23.幸せな時期
エメラインが張り直した結界はとても強固なもので、脅威となる魔物の侵入を前以上に防ぐことができるようになった。活性化していた魔物たちも、落ち着いてきている。
あとはすでに入り込んでしまった魔物の残党狩りと、結界をすり抜けてしまう弱い魔物の討伐だけだ。
エメラインは祖父であるギャレット辺境伯ザッカリーに連れられて、魔物退治に精を出していた。
「おじいさま、こっちの魔物は倒しました!」
「ああ、ご苦労だったな」
ザッカリーは孫娘の活躍ぶりを、頼もしそうに見つめている。
「それにしても、エメラインさまは凄いな。あの結界を張ったのはエメラインさまなんだろ?」
「ああ、しかも、一人で全部やり遂げたらしいぜ。さすがギャレットの聖女さまだ」
近くで戦っていた騎士たちが口々に噂する声が聞こえてくる。
「俺たちも負けてられないな」
「そうだな! もっと頑張ろう!」
騎士たちは意気込みを新たに、再び戦いに身を投じていく。
これまで無能、ダメ令嬢と言われ続けていたエメラインだが、この地では誰もが彼女のことを認め、賞賛している。エメラインは誇らしさでいっぱいだった。
「それにしても、そなたがここまでやるとは思わなかった。見違えるほど強くなったではないか。皆がそなたをギャレットの聖女、辺境の聖女だと称えておる」
ザッカリーはそう言って目を細める。その瞳には深い愛情と喜びが浮かんでいた。
刺繍や楽器の演奏といった貴族女性のたしなみは苦手なエメラインだが、戦いに関しては天性の才があったようだ。
日を追うごとに魔法を自在に操れるようになっていき、もはや通常の魔物相手ならば遅れを取ることはない。魔法だけの勝負ならば、ザッカリーとも互角に渡り合えるほどになっていた。
「わしも安心して、ギャレット辺境伯の座を譲れるというものだ」
「おじいさま……」
エメラインは胸が詰まる思いがした。
これまでの人生において、エメラインはずっと蔑まれてきた。しかし、今はこうして周囲から尊重され、期待されているのだ。
ただ、自分が認められたことは嬉しいが、ザッカリーが辺境伯の座から退くことに寂しさも感じる。
「そんな顔をするな。わしはまだまだ元気だし、辺境伯の役目もそなたにしっかりと引き継いでいくつもりだ。それに、そなたの婿として……」
「辺境伯さま! 向こうからまた新手が迫ってきています」
「おお、わかった。すぐに向かおう」
ザッカリーは部下に呼ばれてそちらに向かう。
彼が言いかけた言葉の続きは何だったのだろうか。エメラインは気になったが、ザッカリーの背中を見送るしかなかった。
「お嬢さま、どうかなさいましたか?」
ぼんやりとしているエメラインに、バートが心配そうな声で問いかける。
「……いいえ、なんでもないわ。行きましょう、バート」
エメラインは首を横に振ると、気持ちを切り替え、バートと並んで走り出す。今はまだ考えなくてもよいことだ。それよりも目の前の敵を倒すことの方が先決である。
「はい、お嬢さま」
バートは微笑んで頷く。そして二人は、次々と襲い掛かってくる魔物を倒していった。
「お嬢さま、お帰りなさいませ」
屋敷に戻ると、アルマが出迎えてくれる。クレスウェル子爵家から一緒についてきてくれた彼女は、すっかりギャレット辺境伯家になじんでいた。
「ただいま、アルマ」
にっこりと微笑むと、エメラインはバートと共に中へと入っていく。
「お嬢さま、お疲れでしょう。すぐにお茶の準備をいたしますね」
「ありがとう、お願い」
エメラインは穏やかに礼を言い、バートと並んで自室へと向かう。
「お嬢さま、今日の戦いぶりも素晴らしかったです」
「バートのおかげよ。あなたが周囲の敵を引きつけてくれるから、私も魔法に専念できるの」
「いえ、お嬢さまの魔法の腕があってこそですよ」
謙遜しつつも、バートは嬉しそうに笑っている。
「ふふっ、ありがとう。でも、本当にあなたのおかげで助かっているのよ」
バートはエメラインを守るために、率先して敵の注意を引き付けてくれている。おかげでエメラインは思う存分、強力な攻撃魔法を放つことができるのだ。
「……それなら、俺が傍にいる意味もあるというものですね」
「そうよ。だから……」
エメラインはそっと足を止める。
「これからもよろしくね、バート」
一瞬だけ迷ったが、エメラインは結局当たり障りのない言葉を返すことにした。
本当はもう少し踏み込んだことを言いたかったのだが、バートがどう反応するか怖くて、口にすることができなかったのだ。
「もちろんです、お嬢さま」
バートはいつものように優しく笑うと、エメラインの手を取った。
そしてそのまま、エメラインの部屋までエスコートしていく。
「では、俺はこれで失礼します。何か御用がありましたら、遠慮なく呼んでください」
「ええ、そうさせてもらうわ」
エメラインはそう答えると、扉を閉めた。
「……ふう」
一人になった途端、緊張が解けて思わずため息が出る。
エメラインはソファに腰かけると、再び小さく息を吐いた。
「どうしたらいいのかしら……」
ぽつりと呟きながら、エメラインは膝の上に置いた手に視線を落とす。
バートと一緒に過ごせるようになったのはよいのだが、二人の関係は何も進展していなかった。主従の関係のままなのだ。
もっと彼に近づきたいと思うが、どのように接すればいいのかわからず、戸惑ってしまう。
そもそも、彼は自分のことを異性として好いているのだろうか。
以前、バートは待っていてくれと言っていたが、あれはその場の雰囲気に流されて言っただけではないだろうか。
彼の気持ちがわからない以上、軽々しく行動を起こすわけにはいかない。
「……いえ、焦ることはないわ。今はまだ魔物退治の最中だし、そんなことを考えている余裕なんてないもの」
エメラインは自分に言い聞かせるように、そう口にする。
そもそも、ダミアンと婚約していた頃から考えれば、状況はずっと良くなったのだ。以前は婚約者がいる身で、他の男性と親しくするなどあってはならないことだった。しかし、今は違う。
まだ身分という問題はあるにせよ、好きな相手と結ばれる可能性が出てきただけでも奇跡に近い。
そう考えれば、十分に幸せと言えるだろう。
エメラインは軽く頭を振って、余計な考えを振り払う。
「とにかく、今は目の前のことに集中しないと」
まずは魔物退治を終えてからだ。その後でゆっくりと考えればいい。
「お嬢さま、お待たせいたしました」
そこに、アルマがお茶の用意をして部屋に入ってくる。
「ありがとう」
エメラインは礼を言うと、カップを手に取り、一口飲む。
「美味しい……」
心が落ち着くような香りに、エメラインはほっと表情を緩める。
「お気に召したようでよかったです」
微笑むアルマを見て、今の自分はとても恵まれているのだと、エメラインは実感する。
きっと、これまでの人生で一番幸せな時期だ。
だからこそ、この時間を大切にしたい。これから、より良くなっていくように努力しよう。
エメラインは改めて決意を固めると、じっくりと味わうように、お茶を飲み干した。









