21.絶望的な戦い
「お嬢さま、逃げてください……!」
バートが剣を抜き放ち、エメラインの前に立ち塞がる。
だが、ザッカリーは厳しい表情を浮かべながら立ち上がると、バートを押し退けた。
「そなたはエメラインを守っておれ。こやつは、わしが倒す」
「ですが、辺境伯さまはもう魔力が……」
バートは不安そうに言いかけたが、途中で言葉を飲み込む。
目の前の黒竜を見据えるザッカリーの顔には、強い決意が表れていた。声をかけられる雰囲気ではない。
「ここでわしの命が尽きるのなら幸いだ。何せここは、ギャレット辺境伯家の墓所だからな。加護により、最期に最大限の力を使うことができる」
「おじいさま……」
エメラインはザッカリーの言葉を聞き、唇を噛み締める。
「いいか、エメライン。結界を張り直すことだけを考えよ。そなたならばできるはずだ。頼むぞ」
「わかりました」
エメラインは涙をたたえながら、しっかりと頷いた。
「バート、そなたはエメラインを守り抜け」
「はい、必ず」
バートは緊張の面持ちで答える。
「我らの屍を積み上げてでも、結界を再構築するのだ。決して諦めるなよ」
そう言うと、ザッカリーは腰の鞘から剣を引き抜いた。そして、それを高く掲げる。
「来い、黒竜。ギャレット家の誇りにかけて、この地は守ってみせる!」
ザッカリーの体が金色の光に包まれた。
同時に、彼の姿がかき消える。次の瞬間、エメラインの目にも留まらぬ速さで、ザッカリーは黒竜へと斬りかかっていた。
黒竜もそれに反応して、ザッカリーに向かって大きく口を開けて襲いかかる。ザッカリーはひらりと身をかわすと、黒竜の首筋へ一太刀を浴びせた。
「グォオオオオッ!」
黒竜は怒りに満ちた叫びを上げる。
「まだだ!」
さらにザッカリーの攻撃が続く。
エメラインはその動きを目で追うことができなかったが、凄まじい攻防が繰り広げられていることだけは感じ取れた。
やがて、ザッカリーの動きが徐々に鈍くなっていく。魔力を消費し続けているせいだろう。その体は傷だらけだった。
早く結界を張り直さなければ、ザッカリーが命を落としてしまう。エメラインは必死に祈りを込めて魔力を注いだ。
黒竜だけではなく、周囲には魔物が溢れ返っている。バートや騎士たちは必死になって応戦しているが、魔物の数は減らないどころか、どんどん増え続けていた。
今はまだエメラインに到達していないが、徐々に押されて後退し始めている。
このままでは、全滅するのは時間の問題だった。
エメラインは恐怖で震えそうになる体を叱咤しながら、ひたすら魔法を行使し続ける。
「早く……早く……」
焦りばかりが募る。
エメラインが結界を張り直すことができれば、この場にいる全員を救うことができるのだ。
ザッカリーが倒れる前に、騎士たちが力尽きる前に、そしてバートが命を落とす前に、結界を張り直さなければならない。
しかし、その時、エメラインは唐突に気がついた。
「私一人じゃ無理だわ……」
結界を張るためには、エメライン一人の魔力だけでは足りない。ザッカリーの力も必要だ。
だが、彼はもう限界を迎えている。
おそらく、次に攻撃を受けたら防ぎきれない。
「どうすれば……」
動揺して、エメラインの集中力が途切れかける。
その隙をついて、魔物が一気に押し寄せてきた。
「きゃああっ!」
エメラインは悲鳴を上げて、その場に座り込む。
もうだめだと目を閉じた時、何かが風を切る音が聞こえた。それと同時に、魔物たちの断末魔の声が上がる。
「お嬢さま、しっかりしてください!」
いつの間にかそばにいたバートが、エメラインを抱き起こす。
「バート……?」
「お嬢さまならできます! だから、諦めないでください!」
バートは必死の形相で叫んだ。その体にはいくつもの傷を負っており、息を荒げている。
「私は何をしているの……?」
ふと我に返り、エメラインは自分の不甲斐なさに打ちひしがれそうになった。
自分は結界を張って、みんなを守る立場にあるはずなのに、真っ先に怯えて座り込んでしまった。しかも、バートに助けられて。
「ごめんなさい……私が弱いばっかりに……」
エメラインは涙を浮かべながら謝った。バートは驚いたように瞬きをする。
「お嬢さまが謝ることなんて何もありません。悪いのはあいつです」
バートはそう言って、黒竜に視線を向けた。
黒竜はザッカリーとの戦いに意識を奪われているらしく、こちらに気づいていないようだ。
「辺境伯さまはおっしゃいましたよね? 俺たちの屍を積み上げてでも、結界を再構築しろって」
「えぇ……」
「だったら、俺たちは最後まで足掻くべきです。絶対に諦めちゃいけないんです」
バートは力強く言い切った。
その瞳に込められた決意を読み取って、エメラインははっとする。
「あなた、まさか……」
「はい、俺が囮になります」
「そんな……」
エメラインの体から血の気が引いていく。
「大丈夫ですよ。俺はこう見えても頑丈なんです。それに、こんなところで死ぬつもりはありません。何より、俺にはお守りがありますから」
そう言ってバートは懐からハンカチを取り出す。彼がエメラインのもとを去るときに渡した、不格好なハンカチだ。
「そ……そんな下手な刺繍のハンカチ……」
「お嬢さまが作ってくれたものですからね。俺にとっては、何よりのお守りです」
ハンカチを懐にしまいながら、バートは微笑んでみせた。
「だから、俺は大丈夫です。お嬢さまは結界に集中してください。必ず成功させましょう」
バートはそう言うと、剣を握りしめ、黒竜に向かって走り出した。
「待って、バート!」
エメラインの制止を振り切り、バートは黒竜の前に飛び出す。満身創痍で膝をついたザッカリーにとどめを刺そうとしていた黒竜は、突然現れたバートに気づき、鋭い爪で薙ぎ払った。
バートはそれを間一髪でかわす。だが、黒竜の攻撃はそれで終わったわけではなかった。さらに続けられる攻撃を、バートは剣を振るって次々と受け流す。
しかし、完全には避けきれず、体のあちこちが切り裂かれていく。
それでも、バートは決して怯むことなく立ち向かっていった。
「もっと……もっと私に力があれば……!」
エメラインは唇を噛み締めて、ひたすら祈りを込めた。
自分が情けなかった。ザッカリーもバートも命をかけて戦っているというのに、自分はただ祈ることしかできない。
そのとき、バートが黒竜の攻撃を受けて吹き飛ばされた。
エメラインは思わず悲鳴を上げる。
「バート!」
地面に叩きつけられたバートに、黒竜がとどめを刺そうと近づいていく。
「やめてーっ!!」
エメラインは絶叫する。
その瞬間、まばゆい光が辺りを包み込んだ。