1:あっ
雀の鳴き声がするが、昨日何か起こったというわけではない。いつも通りの冴えない星を生きる冴えない男子高校生だ。
別に現状を憎んでいるわけではない。ただ、なんかこう、ないものねだりをしているようでテンションが落ちる。時刻は六時半。まだまだ通学には間に合う。
喉乾いたな……。
センチな気分で始まる朝、眠い目をこすりながら家の廊下を徘徊し麦茶を得るためお台所を目指す……壁にぶつかりながら。
ここでいう「お台所」はダイニング&キッチン&風呂場の愛称だ。一つの部屋にその全てが繋がっており、少しの移動で食事、入浴を済ませられる非常によくできた空間……ずぼらだとは思うが効率重視だ。
ちょうど便所のところで母親とばったり出くわした。
「……おはよう。」
思ったより、自分の声が高くて驚く。まぁ寝起きはみんなこうだろう。そういえば……今日は母親の方が目線が高い。
「風音、体調悪いの?宜喜があなたの代わりに欠席連絡してたわよ。たまにはちゃんとしたところあるのね……あの子。」
「んぇ?俺、宜喜だけど……。」「ほんとに疲れてるのね……宜喜ならもう学校に行ったわよ。それにあなた、風音じゃない。」
……ん?母さんまた変なこと言ってる……。新商品のアイデアでも思いついたのか?
「お仕事頑張って。」「風音もお休み。」
無事、お台所に辿り着き、冷蔵庫から麦茶を取り出す。麦茶ポットに手を伸ばすときに、違和感に気づいた。
……俺、こんなピンクの寝巻着てたっけ?まぁいいや、どうせ甚平の寝心地が悪かったのだろう。
やっと麦茶にありつける。コップ並々に注ぎ、一気に飲み干す。
「ップファ。早朝は麦茶に限る……やっぱり声高いよな?」
カフェインで覚醒したせいで、事の不可解さがよりはっきりとわかった。嫌な予感がして、急いで便所の脇の洗面所へ向かう。
鏡を見る。やや切れ長の目つき、外国人のように表情はくっきりと、均整の取れた顔つき。黒くつやのある長い髪……見覚えがある。
妹の風音だ。その頬に手を添える。すべすべとした感触がする。
「そんなわけ……あるかッ!」
やはり高い声が響く。俺は走って自分の部屋に向かった。
「なわけなわけなわけ……きっと夢だ。そうだ取り合えず引っ叩こう。」
…………ペチンッ「痛った」
「夢じゃねぇぇぇぇ。」
もうヤダ。何だって俺がこんな目に……まてよ、俺の身体が風音のものになっているのなら、風音は、
「俺の身体ってことか!?…………まずい。」
俺は全速力で階段を駆け上がる。
血相を変えて自分の部屋の扉を開ける。辺りを見回し床に崩れ落ちる。
「終わった……。」
俺の部屋は家宅捜査を受けたかの如く、他人に見せられない物全てが掘り返されていた。
赤い字が目立つ成績表、こっそりバイトをして、手に入れた等身大抱き枕……そして、高三の先輩に買ってもらった、"特別"な同人誌の数々……。
ものの見事に全て机に陳列されていた。
それからというもの、俺は半ばノイローゼになり自分の部屋で毛布に包まり、目を瞑っては開け、瞑っては開けて、これが夢である事を心の底から願った。
俺(宜喜)と風音の身体が、今日、入れ替わった。
「で、これはいったい何なんですか?」
学生服を着た冴えない顔をしたヤツが俺に冷たく追及してくる。
その冴えない顔……俺のなんだよ。
風音が帰ってきて、俺の部屋に入って、今に至る。
鏡で自分を見ているような錯覚に陥りながら、疲弊した精神で言葉を紡ぐ。
「ぁぁあ風音かぁどぉ〜かしたぁか〜?」
毛布に絡まって、もう8時間。どんよりと、身体が重く何もする気になれなかった。
だって仕方ないだろう?妹と、"入れ替わった"挙句俺の秘蔵のコレクションを見られたんだぞ?実の妹に……実の妹にだぞ?意気消沈するのも当然だ。
「質問を質問で返さないでください。だから、何ですか、その格好。まさか、私が学校に行っている間、ずっと着替えていなかったとは、もう本当有り得ません!あまりにもだらしなさ過ぎます。」
「ごめんなぁ〜お兄ちゃんダメみたいだぁ〜。」
「あのですねぇ」
風音は本気で怒っているらしかったのだが、垂れ目の三白眼に睨まれても、間の抜けた声で怒鳴られても正直全く怖くなかった。
相変わらず酷い顔だ。威厳というものを全く感じない。一歩間違えたらのっぺらぼうだろもう……。
劣等感やら無力感やら、負の感情が体全体を俺を蝕み、勝手に涙が出てきた。
「何泣いて……。」
風音は一瞬呆気にとられ、その涙の意味に気づくと思いっきり俺の頬を引っ叩いた。
「うげっ!」
「何泣いてんですか!貴方男でしょう?私が、学校を欠席にさせた理由が分かりますか?ええそうです。だらしないお兄さんでは私のフリなど務まらないと思ったからです。だとしたらお兄さんのするべきことは何だったか分かりますよね!?私の性格の分析、再現とこの現状の把握、対処でしょうが!なのに、何もせず8時間25分もそこでじっとしていた?ふざけないでください。」
そう言ったきり、風音はバツが悪そうに俯いて黙る。
俺は打たれた方の頬を覆う、まるで壊れ物を触るように。確かに風音の言う通りだ。風音は頑張っているのに、俺は何かするわけでもなく自分の部屋で現実逃避しているだけであった。もしかしなくても俺は自堕落で、情けない……兄貴失格だ。
「風音……確かに悪かったと思ってる。もっと、俺が色々考えないといけなかったな。こればっかりはすまん。この通りだ。」
俺は風音に向かいなおる。そして、床に額を付けようとする。
「そんな……ことは………。」
風音は取り乱したかのように頭を擦り付ける俺を制止しようとする。だが、勿論俺は"風音"の額を付けさせるようなことはしない。
すんでのところで下げる頭を止め、ゆっくりと"俺"の顔を見上げる。その顔には動揺の色があった。
俺は静かに口を開く。
「風音……図々しいのは十二分にわかる。ただ、これだけは約束してくれ……。」
風音の瞳が揺れる。
「この身体は、お前のものだ。それを故意に傷付けるのはお前の兄貴である俺が許さない。……それにお前、俺だと思って殴らなかっただろ?」
最後のはあくまで推測だが、これは俺にも当てはまることで、ある程度の確信があった。俺も風音の顔を見て無性に腹が立ったからだ。
俺よりも圧倒的に責任感のある風音ならば、自堕落な自分の姿を見て、手をあげるのは無理もないことなのかも知れない。
だけど、自傷は許しちゃいけない。自責をしても何一つ生まれないことは一番俺が知っていた。
「いいえしっかりお兄さんだと思ってぶちましたけど?」
風音は右肘に手をやって不貞腐れたようにそっぽを向く。
気まずい空気が流れる。
「……ほんと?」
「……………。」無言。これは多分肯定。
……………………いや恥ずっ。
何格好つけてんだよ俺。このままだったら、本当にクズだぞ?
だって、風音からしたら寝坊した兄に気を遣い、病欠にしてあげたのにも関わらず未だに現実を受け入れずに自室で廃人と化し、叱責をしたところでまともに取り合わず、暴力でわからせようとしたら、格好つけながら自分の身体を人質にされたのだ。
クズじゃん。………死にたい。
案の定風音は愛想が尽きたらしく俺の部屋から出て行き、俺は取り残された。
「………ごめん。」俺の呟きは狭い部屋の中を彷徨い。やがて、居心地が悪そうに、俺の耳の中に帰って行った。
数分の間、センチになっていたら、ふと何かが俺の頭の中で引っ掛かった。
「…風音のやつ、学校に行ってきたって言ってたよな?」
…………あっ
やーんもう、デンダイちゃんフテーキィ♡
………………本当に申し訳ありませんでした。