第23話 奈落
2023/4/19
誤字脱字、文章編集、ルビ振りを行いました。
身構える暇もなかった。
白い物体が横を素通りし、それが壁に激突した。
地面に転がるそれがルピネスと認識するまで数秒を要する。
ルピネスの口から一筋の血液が流れるのを見て、初めて俺は襲われている事を実感する。
異常事態。
早くルピネスの元に行かなければいけないと脳みそがようやく働き始めた。
その間、俺よりも事態をすぐに把握していたカルトアとメダが戦闘に入っていた。
だけど、戦闘だと思った事態は一方的な破壊。
カルトアの振るわれた剣が腕の一振りで折れ、ダンジョンの壁に突き刺さる。
メダの放たれた矢は、避ける事も払われることもなく、消滅した。
「逃げろっぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼」
カルトアの叫びを合図するかのように、ディアと呼ばれた生物は体躯に似つかわしくない大口を開いて今にもカルトアを喰おうとしていた。
「リーダーっぁあああああああああああああああああああああああああああ‼」
メダの叫びがそれを防ぐことができない事を表していた。
――何もできない。
そう脳裏を掠めた瞬間、
「うぁわああああああああああああああああああああああああああああっ!」
俺は最悪にも恐怖の悲鳴を上げていた。
そこからなぜそうしたのかわからない。
背負っていた大きなバッグをルピネスが倒れている方向に放り投げ、自然源素をありったけ集めていた。
起死回生の逆転劇など起きることなどない。
効果は本来よりも早い体力の回復、それだけしかない。
つまり、俺の行動は、混乱による暴走。
とち狂った最悪の選択。
その選択がどういうわけか、ディアの行動を止めていた。
体躯に似合わない大口が閉じると初め見た黒い影の姿に戻る。
だが、事態が好転したわけではない。
何故なら、そのディアの赤く光る眼は俺を捉えていた。
標的の変更、それを理解するのに時間はかからなかった。
「うぉおおおおっ、逃げろ!」
剣を失ったカルトアの拳がディアを捉えるが、標的は微動だにしない。
ドッドッド、と心臓が高鳴り、俺の語彙力を奪う。
「あ、あ、」
俺はその眼から逃れるようにじりじりと横にズレていく。
しかし、その眼が外れることはなく追いかけてくる。
「は、はっ」
呼吸が極度の緊張により乱れに乱れる。
それなのに、さっきまでの混乱が嘘のように、頭の中は波紋の一つない水面みたいに落ち着いていた。
逃げる方向はあっちだ。
合図は一瞬。
その隙に、
「逃げろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ‼」
役割を間違えた俺は、カルトアのセリフを奪う形で叫んでいた。
予備動作なんてものは見えなかった。
俺が走り出そうとする間もなく、目の前に黒い影が大口を開いてそこにいた。
俺の目の前でバクンっと大口が空間を喰う。
「(喰われた……?)」
何を喰った?
一つしかない。
俺が集めた自然源素の塊だ。
だが、それは目の前に現れたディアの登場に驚いた拍子に霧散させてしまっていた。
謎の生物ディアは何が起きたのかわからないといった仕草で、なくなってしまった源素を探している。
そのうちに俺とカルトアの目が合った。
その次に俺はルピネスを見る。
それだけで意味は伝わっただろう。
「くそがっ!」
悪態を付いたメダがルピネスに向かって走り出す。
カルトアは歯を食いしばり事態を受け入れられなかった所為で行動が遅れている。
それでも、この状況で選べる選択は他にない。
カルトアが走り出し、仲間の治療を急ぐために走り出した。
入れ替わるように俺はそちらに走り出す。
それが悪かった。
甲高い悲鳴にも似た癇癪をディアが起こす。
「ぐっ、」
耳に鳴り響いた叫びに俺は走りながら両手で塞いだ。
苛立ちは一番近くの標的に向けられる。
走り出したメダだ。
そこで俺は確信を得た。
基本的に源素は誰しもが持っている。
だが、例外はいくつか存在している。
基本は、精霊と魔族。
さらに、神に祈りし修道員は源素を別の力に変えていると、そうシンから教わった。
だから、喰う標的ではないルピネスを殴り飛ばし、一番近くにいたメダが標的になった。
さらに、俺の中で眠っている源素は感じ取れていない。
つまり、ディアは源素を持つものを標的にしている。
それも、源素の力が多い者を。
「こっちだくそったれ!」
俺は自然源素を再び集める。
ディアはその気配に再び俺を標的に変える。
今度は驚かない。
突然目の前に現れるそれが来た瞬間、今度は意図的に自然源素を霧散させた。
これで時間稼ぎができる。
「応援を呼んできてください!」
こんなの勇気でも何でもない、ただの強がりだ。
それでも、俺はこの優しい冒険者をこんな形で死なせたくない。
だって、俺だけ生き延びても後悔しか残らない。
そんなの悪い事しているのと変わらない。
そう感じてしまった。
出来ることはやる、出来ない事はやらない。
何一つ変わっていない。
「すまないっ、必ず戻るっ!」
「死ぬなよクソガキっ!」
少しだけ自分が役に立っていると嬉しくなる。
拳に力が宿る。
なんとしても、耐え抜く。
そんなささやかな決意は――、
「ごっ、ほ――」
ほんの一瞬で壊された。
相手は知性がある生物ではない、本能で生きている。
目の前で消失する餌が再び消えた事に苛立ち、目の前の動く物体を退ける為だけに腕を振るったのだ。
それに気が付いた時にはダンジョンの天井がスローで流れていく。
俺は殴られた拍子にぶっ飛ばされたようだ。
意識はある。
追撃はやってこない。
じゃあ、ディアはあっちを行ってしまう。
だから、俺は自然源素を集める。
本能には逆らえない、餌を逃さないと追い付いた黒い物体の化け物は天井に張り付くように目の前に現れる。
今度は、なくなってしまう源素を逃がさない様、それを作り出す存在ごと喰う為に覆いかぶさる。
落下が始まり、背中には地面がある。
背中に衝撃が来れば完全におしまいだ。
そう諦める中で、せめて餌だけはくれてやるかと、最後の悪あがきで自然源素を霧散させた。
「……ざまぁみろ」
三度ディアの悲痛な叫び声が、衝撃に変わって俺を吹き飛ばす。
ディアとの距離が空いたことで、尚更地面に到達するのが早くなる。
そう思っていたのだが、いつまでたっても背中に衝撃がやってこない。
気づけば辺りが真っ暗だ。
「……ああ、そうか」
ディアが現れた大穴、そこに俺は落ちているんだ。
四度目の正直。
本当に最後、俺は自然源素を集めて穴の底へと落ちていったのだった。




