青い春が始まる?
「『どうして……、あなたを愛していたのに!』」
舞台上の女子生徒から紡がれた物語が、ホール内に優しく響き渡る。彼女の唇から目を離せない。甘く、少し低めの声が碧の脳内を支配する。朗読にこんなにも引き込まれるのは碧にとって初めての体験だった。
嫉妬に狂った娘の物語だった。彼女は“娘”の怒りを、声を荒げるような方法では表現していなかったが、確かにその声には怒りがあった。
「雨が降っていてよかった。あなたを憎まずに済むから。」
現実世界は春の日差しに包まれる暖かな快晴であるのに、雨が降るのを感じた。
その朗読は放送部の部活動紹介でのデモンストレーションであった。ステージ上では朗読をしていた女子生徒の他に2人ほど生徒が立っていた。
朗読が終わり、ホール内がシンとなる。朗読をしていた女子生徒の隣にいた男子生徒が締めのあいさつをし、ステージ上の3人がステージから去っていく。
碧はその背を無自覚に目で追っていた。
(あっ……)
碧は朗読の女子生徒と目があった気がした。しかし、彼女はそのままホールから去っていき、次の部活紹介が始まるのだった。
× × ×
放課後の教室はざわついている。先ほどの部活動紹介もあり「どこに見学に行こうか」といった会話があちらこちらから聞こえてくる。
「伊咲君はどこの部活見に行く?」
前の席の生徒――相沢紘人が振り向きざまに、碧に話しかける。
「……まだ決めてないかな、相沢君は?」
「中学の時卓球部だったから、卓球部見に行こうかなって思ってる。伊咲君は何部だった?」
「俺も卓球部だったよ!」
「お! じゃあ一緒に行く?」
「うんーー」
うなずいたものの、碧の脳内に先ほどの朗読が思い浮かぶ。美しく甘い声の少女。
「ごめん、やっぱ行ってみたい部活があって……」
× × ×
(放送部ってこんな所にあるんだな……)
放送部は、中央棟3階の奥にあった。そこは3年棟にほど近く、1年生の碧は初めてくる場所であった。
校内はどこも部活動勧誘で賑わっていたのに、放送室の前はシンとしており、遠くの方から呼び込みの声が聞こえてくる。放送室の扉は閉じられており、〈新入生歓迎!〉というポスターだけが張られている。
(静かすぎて怖い、入りにくい。……勢いで来ちゃったけどやっぱり卓球部に行こうかな)
碧が放送室に入ることに躊躇していると、隣の部屋の扉が半開きなことに気付く。そしてそこから、うっすら声が聞こえてくる。
「あ、え、い、う、え、お、あ、おーー」
(……練習してる?)
碧はそっと中をのぞく。その部屋は碧の想像より広い部屋で、その奥に発声練習をしている女子生徒がいた。窓から差し込む光に照らされた髪が、キラキラときらめいている。
(さっきの人だ)
「さ、せ、し、す、」
「?」
突如、発声練習が止まったかと思うと、少女の顔がスッと碧の方を向き、目が合う。
「や、あ、」
「……」
時が止まったような、気まずい空気が流れる。
碧はのぞき見をしていた後ろめたさで、焦り、上手く会話ができなかった。女子生徒も視線を彷徨わせながら、こちらを伺っている。
「えっと、新入生?」
「はい!」
「……どうぞ」
碧は促され、おずおずと部屋の中に入っていく。すると、女子生徒も碧に近づいてくる。
「部活見学?」
「あ、はい、そうです!」
「えっと、部長たちが隣に、や、他の子が来てたっけ、どうしよ」
見るからに女子生徒は焦っている。会話と独り言の境が無い話し方であった。
部活動紹介の朗読の時とも、先ほどの発声練習の時とも違った雰囲気に、碧は唖然となる。
しばらく、女子生徒はぼそぼそと話ていたが、突然ハッとし、再び碧に話しかけてくる。
「あ、そうだ、名前は?」
「1年3組の伊咲碧です」
「伊咲くんね。えっと、私は2年4組の遊井朱音です。」
「「……」」
自己紹介の後、またも沈黙が流れる。朱音の目線はキョロキョロと彷徨っている。
そんな朱音を見かねた碧は、勇気を出して話始める。
「あの……」
「はい!」
「今日の部活動紹介での朗読って何の本?お話?なんですか?」
「それはね!」
落ち着かなかった朱音の様子がふっと明るくなる。
「内海流先生の『馬の骨』って言う短編集の作品なんだけど」
「内海流先生は知ってます。なんか映画がやっていますよね」
「うん! だから、新入生にも身近かなって思って」
「放送部ってそういう朗読をやる部活なんですか?」
「うーん、朗読もやるけど色々するかな。例えば入学式の司会もしたし。……でも、一番のメインは朗読やアナウンスの“読み”と“番組制作”でーー」
話が始まるとポンポンと会話が続いていく。2人の緊張も解け、柔らかい空気が流れる。
「そうなんですね」
「うん」
「……あの」
「?」
「さっきの……、部活動紹介の時の朗読をもう一度見せてもらえることって可能ですか?」
朱音は最初きょとんと目を丸めたが、ふわっと笑い「いいよ」と言い、碧から距離をとる。そして姿勢を正し、すぅーっと息を吸う。
「『どうして……、あなたを愛していたのに!』」
(やっぱ、すごいな。……綺麗だ。)
碧はうっとりと朱音を眺める。そこには、先ほどの新入生に慌てる朱音はおらず、意思のある目と低く甘い声が場を支配する。
「上品な紫色の傘が視界に入る。あの女の傘ではないのに、娘の脳内を業火が支配するーー」
(授業の朗読とも全然違う。……何が違うんだろう?)
一瞬、朗読をしていた朱音と碧の視線がぶつかる。碧には自身の高揚が朗読への感動なのか何なのかわからなかった。
そうしているうちに朗読が終わる。
「どうー-」
「それって!」
言葉がぶつかり、互いに言葉を止める。
朱音がどうぞと、碧に話すよう促す。その時には、もう既に、朗読の時の凛とした朱音は消えていた。
碧はドクドクと鳴っている心音を無視し、話始める。
「俺にもできますかね?」
「……朗読のこと?」
「はい」
碧の声には楽し気な温度がのる。
「朗読が凄くかっこよくて、感動したんです」
「……放送部に入部したらできると思うよ」
朱音は照れながら、花がほころぶように笑って言う。
「入ります。放送部入りたいです」
碧はそう言った後、自身の発言に動揺した。気になって来てみただけで、入部するつもりはなかった。それなのに「入部する」と口に出していた。
朱音はそんな碧を嬉しそうに見つめてくる。今更、やっぱもう少し考えますなんて言えない。
「入部届はこちらだよ」
「⁉」
突然、背後からした声に碧が振り向くと、いつの間にか背の低い眼鏡の女子生徒が立っており、入部届を掲げていた。そして部屋の入り口では、背の高い眼鏡の男子生徒が開いていた扉を閉じた。眼鏡の2人は満面の笑みで碧を見つめている。
「伊咲碧です。……よ、よろしくお願いいたします」
扉には屈強な男子生徒、目の前には入部届を掲げる女子生徒、後ろには目を輝かせる素敵な先輩。逃げることが許されない状況に、碧は息をのむ。
かくして新入生、伊咲碧は三波高校放送部に入ることとなった。