地区大会②あるいはオンナ達のこだわり
「15番、米原高校――」
碧の前の順番の生徒の朗読が始まった。その生徒は碧と同じ1年生であるのに、緊張感が感じられない堂々とした振る舞いだった。
碧はステージ脇の順番待ちの席に腰掛けていた。手先がどんどん冷えていく。朗読の音が耳を通り過ぎていく。
前の生徒の朗読が終わり、碧は立ち上がりステージに向かう。自身の手が震えていることに気付いた。
ふと、客席から碧を見つめるのとは違う視線を感じ、先ほどまで座っていた席の辺りを振り返る。すると、朱音が心配そうな瞳でこちらを見つめていた。
碧の震えがスッと抜けた気がした。
(大丈夫、……大丈夫)
碧は姿勢を正す。そして息を吸う。
「16番、三波高校、……伊咲碧――」
頭は真っ白になっていたが、するすると言葉が出てきた。もはやテンポも間もわからなくなっていたが、自然と朗読は進んでいった。
「神楽木は遺言状を睨みつける。それがユリには理解できなかった」
いつもより上手くいっている気がする。ステージ袖からの視線がなぜか心地よかった。
止まることなく、噛むこともなく、碧の朗読は終わっていった。
× × ×
「お疲れ、時間大丈夫だったぞ。内容も練習通りできていたぞ」
碧が観客席に戻ると、翠川が小声でねぎらった。
「いや、もうなんか全然」
「まぁ、最初はそんなもんだよ。……ほら次の朗読が始まる」
「17番 比賀士高校 飯島 菫――」
「『私が、あなたの声になります!』」
(これ、翠川先輩と同じ……でもなんか違う)
飯島菫の朗読個所は、練習で何回も聞いていた翠川の朗読個所と同じであった。しかし、まるで違う部分を読んでいるかのように、聞いた時の印象が全く違っていた。
(なんとゆうか、漫画っぽい? 翠川先輩のは教科書みたいなんだよな)
自分の本番の緊張も感想もすっかり忘れ、碧は目の前のステージに聴き入っていた。
飯島の朗読が終わり、ステージを降りる。入れ替わりで、朱音が登壇する。
(遊井先輩!)
朱音からは緊張は感じられなかった。いつものオドオドとした様子もなく、ただ、まっすぐ前を見つめていた。
「18番、三波高校、遊井朱音――」
会場が、朱音の低く甘い声に支配される。会場は常に緊張感が漂っているが、朱音の朗読が始まるとその質が少し変わったようであった。それはまるで、博物館で価値のある財宝を目の前にしたときのような緊張感だった。
(……やっぱり、俺はこの人の朗読が好きだ)
× × ×
その後、粛々と大会は進んでいった。明らかに声が出ていない生徒もいれば、噛んでしまい目に見えて焦る生徒もいた。
「24番、喜田高校、清水、潔――」
(……本当に古文読んでる)
大会前に話題に上がっていた、清水の古文は他と毛色が違い、よくわからないなりに上手かった。
しかし、碧がこの大会で一番驚いたことは別にあった。
(明らかに、レベルが違う)
それは、翠川の朗読だった。碧は、放送部に入ってから何度も翠川の朗読を聞いていた。その時だってうまいと思っていたが、他の生徒と比べたとき、明らかに違うことを理解した。間、テンポ、台詞の読み方、全てが洗練されており、聞いていて気持ちがよかった。
(前から、遊井先輩と翠川先輩は何が違うんだろうって思っていたけど、……多分「聞いていてドキドキする」のと「聞いていて気持ちがいい」っていうところが違う……でもその根拠、技術的な違いって……)
碧が思考の海に沈んでいるうちに、全生徒の朗読は終わったのであった。
× × ×
「お疲れ様、そっちはどうだった?」
結果発表までのあいだ、生徒たちは遅めの昼食をとっていた。控室は三つあったが、なぜか第三控室には三波高校の生徒しかいなかった。
蜜柑の問いかけに、暗い顔の桃が答える。
「緊張して、何もわからなくなりました……」
「声震えてたな……まぁ、初めてにしてはちゃんとしてたよ」
「ステージ上でたくさんの観客に囲まれるのって緊張するよね。……でも私の1年のころより声出てたよ」
「去年の朱音ちゃんの朗読やばかったもんね」
落ち込む桃に対し、優しい顔で先輩たちがフォローに入る。桃の朗読は緊張で震え、聞いていて苦しくなる内容であった。しかし緊張しながらも声は出ており、練習の成果が垣間見える内容だった。
そっと蜜柑に目線で促され、碧は話しだす。
「俺も緊張してたんですが、なんか口からするするでて、……それなりに?できた気がします」
「うん! よかったよ! 練習通りできてた!」
朱音がまるで自分のことのように、嬉しそうに褒めてくる。
「へへ、……ありがとうございます。……紫月ちゃんは?」
黙々と弁当を食べていた紫月は、それを飲み込み話始める。
「……できていたのではないかと」
「恐ろしいほどできてたね。緊張の“き”の字もなかったよ」
「この手の……人の視線が集まる発表的なものは、その、慣れていて」
紫月は何も問題なくできたようだった。満足そうな顔で蜜柑が頷く。
「じゃあ、上手だなと思った人いる? 人の良し悪しが分かるようになることも、自分が上手くなったり、大会で成績を残したりするためには必要だからね」
1年生3人は顔を見合わせる。どんな生徒がいたかと、碧と桃がプログラムを見直す。
すると、もう頭の中に答えがあったらしい紫月が、控えめに手を挙げる。
「はい、紫月ちゃん」
「アナウンスは、紹介してもらった野津山さんと同じ学校の山路くん?も上手だったと思います」
「あの1年の子、上手かったね! 題材もよかったし、野津山さんの指導がいいんだろうね」
「はい!」と桃が手を上げ、蜜柑に指名される。
「私は、碧君の後の飯島菫さんがうまかったと思います!」
「あぁ! 確かに演技凄かったな!」
興奮する二人に対し、翠川と朱音は微妙な顔をしていた。苦笑いのような不思議な笑みだ。
「?」
「……その様子だと、あの演技、結局直さなかったの?」
「そう、だな」
蜜柑の問いかけに対し、ため息をついて翠川が解説を始める。
「碧も朝倉もその気が無かったから指摘するタイミング無かったんだが、朗読と演劇は違う。……演技しすぎると朗読としてはあまり評価されない」
「飯島さんは一年のころから活舌とテンポがよくてね、その演技さえ押さえれれば全国も行けるって言われてたんだけど、ずっと直さなくってね、ある意味有名人だよ」
「でもまぁ、上手は上手ですから、地区大会は抜けるんじゃないですか?」
先輩達の冷静な分析に、碧と紫月は感心しながらうなずいた。しかし、上手と思っていた人物の予想外の評価に、桃は少し気まずそうであった。
「碧君は? 他に誰かいた?」
「うーん」
碧が一番うまいと思ったのは翠川と朱音であった。しかし、今求められているのは他校の生徒だろう。だとするならばーー
「清水さんですかね。……古文はよくわかんなかったんですけど、上手いのはわかったっていうか……」
「話の中身が分からなくても、テンポと間が完ぺきだからうまいことが伝わるんだろな」
翠川がしみじみうなずく。反対に蜜柑は半目で「やっぱ変態だわ」と呟きながら、弁当をかき込んだ。
“パンパンパン” 突然、扉の方から拍手の音がした。
「お褒めいただきありがとうございます、君も一年生にしては堂々としていたし、翔さんは言わずもがな、でしたね」
「!?」
するとそこには、ちょうど話題に出ていた清水が1人の男子生徒を連れて立っていた。
「というか、三波高校だけで第三控室占領しないでくださいよ。……ご一緒しても?」
「いや、占領してないし、誰も入ってこないだけだから。いいけど、他の喜田高生は?」
「三波高校さんは少数精鋭の圧があるんですよ。……他の生徒は第二控室にいます。2年と1年は僕とこの子しか男子がいないんで気まずいんですよ」
「3年の男子と仲悪いんだっけ?」
「あまり話をしないだけです」
清水と男子生徒は翠川と碧の間に座った。
清水は華やかな男だったが、近くで見るとさらに美しく、いい匂いがした。
「この子は1年の伏見寧斗です。」
「……よろしくお願いします」
清水が連れてきた男子生徒は、大会の時にマイクテストをしていた暗そうな子であった。コンビニのビニール袋をがさがさと揺らし、中からおしぼりを取り出す。
「2人は大会どうだった?」
「そうですね、やっぱり基礎基本ができている高校は1年生もうまいですけど、何となくの高校は3年生でも下手ですね」
「相変わらずの毒舌だな」
伏見は昼食のパンを開けながら、控えめに話しだす。
「……僕は貴方の演技がいいと思いました。さすが全国大会出場者だなと」
「! 俺も、いつも練習で聞いていて慣れていたんですけど、他の先輩と聞き比べて先輩のうまさを実感しました! 遊井先輩の朗読も!」
「あはは、ありがとう」
碧はなぜか伏見の言葉に張り合ってしまった。照れながら笑う翠川に対し、人見知りを発動している朱音は目線だけうなずいてくれた。
そんな朱音の様子を見た清水がため息をつく。
「キミはいつもそうだね。いい加減僕に慣れてもよくないかい?……というか、よくステージ上で緊張しないね」
「慣れるってほど会ってないでしょ。それに朱音ちゃんも古文ばっかの変人に文句つけられたくないよねぇ。そういえば喜田校のーー」
「緊張して!」
朱音は力強い様子で未完の言葉を遮った。人見知りでここまで言葉を発していなかった朱音の様子に、一同は口を閉じる。
「緊張して結果が出なかったら意味ないから。……それに、観客は私の朗読を聞いているだけで、私を見ているわけじゃないから」
沈黙が流れる。碧は空気を変えるため話し出そうとしたが、先に話し出した人物がいた。
「……清水先輩は生き方もしゃべり方も顔も棘がありますよね」
「顔に棘があるってどういうことだい⁉」
「中学の時もその棘で、友達いなかったもんね」
「蜜柑さん⁉」
伏見と蜜柑の軽口に、空気がふっと軽くなる。一同はそのまま昼食を楽しんだ。
話してみると清水は「自分にも他人にも厳しい男」であることが分かった。そのせいで練習を真面目にしない3年生とそりが合わないらしい。
清水たちが立ち去り、結果発表兼閉会式が始める少し前、朱音が、雑談をしていた碧たち1年生に話しかけてきた。
「さっきの、嫌な感じだったかな」
「「さっきの?」」
「あの、清水さんに言ったの」
1年生3人は顔を見合わせる。
「別に、気にしていらっしゃらなかった様子でしたから大丈夫かと」
「そうですよ! あの人も言い方、きつかったですし!」
女子2人が朱音を優しくフォローする。碧もフォローしようとしたが、結局気になったことを尋ねた。
「……でも珍しいですね。強く言い返すの」
「……」
朱音の顔がさっと赤くなる。小声で何か話始めたが聞こえない。
「え?」
「他校なのに蜜柑さんと翠川先輩と仲良さそうなのが……ちょっと……私は仲良くなるのに時間かかったのに、蜜柑さんと同中なのは知っているけど、翠川先輩とは違うし……朗読もうまいし……なんか、こう、言い返したくなって」
予想外の告白に碧たちはぽかんとする。誰も反応しないために、朱音は言い訳のようなものをどんどん重ねていった。
初めて見せる朱音の態度に碧は戸惑った。しかし、話を聞くうちにどんどん納得していく。
朱音は怖がりなのだろう。人の視線や人間関係を広げることを避けている。しかし、自分の大事な所を守る最後の一線は自分でしっかり守る。そんな人物だった。
(なんか、かわいいな、遊井先輩)
「かわいいですね、朱音先輩!」
声に出さない碧の感想を、桃は平然と声にした。
× × ×
地区大会の結果は翠川と朱音が朗読部門を勝ち上がり、蜜柑と紫月がアナウンス部門を勝ち上がった。
「紫月ちゃん、おめでとう!」「すごいよ!」
碧と桃は地区大会で敗退したものの、同級生の勝ち上がりに盛り上がった。
「おめでとう」「よかったな」「当然だね」
「あ、ありがとうございます!」
先輩達にも褒められ、紫月は花がほころぶように笑った。普段クールな紫月が浮かれた様子を見せるのは、これが初めてのことであった。
控室で祝っていると、審査員をしていた佐々木が戻ってくる。
「みなさん、お疲れ様でした。帰り支度が終わったら帰りましょう。講評は学校に帰ってからにしますか」
「「「はい」」」
こうして、碧の初めての大会は終わった。碧は敗退したが、すっきりした気持ちであった。




