20.結界崩壊
その後、エメラインのための部屋が準備された。
続きの間がアルマの部屋に充てられており、エメラインの部屋とは扉一枚でつながっている。
エメラインはそこで着替えや荷物を整理していたが、その間ずっと落ち着かなかった。早くザッカリーたちが戻ってこないかと待ち続ける。
しかし、いつまで経っても彼らは帰って来なかった。
「おじいさまたちは大丈夫かしら……」
窓から外を見ると、すでに日が落ちている。夜になってもまだザッカリーは戻らないのだ。
エメラインは心配になり、何度も窓の外を見たり、部屋の中を歩き回ったりした。
「お嬢さま、落ち着いてください。きっと大丈夫ですよ」
なだめるように、アルマが話しかけてくる。
部屋の入り口で立っているバートも、彼女の言葉に頷く。
「辺境伯さまはお強いので、大丈夫ですよ」
「そうよね……おじいさまがそう簡単にやられるはずがないわ」
優しく微笑むバートを見ると、エメラインは少しだけ気持ちが落ち着く。
深呼吸をして、窓の方向を眺める。
「どうかご無事で……」
エメラインは祈るような気持ちで呟く。
すると、その時だった。
騒がしい物音とともに、数人の足音が聞こえてきた。
エメラインはぱっと立ち上がる。
「おじいさま!」
勢いよく駆け出すと、エメラインは廊下に飛び出した。
そこにはザッカリーと、護衛の騎士たちの姿があった。彼らの顔には疲労の色があり、鎧が汚れていたが、大きな怪我があるようには見えない。
エメラインはほっと胸を撫で下ろし、ザッカリーに駆け寄っていく。
「おじいさま! ご無事でよかった……!」
「おお、エメラインよ、すまぬのう」
ザッカリーは安心させるようにエメラインの肩を叩く。
「わしは大丈夫だ。それよりも、大変なことが起こった」
「大変なこと……?」
エメラインが聞き返すと、ザッカリーは深刻な表情で言った。
「結界が崩壊しかけておるのだ」
「えっ……!?」
思いも寄らぬ言葉に、エメラインは絶句する。
「そんな……一体どうして……」
「それはわからん。もともと弱い魔物くらいなら結界をすり抜けていたが、今や強力な魔物が領内に入り込んできている。おそらく、魔物どもが結界の力を弱らせてしまったのだろう」
ザッカリーはそう言うと、険しい表情になる。
「今はなんとか持ち堪えているが、このままではいずれ破られてしまうだろう。そうなれば、領地全体に魔物があふれ出し、大きな被害が出ることになる」
「そんな……」
エメラインは衝撃を受ける。だが、すぐに気を取り直し、ザッカリーを見上げた。
「私にも何かできることはないでしょうか?」
「うむ、結界を補強するために魔力が必要だ。エメライン、手伝ってくれるか?」
「もちろんです」
エメラインは力強く答える。
「バート、そなたもついてこい。いいか、決してエメラインから離れるなよ」
「はい」
バートは神妙な面持ちで返事をした。
彼も一緒だということが、エメラインの心を勇気づけてくれる。
「よし、それでは行くぞ」
こうしてエメラインはザッカリーと共に、屋敷を出た。
エメラインはザッカリーの後に続いて、森の中を歩いていた。周囲はすでに真っ暗だったが、ザッカリーは迷いなく進んでいく。
しばらく進むと、急に視界が開けた。
「ここは……」
エメラインは驚きの声を上げる。
そこは一面、色とりどりの花が咲き乱れる美しい場所だった。花々は月明かりに照らされて輝き、幻想的な光景を作り出している。
ところが、武骨な騎士たちが警戒しながら周囲を歩き回っているため、のどかな風景とは言えなかった。
「ここがギャレット辺境伯家の墓所だ」
「墓所……?」
エメラインは戸惑いながら、周囲の景色を眺めた。
「ご先祖さまのお墓があるのですか?」
「ああ、そうだ。この辺りは強力な魔物が現れることが多くてな。そのため、代々ギャレット辺境伯家の者はここに眠ることになっている。そうして、この地を守っているのだ」
「そうだったのですね……」
周囲には精霊の気配が満ちていた。
エメラインはこの場所の持つ力を感じ取る。結界の力はここから発せられているようだった。
「さあ、始めるか」
ザッカリーはエメラインを促し、花の群生の中心に立つ。
そして、その場にしゃがみ込むと、地面に手を当てた。
「エメライン、そなたも手を貸せ。二人で協力して、結界を張るのだ」
「わかりました」
エメラインも同じように座り込み、ザッカリーの隣に手を当てる。
二人の手のひらから光が漏れ始めた。同時に、周囲の草木や大地からも光が立ち上ってくる。
「すごい……」
その不思議な現象に、エメラインは目を奪われた。
エメラインたちの力が合わさり、次第に巨大な光の輪ができあがっていく。その力はどんどん強くなっていった。
「くっ……」
ザッカリーが苦しげな声を上げた。額から汗が流れ落ちる。
「おじいさま、大丈夫ですか?」
「問題ない……」
そう答えたが、ザッカリーの息は荒かった。顔色は青ざめており、かなりつらそうに見える。
それでも、彼は休むことなく魔法を行使し続けた。
「もう少しだ……!」
そう叫んだ時だった。
突然、背後の森で爆発音が響き渡った。エメラインは驚いて振り返る。すると、森の一角で火の手が上がり、煙が上がっているのが見えた。
「あれは……」
「しまった! 結界が崩れ始めている!」
ザッカリーが焦燥感に満ちた声で叫ぶ。
これまでいっとき持ち直していたはずの結界が、再び弱まり始めていた。
魔物たちが結界を破ろうとしているのだ。
「エメライン、結界を張り直すぞ! 集中しろ! もう一度、わしに合わせろ!」
「はい!」
エメラインは必死にザッカリーに寄り添い、魔力を注ぎ込んだ。
しかし、すでに限界を迎えようとしていたザッカリーに、それを維持することは難しかった。
「ぐぅ……!」
ザッカリーは苦悶の声を上げ、ふらつく。
その時、何かがひび割れるような甲高い音と共に、地面が大きく揺れ動いた。
「きゃあっ!?」
エメラインは悲鳴を上げてよろめく。
それと同時に、地中から何か大きなものが現れた。それはゆっくりと這い出してくる。
「何……?」
エメラインは呆然と呟く。
現れたものは巨大で、黒い鱗に覆われた体を持っていた。頭部には鋭い角があり、牙の生えた口には血のように赤い舌が見える。その目は赤く爛々と輝いていた。
「そんな……まさか、黒竜……」
エメラインは恐怖で震え上がった。
伝説上の生き物である竜は、人間などひと呑みにしてしまうほどの巨躯を持っている。それが今、目の前に現れたのだ。
「結界が破れたのか……? なんということだ……」
ザッカリーは絶望したように呟き、膝をついた。