彼と私の好きな人
どうしよう。
このまま紙をここに置いておく?でも、誰か他の人が拾って見るかもしれない。この紙には提出する人物の名前もすでに印刷されているので、誰が書いたかわかってしまう。
こっそり捨ててあげる?でもどこで落としたかわからず、セフィードが悩むことになるかもしれない。
迷ったのはほんの少しで、私は去っていこうとするセフィードの背中に声をかけた。
「待って!」
静かな広場に突然響いた私の声に、セフィードはあからさまに驚いた様子で振り向き、私の顔を見て怪訝そうな顔をした。
「お前、こないだの……」
セフィードが私を覚えていたことに単純にびっくりする。
しかし今はそれには触れず、私は彼に駆け寄って紙を手渡した。
「はい、これ。落としたよ」
セフィードは眉をひそめたあと、渡された紙をみて顔を一気に青くさせた。
「……見たのか?」
「……見てないよ?」
厄介ごとに巻き込まれたくなくて、咄嗟に嘘をつく。
しかし彼は私をのぞき込んで怖い顔で追及してきた。
「その顔は見ただろ」
「見てないってば」
「…………」
彼の美しいエメラルドグリーンの瞳に見つめられると、悪いことをしたわけではないのに背中をだらだらと冷や汗が伝う。
私はやけになってわざと軽い調子で言った。
「び、美人だよね、シャーリーさん! わかる!」
「やっぱ見てんじゃねーか!」
シャーリー・アストンさん。
たしかセフィードと同じクラスで、昔から続く名家のご令嬢だ。
アーモンド形の夜色の瞳に、高い鼻。濃紺の髪はまっすぐ艶やかで、肩口で美しく切りそろえられている。
母親が外国出身らしく、異国の血を引くその顔は誰もが認める美人で、学園内でも有名な子だった。
セフィードはしゃがみ込み、頭を抱えた。
「まじかよ……」
普段からは想像もつかないような彼の情けない様子になんだか焦り、私の口は勝手に動いて止まらない。
「大丈夫、内緒にするから!あ、でも、こんな話したこともないような私に言われても信用できないよね!?えーと、えーと」
なんとか彼に信じてもらおうと考えた私は、パニックになってとんでもないことを口走ってしまう。
「あ、じゃあ私も好きな人教える!あのね、マルディー・ダンテ先輩!知ってる?知らないか!まだ話したこともないんだけどさ!」
言ってしまってから、私はさーっと青ざめた。
いくらセフィードを安心させるためとは言え、何を口走っているのか。まだ誰にも話したことがないのに。
私が早口でまくし立てているうちに立ち直ってきた様子のセフィードとは反対に、急に恥ずかしくなった私はその場にうずくまって小さくなった。
「ごめん、忘れてください……」
小さな声でそう告げると、やや間があってセフィードが言った。
「マルディー先輩なら、知ってるけど」
言われたことがすぐに飲み込めなくて、思わず顔をあげる。
彼はいつの間にか立ち上がっていた。
セフィードはさらにこう続ける。
「同じ学科の先輩。話したことがないなら紹介してやろうか?」
彼の背中にはたしかに後光が見えた。