そのためなら、何を犠牲にしても構いません」
「犠牲って……!」
「さあ、お引き取りを。荷物は運ばせましょう」
エメラインはそう言って、父と夫人を追い出した。
「ふぅ……」
エメラインは大きく息をつく。
これでひとまず、両親の介入は防げたはずだ。
かつては言いなりになっていた相手だったが、今のエメラインはもう昔の彼女ではなかった。自分の意思を持ち、自分の力で前に進むことができるのだ。
「エメラインさま、お見事でございました!」
それまで隅に控えていたメイド長ハンナが、感極まった様子で褒め称えてくる。
「ありがとう」
エメラインが微笑んで礼を言うと、他の使用人たちもこぞって賞賛の声を上げた。
「まさか、あの方たちをあんな風にあしらうとは……」
「エメラインさま、格好良かったですね!」
「エメラインさま、素敵でしたよ!」
皆が口々に言い合う。
この屋敷において、エメラインの母であるパトリシアを蔑ろにしたクレスウェル子爵夫妻は、忌み嫌われている存在だった。
特に、長年仕えている使用人ほど、その思いが強い。
彼らはエメラインの味方であり、エメラインとバートの結婚を応援してくれていた。
「エメラインさま、バートさんとの結婚を必ず成功させましょうね」
「ええ。もちろんよ」
エメラインは力強く答える。
周りの人々の温かい言葉に励まされて、エメラインはここが自分の居場所なのだと改めて実感するのだった。
そして数日後、とうとうエメラインのもとに神殿からの呼び出しがかかった。
いよいよ決戦の時が来たのだと、エメラインは気を引き締める。
「エメラインさま、大丈夫ですか? 緊張なさっているようですが……」
心配そうに尋ねるバートに、エメラインは優しく笑いかけた。
「平気よ。バートこそ、一緒に頑張りましょうね」
エメラインはバートの手を握る。すると彼は力強く握り返してくれた。
この手の温もりを手放さないためにも、絶対に負けることはできないと心に誓う。
ザッカリーは未だに動き回っていて、一緒には行けない。後から追いかけるので、二人だけで向かうようにとのことだ。
頼もしい祖父がいないことに不安はあったが、きっと何かを掴んできてくれるはずだと信じる。
エメラインとバートは馬車に乗って、王都の神殿に向けて出発した。