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2日目あるいはオレンジボム


「うっせんだよ、ばばぁ」

「――っ、あんたね!」


 蜜柑が物心ついた時には、家は常に怒号が飛び交うような状態だった。11歳差の長兄は反抗期真っただ中で、よく母親に心無い罵声を浴びせていた。


「来夢、彼女と公園でヤッて学校に通報されたらしいよ。それで母さんが迎えに行って今って感じ。……ホントきもいよね」


 次兄はテレビから視線を移さず、蜜柑に言った。次兄は長兄を反面教師にして育ち、若干潔癖になった。兄と母の悪口を蜜柑に言い聞かせ、自分たちを正当化させようとするきらいがあった。


「柚子、留学ぐらい相談しなさいよ……」

「……奨学金で行くから」

「奨学金だけで賄えるわけじゃないでしょ!」


 次兄は比較的、親に対して従順だったが、無口な男で相談をしなかった。それに対し母は怒りを募らせ、いつもイライラしていた。


 2年前に長兄が結婚した時、泣きながら母への感謝を告げており、それに対し次兄も泣いていたのを見たときは、何のコメディかと思ったほどだ。


 母も、兄たちも、末っ子の蜜柑には優しい態度の家族だった。しかし、蜜柑にとって家は安住の地ではなかった。


 だから蜜柑は外にそれを求めた。


 相手が、欲しい言葉を与える。

 空気を読んで牽制しあう時は進んで一番になる。

 何か約束するときは、相手に言わせる。

 誰にでも優しく、でも悪意を持って接してくる人にはきっちり線を引く。


 穏やかな毎日が送れる場所を作った。


 冷静に選択を決めていた蜜柑が、衝動的に決めたことがある。放送部の入部だ。


(朗読ってかっこいい! すごい! 私もあんな風になりたい!)


 しかし、たった一人の同期は天才だった。彼は入部してすぐ、蜜柑の理想像に到達した。大会では立派な成績を残した。蜜柑が感じたのは嫉妬と絶望。翠川翔という人間が“いい奴”なのも腹が立った。


 奇しくも蜜柑は番組制作の天才だった。理想を目指すか、適性を極めるか。

 蜜柑は普段通り冷静に決めた。


×   ×   ×


(暗い題材が続いている……きつい……)

 モニターを眺めながら、蜜柑は干からびていた。番組審査の部屋は“読み”に比べて、緊張感が薄いと蜜柑は思っている。それでも緩やかな緊張感の中、重たい題材の作品を見るのはつらいものがある。


(自分の審査終わったし、朗読でも聞きに行こうかな……。いや、空しいだけか)


 “読み”の審査の正確な所までは蜜柑にはわからないが、全国大会に行く人たちはみな似たような声質だと思う。声質が良くないと勝負の舞台に上がることさえできないんじゃないか。3年間練習したらそのような声質になっていくのか。蜜柑に3年かけて検証する勇気はなかった。


 その点、番組制作は簡単だ。基礎基本を押さえ、強い題材を用意すればいいところまで行ける。その話を翠川にしたら、不思議そうな顔をされた。蜜柑はその顔を見た時、自分には番組制作の才能があると自覚した。


(どっちの才能が上かな……)


×   ×   ×


 決勝進出者は決勝当日に告げられる。

 蜜柑、翠川、朱音、顧問の佐々木の4人は、もし決勝に進んだ時の各々の動きを、ホテルのロビーで確認していた。


「それでは、そのようにお願いします」

「「「はい」」」

「私はコンビニに行きますが、皆さんはどうしますか?」

「あ、私行きたいです」

「大丈夫でーす」

「俺もいいです」

「そうですか、では遊井さん行きますか」

 佐々木と遊井がホテルから出ていく。それを見送った二人はエレベーターホールに向かう。

「あのさ、ちょっといいか」

「? うん」

 しかしエレベーターホールについて途端、翠川は蜜柑を引き留めた。2人はエレベーター前のソファーに座る。

 翠川は、なかなか話始めない。


(珍しいな、こんな余裕なさそうなの……やっぱ決勝かもって緊張するのかな)


 蜜柑は何も口に出さず、じっと待つ。暫く経つと、翠川が口を開いた。

「……俺ここにいていいのかなって思ってて。先輩に誘われて入部して、何となくでここまで来てるっていうか……」

「……何となくで、才能だけで全国まで来ました。って嫌味~?」

 蜜柑はわざとからかうように言う。

「ちがっ、……その、負けて泣いている人を見ると、あそこまで本気じゃないから」


 翠川の珍しい表情に、蜜柑は目を瞬かせる。


 蜜柑は知っていた。翠川は本気にならないことを。だが、それを本人が気にしたことは、今の今までなかった。


「翠川君は真面目に練習してなかった?」

「……いや、部活の時間はきっちり練習してたよ」

「うん、そうだよね。部活の時間は真剣に練習していた。……別に、時間をいっぱいかけるような、本気の子が勝てるわけじゃないよ。才能と練習がうまくマッチしていて、その日一番運がある子が勝つの」

 蜜柑はすっとソファーから立ち上がり、翠川の目の前に座り込む。目を合わせる。

「翠川翔はちゃんと練習していたよ。才能もある。……努力だけの奴なんて泣かせとけばいいんだよ」

 それは冷たい声だった。

「それに決勝、残れなかったら結局杞憂だからねー。勘違い野郎じゃぁん」

 蜜柑はパッと立ち上がり、きわめて明るい声をあげる。そのままエレベーターに近づき、振り返りながら、翠川にピースを見せつける。

「二冠目指そうぜ。二冠! テレドキュと朗読で!」


 それまで迷子のような表情だった翠川は、ふっと笑う。

「……勘違い野郎なのは嫌だなぁ」

 そして立ち上がり、エレベーターに近づいてボタンを押した。


 翠川は知っていた。彼女が、蜜柑が、朗読にあこがれを持って放送部に入ったことを。

 自分がその憧れを踏み潰したことも。


×   ×   ×


 ホールが、しんと静まり返る。大スクリーンに決勝進出者・作品が映し出される。

(エンターテイメントが過ぎるよなぁ)

 そこには、三波高校、翠川翔の名前があった。

 蜜柑の作品名はなかった。

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