19.ギャレット辺境伯
扉が開かれ、ギャレット辺境伯ザッカリーが現れた。
ギャレット家当主でありエメラインの祖父であるザッカリーは、五十代半ばほどの男性で、白髪交じりの赤色の髪をしていた。
背筋が伸びており、その眼光は鋭い。がっしりとした体つきで、威厳のある風貌をしている。
ザッカリーはエメラインの顔を見ると、嬉しそうな表情を浮かべた。
「エメライン、久しいな。元気にしておったか?」
ザッカリーの口調には、孫娘に対する愛情が感じられた。
エメラインはほっとして微笑む。
「はい、おじいさま」
エメラインは立ち上がろうとしたが、ザッカリーは手で制してきた。
「よい、座っていてくれ」
「わかりました」
エメラインは素直に従う。
それからザッカリーは、向かいの椅子に腰かけた。その際、一瞬だけエメラインの後ろに控えるバートに視線を向けて、わずかに眉を上げる。
しかし何も言わず、ザッカリーは話し始めた。
「それにしても、突然やってくるとは、何があった? それもそなたと供の者だけで来るなど……婚約者はどうした?」
「……」
エメラインは一瞬言葉に詰まったが、意を決して事情を話した。
「実は……あの方に婚約破棄されたのです」
「なんだと!?」
話を聞いたザッカリーは驚きの声を上げた。
「それは本当なのか……?」
「はい……」
エメラインは俯きながら答える。
だが、すぐに気を引き締めて顔を上げた。
「あの方は、将来の辺境伯としてふさわしくありませんでした。私を蔑ろにして女遊びに明け暮れただけではなく、ギャレット辺境伯領のことも侮辱したのです。それをたしなめたところ、暴力を振るわれて婚約破棄を言い渡されました」
エメラインが淡々と告げると、ザッカリーは愕然とした表情になる。
「なんということを……! 愚か者めが……!」
怒りのあまり、ザッカリーは拳を強く握り締めていた。
その姿を見てエメラインは、祖父が自分のことを大切に思ってくれていることを感じる。家族に愛されてこなかったエメラインにとって、とても嬉しいことだった。
「それで……奴はどこにいるのだ? わし自ら鉄槌を下してやる……!」
「落ち着いてくださいませ、おじいさま」
今にも飛び出していきそうな様子のザッカリーを、エメラインは押し留める。
「私なら大丈夫ですから」
「しかしだな……!」
「むしろ、婚約破棄してもらえて、せいせいしました。私を解放してくださったと思えば、感謝してもよいくらいですわ」
エメラインはそう言って微笑んだ。
その笑顔を見て、ザッカリーは目を見開く。そして、ややあってから、深くため息をついた。
「まったく……そなたという子は……」
そう呟くと、ザッカリーはエメラインのことを抱き締めてきた。
「よくぞ我慢したのう……領地のことにかまけていて、気にかけてやれずにすまなかった……」
「おじいさま……」
祖父の温もりを感じて、エメラインの目頭が熱くなる。
今までずっと寂しかった気持ちが癒されていくようだった。
「いいえ……おじいさまはいつもお忙しいのだから、仕方ありません」
「ありがとうな……」
しばらく二人はそうしていたが、やがてザッカリーが体を離す。
「さて、これからのことだが……婚約破棄された以上、エメラインは新しい婿を探さなければならないのう。次期ギャレット辺境伯となれるような、優秀な男を見つけなければなるまい」
「そのことですが、おじいさま」
エメラインは真剣な表情で切り出す。
「私が、次期ギャレット辺境伯となります」
「なんだと!?」
ザッカリーは驚愕する。
「そんなことができるわけなかろう! そなたは魔力が乏しく魔法も使えないではないか……!」
「いいえ。これをご覧ください」
エメラインは周囲の精霊たちに意識を向ける。すると、周囲に光があふれ出した。
密度の濃い、凝縮された光がエメラインを取り巻き始める。それは、まるで小さな太陽が出現したかのように眩かった。
「これは……」
「私の魔力です。最近、やっと取り戻したのです」
「まさか……これほどまでに……」
エメラインを取り囲む強い光を呆然と眺めながら、ザッカリーは唸る。
魔力の高いザッカリーだからこそ、その力の強さがわかったようだ。
「確かに……この量ならば、ギャレット辺境伯家の跡継ぎとしては申し分ないかもしれんが……だが、そなたは魔力が乏しいという話だった。以前会ったときも、確かに魔力はさほど感じられなかったはずだ。それがどうして急に?」
「それは……」
エメラインは事情を説明しようと、口を開きかける。
しかし、そこにノックの音が響いた。
「失礼します」
緊迫した表情の使用人が入ってきて、ザッカリーに耳打ちをした。
それを聞いたザッカリーは、忌々しそうに顔をしかめる。
「なんだと……?」
ザッカリーの様子に、エメラインは嫌な予感を覚えた。
「おじいさま……?」
エメラインはおそるおそる声をかける。
すると、ザッカリーは苦渋に満ちた顔で告げた。
「……強力な魔物が現れたらしい。わしは行かねばならぬ。すまんが、話は後だ。またあとで会おう」
「わかりました……」
エメラインは不安を覚えながらも、頷く。
「辺境伯さま、俺も行きます」
そこにバートが申し出ると、ザッカリーは彼の顔をじっと眺め、しばし考え込む。
「バート、そなたは確か……もともとエメラインの護衛騎士であったな?」
「はい」
素直にバートが答えると、ザッカリーは彼とエメラインの顔を交互に見た。そして何かを納得したように息を吐く。
「そうか……では、エメラインと共に、屋敷に残っておれ。万一の場合に備えて、ギャレット辺境伯家の跡取り娘を守るのだ」
「わかりました」
異を唱えることなく、バートは神妙に頷く。
それからザッカリーは、エメラインのほうに向き直った。
「エメライン、そなたは屋敷でバートと共に待っていてくれ。すぐに戻ってくるからな」
「おじいさま……気をつけてくださいね」
エメラインの言葉に頷くと、ザッカリーは使用人と共に部屋を出ていく。
最後にザッカリーは、エメラインとバートをちらりと見て、わずかに目を細めた。