3日目あるいはグリーンアイ
翠川翔は体を動かすのが好きな少年だった。野球、水泳、サッカー……いろんなスポーツを楽しんだ。スポーツは楽しかった。
中学校の時はその中でもバレーボール部に入った。バレーは楽しかった。生まれ持った才能と軽い努力で、3年生が卒業した後、翠川は正セッターになった。
「――どうして辞めるんですか‼」
「別にいいだろ」
秋を感じ始めたある日の昼休み、翠川が部室に忘れ物を取りに行くと、中から声が聞こえてきた。それは自身の親友とセッターの先輩の声だった。険悪な雰囲気に思わず立ち止まる。
「……正セッターになれなかったからだよ」
「そんな、これからどうなるかわかんないし、それ以外でも試合に出るチャンスは、サーブとかーー」
「別に、試合に出たいわけじゃない。自分の力で勝ちたいんだよ。気持ちよくなりたい。」
「……そんな」
「それに、あいつ……翠川、普通にうまいだろ。半年前まで小学生だったうまい奴と比べられるの惨めだろ」
その後どうやって教室に帰ったか、翠川は覚えてない。そのまま先輩は部活を辞めたし、翠川は行動を起こさなかった。
そのころから、みんながみんな楽しいからスポーツをしているわけじゃないということを、翠川は実感しはじめた。
勝ちたい。レギュラーに選ばれたい。結果を手に入れたい。それは、翠川にはない感情だった。否、あるにはあるがそれは強い衝動ではなかった。
翠川は地元から遠い、寮のある高校を選んだ。同級生が誰も進学しない高校を選んだ。
高校では、たった一人同じ中学校出身の先輩に連れられ、放送部に入部した。
そこには背の低い、明るくかわいい声の同級生がいた。
彼女は朗読が好きと言って、毎日翠川が圧倒されるほど練習に力を入れていた。
しかし、その努力が報われることはなかった。初めての大会も2回目の大会も、ずっと練習していた彼女より翠川の成績の方が圧倒的によかった。
「……蜜柑、アナウンスにするのか?」
「うん。番組の内容も使えるし」
「……でも、朗読が好きなんじゃないのか?」
「あぁ、うん。でも、私勝ちたいから」
「?」
「朗読ってさ、低い声の人多くない? 私高めの軽い声だし、どっちかって言うとアナウンスかなって。合っている方がいいでしょ」
蜜柑は何でもないように言った。
翠川は、蜜柑の機嫌が悪いところを見たことが無い。いつだって誰かに気を使って、それをおくびにも出さない。みんなが過ごしやすい空気を作る天才だった。
蜜柑の優しさは心地よかった。
× × ×
「頑張れ」
決勝進出が決まり、蜜柑が言ったことはそれだけだった。自身の作品が決勝に上がれなかったことに対し、多少はがっかりした様子だったが、優しい表情で翠川に語りかけた。
落ち着いている蜜柑とは反対に、翠川の心臓はどくどくと波打っていた。
決勝の控室は異様な空気で息苦しい。
自分から出ているはずの声が、どこか他人の声のように聞こえた。
決勝に進出した生徒たちは、係員に声をかけられぞろぞろと移動する。
翠川の目の前には見るからに顔色の悪い女子生徒がいた。声をかけようか迷ったが、ライバルに声をかけられるのが我慢ならない人かもしれないと、何もしなかった。
(ほんと場違いだよな。俺は、楽しければ何でもいいのにな)
翠川は自虐的な笑みをこぼす。みんな、勝ちたくてここにいる。「楽しみたい」より「勝ちたい」が勝つ感情を、結局最後まで理解できなかった。
緊張の所為かはわからないが、胃がぐるぐるとなって気持ち悪かった。
ステージ上の椅子はひどく冷えていた。決勝課題に目を通す。何の面白みも感じない文章。部室で蜜柑たちと発声練習をしているときが一番楽しい。
(でも、蜜柑の優しさにはこたえたいな)
翠川は決勝のマイクの前に立つ。そして、すぅっと息を吸った。




