ロウドク×オレンジ
「語尾に向かって下がるように。『神楽木は遺言状を睨みつけた↓』 伊咲さん、もう一度おねがいします」
「はい」
地区大会まで残り10日となり、顧問の佐々木が顔を出すようになった。碧たちはマイクの前での本番を想定した練習をはじめ、佐々木に添削されていた。
「顧問の先生をあまりお見掛けしませんけど、専門の先生ではない……とかですか?」
「や、バリバリ専門だよ。……その、三年の学年主任でね、お忙しいんだよ。技術指導に問題も不満もないぐらい凄い人だよ」
数日前、佐々木が部活に来ないことを疑問に思った紫月に蜜柑が説明していた。その言葉の通り、佐々木の朗読技術は、素人でもわかるほどに素晴らしいものだった。
佐々木はひょろっとした清潔感のある中年の教師で、蜜柑と翠川の言によれば、生徒人気のある国語の教師らしかった。
「『神楽木は遺言状を睨みつけた。それが私には理解できなかった』」
佐々木は専門というだけあり、低く響く声で、見事な朗読を披露する。
「いやしかし、一年生の基礎はしっかりしてますね。葉山部長と翠川副部長のおかげです。僕が、あまり部活に顔を見せれないばっかりに、二人には苦労を掛けーー」
「先生また痩せましたか? 仕事もそこそこにしないと離婚されますよ」
「先生、うちの80のじーさんとおんなじこと言ってますよ」
3年生は軽口を叩けるぐらい佐々木と仲がいいようであった。
「遊井さんも先輩になって暫く経ちますが、どうですか?」
「いい子たちばかりで助かってます。……どもっても待ってくれるし」
人見知りの朱音もにこやかに佐々木と話せるようである。
佐々木の指導は優しくも、指摘したところが直るまで逃がしてくれないものであった。それまで基本的なことを蜜柑や翠川から指導されていたが、それとは比べ物にならないぐらい程の密度が一年生に降りかかった。
「では、休憩が終わったらもう一度お願いします」
「はい!」
× × ×
「水分補給しなよ~」
「はぃ」
佐々木の丁寧スパルタ指導を終え、碧は机に突っ伏していた。先に指導を終え、パソコンで作業をしていた蜜柑が、声をかける。その作業は先日のラジオドラマの仮編集で、時々録音した音声が聞こえてきていた。
スタジオからは練習をしている朱音達の声が、隣の部屋からは現在佐々木からの指導を受けている桃の朗読の声が薄く聞こえ、放送室は色々な音で溢れていた。
「……部長ってなんで放送部に入ったんですか?」
そう言えばまだ部長に聞いたことはなかったなと、碧は蜜柑に尋ねる。
蜜柑はパソコンから顔を上げると、首をぐるんと回し、天井を見上げ考えこんだ。
「伊咲君と一緒だよ」
「え?」
「先輩カッコイイなーって思って」
「……俺が朱音先輩に憧れて入部したって話しましたっけ?」
「いや? 見てれば分かるよ」
蜜柑はケラケラと笑う。碧は恥ずかしくなり、傍に置いていたペットボトルに手を付け、水を飲み込む。
「アナウンスがすごい先輩がいたんですか?」
「ん? あー、いや、朗読。朗読が上手い先輩がいてさ。その人に憧れて放送部に入ったの。……私も1年のころは朗読部門出てたんだ」
「そうなんですか! じゃあ、なんでアナウンスに変えたんですか?」
「えー、そうだなぁ」
蜜柑は基本的にハキハキと話すタイプだ。その彼女の端切れ悪い様子に、碧は違和感を感じた。
「まぁ、私の声軽いからさ、あと1年やってもあんまり活舌よくならなかったし、……アナウンスなら原稿から好きなように弄れるから、苦手な単語を言い換えたり、文章を明るい雰囲気に持って行ったりもできる。私にはそっちの方が、合っているかなって思って」
「声が軽い?」
「んー。全国大会のCD聞くと分かりやすいけど、朗読って低めの深い声の人が多いと思うんだよね。反対にアナウンスは高く明るめの声質が多い気がする。ほら、うちで朗読やっている翠川君も朱音ちゃんも低くてかっこいい声でしょ? やっぱ声質で向き不向きあると思うから。……アナウンスの方が番組制作と親和性も高いってのもあるしね」
蜜柑はそう言うと、パソコンに視線を戻した。なんと言っていいかわからず、碧が視線を逸らすと、それに気付いた蜜柑がふっと笑う。
「安心していいよ。伊咲君は、朗読もアナウンスも合う声質だと思うよ」
蜜柑は軽やかな声で語った。