2汚部屋で目を覚ますJK
私には鏡に向かって話しかける癖があります。
「私は何者か?」「何をするべきか?」
一般的には精神衛生上よくないとされる行為ですが、その分得られるものもあります。
目指すべき自分と実際の自分の相違点を浮き彫りにして日々の生活に活かす。これにより隙のない一日を送ることが出来るわけです。
時刻は午前5時30分。
今思えばそれが功をなして事態の早期把握に近づけたのかと思いますが、常に泰然自若であるように心がけているはずの私でも驚きのあまり間の抜けた声を発してしまいました。
「あぅ」…………と。まあこんな感じです。
夢のような浮遊感もないようだしどうやら現実で体の持ち主が変わってしまったようです。
私の目の前に映る兄の姿…………。華奢な体躯。赤みがかった茶髪で印象の薄い顔立ち。特徴と言えば切れ長の垂れ目と三白眼でしょうか。
好みは分かれるかもですが決して不細工というわけではありません。ちなみに私はこういう塩系の顔は意志薄弱そうで苦手です。
辺りを見回せば私の部屋と似た間取りに所々、広告のようなポスターの群が吊るされていて片付けられていない部屋にはまともに歩ける場所もありません。
「まるで、誘拐されたみたいですね……。」
扉を開けてここが自宅であることを確認してから、私は本来の自室に向かいました。
「失礼します。」
小声で問いかけてから下の階にある私の部屋に顔を覗かせます。
案の定というか、相変わらずというか、私の姿をした"誰か"が死んだように寝ていました。私がお兄さんと"入れ替わった"という事は恐らく私の身体には宜喜お兄さんが入っているのでしょう。
頬っぺたを突っついてみます。…………まったく動じません。
お兄さんは朝に弱いです。もうこの時間帯では"私の方"の学校に間に合わないと思いましたので、私は彼をそのまま寝かしておき、お母さんに欠席の旨を伝えておきました。
「風音が辛そうなので休ませてあげて下さい。」
不思議そうな顔をする、お母さんを尻目に私は引き返しました。
お母さんの言うにはお兄さんの学校のホームルームは8時半と、比較的遅いのでまだまだ時間はあるはずです。
「でしたら…………。」
兄の部屋に戻り、この惨状を見渡し……。
「片付けますか。」
お兄さんのプライバシーの事が脳裏によぎりましたがこの様なゴミ部屋は見過ごせません。実は私は潔癖性なのです。
かれこれ一時間程度、過ぎましたでしょうか、まず景観破壊の手助けをしているポスターを纏めて押し入れに……。
ドサァ
詰め込めませんでした。押入れは部屋の数倍酷いものであった為です。露出度の高い人形、土産屋に売られている十字架のキーホルダーの数々……。
そして、何でしょうかこれは?文庫本にしては大きく単行本にしては薄い……商業雑誌でしょうか?
雑誌の内側に何やら封が?中には……成程。
「…………ハァァァ」
これはお兄さんの目が覚めたらどう取り扱えば良いか聞いておきましょう……頭が痛くなってきました。
この調子だとこの部屋を片付けきることなど不可能だと感じました。私の精神が保てません……
「しかし、ここで折れては天笠の人間の恥です。」
私は自分に叱咤をかけ、心を鉄にして押入れを再び漁り始めました。
終始戦場で地雷処理をする様な気分でしたが私は辛くもお兄さんの私物を三種類に分けることができました。
一:教材、目覚まし時計などの生活必需品
二:空き缶、ペットボトル紙袋などの要廃棄の品
三:私の判断では決定し得ない雑貨品
こんなところでしょうか……時間も時間ですね。私は制服に着替え、お兄さんの通う学校に向かうことにしました。
「行ってきます…………お兄さん、頼みますよ。」
私は一抹の不安を携えながら、家の戸を開けました。
――――
商店街を自転車で抜け、土手沿いを抜け、丘を越え、また商店街……。登校中、普段からの相違点が多すぎて憂鬱になってしまいました。スマートホン(因みに私のものです、お兄さんのスマートホンの暗証番号がわかりませんでした。)で地図を開いているのですが、いつまで経っても目的地に着くことが出来ません。
……稔野高校、郊外は学校が少ないと聞き及んでおりましたがここまでとは……。距離は遠い訳では無いのですが、いかんせん入り組んでいる為、気づいたら一度見た場所に戻ってしまう。電車が恋しいです。
時刻は8時20分――このままではホームルームに間に合いません。もう、三度くらいは通ったであろう小さな公園で私は自転車を止め息を整えていました。
「――お兄さんを無理やりにでも連れて行くべきでした。」
「……YOSHIKIじゃねぇか!朝っぱらからサイファーでもするのか?ははっ!全く精が出るぜぇ!」
「ええと……」
誰なんでしょうこの模範的B系ファッションをした老人は……ヨボヨボな体にはおおよそ似合わないダボダボなジーンズと白いタンクトップに黒いダウン。派手な金メッキのチェーンを身につけニット帽を被っています。
50はイっているでしょうか……全く「いい歳こいて、ヤンチャしてるなんて、少しは貴方の回りを見てみたらどうですか?金のチェーンつけてる人なんて一人もいませんよ?ご老体はご老体らしくラジオ体操でもしていればいいじゃないですか……あっ」
またやってしまいました。体が入れ替わってもこの性質は変わらないのですね……。
「いつにも増してキレキレだねぇYOSHIKIちゃん!こんくらいdisを飛ばせないとストリートは生き残れねぇよ!」
かっかっと仰け反りながら高笑いする老人……。何故逆に機嫌が良くなっているのでしょう?お兄さんはこのような人と日常的につるんでいるのでしょうか?だとしたら不健全です。後で指導の方を致しましょうか。とはいえ無礼は詫びなければいけませんね。
こんな、変質者と長時間話してる暇は有りません。
「好き勝手言ってしまい申し訳ありませんでした。あと、時間がありましたら稔野高校までの道を教えてくれると幸いです。」
「おお、今日は早いな。良いぜ!ついてきな!丁度オレも走り込みしたかった所だったんでぃ」
江戸訛り……。
「……お願いします。」
驚いたのはこのお爺さんの俊足さでした。気を抜くと私の方が見失ってしまいそうな速さで彼が走るものですからもり漕ぎをしながら目的地に急ぎました。
もしかしたら、このお爺さんはファッションが尖っているだけの気の良い人間なのかもしれません。
私が手こずっていたのが嘘みたいに簡単に学校が見つかりました。お爺さんにお礼を言い、駐輪場に向かおうとした時、お爺さんは変なことを言いました。
「そろそろ、道くらい覚えろよ?」
何か引っ掛かる気分になりながらもホームルームに間に合うよう足を早めました。時刻は8時25分……。
ここで新しく問題が発生しました。学校には晴れて到着しましたが、肝心のクラスがわかりません。
「よう!天笠っ。今日は早いな!」
誰が毒気のない声で私の後ろから虚をつこうとしました。振り向くと、身長の高い、丸メガネの似合う男子生徒が私の前にピースサインを突きつけていました。
「あ……こんにちは。」
「なに、敬語なんだよっw妹となんかあったのか?」
「…………!?」
「何黙ってんだよ……図星か?まぁ良いや、ほら教室行くぞ?」
どうやらお兄さんのクラスメイトのようです。物理的に距離が近いのが癪ですが、兄の交友関係に茶々を入れる気はさらさらありませんので、合わせてあげようじゃ無いですか。
「そうだね、ホームルームも遅れてしまいそうだし、急ごうか。」
運が良かったです。もし、お兄さんに友人が居なかったのなら私は永遠と自分のクラスを見つけられなかったでしょう。名前は知りませんが、友人に感謝です。
「……?調子悪いなら言えよ。」
妙な気遣いをされた気がしますが私は気にせず早足で、そしてなるべく自然に丸眼鏡の男子高生のあとに着いて行きました。
――――――――
「……なんか、今日の天笠おかしかったよな?」
「ああ、姿勢も良かったしそれに…………」
「口調も大人し目ときた……こりゃ女だな、女が絡んでる。」
「嘘だ、天笠が色づいたなんて…………」
「認めろ、逃げるな、俺たちはアイツの恋路を邪魔しなきゃいけない、誓いを破ったのはそう、天笠の方からだ!」
〜とある男子トイレでの歓談〜
ごめんなさい。遊んでました。ごめんなさい。