セフィード・オスカー
「おはよう、マフル!」
同じクラスの友達の明るい声に、私は振り向く。
時刻はちょうど一番登校する生徒が多い時間帯。
秋から新学年が始まって2ヶ月が過ぎ、吐く息が少しだけ白くなるこの季節に、いつもと変わらない元気で人込みをかき分けやってきた彼女を見て私は笑って答えた。
「ライシー、おはよう。今日も元気だね」
「寒いからね!」
「そっか」
彼女は寒くなくてもいつも元気だが、とりあえず私はうなずいた。
「マフル、あとで小テストの範囲教えてくれない? メモ取るの忘れちゃって」
「えっ、小テスト今日の午後一であるよ? 間に合うの?」
「間に合わせる!」
はしばみ色の瞳に、瞳とよく似たオレンジ色の髪の毛。頬にはうっすらとそばかす。
ライシーは見た目も性格も明るくていつも元気だ。
顔も美人というほどではないが愛嬌があって、男子にひっそり人気があるのを知っている。
まあ、彼女にはついこの間彼氏ができたばかりだけど。
そこまで考えて、私はふと思い出してたずねた。
「そういえば、今朝は彼氏と一緒じゃないの?」
私の言葉にライシーは、肩をすくめる。彼女の一つに縛ったオレンジ色の髪がぴょこんと揺れた。
「それが、彼風邪ひいちゃったらしくて。今日は休みみたい」
「そっかー。昨日寒かったしね」
ライシーはまだ彼氏と付き合って2週間だ。
ずっと片思いしていた相手と想いが通じ合ったときの彼女は、本当に幸せそうだった。
自分はまだ彼氏ができたことがないけど、このくらいの時期が一番楽しいとよく聞く。
そんなときに会えないのは寂しいだろうな、と思った。
でも、ライシーはそんな私の考えに反してにこっと笑う。
「ううん、ここ最近あまりマフルと一緒にいられなかったからちょうどいいよ!今日はずっと一緒にいようね!」
そう言いながら彼女は勢いよく抱き着いてきて、私はぐらっとよろけた。
そしてよろけた先にいた人にわりと勢いよくぶつかってしまう。
しかし、その人は体制を崩すことなく私を受け止めてくれた。
「あぶねーな」
「ごめんなさい――」
謝りながらその人の顔を見て、私は内心驚いて息をのむ。
私がぶつかった相手は、よりによってこの学園で今一番人気の男子と噂のセフィード・オスカーだった。
セフィード・オスカー。
光沢のある茶色の髪に、エメラルドグリーンの瞳。
二重で切れ長な目も、高くすっとした鼻も、ピンクの薄い唇も、卵型の輪郭もすべて美しく整っている。
背は女子平均の私より頭二つ分くらい高く、足がすらりと長い。
神様がひいきしたとしか思えない容姿のこの男は、さらにこの国で最も力のある財閥の一人息子だ。
彼が持つものを数えるより、彼が持ってないものを数える方が早いだろう。
結婚相手を探すこの学園で、セフィードがモテないわけがなかった。
むしろ、彼が入学すると聞いて娘を学園に送り込むことに決めた家も少なくないという。
そんな選びたい放題の彼だが、なぜかまだ特定の相手を作っていなかった。
遊びたいのか恋人などいらないのかわからないが、彼がフリーであることでワンチャンを狙う女生徒が後を絶たないらしい。
「……なんだよ」
私がじっと見ていたことに気分を悪くしたのか、セフィードは怪訝な顔をする。
私は我に返り、ズレてしまった眼鏡を直して慌てて彼から離れた。
「本当にごめんなさい。支えてくれてありがとう」
同い年だから、敬語は使わない。
彼は不機嫌そうに私を一瞥したあと、何も言わずに歩き出してしまった。
「マフル、ごめん!」
私と一緒に茫然としていたライシーも、彼が去ってからはっとして私に謝ってきた。
「大丈夫。よりによってセフィードにぶつかるとはね」
「いや、むしろそこはラッキーじゃない?セフィード様近くで見てもイケメンだったね~!」
もうケロッとして目をきらきらさせるライシーに、私は胡乱な目を向ける。
じっとと彼女を見つめていると、ライシーは慌てて頭を下げた。
「いや、ほんとごめんね!でもこれでセフィード様がマフルのこと覚えたかも」
「覚えなくていいよ……」
セフィードが人気があるのはわかる。
わかるけど、私はああいう偉そうな男はあまり好きではない。
私が好きなのは、もっと優しくて誠実な人だ。
私はまだまだセフィードについて話したそうなライシーをなだめて、再び学校へ向かって歩き出した。