回遊魚、もしくは眠り姫 ~コロナの日々でぼくたち/わたしたちは 2020・初夏~
新型コロナウイルス感染拡大で高校が休校になって以来、ミクはもやもやした気持ちを抱えたまま、眠ってばかりいる。学校の再開が決まったものの、もう部活に塾にのハードな生活には戻れない……。
1
このところ、眠ってばかりいる。
眠って見ている夢と、起きた時の現実と、それから、目は覚めているのだけれど、ぼんやりと、過去の記憶、現在の妄想、それから未来の幻視、いやこれも妄想か、これらが浮かんだり消えたりして、何だか分からなくなる。
別に病気になったわけじゃない。
新型コロナウイルス感染拡大で高校が休校になり、しばらくして塾もインターネットに切り替わり、外出するなと言うことになり、家に籠った。
家族と一緒にリビングにずっといるのは何だし、自分の部屋でスマホをいじっていて、ついついダルくなってベッドに寝転がって、それでしばらくすると眠くなってくる。そんな時に、わたしを妨げるものは何もない。
それで、--寝る。
それでも、数えてみたら、だいたい一日10時間か11時間くらい。一日の半分以上は起きているのか。
ただ、休校になる前は、朝練、授業、放課後の部活、塾、宿題が学校のものと塾のものと出て、隙間の時間でピアノ弾いたりで、睡眠時間は4時間か5時間だった。日曜も試合があって、試合がなければ友達と買い物に出かけたりで、やっぱり、そんなには寝ていなかったような気がする。
その溜まりに溜まった睡眠不足を一気に解消!
という感じで、休校になった当初はひたすら寝ていて、――そのうち、それが日常になった。
わたしは、閉じこもり生活におそろしいほどに順応した。
ああ、もう睡眠時間4時間の生活には戻りたくない、戻れない。
このへんの本音を、どこまで友達に伝えるかは微妙だ。
休校期間中も、SNSで常に友達とは繋がっている。だけど、SNSでのマジョリティは、早く解除になって学校に行きたいね、みんなと会いたいね、部活やりたいね、のノリなので。
ここで、もとの生活に戻るの嫌だなんてことは、言えないのだ。
それでも、気の置けない何人かには、本音を匂わす。
「寝てばっかりいるよー」
と書き込むと、
「早起き無理!」
とか、
「わたしもー」
とか、返事が来る。
ただし、そこから一足飛びに、
「もう学校いらないって感じ」
とまでは、書かない。書けない。
だって、緊急事態宣言が解除されて、もうすぐ学校が再開するから。
実際、わたしはずっと、休まないオンナだったのだ。
小学校時代、水泳にピアノにバレエに塾。中学受験ではお正月も返上した。晴れて中高一貫の女子校に入ってからも、うちの学校で一番強い運動部であるところのバレー部に入った。バレー部だけじゃなくて、合唱同好会、それから、図書委員会。どれも結構真面目にやった。文化祭では、自分の出番と当番でスケジュールが埋まり切り、他を見ることが全然できないくらい。高校に上がってからは、ここに塾が追加された。毎日、分刻みのスケジュールって感じ。
病気にでもなれば少しはゆっくりできるんだろうが、わたしは体が丈夫だ。インフルエンザにもかからない。だから、ずっと、全力疾走している感じ。
それでも、ずっと過去の記憶を探っていくと……、本格的に寝込んだのは小学生、水疱瘡にかかった時まで遡るんだろうか。
マジか。
わたしが、今みたいに、ぼーっとして、寝てばかりいて、のんびりしているのは、小学生の時以来の珍事なのか。
それで、わたしは、ちょっと考え込んでしまうのだ。
何で、こんなに忙しくしているんだったっけ、と。
「わたしって、何で、こんなにいろいろ手を出しているんだっけ?」
とSNSで呟いてみる。
程なくして、リプが来る。
「ミク、だいじょぶか?」
とか、
「リハビリ必要」
とか、
「だって、それはミクだからじゃね?」
という友人たちのコメント。
むむむ?
それで、わたしはまた混乱する。
ミクだから、とは?
いったい、わたしとは何者だと?
「ミクは、とにかくガンガンやる人でしょ?」
そう、確かにそれはそうなんだけど。
物事一つ一つについて考えて意味を付けようとする人と、そうではなく、ただ突っ込んでいく人とがいる。わたしは後者だ。
そこにピアノがあるからピアノを弾いたし、中学受験というものがあると知ったからベストを尽くしたし(それで、わたしの学力で届く最高偏差値の学校に進んだ)、バレー部が強いって聞いたからそこに入ることにした。
だけど世の中はだんだんフクザツかつヤッカイになってくる。
大学受験は、そこに大学受験があるから受ける、というワケにもいかないようなのだ。なぜなら、大学で何を専門に学びたいかで、受ける大学も学部も違ってくるし、何を学びたいかは、その先の職業選択にもつながり、つまりは人生というものにもつながっていく。そんな先のことなんて、分かるはずがないし、それに、今やっている勉強にそうした意味付けをする、みたいなことは、わたしのやり方ではない。
結果、何か、もやもやしたものが残る。
残ったままでも、わたしはとにかく、4時間睡眠の日々を送っていて、――それが突然に休止した。
一部の回遊魚は泳ぎを止めると死んでしまうという。
もやもやがどんどん膨らんでいく中で、わたしは死んだ魚、あるいは思い切り美化すれば、森の奥深くの眠り姫になった。もう森から出て、4時間睡眠の娑婆には戻れなくなった。
わたしは、ベッドに突っ伏す。
ちょっと、未来でも妄想してこよう――。
2
誰かの話し声がして、わたしは目を開いた。
20年後、36歳のわたしは、どうやら、眠っていたらしかった。
「あ、先生が起きた!」
これは声で分かる。院生の中西君だ。すぐに、彼がわたしを覗き込む。仔犬系ジャニ顔はわたしのタイプだが、アカハラ、セクハラになるので、もちろん態度には出さない。それで冷静に、
「あ、来てたの」
「すいません、お休みになっていたんで、パソコンだけ置いて帰ろうと思ったんですけど」
「なんか、まだ麻酔が利いているみたいで、眠くなるのよね」
そう、まだ、ふわふわした感じがしていて、どこか現実感がないのだ。
「まだ、仕事のことは忘れて、休養された方がいいですよ、先生」
これは、ポスドク研究員の山田さん。癒し系女子で、時々、お菓子を作って差し入れてくれる。
「でも、気になっているのよね、MITのホプキンス教授がもう数日内には論文出すんじゃないかって話も聞いちゃったし」
「まあ、そうですけど」
山田さんが、先生はしょうがないなあと肩をすくめる。
わたしの追っているタンパク質の合成手法の研究はややニッチではあるがそこそこ人気のテーマで、世界中で5から10くらいの研究室がしのぎをけずる。
「だいたい、先生は働きすぎですよ。いったい、いつから休んでないんですか。骨折しちゃったのは大変でしたが、これは間違いなく、神様が少し休むようにと言っているんですよ」
中西君もいつも、わたしの働きすぎを心配してくれる。
「中西君、きみは、ホプキンス教授の回し者?」
「酷いなあ、先生は」
中西君は不満そうだ。
そう、確かにわたしはやたらと体が丈夫で、病気もケガもなくて、休むことなくひたすら研究を続けてきたのだ。
なぜ、この分野に?
うーん、切っ掛けは何だったか。よく覚えていないのだが、とにかくこのテーマに出会い、そしてそこにこのテーマがあったから、わたしは突き進むことにした。
「ホントにでも」
笑いながら山田さんが、独特のほんわかした喋り方でわたしに尋ねる。
「先生、最後にこんなふうにゆっくりしたのって、いつの事です?」
それでわたしは、頭の中を検索する。
さて、どこまで遡ればよいのか。
准教授になって自分の研究室を持ってからは、実質無休(出勤はしていなくても、ずっと研究のことを考え続けている、何か思いつくと夜中でも飛び起きてパソコンを叩く)。
博士課程も、留学中も、引っ越ししたり、飛行機に乗ったりしているときも、その前、修士課程でも、学部の学生の時も、いつでも、ずっと考え続けていて。あ、これは少し「無」にならなくてはと感じると、憑りつかれたようにピアノを弾きまくった。運動不足やばい、と感じると、全速力で泳ぎ続けた。
あれ?
大学よりももっと前だ。
高校か。
そうだ、高校だ。
高校1年の2月から高2の5月にかけて、パンデミックがあった。
あの時、わたしはずっと家にいた。
家族みんなとひたすら家にいた。
それで、寝てばかりいた。
あの頃、わたしの心の中は、ひどくもやもやしていた。
そのことを覚えている。
ああ、記憶というものは一つを取り出すと、絡んだパスタのように、ずるずると細かな部分まで引き出されてくる。あの頃いつも聞いていた音楽や、壁に貼っていたポスターや、友達とやり取りしたSNS(もちろん、個々のやり取りまでは覚えてはいないが)、今より20歳若い家族や友達の姿。
当時抱えていた「もやもや」は、いつしか晴れた。というか、気にしなくなった。パンデミックが収束して世の中が少しずつ動き出して。ハードな日々には絶対戻れないと思っていたのに、わたしもまた少しずつ動き出して、気が付けば何年も休みなく駆け回り続けて、そして20年が経った。
中西君と山田さんは、それからもう少しの間、病室で雑談をして、それで帰っていった。わたしは、中西君が持ってきてくれたパソコンで少し仕事をしたけれど、やはりまだ麻酔の名残りや、痛み止めも飲んでいて、そのせいだろう、何分もしないうちに眠くなってきた。
寝たり起きたりの繰り返し。
20年前と同じだなあ。
わたしは、そう思いながら、目を閉じて睡魔に委ねる。
次に寝てばっかりになる機会は、また20年後かなあ。
その時、わたしは56歳か……。
3
――ああ、かっこいいなあ、かっこいい未来だなあ。
わたしは、未来の妄想を止めて、ベッドに起き上がる。
生化学者はかっこいい。バリバリでかっこいい。どっちかっていうと理系なわたしは、行ければそっち系かなと漠然と思っている。
少壮の科学者、大学史上最年少の准教授就任、みたいな。
でもそれは、予言者の幻視ではなく、単なる妄想なのだ。
わたしは、どうやらそこまで賢くはない。一時、勘違いをしかかったこともあったけれど、塾に通いだしてからは「井の中の蛙」と知った。
それに、わたしは今、バリバリと突き進んではいても、吸い付けられるような、人生を賭けたくなるような、テーマや目標、意味を見つけられたわけでもない。
もやもや。
36歳、妄想の中での准教授のわたしは、過去を振り返って、「もやもや」はいつしか晴れたことにしてしまったけれど。
そんなうまい具合にいくかどうかなんて分からない。むしろ、結局もやもやは晴れず、これまでの猪突型モチベーションは息切れし、それでも何だか、カラカラと車を回し続けているネズミみたいにとりあえず惰性で走ってはいて……、みたいには、なりたくはないなあ。
それでまた、スマホを眺めながら、ベッドに寝転ぶ。
今度は過去に潜ろう……。
4
水疱瘡のところ、もう痒くなくなったかな。
11歳のわたしは、とにかくものすごく退屈している。わたしはそれで、ベッドに寝たままで大あくびをする。
水疱瘡はもう感じとしては治っているのだけれど、友達にうつす心配がなくなるまでは家から出られない。それどころか、きょうだいにうつさないように、自分の部屋からすら、ほとんど出られない。
マンガは読み尽くした。
テレビはわたしの部屋にはない。
スマホはまだ買ってもらえていない。
難しい本や教科書なんか、見たくもない。
退屈だあ。
今はただただ、早く、この退屈の地獄から脱出したい。
脱出して、学校に行きたい――んだったかな。
小学校の教室での人間関係はなかなかに複雑かつ残酷で、うまく乗り切っていくのは相当に疲れる。学校には敵もいる。いるけれど、友達もいるし、――気になる男子もいる。
水疱瘡の病欠期間は、休みだしてから登校再開までを合計して、せいぜい1週間か10日くらいのものだろう。だからわたしは、眠りの森にはまだ足を踏み入れてなくて、入り口で、そっと奥の方を覗いているだけ。それで、森への一歩を踏み出そうとする前に、
「はい、終わりですよ」
と、娑婆に連れ戻される、そんな感じ。11歳のわたしの気持ちは、まだ、自分の部屋でのゴロゴロ生活には馴染み切っていない。
もしも。もしも、3か月も家に閉じこもりになったら?
11歳のわたしは想像してみる。
16歳のわたしのように、眠りの森から出たくなくなるだろうか。もやもやを抱えて行く先が見えずに、いっそ眠り続けたくなる?
あれ?
11歳のわたしにも、何か「もやもや」はあったような。
それ、なんだっけ?
小学生の頃のわたしには「もやもや」なんかないと思っていた。でも、11歳のわたしにも、あった。ただそれが何だったかは、もううまく思い出せないけれど。
あの時わたしは、水疱瘡痒いなと思いながら、その「もやもや」にも圧迫されて、ベッドの上で息苦しかった。そして1週間くらいで、水疱瘡の感染危険期間が過ぎて、わたしは娑婆に復帰した。
もしあれが、3か月もあったなら、わたしはどうしていたかな。やっぱり、娑婆には戻れないって感じになったかなあ。そりゃそうだろうな。それでグズグズ文句言って。それで。
たぶん、わたしは、所詮は回遊魚だから……。
5
過去から舞い戻り、わたしは、ベッドで上半身だけ起こして、スマホ確認。
SNSの新規受信は無し。
11歳のわたし。あの時、実際、何を考えて、1週間も部屋で軟禁状態だったんだろう。
もう、忘れたよなあ。
それで、わたしが36歳になったならば、やっぱり妄想での36歳の自分とは違って、16歳でコロナで閉じこもっていた時に何を考えていたかなんて、絶対忘れていることだろう。
でも、もしかしたら、20年前によく聞いていた音楽くらいは覚えているよね。
もしかしたら、好きだったラジオ番組のことも、覚えているかもしれない。
その時にもまだ、お気に入りのミュージシャンは活躍しているかな。まだ、ラジオでDJやってるかな。
スマホが震える。
着信。
高校からのメールだ。
「6月からの登校開始について【第2報】」。
わたしは、画面をスクロールして読み始める。
止まっていたみたいな時間は、決して止まっていたわけではなくて、ベッドの上でチクタク進み、わたしは過去と現在と未来を勝手に行き来し。
あとは、たっぷり眠り。
それで、死んだ魚、じゃなくて、眠り姫は、しぶしぶ目を覚ます。コロナウイルス感染がこのままずっと大人しくなってくれているかどうかは、誰にも分からない。身近な誰か、あるいはわたし自身が感染してしまうのかもしれない。それでも、ずっと眠っているわけにはいかない。現世では、人はみな回遊魚か。
さて、まずは、先送りしてきた面倒な調理実習の課題をやらなくては。