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神様は救わない  作者: 闇月
始まりの時
4/10

あの日

その夜。瑩我は一人で準備をした。着替えと日用品、赤いノートパソコンをボストンバッグに詰める。家の中を掃除して、書斎に鍵と術をかける。

一人で夕飯を作る。瑩我の家にある食料は叔母が1週間分をまとめて届けてくれるが、今日は金曜日。明日食料が届く予定だった為たいした物は残っていない。それでも日持ちのしないものは全部使って作れば、なかなか豪華な夕飯になった。独りで風呂に入り、独りで布団に入る。いつもよりだいぶ早い時間だが、明日からは眠りが浅くなるだろう。今のうちに寝ておきたい。「明日は大事な日になるからな・・・。」


そうして眠りについた瑩我は、夢を見た。あの日の夢だ。




あの日、瑩我の人生は終わった。



瑩我が産まれる予兆はあった。当然だ。神が降臨するには予兆がつきものなのだから。瑩我の母が身籠った時から、雨の多い水上の地に雨が降らなくなってきた。産み月に入ると、本当に1滴も降らなかった。大地は乾き、人々は雨を乞い願った。瑩我の産まれる日、朝方に産気付いた母を見守る様に太陽は赤く大きく、いつまでも沈まなかった。母は壮絶な難産で、産みの苦しみに丸一昼夜のたうち回った。明け方、太陽が顔を出しかけ月がうっすらと消えかける時刻。瑩我はやっとこの世に産声をあげた。本家の直系に産まれた男児は、皆に祝福された。しかし瑩我の父は妻にも子にも興味を持たなかった。妻が苦しみながら己を呼んでいようと、1度も顔を出さなかったし、産まれた子を抱くこともしなかったという。瑩我自身父に抱かれた記憶は一切ない。

難産に母は限界以上の体力を消耗した。産まれたばかりの瑩我を抱き上げ乳を飲ませることも出来ず、瑩我は叔母の手でぐったりと横たわる母の乳房に押しつけられて初乳を飲んだ。元々水上当主の妹が嫁いだ分家筋の令嬢である母は、以来体調を崩して寝込む日々が長く続く事になった。

父は家に帰ることも少なかったから、母は独りで瑩我を育てなければならなかったが、母にその体力は無くなっていた。その為叔母の・・・母の妹の手を借りる事になった。叔母は子供の産めない体で、結婚する気もなく瑩我の家の近くに独り暮しをしていたため瑩我の世話をしてくれた。叔母は一族のなかでも優秀な術師であった為、一族の仕事で家を空ける事が多かったので瑩我は独り母の隣で過ごすことも多かった。その頃独りで過ごす赤ん坊をあやすように周囲を何体もの火精が飛び回るのを何人もの人が目撃している。一族の中には不安が燻った。水上の使う術に火の術が無いわけでは無かったが、やはり根元は水の術だ。火精に好かれるなど、水上の中で異端だ。しかし本家の直系である。誰も口には出さなかったが、一族の中には緊張が走るようになっていた。

危ういところで保たれていたバランスを徹底的に崩したのは父だった。元々腹違いの次男。当主が若い頃気まぐれに手を出した使用人の産んだ子供で、軽んじられていた。しかし水上の血が濃く出たとても優秀な術師だった。一族のパワーバランスをとることに長けた長男とまだ若すぎる年の離れた三男に代わり、水上に持ち込まれる依頼をこなし水上の裏の仕事まで任されるようになっていた。飄々とした性格で、一族の誰とも深い付き合いをしなかった父の内心を知るものは誰もいなかったが、父は突然水上を出奔した。母の元にも、瑩我の元にも滅多に帰らなかった父は、身の回りの世話を全てしていた美しい秘書だけをつれ水上の敵対組織に水上の秘術と宝物を売り払い、姿を消した。

その夜、五歳になっていた瑩我は物音に目を覚ました。時刻は丑三つ時。暗闇の中に一瞬浮かび上がったのは数ヶ月ぶりに見る父の美麗な横顔だった。深々と冷え込んだ空気の中何かを持ち出そうと、家をあさっていた物音に瑩我は気がついてしまった。「おとうさん・・・?」瑩我の呟きに、父は振り返ることもなく目的の物を見つけたのだろう家の外へと出て行った。瑩我が父を追いかけたのは本能的なものだった。咄嗟にもう父に会えない事を察したのかも知れない。

「おとうさん!何処に行くの?」

父を追いかけパジャマに裸足のまま凍てつく外へと出た瑩我は髪を風に靡かせ、女が一人、父を待っていたのを見た。父は女の元へ近づくと何事か話しかけた。風の音で瑩我には何を言ったのかわからなかったが、自分を無視して去ろうとする父に叫んだ。

「おとうさん!おかあさんがおとうさんの事待ってるんだよ!そんな女のひとといかないで!置いてかないで!」

「うるさい。黙れ。」

ゾッとするほど冷たい低い声。その時初めて瑩我は父の腰に闇に溶け込む漆黒の刀がさがっている事に気がついた。スラリと鞘から抜かれたその刀身も闇を固めたような、黒。後に知ったが、その刀は「濡羽黒ぬれはぐろ」という銘の水上の宝物のひとつ。父が持ち出し、未だ戻らない大業物。鋭利なその刃は、見た目のまま鋭く瑩我を切り裂いた。右肩から心臓の上を通って左の脇腹へ、鮮血が舞ったのは一瞬。父は血がつくのを嫌ったのか、素早く瑩我から距離をとった。自分の命が流れ出るのを感じながら最後に瑩我の眼に写ったのは闇の中へ消えて行く父の後ろ姿だった。


致命傷を負った瑩我が助かったのは、仕事で遅くなった叔母が1時間もしないうちに帰って来たからだ。迷い無く斬られた傷口が余りに美しい切り口で、極寒の外気に収縮して出血が止まった為でもある。一命をとりとめたものの寒さで肺炎をおこした瑩我は、傷口からの発熱もあり、高熱で生死の境をさ迷った。

やっと瑩我の意識が戻ったころ父の足取りは水上さえ掴めず、完全に消え失せていた。

父がいなくなると、瑩我は裏切り者の息子で焔に好かれる異分子として水上に弾かれた。

当主の孫とは数えられず、外に出れば大人達の冷たい視線と大人の真似をする子供達の虐めの標的となった。

水に溺れる様が面白いと池に突き落とされ、あらゆる事から仲間外れにされた。次第に部屋にこもって本ばかり読む子供になっていた。母は父に裏切られたことで更に生気をなくし、儚く細くなっていった。唯一の味方であった叔母も瑩我達と距離を取る様になった。瑩我は独りであらゆる本を読んだ。


瑩我は天才だ。あらゆる知識を1度学べば忘れる事はない。子供向けの本は瑩我には必要なかった。簡単なものから始めて、次第に大人でも難しい専門的なものまで読むようになっていた。理科や社会、算数、歴史、果ては医学・心理学・ITまで。瑩我は歳に似合わぬ深い知性と落ち着きを見につけたが、笑わない子供になった。

誰とも親しくない瑩我が、膨大な知識を蓄えていることを知るものは居なかった。母は瑩我の世話など出来る状態では無かったし、親戚達も裏切り者の家族に親しみ等向けてはくれない。

小学校の入学式、家族と喜びを分かち合う同級生の中瑩我は独りで入学式に参加した。入学してからも、あらゆるイベントを瑩我は独りで過ごす。学校は休まず通学したが、図書館の本を読み尽くす頃には授業には参加しなくなっていった。パソコン教室に侵入し、学校用のパソコンのロックを外して広大な電子の海に浸っていたのだ。


瑩我が小学校に入学した年の暮れ。水上は12年に1度の大祭を迎えた。

通常行われる新年の挨拶と水上の崇める水神「ワダツミの神」への祈りが、この大祭では直接神に対峙して行われるのだ。

聖水を満たした純金の巨大な水盆が祭壇に安置される。この日ばかりは水上の一族が一人の例外もなく、大座敷に集められる。百畳以上の広さがある和室に人が溢れている。普段は厄介者の瑩我と母も今日は末席に加えられた。ほとんど存在しないかのように扱われても、母は水上の名家の娘であるし、瑩我は当主の孫だ。二人は身を寄せあって大座敷の最も廊下に近い端に座ってその時を待っていた。


当主を筆頭に水上本家の術師達が神を召喚する祝詞を謳う。そして神が顕現した。


水盆に満ちた聖水に波紋が浮かぶ。ゆっくりと水深などほとんど無いような水盆からワダツミ神が姿を現した。海の様に蒼い髪に波の様に白い肌、湖のように青い瞳。

たくましい男の上半身が水から出た所で瑩我は突然吹き飛ばされた。正面から襲った衝撃に、小さな身体は大座敷の襖を吹き飛ばし廊下を転がり庭へと墜ちた。大祭の日は雨が降っていた。冷たい泥の中、胸の激痛にのたうち回る瑩我の耳に氷の様に冷たく重い神の声が聞こえた。


「其は水上の地に沈みし焔の神也。肉の身体持つ神は水上に仇なす祟り神と成るモノなり。速く高御座造り、隠し治めて奉るべし。吾が詞違える事あらば水上の血絶える事遠からず。」

見開いた眼から涙をこぼし、痙攣し始めた瑩我を放置したまま、其れだけを告げてワダツミ神は去って行く。動揺し、ざわめくもの達の声を聞きながら瑩我は意識を失った。


瑩我が目覚めた時、すでに辺りは暗く深夜に近い時刻になっていた。泥まみれの羽織袴姿のまま自宅の褥に寝かされていた瑩我は、ワダツミ神に殴られた胸から何か大事なものが流れ出す様な不快感に、着物の襟をはだけて傷口を見た。

微かな灯りの中白い肌にガラスにヒビが入った様な不自然な傷があり仄かに紅く輝いている。火山から噴き出すマグマを見ているような不安に襲われて、瑩我は狂った様に傷口をかきむしった。


瑩我は自分が決定的に「違って」しまった事、もう元には戻れない事を悟っていた。しかしまだ幼い子供の部分は自分を産んだ母だけは自分を受け入れてくれるという希望を捨てていなかった。

何故母は傍にいてくれないのか。冷静になれば、ワダツミ神が告げた神託について大人達の話し合いがされている事は容易に気づけた筈だ。混乱の極みにある瑩我はただ、母を求めた。


瑩我の求めに応じたように襖が開き、薄暗い室内に慣れた眼には眩し過ぎる光の中、母が瑩我に歩み寄った。逆光で認識出来なかった母の顔が光りに慣れて見える様になった。

母は恐ろしい程の無表情だった。感情がそぎおとされたその顔は人形のようで、瑩我には母ではないなにかに見えた。


「瑩我。貴方を封じます。」


その声音すら母のものとは思えない程に冷たく凍てついたモノで、瑩我はあの夜の父に似た響きに怯えた。


「お か あ さ ん」


震える声でそれでも母を求めて呟いたが、その呼びかけは母の何かをぷつりと切ってしまったらしい。

突如、母の無表情が崩れ、夜叉の面を被ったかのように母は見たこともない程に目のつり上がった憤怒の表情を浮かべたのだ。

病み衰え、枯れ木のように細くなったその腕の何処から出るのか、凄まじい力で瑩我に掴み掛かる。瑩我に馬乗りになった母は、いや。母だったモノは傷んだ黒髪がカーテンの様に視界を遮る、二人だけの世界で、悲鳴のように叫んだ。


「あんたなんか産まなければよかった」


片手で瑩我の細い首を締め上げながら、女は着物の袂から蒼く輝くビー玉程の大きさの玉を取り出した。瑩我はその刺すような光に本能的な恐怖と、怒りを覚えた。

(あれは嫌だ。我に害なすモノだ。なんと・・・なんと無礼な)

恐慌状態になった瑩我は混乱のまま、沸き上がった怒りに身をまかせ自分の中に満ちた力を振るおうとした。

女は必死の形相で蒼い玉を瑩我の胸の傷に押し付ける。ワダツミ神によってひび割れた胸の、ちょうど心臓の真上に蒼玉が半ばまでめり込む。再びの激痛と、自らの力が喪われる感覚に見開いた眼から涙をこぼし、瑩我は力任せに腕を振るった。練り上げられた神の力は焔となって顕現する。


腕が通った軌跡に沿って深紅の焔が噴き上がり、瑩我の視界が真っ赤に染まった。同時に、胸の玉は紅く染まり神の力が感じられ無くなった。この時、人として産まれた瑩我は死に、神としての瑩我の封印が完了した。


瑩我が振るった神炎は母と生家を、跡形もなく焼きつくした。瑩我はまるで雨の様に降り注ぐ、母と家の灰を浴びながら自分の人生が終わる音を聴いた気がした。



その後灰の中から運び出された瑩我はそのまま水上本家の別宅だった屋敷を社とし、そこに奉じられた。厳重な結界の中、瑩我の世話を命じられた叔母しか来ない社で10年の歳月を経て、明日。


瑩我は外に出る。


運命の夜が明ける。封じられた神に変革の時がきた。


傲慢と不遜の一族に報いが与えられる。

次回は別視点の予定です。

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