26.元婚約者の言い分
「これは一体どういうことだ!?」
怒りの形相でダミアンから詰め寄られ、エメラインは困惑する。
「どうって……」
「いくら僕の気を引きたいからって、こんなことをして許されると思うのか!? きみはどこまで愚かなんだ!?」
「……は?」
あまりにも理解不能な言葉に、エメラインはぽかんと口を開けてしまう。
「婚約破棄など……僕の気を引くつもりなら、こんな可愛くないやり方はやめるんだな!」
「え?」
ますます意味がわからず、エメラインは目を白黒させる。
婚約破棄を言い渡してきたのは、ダミアンではないか。いったい何を言っているのだろう。
「今からでも謝れば許してやるぞ。だが、この仕打ちは絶対に忘れないからな!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
一方的にまくし立てられ、エメラインは混乱しながら叫ぶ。
「なんですかそれは! 婚約を破棄したのはあなたでしょう!? なのに、どうしてそのようなことを言うのですか!?」
「はぁ?」
今度はダミアンのほうが呆気に取られたような顔をする。
「まさかあんな冗談を真に受けたのか? はっ! 本当に馬鹿だな、きみは」
鼻で笑われ、エメラインの心の中は静まり返った。怒りが限界を通り越して、感情が焼き切れてしまったかのようだ。
「……そうですか。よくわかりました」
「ああ、わかったか。ならば、今すぐ跪いて詫びるがいい」
得意げに胸を張るダミアンに、エメラインは冷ややかな視線を向ける。
「私はもう二度とあなたの顔を見たくありません。今後一切、私の目の前に現れないでいただけますか?」
「え? い、いや、でも……」
さすがにここまではっきりと拒否されるとは思っていなかったらしい。狼狽したダミアンの表情が、一瞬にして情けない顔になる。
「ど……どういうことだ? きみは、僕のことが好きなんだろう? きみが僕に一目惚れして、だから僕と婚約したいと言ったんじゃなかったのか?」
「……確かに、あなたの顔に私が一目惚れしたのは事実です」
「だったら、どうして……!」
「しかし、もう何年前のことをおっしゃっているのですか? その後ずっと私のことを蔑ろにしておいて、ずっと好かれていると思っていらしたのですか?」
「そ、それは……」
痛いところを突かれ、ダミアンは口ごもる。
「それに、グラスを投げ付けて怪我までさせておいて、まだ私の気持ちが自分にあると思っていたのでしたら、そちらのほうが驚きです」
「ぐっ……あれは……! わざとじゃない! たまたま手が滑ってしまっただけで……!」
「では、そういうことにしておきましょう。とにかく、あなたとは金輪際関わりたくありません。どうかお引き取りください」
エメラインはぴしゃりと言い放つ。
ダミアンはしばらく悔しそうな顔で黙っていたが、やがて諦めたように肩を落とした。
「わ……悪かった。反省している……だから、その……もう一度やり直してくれないか……?」
「お断りします」
表情を変えることなく、エメラインはきっぱりと拒絶する。
「……!」
ダミアンは絶望的な表情を浮かべたが、それでも必死に食い下がる。
「い、いや、僕たちはお互いに誤解していただけだ。僕はきみのことを愛している。だから、やり直させてほしい」
「申し訳ありませんが、無理です」
迷いなく、エメラインは言い切る。
「な、何故だ!? 僕がこんなにも頼んでいるというのに……!」
信じられないといった顔で、ダミアンは叫ぶ。
「何故と言われましても……私はあなたのことを心の底から軽蔑していますから。それに、あなたが私のことを愛しているなんて、信じられると思いますか?」
「うっ……」
冷淡に言われ、ダミアンは怯んだ。それでも、必死に言葉を探している。
「そ、それなら、どうすれば信じてくれるんだ!?」
「どうもしません。あなたのような方に、これ以上関わるつもりは毛頭ないので」
「そんな……! こ、この僕が頭を下げてやっているのに……! きみなんか僕以外に相手にする奴はいないんだ。僕が謝ってやっている今のうちに、許しておくべきだぞ!」
ダミアンは必死の形相で言い募ってくる。
「あなたには関係のないことですので、ご心配なく。どうぞお引き取りください」
あくまでも冷静な口調で、エメラインは言い放つ。
「い……今から辺境伯が務まるような相手など探せないだろう。僕がなってやると言っているんだ。ありがたい話じゃないか」
恩着せがましいダミアンの言葉に、エメラインは思わずため息をつく。
「あなたは今回、魔物が活性化したときに何をしていましたか? 安全な王都で遊んでいて、何もしていなかったでしょう? 沈静化してからのこのこやってきて、その言いざまですか?」
呆れた口調で言うと、ダミアンは言葉に詰まる。
「あなたに辺境伯など務まりません。絶対に」
「く……!」
ダミアンは不機嫌そうに顔を歪め、わなわなと震え始める。拳を握りしめ、怒りを抑えようとしているようだ。
そして、彼の視線がエメラインの隣に立つバートに向けられる。
「……ずっとおとなしく僕の言うことをきいていたきみが、何故こうも変わった。まさか……その犬のせいなのか?」
忌々しげにバートを睨み付け、ダミアンは吐き捨てるように言った。
「今までの私が間違っていただけで、彼は関係ありません」
エメラインはバートを庇うように、一歩前に出る。
「いいや、頭の悪い愚鈍なきみが一人でこうも反抗できるはずがない。その犬にそそのかされたんだろう。ふざけるなよ、汚い野良犬ごときが!」
ダミアンはバートに向かって、唾を飛ばす勢いで怒鳴りつける。
「……俺を侮辱するのは勝手ですが、お嬢さまのことまで見下す物言いはおやめください。失礼ながら、あなたこそお嬢さまにふさわしいとは思えません」
「なっ……!」
淡々としたバートの言葉にダミアンは絶句したが、何かを思いだしたようで、すぐに気を取り直す。
「……ふん。たとえ、お前たちが想い合っていたとしても、身分が違う。まさか野良犬ごときが辺境伯になどなれるはずがないだろう。結ばれることなんてないんだから、さっさと諦めろ」
勝ち誇ったように口元を歪めながら、ダミアンは告げた。
「あなたのような薄っぺらい思いと一緒にしないでいただきたい。たとえ結ばれることがなくとも、お嬢さまに対する敬愛の念は変わりません。お嬢さまの幸せこそが俺の望みなのです。そのためならば、俺はどんなことだってしてみせます」
静かな声でバートが宣言する。
「バート……」
エメラインはその横顔を見つめ、胸が熱くなるのを感じた。
これほどまでに想われているのだと知り、嬉しさがこみ上げてくる。
だが、ダミアンは鼻で笑った。
「はっ! さすが犬だけあって立派な忠義だな! しかし、いくら綺麗事を並べたところで、所詮はただの主人への依存に過ぎない。そんなもの、本当の愛ではない!」
ダミアンは声高に叫び、バートの顔に人差し指を突き付ける。
「そもそも、こんな女、辺境伯の地位がついてくる以外の魅力などないだろう! どうせお前もこいつに取り入って、地位を得たいだけなんじゃないのか!?」
「違います。お嬢さまは素晴らしい方です。そんなこともわからないあなたに、お嬢さまの魅力を語る資格はない!」
バートは即座に否定するが、ダミアンは引き下がる様子を見せない。
「黙れ、野良犬が! この女のどこが素晴らしいんだ!? ああ、まさかベッドの中では豹変するとでもいうんじゃないだろうな? それなら納得だ。それなりの使い道があったということだろうからな!」
嘲笑しながら言い放ったダミアンに、バートは顔色を変える。
「……それ以上、お嬢さまを貶めることは許さない」
「なんだ、図星か? はっ、これだから低俗な野良犬は……」
ダミアンはなおも言い募ろうとしたが、そこで不意に言葉を止めた。
バートが剣に手をかけたからだ。
「……貴様、何の真似だ?」
地の底から響くような声を出しながら、ダミアンはバートを睨む。
「これ以上、お嬢さまを侮辱することは許さんと言った」
「はっ! 許さんと言ってどうするんだ? 僕は伯爵家の者だぞ! お前のような平民が僕に危害を加えたらどうなるか、わかっているんだろうな! 処刑は免れないぞ!」
ダミアンはここぞとばかりに喚きたてる。
確かに、バートが貴族であるダミアンを傷つければ、彼の言うとおり処罰されてしまうかもしれない。
ダミアンなどどうなったところで構わないが、バートが罪に問われるのは困る。
「バート、やめて! 私は大丈夫だから……」
慌ててエメラインはバートの腕にとりすがる。
「お嬢さま……申し訳ありません。でしゃばりすぎました」
バートは悔しげに顔を歪めながらも、なんとか剣から手を離した。
「はっ、身の程知らずの愚か者が! だいたい……!」
勝ち誇ってダミアンは言葉を続けようとしたが、そのとき――。
「ずいぶんと騒がしいな」
不意に背後から聞こえてきた声に、その場の全員が振り返る。
そこには、辺境伯であるザッカリーの姿があった。