無理だな。
遅くなりました。
瑩我が目を覚ますと、辺りは薄暗くなっていた。壁にかけられた時計を見ると、3時間程は眠っていたらしい。
(以外に寝たな。やっぱり疲れてはいたんだな。)
床で寝ていた体を伸ばし、立ち上がる。手早く夕飯を済ませると、再びパソコンを開いた。幾つかのサイトをチェックし、最新の株価を見る。瑩我は封じられる前、小学生の時の小遣いやお年玉を元手に、株をやっていた。
軟禁されてからは、豊富な時間を使い一般人では一生手に出来ない程の額を稼いでいる。THE BEASTの為にかなりつぎ込んだので今は数千万しか残っていない。最近はTHE BEASTの開発も一段落したので、また本腰を入れて稼ごうと思ってはいるのだが。金はいくらあっても困らない。THE BEASTが形になってからは電脳世界で魔法使いとまで言われるような使い手になったので、膨大で玉石混合な情報の海から宝石だけをより分けて効率よく使える為更に稼げる様になっていった。
情報は役に立つ。
情報は瑩我の力だった。軟禁されようが、神の力を封じられようが、お構い無しに振るうことができる強大な力。それに伴うリスクは、その身に刻んできたが、メリットの大きさもまた味わってきた。今やネット世界で瑩我の手に入らない情報はない。THE BEASTの趣味もあって緻密で広大な情報網が完成しているのだ。その網にも今日は興味を引くような情報はひっかかっていない。
まぁこんなもんかと呟く。明日からの日々を思えば、嵐の前の静けさのようなものだ。
朝になった。
瑩我はやはり慣れない場所、敵地であると無意識に緊張しているのか、何時もより眠りが浅く、早い時間に目を覚ました。時刻は朝8時。寝間着のに使っている浴衣を豪快に着崩したまま外の井戸へ行くと、桶に水を汲み、頭からかぶる。井戸の洗い場が広く、その洗い場に立てば地面はコンクリートで足を汚さず水浴びができる。勢いよく数回水を浴びれば、やっと頭が働きだした。びしょ濡れになった浴衣をそのまま物干し竿に干して、パン一で家に戻る。瑩我の寝起きはかなり悪いようだ。
家に戻ると手早く髪をとかし、ゴムで一くくりにして紺の甚平に着替え、朝食をすませる。
まだ茉莉たちがくるまでは時間がある為、昨日と同じようにTHE BEASTに連絡したり、ネットサーフィンをしたりしよう、とパソコンを立ち上げる。
知り合いから来ていた1通のメールを開くと、相手から久しぶりに会いたいという内容だった。まだ先の予定がはっきりしないと断りながらも、近いうちに1度顔を出すと返信した。
THE BEASTからは、侵入者があったと報告されたが、何も見つけることができないまま帰ったとのことで、放置することにした。どうせ簡単に犯人は判明するだろうが、見つけたところでどうなるものでもない。THEBEASTへと続く道は巧妙に隠してあるし、自衛の手段などTHEBEASTは何万通りも用意している。
株の運用で、2時間程で数千万の儲けを出したが、そろそろ茉莉達がくる時間だった。パソコンの前で昼飯を簡単に済ませた後、Tシャツとデニムに着替える。
1時ぴったりに玄関の引き戸が叩かれた。今日も隙のない和服の美少女、茉莉がやってきたのだ。真湖は一緒ではない。
「あれ。うるさい方はどうしたんだ?」
「真湖は今日は学校で風紀委員の仕事があり、来ません。」
「あいつが風紀委員ねぇ~。ま、ぴったり、かな。頭固そうだもんなぁ。んで、お前は生徒会長っぽい。」
「生徒会長は1年生はなれません。生徒会には所属していますが、たんなる書記です。」
「まんま、だな!学校は第2高校か?進学校の。」
「はい。水上の者も多数いますが、期末テストが先日終わったばかりで、夏休みを前に今の時期は風紀委員が一番忙しいのです。貴方程度にさく時間はありません。」
「随分な言い方だな。別に真湖にきて欲しい訳じゃない。二人セットだと思ってただけだ。」
「確かに真湖と行動を共にすることは多いですが、常にというわけでもありません。今日は私が貴方の相手をする事になっています。健康診断といっても私は医者ではないので、簡単な測定と血液検査のみです。屋敷内で行いますので、手早く終わらせてしまいましょう。」
本家屋敷へ移動すると、いりくんだ廊下を進む。いくつか角を曲がり、保健室のような部屋についた。その間に人の気配は感じたが、誰とも顔をあわせることはなかった。おそらく人払いされているのだろう。
その部屋は洋間で、保健室そのものだった。中に入ると消毒薬の匂いがする。中年の看護婦が1人、部屋にいて、なれた手つきで採血をされた。痛みは殆どなく、看護婦も茉莉も一言も喋らない。あっという間に採血を終えて、看護婦は茉莉に一礼すると、採取した血液を手に退室した。
座ったままなんとなく看護婦を見送っていると、「血液は病院に持ち帰り、検査をします。結果は3日程で出ます。」
看護婦が出ていった入口に鍵をかけながら、茉莉が言った。
身長・体重・血圧・問診など一通り終わると、瑩我と向かい合う椅子に腰かけた茉莉が結果を見ながら口を開いた。瑩我は茉莉に入れて貰ったお茶を飲みながら話を聞く。
「身長は183㎝、体重が68㎏。持病はなし。慢性的な倦怠感は、封印の副作用ですから、これから改善されます。特に自覚症状も無いようですし、所見なしでよいと思います。」
「まぁ結界から出てからかなり楽にはなったな。他には不具合もない。あぁそういえば小学校の時、血液型が特殊って言われたけど。」
「通常のO型とは違う因子が混ざっているようです。通常のA型B型とは分けられないような。ただ、輸血にはO型でいいので、問題はないでしょう。それどころか何型を輸血しても反応を示さないので、何型でもいいのかもしれません。」
「はっ。まぁ「神様」だからな。面倒がなくていいだろ。」
「・・・そんな問題では・・・いいえ。輸血しほうだいですから、リスクは下がります。」
「まぁ健康面では問題なしだろ。これで心置きなく修行出来るってもんだ。」肩をすくめて興味なさげに言う瑩我。
その言葉に茉莉は微かに姿勢を正し、手に力を入れると、瑩我に最後の質問をした。
「力はどの程度感じますか。」
「さぁ。全力がわからないからなぁ。」何かを確かめる様に湯飲みを持っていない方の手を握ったり開いたりしながら答える瑩我。
「まぁ結界のなかにいたときよりだいぶいいな。たぶん・・・2割?3割?もうちょい上かな?回復力は強いみたいだからどんどん増えると思うぜ。」嘘だ。元々の全力がとんでもない為、瑩我の力はまだ2%ほどしか戻っていない。それでも大抵の怪異に遅れをとることはないし、何より全力を水上に知られるのはまずいのだ。
水上には瑩我を見くびり、油断してもらわなければ困る。見下していた相手に、見下され踏みにじられ、圧倒的な力で蹂躙された時彼らは最高に愉快な顔をみせてくれるだろうから。
「・・・では、実戦で試して見ましょうか。丁度いい仕事が有ります。3日あれば、半分以上は力が戻りますね。3日後、大ムカデの討伐に参加してもらいます。私の部下のチームに混ざり、中位の怪異を討伐してください。その先は徐々に怪異の位を上げて一週間くらいのスパンで討伐してもらいます。間に細かい実戦も経験して・・・そうですね一ヶ月で草薙山に行きます。」
「・・・お優しいことで。一ヶ月ねぇ…。」
「貴方は貴重な駒ですから。少なくとも水上にほかの神がいません。貴方の全力が通じないとしても、他の術者と共に戦えば倒せる相手です。そういう意味の神託だと思われます。」
「ふうん。まぁいいさ。こっちは約束さえ守ってくれるなら。ご褒美のためならヤル気も出るってもんだよ。」
「・・・では、最後に。あなたの封印についてお話します。・・・あなたは、自分の封印について、どの程度理解していますか?」
「そんな話をここでしていいのか?」
「対策は施してあります。誰にもこの会話を聞かれることはありません。・・・あなたの封印について、思っていることを言ってください。」
何の気なしに湯飲みを弄びながら、瑩我は口を開いた。
「・・・そうだな。まぁ水の神が焔の神を嫌うのは、当然ちゃあ当然だと思うぜ。だから封印ってのは、なんか恨みでもあんのかって感じだが。恨みって言っても俺は何もしてないわけだしね神同士だった時のいさかいなんざ、俺は覚えてないし。んで、俺の力は水の神に押さえつけられてて、常にこの玉から嫌な感じがするのが、相手の力のせいってとこか。あんまり深く考えたこともない。こういうもんだしって感じだな。」
「・・・何故ワダツミノ神が貴方を封印したのか解らないのです。水上を滅ぼすとは、どういうことか。そのあたりは神のみぞしると言うところでしょう。しかし・・・私は、個人的にワダツミノ神が間違ったと思っています。」
「はっ。そんな事、お前が言っていいのか。不敬もいいとこだろ。」
「・・・ワダツミノ神は水上にとって絶対です。私の考えも誰にも漏らしたことはありません。しかし常識的に考えれば、幼い子供を、独りで山奥に軟禁し、蔑み、嘲るなんて、その子供に怨まれても仕方がないと思うのです。しかもその子供には親を殺させて・・・水上を滅ぼす程に怨むのは当然です。それらはワダツミノ神が封印しようとしなければ、生まれなかったはずの感情です。あそこで貴方を社に押し込めようとしなければ、玉を授けたりしなければ、違う未来があったとは思いませんか?」
瑩我は黙って手の中の湯飲みを見ている。その表情は茉莉には見えない。
「貴方を封じる玉は、貴方の力を消しているのではありません。心臓の真上・・・力の源に埋め込むことで、貴方自身の力を変換し、いわば自家中毒の状態にしているのです。」
おもむろに着物の袖から真っ赤な玉を取り出し、傍らの机の上にハンカチに乗せて置く。指すような輝きに、瑩我がやっと顔を上げる。
そこには一切の感情が読み取れない、能面のような無表情が浮かんでいた。息を飲むほど美しい、人形の顔。気圧されながらも、茉莉は言葉を重ねる。
「この玉と貴方に埋められた玉は、対になっています。此方を砕けば、貴方の玉も砕ける。貴方の心臓と共に。貴方の命を水上が握っている。しかし、今は私の手元にあります。私は、決して貴方を裏切りません。この玉に危害を加えることもありません。私は、当主になりたい。この水上を変えたい。貴方が水上で生きられるように。その為に・・・!」
何を言っても表情を変えない瑩我に、必死でいい募る茉莉を遮り感情を感じさせないまま瑩我が静かに口を開いた。
「・・・それは、もう遅い事だ。俺はすでに10年を社で封じられた。これから、あと何年封じられるか解らない。お前が、当主になり水上の意識改革をするとして、俺が完全に解放されて嘲りも蔑みも受ける事なく暮らせるようになるまで、どれだけかかる?その間俺は封印され続ける。それに、あの頃喪ったものは、返らない。何も、戻ってこない。もしもの話は意味がない。これは現実だ。やり直しはできない。あの時俺はすべてを喪った。10年の間に手にするはずのものも、これから先も。解放されても同じ事だ。」
「瑩我、貴方は自棄になっています!貴方は賢い。解放されて、手にするものを、今の感情で手放すことは愚かしいと分かっているはずです!なくしたもの以上のものを、いくらでも手にする事が出来る!だから」
「・・・全てを忘れて、未来の為にお前に協力しろと?水上を繁栄させる駒として水上に迎えられ、皆仲良く幸せに暮らしましょうっ仲良きことは素晴らしきかなって?はっ・・・!無理だな。」
そこで、瑩我はやっと表情を変える。嘲り。皮肉に顔を歪め、隠しきれない怒りが瞳を燃え上がらせる。
「瑩我・・・」
「その玉を託されてる限り、俺はお前に逆らえない。好きにするがいい。信頼なんか無理だが、事実として、俺の命はお前に、水上に握られている。水上に命を握られているのには、慣れている。今までずっとそうだからな。お前がそれを害さないのも、俺には関係無い。勝手にやってくれ。俺はお前の命令に従うしかない、か弱い神だからな。」
瑩我は溢れだしそうな憎悪を圧し殺し、道化の仮面を被る。おどけた仕草で肩をすくめて、軽薄な調子で。
「俺は愚かだよ。何せ中卒だし、ろくに勉強なんかしてない。目先の利益しかわからないんだ。今日が面白ければ、満足なんだよ。お前が水上を変えると言うなら、いつかくるその日まで俺は面白おかしく暮らしているから、頑張ってくれ。今は受け入れられないが、その頃には、もう俺の記憶も薄くなって、素直にお前に従うかも知れない。あんまり記憶力は、いい方じゃないんだ。気長に待ってればいいさ。」
嘘にまみれた、心無い言葉を発した。瑩我の瞳は、焔を宿したままだ。その焔に茉莉は心をジリジリと炙られているような感覚を覚えた。話は終わったと、1人で離れに戻る瑩我を見送っても、力の抜けてしまった足はなかなか動かなかった。やっとのことで、瑩我が机の上に置いていった湯飲みを片付けようと手を伸ばすと、指先が触れただけで燃え尽きた灰のように崩れ去ってしまった。
窓から吹き込んだ風に跡形もなく散らされてしまった湯飲みのあった場所を呆然と見つめながら、(それでも、わたしは・・・。)と伸ばした指先を握りしめ、茉莉は独り唇を噛むしかなかった。
1人で部屋から出た瑩我は、我ながら心無い事を言った物だと自嘲の笑みを浮かべた。茉莉があんな話をした意図はわからない。そんな事は、どうでもいい。
忘れる訳が無いのだ。この身が滅びようとも、水上を滅ぼすその日まで、瑩我は憎悪に焼かれ続けるだろう。油断したその瞬間、水上の喉元に牙を突き立て、溢れる血潮をすすり水上に連なる全てを跡形もなく磨り潰すその時。やっと自分は心穏やかに死ねるのかもしれない。やがてくるその日まで、自分は道化を演じるのだ。舞台の上で精々踊ってやろう。邪魔するものは全てなぎ倒し、屈辱にまみれ、薄汚れ、這いつくばって赦しを乞うその姿を見て、心から笑える日を夢見るのだ。その事を、茉莉は改めて理解させてくれただけだ。ひとつも変わらない、己の心を。
しかし、茉莉の話で新たな情報も得た。ワダツミノ神が己に施した封印が、自家中毒をおこさせているだけだったとは。恐らく自身より高位の神である瑩我の力を押さえ続ける事が出来なかったのだろう。瑩我の力を異物に変換させるだけなら、最小限の力ですむ。常に血管を鉛が流れている様な倦怠感も、そのせいだったのだ。水上は、明らかに瑩我を低位の神だと思っている。これなら大人しく言う事を聞く瑩我の姿に、あの用心深く、狡猾な当主が隙を見せることもそう遠い日ではないだろう。水上の命綱でもあるはずの玉は今、茉莉の手にある。老獪な当主の手にあるよりは、茉莉の方が与し易いかも知れない。何故だか瑩我に関心がある様だし、精々頑張ってもらって水上の弱体化に一役かってほしいモノだ。
射し込んだ真昼の陽射しに、眩しげに目を細め、何も救わない復讐の神はうっそりとほの暗い笑みを浮かべた。
現実が忙しく、気がつけば一ヶ月以上たっていました。なかなか難産でしたが、次回からはいよいよ、戦う神様を書けるかも知れません。がんばります。