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十二月十三日 その一

 一昨日から降っていた雪も昨日の晩にはやみ、柔らかな日差しが戻ってきていた。それでもお庭は一面の雪景色で、吐く息が白く濁る。


 書院脇の廊下にたたずみ雪の降り積もったお庭を見ていると、何度も見た忠臣蔵のドラマや映画の場面が思い起こされ、またも気が滅入ってくる。


 すでに心は決めたと思ったものの、やっぱり疑念も残る。


 この世界は、私がいたあの時代と本当につながっているのだろうか。

 ここでも、明日の深夜、いや明後日の未明となったら、やはり討ち入りは起きるのか。ここにいる人たちはどうなるのか。私が心に決めた行いが正しい結果を生むのか、それは分からない。


 でも、自分の言動が歴史を狂わせるのだとしたら、そもそも私がこの時代に送り込まれた時点で、もう何かが変わっているのかもしれない。それなら、やはり私は自由に自分の思ったままの行動をとるべきではないのか。

 私はただ時間を超えただけなのか。もしここが、私のいた世界とは少しずれた別の世界だとしたら、私の知る歴史とは違う未来が存在するのかもしれない。いや、その違う未来、大勢の人が死ななくてもよい世界を創るために、私はここに来たのかもしれない。だけど、それを確かめる術はない。


 目の前のお庭は、まだ誰にも踏み荒らされてはいない。

 真綿のようにすべてを包み覆う真っ白な雪。明日の深夜、ここで赤穂の浪士と吉良邸のお侍様たちの決死の立ち廻りが起きるのか。映画やドラマで何度も見たそれを、実際に生きた人間たちが起こすのか。まさに殺し合いを。

 いたたまれなくなり、そっと目を閉じる。


「むつみ様」

 しばらく佇んでいた私は、その声に目を開けた。廊下の先を向くと春斎さんがいる。相変わらず行儀よくひざまずいている。

「はい、何か?」

「御前様がお呼びです」

 そう言って、坊主頭をぺこりと下げる。

「かしこまりました」

 ご隠居の上野介様は、明日の茶会の準備を確かめに、先ほどこの屋敷にお立ち寄りになった。


 春斎さんに付いて廊下を歩く私たち。二人が踏む床の音が、しんと澄んだ空気に響く。他には何も聞こえない。目の前をしずしずと進む春斎さんの頭を見ていたら、自分ですら思いもよらず、ふいに言葉が出た。

「あの、春斎さん」


 春斎さんが立ち止まって振り返る。

「はい、なんでございましょう?」

「その……寒くないですか?」

 春斎さんは、何のことかわからずキョトンとしている。

「あの、頭が……」

 私が自分の髪に手をやる。春斎さんはやっと意味が通じた顔で、でもすぐに恥ずかしそうな顔で自分の頭に手をやった。

「いえ、これは……その」

「あ、ごめんなさい。変なこと訊いちゃって。でも、ちょっと寒そうだったから。今日とか寒いよね、やっぱり」

 私も照れ隠しについ現代口調になる。春斎さんもどぎまぎして所在無げにいたけれど、やがてまたぺこりと頭を下げた。

「お気遣い、かたじけのう存じます。かようなお言葉を頂戴いたしましたのは初めてです。うれしゅうございます」


「春斎さんは、お茶屋のお店のご子息なんだよね?」

「あ、はい。三男でございますので、坊主へと出されました」

 この時代、後継ぎ以外の男子、次男から下は子どものころから家を出されて、縁のある場所での住み込み従事が一般的だった。


「寂しくない?」

 直接そう訊くのは気の毒とも思ったけれど、目の前の春斎さんの顔を見ていたら、つい口にしてしまっていた。

 春斎さんはどう答えていいのか少し考えていたようだったけれど、やがて私の顔を見て言った。

「父母より、お屋敷でのお仕えに際し、覚悟を持つようにと言い渡されて参りました。また御前様、吉良家の皆さまには、過分に良くしていただいております」

 十五歳、いや数えだから満十四歳。でも私が知る平成、令和の十四歳より、ずっと芯の通った受け答えをする。

「あったかくしてね」

 私が言うと、春斎さんはまた笑顔で頭を下げた。


 お屋敷を西側に進んで、ご隠居様のご寝所脇、次の間に通された。春斎さんがお声をかけると襖を開ける。


「おお、むつみか。ささ、入れ」

 膝をついて一礼した私に、ご隠居様が手招きする。


「失礼いたします」

 私が室内に入ると、春斎さんが部屋の外から襖を閉める。ご隠居様は、豪華な絵のついた火鉢を前に座っていた。

「寒かったであろう。さあさあ、近う、近う」

「ご無礼いたします」

 にじり寄るように身体を擦って近づく。


「遠慮するな。もそっと近う寄るがよいぞ」

 火鉢の傍まで寄った私に、ご隠居様が微笑んだ。促されてご隠居様のように両手を火鉢にかざす。

「あったまるの」

「はい」

 お互いに目を見合わせ、ふふふと笑う。


 こうしてみると、今までフィクションの世界で見ていた悪役の吉良上野介にはまるで見えない。


「菓子は所望(しょもう)か? 遠慮無う()すが良いぞ」

 ご隠居様が指した高坏(たかつき)の上には、懐紙(かいし)が敷かれお饅頭(まんじゅう)が載っていた。これではまるで、孫にでれでれになっているおじいちゃんだ。


「おそれいります」

 私はお饅頭には手を付けずに、笑顔のままご隠居様の顔を見た。

 お菓子は単なる社交辞令。何かお話があって呼びつけたはず。ご隠居様も分かっている様子で、そのまま無理に勧めようともしない。


 まるで老夫婦みたいに、しばらく二人で火鉢にあたりながら無言のままでいた。でもだんだん間が持たなくなってくる。失礼を承知で、私は口を開いた。


「あの」

「あー」


 と、絶妙なタイミングでご隠居様と言葉が(かぶ)る。


 一息ののち、思わずプッと吹き出してしまった。ご隠居様もさも可笑しそうに笑う。あまりに可笑しくて、二人でひとしきり笑ったあと、まだ残る笑いをかみ殺しながら私は頭を下げた。

「も……申し訳ございません」

「良い、良い……いやはや、以心伝心とはこのことであろうかのう」

「はい」


 まだ笑いを残す私にご隠居様が言った。

「此度の茶の会が終われば、また上杉に戻る。此方へはしばらく来ぬじゃろうて」

「左様ですか……寂しゅうございますが、承知いたしました」

 ご隠居様がうなずく。

「しばし会えなくなると思うとな、そなたの時代の話なぞ、また聞きたくなっての」

「はい。私のお話しできますことなら、何なりと」


 そう言った私に、ご隠居様はうんうん、とうなずきながら視線を外し、表から陽を透かしている障子の向こうを見るような顔つきになった。

 しばらく黙っているご隠居様の横顔を、私が見つめる。やがて、ご隠居様が静かに口を開いた。


「むつみよ。そなたの時代に、わしの名は(のこ)りおるか?」


 その一言に、私の笑顔が消えた。


 ご隠居様が、心の内を見越したような顔で私を見る。

「そなたは、此方に着た折、すでに当家を存じておったな。まこと三百年も先の世に、当吉良家の名が遺るはまったき幸せ……」

 そこで言葉を切る。

「とは、わしは思わぬ」


 そのご隠居様の顔に、もう笑みは残っていなかった。

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