03.未来の姑と小姑
エメラインは、婚約者であるダミアンの住まうボーナム伯爵邸に招かれていた。
しかし、当のダミアンはいない。ダミアンの母である伯爵夫人と、妹のキャメロンだけが、エメラインの前にいる。
親交を深めるため、定期的に開かれるお茶会だ。
「今日もあの子はふらふらとして……これも、あなたがしっかりとあの子を捕まえていないからよ」
伯爵夫人はエメラインを眺めながら、ため息を吐く。
息子であるダミアンによく似た、整った艶やかな顔には蔑みの表情が浮かんでいる。
ボーナム伯爵邸にて定期的に開かれるお茶会ではあるが、ダミアンが出席していたのは最初の頃だけだ。
最近では、ダミアンはいつもどこかに出かけてしまっている。
ダミアン不在の責任を問われ、エメラインは何も言えずに唇を引き結ぶ。
「あの子が他の華麗な花々に目移りするのは、あなたの魅力が足りないからだわ。先日もそれをわきまえず、醜態をさらしたそうね」
先日のお茶会での出来事に言及され、エメラインはちくりと胸が痛む。
「まあ、お母さま。お義姉さまだけに非を押しつけるのはよろしくありませんわ。お兄さまが他の方と一緒にお茶会に現れたのは、婚約者をないがしろにする行為ですもの」
そこに、ダミアンの妹キャメロンからの助け船が出た。
だが、ダミアンの非をあげられたにも関わらず、エメラインの心は晴れない。
「でも、お兄さまが他の方といるからといって、ぎゃあぎゃあ喚き散らしたお姉さまも、どちらもどちらですわ。というわけで、どちらも悪いということでこの話はおしまいですわね」
朗らかに手を合わせるキャメロンの言葉に、エメラインはやはりそうなったかと心が沈んでいく。
彼女はいつも、どちらもどちらで、お互いに悪いのだからと締めるのだ。
一見、エメラインをかばっているようでいて、実際には何も見ようとしていない。
エメラインはぎゃあぎゃあ喚き散らしてなどいない。
だが、一言でも何かを言い返せば、そう言われてしまうのだ。
それでいて、ダミアンが何を言おうとも、それは正当な言い分とされてしまう。
理不尽さに苦しめられながら、エメラインはそれを吐き出すこともできずに、心の奥底が暗く淀んでいく。
「あなたがそう言うのなら、この話はここまでにしましょう。優しくて賢くて、しかも王子殿下の婚約者であるあなたは、私の誇りよ。どこかの誰かにも、見習ってほしいものだわ」
わざとらしくため息をつく伯爵夫人と、得意げな顔をするキャメロン。
キャメロンは、第四王子の婚約者なのだ。
第四王子は王座には距離があり、将来は臣籍に下る予定ではあるが、王族に変わりはない。
伯爵夫人は、もともと没落寸前の男爵家の娘に過ぎなかった。
それが美貌を見初められ、運の良さも相まって伯爵夫人となったのだ。
さらに娘が王家と縁を得ることとなり、ずいぶんと運命の女神の寵愛を得たようだと、社交界で囁かれている。
「私とお義姉さまを比べるなんて、お義姉さまがおかわいそうですわ。だって、お義姉さまは血筋くらいしか誇るものがないのですもの。私のように美貌と聡明さを見初められたわけではないのですから、仕方がありませんわ」
「そうね。あなたは数いる高貴な令嬢たちの中から、ぜひにと王子殿下に望まれたのですもの。本人そのものに魅力があるあなたと比べるのは、間違っていたわね」
軽やかに笑い合う母娘の言葉に、エメラインはじっと耐えていた。
何か口をはさめば、数倍になって返ってくるのだ。
それからも二人の自慢話やエメラインを見下す内容を散々聞かされ、ようやくお茶会はお開きとなった。
エメラインはぐったりと疲れながら、帰路に就く。
「お嬢さまは……あの方と結婚して、幸せになれるのでしょうか……」
帰り道、護衛騎士のバートが耐えかねたように口を開いた。
確かにダミアンもその家族も、エメラインのことを見下し、ないがしろにしている。
ボーナム伯爵と後継ぎの長男は露骨に見下してくることはないが、そもそも彼らは忙しいらしく、滅多に顔を合わせることはない。
伯爵夫人は自分に似た美貌の持ち主であるダミアンとキャメロンのことを可愛がり、父親似である長男のことは義務的に接しているとの噂は、エメラインも聞いたことがある。
だからこそ、可愛い息子ダミアンの相手として不足だと、エメラインに厳しく接しているのだろう。
「私が暮らすことになるのは辺境伯領で、彼女たちと同居するわけではないから……。それに、結婚すればきっとダミアンさまも落ち着いてくれるはず……」
ぼそぼそとエメラインは答える。
今は女遊びが激しいダミアンだが、家庭を持ち、辺境伯という立場ある地位に就けば、それなりの振る舞いをしてくれるとエメラインは信じたい。
「……ですが、あの方は辺境伯となった後も王都に留まりたいと公言しています。それに、結婚したからといって性根が簡単に変わるとは……」
目を背けていた事柄をバートにはっきりと指摘され、エメラインは口ごもる。
ダミアンは華やかな王都の暮らしを愛し、田舎の辺境伯領などに引きこもるのはごめんだと公言している。辺境伯領に留まるのは、最低限必要な期間だけだと。
あえて考えないようにしていたが、そこにエメラインの存在は考慮されていない。
おそらくは辺境伯領に捨て置かれるのだろうが、夫に顧みられない妻がどういう扱いを受けるかなど、決まりきっている。
暗い未来を想像し、エメラインは俯きがちになってしまう。
「お嬢さまが不幸になるくらいなら……いっそ、このままどこかにお連れして……」
沈み込んでいたエメラインは、バートの思い詰めたような小さな声により、はっと引き戻された。
思わず顔を上げて、バートの顔をまじまじと見つめる。
これまで意識したことはなかったが、よく見てみるとバートは派手ではないものの、整った顔立ちをしている。
ダミアンのような豪奢な美貌とは違うが、意志の強そうな瞳が印象的だ。
小さい頃から知っていたため、その延長線上にしか思っていなかったが、いつの間にか幼さが抜けた大人の男性になっていたことに、エメラインは今初めて気がついた。
そうと意識すると、エメラインの心臓の鼓動は跳ね上がり、バートがまるで見知らぬ相手であるかのように思えてしまう。
二人の目が合い、引き寄せられるように目が離せなくなる。
ずっと茶色だとしか思っていなかったバートの瞳が、近くで見ると緑がかった茶色であることにエメラインが気づいたところで、どちらともなく視線をそらし、顔を離した。
「……失礼いたしました。身の程をわきまえぬ、戯言を申しました。どうかお許し下さい」
「い……いえ……構わないわ……」
取り繕ったバートの言葉に、エメラインは視線をそらしたまま答える。
気まずさが漂い、二人は無言のまま、ぎくしゃくと歩き出した。