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LOVE OR KILL HIM  作者: Ryoooh
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第5話 五月下旬、学校の日々

 激動の日曜日は、その後特に何が起こることもなく幕を閉じた。

 姉妹が夕食を作ると言い出し(変なものが入っていないか心配は尽きなかったが)、ダイニングテーブルに所狭しと並べられた料理はとても美味しく感じられた。

 唯一の救いである風呂場で一時間ほど過ごした後、恐る恐る戻ったリビングで何事もなく談笑して過ごした。


 と言うのも、車内での一件を知った詩乃の抑止力となった為だ。流石に号泣させるとは思ってなかったらしく、彼女がいるときに限っては行き過ぎた姉妹の行動を抑え込むとの事だった。

 そう仕向けたのは貴女ですと言いたい気持ちもあったが、姉妹を抑え込めるのが詩乃だけならば文句は言うまい。

 いつまでこんな事を続けなければならないのかは分からないが、今葵に出来ることは自衛する手段を確保することだった。


 鍵の掛けられる自室と浴室とトイレ、詩乃を上手く使って逃げ切ることが、彼の目下の戦略となったのだった。



 ◇



 葵が草薙家に越して来て二週間が経ち、生活もある程度落ち着きを見せた。

 幼い頃のうろ覚えではあるが、彼が過ごした幼稚園での友人と再会する事もできた。

 殆どは葵のことを覚えてはいなかったが、それでも越して早々に自分の居場所を確保できたことは、彼に大きな安心感を与えたのだった。


 午前の授業も終わり、葵と友人達三人は屋上の一角でランチを取っていた。

 黄色いレジャーシートの上で、円形になって弁当を広げる。購買なんて便利なものはなく、殆どの生徒は弁当を持参していた。


「なぁ、葵ってさ」


 春の陽気の中、葵の隣に座る男子生徒が話しかける。目線は弁当に向けられたまま、彼の方を向こうとはしなかった。


「楓先生と一緒に住んでるんだよな?」

「⋯⋯はっ?」

「やっぱさ、先生って家でもあんなにクールなわけ?」


 男子生徒は至って真剣な眼差しのまま、葵の答えを待った。

 楓は校内で圧倒的な人気を誇る。誰に対しても素っ気ない態度を保ってはいるが、それすらもクールで美しいと評されている。

 そんな氷のような美女と共に住んでいると隠していた葵は、男子生徒ーーー折木 修一の言葉に絶句した。


「どこでって言うか、なんで知ってるの!?」

「こないだの日曜日さ、お前が家ん中入ってくの偶然見かけたんだよ。その家に楓先生の車があったから、一緒に住んでんのかなって」


 真剣そのものだった表情は一変し、葵の言葉を聞いた修一は悪どい笑みを浮かべた。

 彼はこの事を最も知られたくなかった相手だ。その明るさと頼れる兄貴のような性格を持つ彼は、学内でも人気が高い。短く刈り込んだ金髪で見た目こそ不良っぽいが、文武共に優秀な生徒である。

 反面、イタズラや馬鹿をする事を非常に好むことでも知られている。彼がその見た目でも全校生徒から好かれているのは、彼は周りの人間を笑顔にする術に長けていたからだった。


「まあ、隠したい気持ちも分かるけどよ。せめて俺らには言っとけよって話だ」

「アンタにバレたらすぐに広められるから言わなかったに決まってるじゃない」


 馬鹿じゃないの、とため息をつく女性とは、修一の恋人である七瀬 杏子だ。

 親しい友人からお姉さんと呼ばれているように、彼女は高校生にしては非常に大人びている。肩口で切り揃えられた黒髪が更にその大人びた雰囲気を加速させていた。

 世話焼きな彼女は修一の幼馴染であり、彼の世話をしている内に恋仲になったそうだ。

 ちなみに、彼女は葵の事を覚えていた。転校してきた彼の面倒を率先して見ていた辺り、その口調よりもずっと優しい女の子であると葵は思っていた。


「そりゃあそうだろうが。こんな面白い事黙ってるなんて犯罪だぜ」

「アンタそのうち友達無くすわよ」

「葵はそんな事でも俺の事嫌いにならないもんな?」

「いや、言い触らしたら楓先生が怒ると思うけど⋯⋯」


 それはそれでアリだなと呟く修一に、杏子がまたため息をつく。言い合いをよくする二人だが、たまに二人でいちゃついている所を見ると仲は良いようだ。


 そんな彼らを見て微笑んでいるのは、杏子の親友である西條 桃花。

 柔らかな笑みのこの美少女は、その外見に合った本物のお嬢様だった。

 古い家柄を継ぐ彼女は、広大な敷地に巨大なお屋敷に住んでいる。普段着は着物が多く、笑うだけでその品格が窺い知れた。

 優しく、丁寧で物腰の柔らかい彼女は、高嶺の花と言われるも校内で知らないものはいなかった。


「でも、修一くんに知られたくないって気持ちは私にも分かるなぁ」

「ほら、桃花だってそう言うんだから。アンタ言い触らしたら弁当作ってこないからね」

「わかったよ!言わなきゃいいんだろ言わなきゃ」


 観念したように吐き棄てる。彼からしてみれば、一つの面白いイベントを見送るようなものだった。退屈な田舎暮らしの高校生としては、こういう面白そうなことは逃したくない。


「で、ここだけの話ってことになったんだからさ」


 杏子の表情が修一と被る。

 大人びているとはいえ、彼女もまた修一と同じように面白そうな事を放っておくつもりはなかった。


「なんか楓先生の面白そうな話ってない?普段あんなクールなのに家ではこんなだーって感じの」

「そんなの無いよ。普段もあんな感じ」

「でもあんな美人と一緒に暮らせるって羨ましいよなぁ」

「アンタ彼女の前でよくそんな事言えるわね」


 都会だろうが田舎だろうが、やはりこの手のゴシップは好かれるようだ。

 その後も続いた杏子と修一の追求を、葵は辟易としながらも受け流し続けた。桃花だけは参加せず、ただひたすら和かに笑みを浮かべていた。



 もう少し葵に注意力があれば、その笑みの殆どが彼に向けられていることに気付けただろう。



 ◇



 結論から言えば、修一が楓との同居を知ってしまった時点でゲームオーバーだ。

 午後の授業こそ平和だったものの、放課後の教室に軟禁された葵がそれに気付いた所で後の祭りだった。


「言え、葵。楓先生のプライベートを全部話すか、いい感じの写メ十枚で許してやる。もしくは週末お前んちでお泊まり会だ。この状況をよーく考えて答えろこのスケベヤロー」

「誰がだよ!僕は何もしてない!」


 夕日が差し込む教室で、葵は十数人の男子生徒に囲まれていた。周囲を固められ、逃がすつもりはないらしい。

 鬼気迫る級友達の迫力に、葵は得体の知れない恐怖を感じていた。


「まあ待てお前ら。確かにこいつの罪は重い。だけどな、こいつを弾糾したところで俺たちに何の得がある?ここは手を取り合って、こいつの幸せを分け合うべきだ」


 学生服の群れの中心、取り巻きを囲んで机に堂々と座る修一が男子生徒達を静めた。

 ボスという言葉が似合うその雰囲気に、葵はため息をつく。見てくれは格好いいのに言ってることはただの僻みだ。


「やっぱり君のせいか⋯⋯」

「葵。お前には二つ選択肢がある。この事を知ってるのは今いるこのメンツだけだ。これ以上広めない代わりに俺たちに見返りを寄越すか、全校生徒に知られるかだ」


 いい表情だった。映画やドラマで見る悪役の笑顔そのままだ。


「僕に選べって?どっち取ったって僕にメリットないじゃないか」

「メリットだぁ!?あんな美人教師と同じ屋根の下で暮らしてて、お前はもうメリットだらけだろうがふざけんな!」


 修一が激昂し、合わせて周囲からも野次が飛ぶ。裸に剥いて縛ろうとか、女子更衣室に閉じ込めようなど不穏な言葉が聞こえてきた。

 いい事ばかりじゃないと言ったらどうなるのだろう。むしろ、楓以外の同居人の事も知れたら本当に危害を加えられそうだ。

 写真くらい撮ってきても構わないとは思うが、この欲望に塗れた集団の言いなりになるのは癪だっだ。この連中をウチに泊めでもしようものなら、本気で彼女らに襲いかかりかねない。

 葵は答えを出すことが出来ず、不機嫌ですというオーラを放って彼らを睨み付けていた。

 葵の容姿で睨んだところで小動物の威嚇のようにしかなっていないのだから、男子生徒たちは怯みもせずに葵に迫る。


 徐々に剣吞さを増す雰囲気に葵は圧倒され始め、どうしようかと頭を回していたとき、閉められた教室のドアが勢いよく開いた。


 恐らく葵にとっても修一たちにとっても、最も今ここにいて欲しくない人物だった。


「アンタたち、一体何してくれてんの?」


 家では見たことも無いような冷たい視線と声に、葵も生徒たちも凍りつく。

 腕を組み、その豊かなバストが強調される。それに目を向けさせない程の凍てつく空気に、楓がかなり怒っているという事実を認識させられた。

 彼女が歩けば、男子生徒たちは後ずさるようにして道を開ける。修一だけは変わらず机に座っていたが、顔は完全に引きつっていた。


「アタシの写メとか泊まるとか勝手なこと言ってたわね」


 言ってません、とは言えなかった。恐らく全て聞かれていたのだろう。下手に嘘をつけば、どんな罰が待っているかわからない。

 誰も何も答えない状況に、楓はさらにイラついた。一通り生徒たちを睨むと、舌打ちをする。その音一つで、全員がビクッと身を震わせた。


「⋯⋯まあいいわ。直接私に頼めもしない腰抜けのガキにこれ以上言ったって仕方ないわね」


 ため息と共に、楓は組んでいた腕を解いた。親指でドアを指差し、顎で出て行くよう促す。

 ここぞとばかりに男子生徒達が教室を飛び出していく。机や椅子に体をぶつけても気にせず、廊下を全力疾走で走り抜けていった。


「アンタは待ちなさい」


 彼らと共に教室を走り出ようとした修一は、首根っこを掴まれて押し倒される。

 勢いよく地面に叩き伏せられたため、激痛に修一の顔が歪んだ。


「この下らない騒ぎの元凶はアンタね。どう落とし前つけてやろうかしら」

「や、待ってくださいって!俺はただ、葵が馴染めるようにって!」

「言い訳する暇あったら、遺言でも考えてたほうがいいんじゃない?」


 もはや教師の言う言葉ではなかったが、その迫力に何も反論できなかった。

 首を掴んで押さえ込んでいるのだから、楓の怒りは強そうだ。この二週間で分かった事は、彼女は特に怒らせては行けないということだった。

 彩乃のように本人に危害を加えることは滅多にないのだが、周囲を巻き込んで葵を追い詰めるようなやり方を好んでいる。タチの悪さで言えば、楓の方が上だった。


「わかりました!認めます!本当にすみませんでした!」

「謝って済むなら警察入らないわね」

「待ってください!おい、葵もなんか言ってくれよ!」


 言うもんか。ちょっとくらい痛い目見た方が今後の為になる。少なくとも、あの姉妹に余計な事はしないはずだ。

 全て葵にしわ寄せがくると分かっているからこそ、ここで修一には見せしめになっておいて貰わなくては。

 何も言わない葵に諦めをつけ、修一は首を掴まれたまま謝罪を再開する。


「本当すみませんでした!もうしませんから!」

「ふぅん。なら、アタシの言う言葉聞いてくれる?それなら許してあげてもいいわよ」


 あ、マズいと思ったときには遅かった。


「聞きます!何でも聞きますから手緩めて下さい⋯⋯」


 修一に馬乗りになったまま、楓は締めていた手を離した。冷徹な表情から一転、嬉しそうな顔で口元を歪めている。


 ちらりと葵を一瞥し、彼女は修一の耳元へその唇を寄せた。

 暫くボソボソと聞こえたのちに、修一は驚いたように目を開く。その内容が聞こえてこないだけで葵は不安を煽られるようだった。

 絶対にロクでもないことだ。修一に釘をさすだけかと思って放置していたが、こんなにも早く自分に返ってくるとは思わなかった。


「わかった?できるわね?」

「⋯⋯わかりました」


 大人しくなった修一から降りて、楓は満足げに微笑む。短いタイトスカートが捲れ上がっているのも気にせず、葵の方へと迫った。


「この二週間、家でもここでもアタシを避けてたのは許してあげる。でも、これでもう逃げられないわね?」

「別に避けてた訳じゃ⋯⋯」

「なら学校は私と行くこと。土日も、月二回までなら友達と出かける事を許すわ」


 要は、家でも学校でも友達とばかり過ごしていた事が気に食わないのだ。週末も全て友人と過ごしていた事が裏目に出てしまった。

 そして、ここで反論する事はいい結果に繋がらないと葵には分かっていた。その条件を呑むしかない。


 目と鼻の先に迫った女教師の一方的な要求に、彼は頷いた。

 夕日を浴びて微笑む楓は、何も言わずに教室を後にした。スカートくらい直していけばと思ったが、ささやかな反抗として教えない事にした。


 制服を埃まみれにして、修一が起き上がる。首にはうっすらと手形が付いていた。


「いってぇ⋯⋯本気で締めてきやがった⋯⋯」

「自業自得だよ。だからやめろって言ったのに」

「いやまあ、本当にその通りだわ。お前も苦労してんだな⋯⋯」


 その言葉に、違和感を覚えた。常日頃から彼女に踏まれたいと言っている男の言葉ではなかったからだ。


「さっき、先生になんて言われたの?」

「ん?⋯⋯あぁ、あれな」


 じっと葵を見つめて、哀れんだような視線を向ける。その目が、さらなる不安を呼び込んだ。

 間違いなく、葵にとっては良くないことだろうと確信させる。


「お前には言うなって言われたからさ。悪いけど、命が惜しい」


 はは、と乾いた笑い声が教室に響く。

 その言葉を聞いて、学校での逃げ場がなくなったのだと悟った。

 つられて葵も笑う。可笑しいのではなく、泣きたくなるのを堪えての笑いだった。笑ってなければ今頃号泣しているだろう。


 夕日の沈みかける時間まで、彼らは教室で過ごした。何か話す訳でもなく、ただぼーっとしていた。

 修一はそれ以来、楓のファンクラブ会長の座を降りた。恋人の杏子が一番だと気付いたと言っていたが、本心はどうなのだろう。



 この日以降、学校では新しい噂が出回るようになった。

 葵は楓の婚約者だという噂と、葵に近く女は不幸な目に遭うというものだった。

 桃花や杏子は間に受けなかったが、楓の車で共に登校したことで真実だと認定されてしまった。


 修一が葵にやたら優しくなったのも、この日からのことだった。


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