初物採りはとく返せ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、なかなかイカスものを持ってるじゃんか。それ、確かゲームの初回限定盤についてくるクリアファイルだろ? 相変わらずのゲーム好きだな。
俺か? まあ今でもゲームはするけれど、たとえ話題になるような人気作だろうが、買うのは二ヵ月遅れくらいだ。
初回で買うと、色々バグが見つかったりして、パッチなりアップデートなりを待つのが上策ってことがままある。そのゲーム外でかかる手間と時間がもったいなく思うようになってさ。
情報も改善も、ひと段落してから動く方が精神的に優しい。「急いてはことを仕損ずる」ってか?
いや、「先んずれば人を制す」な心を否定はしねえよ。個々人のスタイルがあらあな。深く気に入っているものだったら、真っ先に確保したいのも分からなくはない。
だが、俺がじいちゃんから教えてもらった言葉に、こんなものがあるんだ。「初物採りはとく返せ」ってな。
いかにも、「しょっぱな」を嫌うかのような言葉だろう? だが、実際に俺も経験したことがあるのさ。
その時の話、耳に入れておかないか?
俺がこの言葉を知ったのは、4歳ぐらいでザリガニ釣りをした時だったな。じいちゃんに教えてもらって、そこらの枝に、糸とエサになるスルメをくくりつけた釣竿を作る。それで学校近くの川や池へ出かけたんだ。
あいにく、俺の近所では水がきれいなところがあまりなかった。目視でザリガニの位置を確かめるのが難しかったから、色々なポイントでエサを垂らして反応を待つ。その間、じいちゃんと話をしたんだが、その時に出たのが「初物採りはとく返せ」というものだった。
「生き物を捕まえる段で、その狩りで最初に手に入れる奴。こいつは神様からのお情けであるから、感謝の意を示す必要がある。自然に戻したり、神棚に捧げたりするべきという考えは、形は違えど、昔から色々な場所に伝わっているんじゃ。
だが、じいちゃんはそればかりとは思っておらん。一番に相手の手に落ちる奴というのは、腹に一物を抱えていることが多い。囮しかり、露払いしかり。
――難しくて、よくわからんか? まあ、最初に手にするものは、気安く手元へしまい込まない方がいい、ということじゃ」
そうこうしているうちに、釣竿へ反応。持ち上げてみると、スルメの先をはさみでがっちりとおさえた、アメリカザリガニだった。
釣りの成功を喜ぶ俺だったけど、じいちゃんはというと、すぐさま有言実行。
「すまんが」と謝り、ザリガニの背中へ指を伸ばす。ザリガニも元気なもので、空いたハサミをばたつかせながら、自分の後ろにあるじいちゃんの指をはさみ込まんとした。
やがてじいちゃんの親指にハサミがかかったものの、ほぼ同時にじいちゃんは、エサのスルメごとザリガニを竿から引きはがし、川の中へ放り捨てたんだ。指の腹からは血がかすかに流れている。
「さあ、二匹目へ取り掛かるか」と、ハンカチを取り出して指を拭いつつ、洋々とした表情で告げるじいちゃんだったが、俺にとっては非常に不愉快。
じいちゃんには慣れたことかもしれないが、俺にとっては生涯初の戦果。そしてザリガニ釣りの「初めて」は、もう二度と、俺に訪れることはないのだから。
それからはじいちゃんの無粋から逃れるべく、釣りを初めとする生き物の収集関連をひとりで行うようになった俺。
空気を察したか、じいちゃんは次第に俺へ干渉することはしなくなったけど、顔を合わせると時々、「最初に捕まえた奴は大丈夫か? おかしなところがあったら、すぐ手放すんだぞ」と、声をかけてくる。
そのたび、気だるげに生返事をする俺。
――人の思い出を汚しておきながら、上から目線で偉そうに。
心の中では、いつもじいちゃんへの恨みと対抗心が渦巻いていたよ。
小学生になると、カブトムシやクワガタムシを捕まえるのがブームになった。当時はテレビで、車よりも高い値が付いたカブトムシのニュースが流れていて、野山へ繰り出す人が多かったなあ。
俺も小遣い稼ぎ程度になればと思って、目ぼしいポイントを巡ったよ。
あいにく、俺はトラップを仕掛けるのが下手くそだし、親の付き添いなしで夜間出歩くにはまだ幼かった。自然、樹にとまっている奴を見つけて、捕まえる方針に。
一度、昼間にカブトムシ捕獲に動いたら、同じ樹を根城とするスズメバチたちに阻まれた記憶のある俺。そこで奴らがさほど動かない朝方に、クヌギの木などへアプローチをかけるようにしていたんだ。
その日は首尾よく、網が届く位置にカブトムシを発見。周囲に人影は見えなかった。
今年初めての収穫になるかもしれない。これまでは接近したり、網を構えたりしたところで逃げられていたが、今回は射程内に捉えても動きがない。
一気に網を被せた。カブトムシが気づき、幹から飛び立った時にはすでに遅く、奴の周りは細かく白い網目で覆われている。今さら樹を離れたところで、狩猟者から逃れる意味はもはやなく、かえってその手の内たる網の奥へと、身体をねじ込んでいくだけのこと。
俺は奥まで入り込んだカブトムシを逃がさないよう、幹に当てている網の口をきゅっと締める。あとは籠の中へ……とふたを開けかけたところで、背後から笛を鳴らすような「ピー!」という音が響いてきたんだ。
「なんだ?」と俺が振り向いたところ、顔ほどの大きさをした黒い物体が、俺のすぐそばまで迫っていた。
正体がとっさにつかめず、反射的に尻もちをつきながらかわす俺だが、網はその動きについていけない。突然、地面へ下がった口の部分に対し、網の奥は逆に、ふわりと宙に浮きあがったまま。
そこを突かれた。物体はその浮き上がった網の部分。最奥の網目に足をかけていたカブトムシを、網ごと一気に食いちぎり、飛び去って行ったんだ。
その間、物体は速度をほとんど動かすことなく、俺がまともに確認できたのは遠ざかっていく後ろ姿だけ。それは羽を広げ、先端が割れた尾を持つツバメのようだった。
ツバメは急上昇し、周囲の木々に茂る葉をいくらか散らしながら、その中へ溶け込んでいってしまった。羽ばたく音も姿も、そしてあの鳴き声も、もう俺には見えない。届かない。
まるで幻を見たかのごとき、あっという間の出来事だった。だが俺の手元には、無残に穴が開けられた、虫取り網が残っている。
このままでは使い物にならない、いったん家へ引き返す俺。早く帰ってきた俺に、じいちゃんはまた「初物を返したか?」と尋ねてくる。
初物というのは事実だけに、いつもに増して腹が立つ。適当に返事をして、新しい網を買いに行こうとする俺だったが、その直前、じいちゃんに網の破れ目を見られた。
「お前、ウソをついてはいるまいな。とく返さねば、ろくなことを招かんぞ」
俺は返事をせず、家の外へと走っていったよ。
翌日。俺は昨日とは別の場所へ赴き、おニューの網で、今度はクワガタを捕えることに成功した。あのツバメの妨害もない。さっそく葉っぱをあらかじめ仕込んでおいた、籠の中へ入れる。
昨日のあいつと違い、捕まえた時も籠に入れてからも神妙にしている奴で、ここまで一度も羽を広げる様子なく、葉の上をちょこちょこと動き回っている。
「家に帰ったら、なんて名前か探ってみるかなあ」とのんきなことを考えつつ、玄関をくぐる。改めて、籠ごと部屋の窓の前に置き、図鑑が入った本棚へ手を伸ばしかけたところで、ふと気がついた。
クワガタが震えている。まるで寒さをこらえるかのようにブルブルとだ。
「なんだ?」と籠へ顔を近づける俺。見ている間にクワガタの震えはどんどん大きくなり、底へ敷いた葉っぱたちの音さえ、プラスチック越しに聞こえるほどになった時。
目の前で、クワガタが弾け飛んだ。といっても、中身の血やモツが飛び散るとかスプラッタな感じじゃない。一瞬、全身が膨らんだ後に、ぱっと消えてしまったんだ。
ほぼ同時に、籠のプラスチックの壁に無数の穴が開き、俺の顔のあちらこちらにも、一斉に痛みが走ったよ。目も、鼻も、口も、たとえ何もしていなくても、各部の奥まった箇所に、とがったものが刺さっているかのようだ。
洗面所の鏡に顔を映してみる。赤い斑点がぽつぽつと浮かんでいて、水で洗い流してみると、それぞれにニキビ跡を思わせる、クレーターができていたんだ。血は後から後からにじんでくる。
必死に水とタオルで拭う俺。何度もざぶざぶ顔を洗って、髪もだいぶ濡れた。思わず天井を仰いで、湿って垂れた前髪を上げようとした。
ボタタタッ……。髪の後ろからかかとの近くへ、一気に水滴が垂れる音。
振り返る。床には顔を洗った時、存分に流したものと同じ赤い血が、小さく池を成していた。出血は顔からだけじゃない。俺の後頭部からもだったんだ。
タオル一枚が丸々、俺の血に染まる。痛むところを確かめながら、俺は戦慄したよ。
指先の感覚による判断のみだが、顔面と後頭部、それぞれの穴が線で結べる。つまり、顔から後頭部へかけて、まっすぐ何かが貫通していたんだ。この傷の数だけ。
何が飛んだかは、想像がつく。まだ血が止まっていない箇所を押さえつつ、もう一度、自分の部屋へ。その窓際には、やはり内部のクワガタを失い、身体中に無数の穴を開けた虫かごが乗っかったまま。
俺はその穴のひとつから、まっすぐ壁へ向かう。軽く壁の表面をなぞったところ、チクリと指先が痛んだ。それは糸のように細く、指の先ほどの短さしかなく、しかし、しっくいの壁に深々と突き刺さり、簡単には抜けないほどの強さを持つ「毛」。
クワガタが己の身体と引き換えに吐き出したのは、籠のプラスチックと、俺の顔、頭蓋、後頭部を貫いて、なおも壁へ突き立つ力を持った、極小の槍の数々だったんだ。
「初物採りはとく返せ」。じいちゃんの言葉の意味が、うっすらと分かったよ。
あのツバメももしかしたら、俺に身体を張って教えてくれたのかもしれない。「下手に初物を抱き込んだりすると、こんな目に遭う」ってな。