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同じ夜の夢は覚めない 番外編  作者: 雪山ユウグレ
番外編 ブロンドブライブルー
8/8

4

 ふと気が付くと、頼成は1人でケーキ屋の奥まった席に腰かけていた。どうやらケーキを平らげた後ですっかり居眠りをしてしまっていたらしい。無理もないよな、と独りごちる。何しろ昨夜の夢があれではまるで寝た気がしない。瞼の奥に居座る眠気を払おうと一度目を閉じたとき、彼の視界にあかねの姿が蘇る。

「っ!」

 はっとして頼成は目を見開き、辺りを見回した。少女のような少年のようなどっちつかずの印象を持つ中学生の姿はどこにもなかった。テーブルの上にある皿もカップも1人分で、あかねがそこにいたという形跡すらない。どういうことだよ、と頼成は呟く。

「まさか、幽霊とか……いやないない、絶対ない」

 ぶんぶんと首を振って異様な感覚を振り切ろうとする。頼成は腰を浮かせかけた椅子に再び座り直して呼吸を整え、それから何食わぬ顔をして会計を済ませて店の外に出た。外はまだ明るく、淡い青色をした空がビルの背景に塗り込まれている。

「綺麗……かどうかは分からねぇが、俺は」

 頼成はつと青空に手を伸ばす。汚れた手で空を掴めばきっと空も赤黒く汚れてしまうのだろう。贖罪など烏滸がましいと感じるが、せめて空を掴める程度の手を取り戻したいと強く思った。願わくは、あの赤い羽根を守ることのできるような手を。

 よし、と小さく気合いをいれると頼成は駅の方角へ向かって歩き始めた。

 それから彼はよく動いた。通っている高校に近いところに独りで住むことのできそうな物件を見付け、その足で不動産仲介をしている店に赴いて詳しい話を聞いた。値段の交渉の際に試しに阿也乃の名前を出してみると、とんとん拍子に話が進んだ。再び目星をつけた物件へと足を運んで部屋の中を見せてもらい、充分に満足したと伝えるとその場で入居が決まる。建物を出た頼成は阿也乃に電話を掛けた。

「……もしもし、頼成だ」

『ああ、今不動産屋から連絡が来たところだ。どういう風の吹き回しだ?』

 阿也乃の揶揄するような声にはほとんど耳を貸すことなく、頼成はただ彼女に宣言する。

「俺はあの家を出る。あんたの言いなりはもう御免だ」

 そうして頼成は通話を切った。彼にも分かっている。いくら住居を移したところで生活費は阿也乃が負担するのだ。その手から逃れられるはずがない。アルバイトをするにしても家賃に水道光熱費、食費に学費といった全てを賄うことは到底不可能だ。また、あの家に佐羽を残していくことも気が引けた。しかし阿也乃は決して佐羽を手放さないだろう。頼成から見ても阿也乃は相当佐羽に入れ込んでいるようだった。あるいはそれだから頼成のことにはあまり関心がないのかもしれない。

 頼成は佐羽を阿也乃の元に残すことで、彼自身がそこから逃れる道を選んだ。佐羽もすぐにそうと気付くことだろう。責められるだろうか、泣かれるだろうか、あるいは向こうの世界で彼の破壊的な攻撃魔法を浴びせられるだろうか。それでもいい。

 阿也乃の留守を見計らって一旦家に戻った頼成はすぐに家を出ていくための用意を始める。朝にはいたはずの佐羽は家にいなかった。それを幸いと思うべきかどうか頼成は一瞬だけ迷う。せめて一言くらい、と思ったものの結局何も残すことができないまま私物を大きなスポーツバッグに詰め終える。どうせ持っていくものなど制服と教科書の類しかない。

「悪いな、佐羽……」

 呻くように頼成は言う。一体何が“悪い”のか、頼成自身にもはっきりとは分からない。ただ、もしも佐羽が頼成の部屋に転がり込んでくるようなことがあれば快く受け容れる心積もりでいたことだけは確かだった。

 しかし結局、そのような日は来なかった。


「そうそう、知ってる? あのね、頼成って昔髪を染めていたんだよ」

 3年間は長いようで短いものだった。その間佐羽は何度となく頼成の部屋を訪れてはだらだらと無為な時間を過ごして、また阿也乃の家へと戻っていった。彼は彼を置き去りにした頼成に恨み言ひとつ言わず、せいぜいが話の種にからかうような口振りで「俺を置いて出ていった」と言うくらいだった。頼成は一度だけ彼を引き留めたことがある。ここで一緒に暮らさないか、と。すると佐羽は一瞬だけ表情を失った後、ふんわりとした笑みを浮かべて「嫌だなぁ、まるでプロポーズみたい。気持ち悪い」と断ったのだった。それからというもの、頼成は彼を引き留めることはなかった。

「そうなんですか? どんな感じだったんでしょう」

 ほとんど裸同然で逃げ込んだ部屋にもすっかり物が増えた。頼成なりに好みのものを揃えたのだが、そこにあまり似つかわしくないシックなダークブラウンの手触りのいいクッションがひとつある。佐羽が今年の頼成の誕生日に買ってきたものだ。自分がこの部屋でくつろぐために使うのだというから、誕生日プレゼントと言っていいのかどうかは微妙なところである。いや、どう考えても誕生日プレゼントとして成立していない。それでも頼成は少しだけ嬉しかった。

「びっくりしないでね? なんと……金髪だったんだよ! 眉毛までばっちり染めてね」

「金髪ですか。それはちょっと……なんていうか、意外です」

「でしょう? あ、写メ残っていたかな」

 今、件のクッションは佐羽の尻の下にある。彼の隣には長い茶色の髪をした少女が1人、頼成達の卒業した高校の制服を着て座っていた。2人の前には折り畳み式のテーブルと、その上に広げられたノートと高校の教科書。科目は英語だ。佐羽は大学で文学部の英文科を選択し、差し当たって進級に支障のない程度には単位も取得している。少女は英語が苦手だというのでこうして彼の個人授業が開かれているのだ。そのはずなのだが。

「ええと、あの頃使っていた携帯はどれだったかなぁ」

「いつごろのことなんですか?」

「俺達が高校の頃だよ。ええと、確かこれ……かな?」

「おい佐羽てめぇちょっと待て」

 放っておくには少々問題のありそうな会話に、頼成は重い腰を浮かせて切り込んだ。人が思い出に浸っているときにちょうど金髪の頃の話題を持ち出してくるとは、さすがに佐羽は人が悪い。

「冗談だよ、頼成。いくら俺でも3年前の携帯なんてとっくに処分しているってば」

 あはは、と軽く笑い飛ばす佐羽。その表情は昔と比べて随分と角が取れたように思われる。屈託のない笑みを見せることが多くなった。そのことはときどき頼成を安心させた。やはり佐羽に対しては今も少しの罪悪感がある。

「金髪の槍昔さん、ちょっと見てみたかったです」

 佐羽の隣で少女までがそんなことを言う。頼成としては彼女のことを無下にはできない。何しろその少女は3年前のあの夜に頼成達の前に突然現れ、そして壮絶な散り様と共に彼らの生き方を変えた当人なのだから。さらに言うのなら、彼女は現在頼成にとって最も大切な存在である。恋人、と呼んでいいのかどうかはまだ頼成にも自信がない。

「だってさ、頼成」

「見せねぇよ」

「見せない。ない、じゃなくて見せないってことはもしかしてあるの? 昔の写真」

 佐羽は鋭かった。う、と一瞬だけ言葉に詰まった頼成を少女の黒々とした瞳が見つめてくる。その目は3年前の少女そのものであり、またその翌日に出会った奇妙な存在とも重なって映る。

 頼成は2人の視線から逃れるように立って机の引き出しの中から封筒に入った1枚の写真を取り出した。ほらよ、とそれを少女に手渡す。少女は目を丸くして写真の中の頼成に見入っている。それを横から覗き込んだ佐羽がぷっと吹き出した。

「わあ、こんなのよく取っておいたね! 高校の入学式の写真じゃない」

 そこに写っていたのは高校の正門の前で仏頂面をして視線を斜め横に向けている金髪の頼成と、その隣でふんわりと柔らかい笑みを浮かべている今より少しだけ幼い面差しをした佐羽の姿だった。2人共少し大きめの制服を着ている。佐羽はブレザーのボタンを全て留め、ネクタイもきっちりと結んでいた。一方頼成はブレザーの前も開けていればネクタイもまともに締めていないというだらしのない姿で、いかにも面倒くさいという表情を隠しもせずに、それでも律儀に写真に納まっている。

 写真を撮ったのは阿也乃だ。学校行事には滅多に顔を見せなかった彼女だが、高校の入学式にはどういうわけか出席してこの写真を撮ってくれたのだ。

「本当に金髪だったんですね……」

 少女は感心したような呆れたような複雑な表情で写真の中の若い頼成を見ている。佐羽の瞳もまた懐かしそうに金髪の頼成を見つめている。そんな2人を眺めながら頼成はあれから過ぎた時間と、これからの時間のことを思った。

 そして彼はふと、忘れかけていた名前を思い出す。

「……あかね」

 だぶついたシャツに臙脂色のハーフパンツ。茶色い長い髪をした中性的な少女、あるいは少年。結局あかねが何者であったのかは今でも分かっていない。しかしあかねが残した赤い羽根は向こうの世界で目を覚ました頼成の手元に残り、そして無事に元の持ち主の元へ戻った。

「あかね?」

 当の少女が頼成の言葉を聞きつけて写真から顔を上げる。きょとんとしたその表情にあの日のあかねの面影が重なる。

「誰ですか」

「え?」

「誰かの名前、ですよね」

「……ああ……いや」

 あんたのことかもしれない、と言うわけにもいかずに頼成は口ごもる。そこへ佐羽がにやにやとした笑みを浮かべながら割り込んでくる。

「きっと将来の2人の子どもの名前でも考えていたんじゃない?」

 そして彼は頼成に向けてこっそりとウインク。赤面する少女を横目に頼成は溜め息をつきながら佐羽の脳天に踵落としを食らわせたのだった。中身の詰まったスイカを割ったときと同じような音がした。

 床に転がって呻く佐羽を見下ろしながら頼成は、それも悪くないなとこっそり思うのだった。


 END

執筆日2014/08/19

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