努力は必ず報われるものなのか
『努力は必ず報われる。』
そういう言葉をよく目にするし、部活等で頑張っていた皆さんは顧問の先生であったり、自分でなりたかった夢を持っている人間はそう言い聞かせることで自分の活動力の糧にして頑張ってきただろう。しかし次の言葉もよく聞くのではないかと思います。
『努力がすべて身になるわけではない、無駄になることもある。』
自分が目指したものである夢であったり、目標に目指した努力をしても、その夢や目標が叶うことがなければ無駄になると、こう言われるのだ。そんなことをして何になるのだろうか、といった今までになかった新しい挑戦であったり、聞いた人間が想像したことがないようなことを成し遂げるための努力をしている人間に対して言うことが多いのだと思う。それがその人間が心配で言っているのか、無謀な事をやろうとすることに割く努力が無駄だからと嘲笑うように言っているのかは人それぞれだろうと思いますがその両方に共通しているのは、そういった努力がその夢、目標に届かなかった場合に「すべて無駄になる」から言っていることなんだろうと思います。
ですがここで一つ気になることがあるのですが、その努力が無駄になると止めさせたところでなにか成長があったり、その止めてしまった人間の「利」になる要素はあるのでしょうか。
確かにこの努力によってその人が蒸発してしまうとか、その本人の身に影響があるほどの被害がその努力をしたことによって引き起こされるのであれば止めることもわかるのですが、その努力をすることによって努力をした本人が何か変わる要素をつかむことができたとすれば、その夢や目標に届かなかったとしても、何かしらは身になっているといえるのではないでしょうか。
様々な努力をしている人間はもちろんですが、何かを“努力し始めるということ”自体が難しいことである人間も多いはずです。そんな人間が努力したいということに対して、心配であったり馬鹿にするということは完全に無くなることはないのでしょう。しかし、その言葉によってその人間の新たな努力を止めたところで何も変わりません。むしろ、その努力に対して応援をしてあげることによって、その人間は努力をし、何かしらの変化があるでしょう。それがどんなに小さな変化だったとしても変化したこと、つまり「身になったこと」であることには変わりありません。
『本来の目標に達しなくとも、努力は必ず何かしらに還元されて報われるのでしょう。』