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同じ夜の夢は覚めない 番外編  作者: 雪山ユウグレ
番外編 イエロードッグアリア
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4

 物心ついたとき、佐羽はすでに独りだった。夢の世界のとある町にあった神殿孤児院にいたことを彼は覚えている。そこはあまり良い場所ではなかった。神殿に所属する職員達は孤児達を邪魔者扱いしている節があったため、当然孤児達も彼らに懐かなかった。両者の軋轢はいつも孤児院の中の空気を緊張させていた。

 誰が言ったのだったか。当時から少女めいた顔立ちに小さな身体で虐められがちだった佐羽に、年上の孤児が告げた。お前は捨てられたのだと。自分達とは違うのだと。佐羽は初め、言われた意味が全く分からなかった。

 神殿孤児院が基本的に“天敵”化して亡くなった神官の子どもを養育するための施設であるということを理解したのは、佐羽が6歳になった頃だった。その頃にはもう、彼は自分が他の子どもから差別される理由に納得していた。

 自分が愛されていなかったことを認識していた。

 勿論寂しさもあれば両親を恨みもした。佐羽の両親は彼を強引に孤児院に預けて、つまり職員の知らないうちにその玄関先にまだ乳児だった佐羽を置き去りにして行方をくらましたのだという。サワネ、という名前も職員が適当につけたものだった。彼は自分の身元を明らかにするものを何も持っていなかったのである。愛のある親であれば残したかもしれない出自の証を与えられず、彼は自分が何者であるかさえ曖昧なまま成長していった。

 悲しみに囚われる暇はあまりなかった。孤児院の中は常に緊迫していて、食事や遊戯、学習の時間でさえ頻繁に争いが起こった。力の強い年上の子どもが暴力で弱い子どもを押さえつけた。職員は問題を起こした子どもを殴りつけ、食事を抜いて懲罰部屋に監禁した。子ども達はますます反発するばかりだった。そんな環境の中で佐羽は生きることに精一杯だった。

 そんなある日、彼の住む孤児院に1人の少年が送られてきた。両親を神殿の職務で亡くしたというその少年は佐羽と同じ年齢で、しかし彼より随分背が高く、力も強かった。彼も自分を虐めてくるのだろう、と佐羽は思った。何故なら、彼らも辛い苦しみを抱えているから。誰か弱い者にその辛さをぶつけることで発散させなければ生きていけないほどに悲しいから。佐羽はそれが分かっていた。だから少しくらいの暴力なら甘んじて受けようとさえ思っていたのだ。

 ところが、彼は佐羽を虐めなかった。そしてその他の子どもに対しても比較的友好的な態度を取っていた。彼が荒んだ環境の中で何とか調和を以て生活しようとしていることが分かり、佐羽はむしろ不信感を募らせていった。いつの間にかその新入りの彼は子ども達のリーダー的な存在になっていた。

 今にして思えば、彼はただそこで落ち着いて暮らしたかっただけだったのだろう。そうしているうちに他の子ども達が勝手に彼を慕ったのだ。佐羽はそれが面白くなかった。どういう理由でそう感じるのかは分からなかったが、とにかく面白くなかった。

 ある日、件の少年が積み木で高い塔を作って遊んでいた。珍しいことに彼は1人で、暗い部屋の隅で黙々と積み木を重ねていた。その灰色の瞳がひどく真剣だったことを、佐羽は大人になった今でも覚えている。その目をもっとよく見たいと思った。だから幼い佐羽はそっと彼に近付いた。

 そのとき、彼が佐羽に気付いた。ぼさぼさの黒髪に、幼いながらも鋭い灰色の瞳が佐羽を捉えて「しまった」というように見開かれた。見られてはいけないものを見られたかのように、彼はばつの悪そうな顔をしたのだ。佐羽はその理由が分からずに首を傾げた。

「どうしたの」

 尋ねた佐羽に、黒髪の少年は「積み木とか子どもっぽいだろ」とふてくされた様子で答える。そんなことか、と佐羽は溜め息をついた。

「いいんじゃないの、別に」

「一緒に遊ぶか?」

 少年はそう言って佐羽を誘った。佐羽は少し考える素振りを見せた。すると少年は歯を見せて笑いながら言った。

「小さいとき、よく父さんとこうやって大きな塔とか屋敷を作ったんだ」

「へぇ、そう」

 佐羽の腹に冷たく重い氷の塊ができていく。黒髪の少年は恥ずかしそうに笑って、赤い積み木をひとつ塔の上に置いた。塔はぴくりとも動かずに新しい階層を支える。ぶちん、と佐羽の中で何かが音を立てて切れた。

 その後のことは実はよく覚えていない。気が付けば積み木は辺りに散乱し、黒髪の少年は部屋の向こう端にまで吹き飛ばされて壁に頭をぶつけていた。佐羽は肩で息をしながらゆらりと少年の方へと歩いていく。途中で床に落ちていた赤い積み木を拾った。

「おとうさん、って何?」

 くす、と笑いながら佐羽は少年に歩み寄る。片頬を吊り上げて、歪な笑顔で、明るい声で彼を怒鳴り付ける。

「ねぇ、おとうさんって何!? 俺はそんなの知らない! それはいいもの? 優しいもの? 素敵なもの? 失って悲しいもの? ああ、君はそれを大切にしているの? そんなに大事なら、君もお父さんのところへ行けばいいじゃないか!」

 佐羽は積み木を振り上げ、その尖った角を黒髪の少年の額目掛けて降り下ろした。少年は灰色の目を見開いて両手を広げる。

 ふわり、と優しい感触が佐羽を包み込んだ。

「……悪かった。俺が無神経だった」

 静かな謝罪の声と共に生温かい何かが佐羽の頬に落ちる。それは黒髪の少年の額から滴る赤い雫だった。彼は佐羽の攻撃を避けなかった。それどころか、手痛い一撃を受けた次の瞬間に佐羽の小さな身体を包み込むようにして抱き締めていたのだ。佐羽はそれまで誰かに抱かれたことなどなかった。謝罪の言葉を向けられたこともなかった。新しい体験が次々と押し寄せる中、佐羽は茫然として言葉を失っていた。

 やがて黒髪の少年は佐羽の頭を撫でながら少しだけ微笑んで告げる。

「悪かったよ。でもお前、ずっとそういうの溜め込んできてたのか?」

「……よく分からない」

「そっか」

 少年の手が佐羽の亜麻色の髪の上をゆるゆると往復する。それがあまりにも心地良くて、佐羽はだんだんと眠くなってきた。

「ねぇ」

「ん?」

「ごめんね」

 気にするな、俺も悪かったんだから。そう言って黒髪の少年は鋭い灰色の目を細めて微笑んだ。その笑顔を見ていると佐羽の心にも何か温かいものが生まれてくるような気がした。意識がどんどんと遠ざかる。眠っていいぞ、と彼が言った。

「俺が守ってやるから」

 ありがとう。佐羽はそのとき生まれて初めて誰かに感謝するための言葉を唇に乗せたのだった。


 不思議なものだ、と佐羽は目の前に立つ少女をぼうっと眺める。彼女は泣いていた。預言の力を持つ少女、彩莉(あいり)は佐羽の過去を辿って視て涙を流しているのだ。ごめんね、と佐羽は彼女に言う。

「嫌なもの、いっぱい感じるんでしょう」

「佐羽は、親には愛されていなかったかもしれないけど。でも、その男の子にはちゃんと愛されていた」

 彩莉がキッと佐羽を睨む。そうだね、と佐羽も頷いた。

「まぁ、彼は元々そういう性質というのか……それこそ親譲りの博愛と献身の精神を強く持っていたから。同情してくれたんだと思うよ」

「違う」

 彩莉は大きく首を横に振った。

「その男の子は分かっていた。あなたがすごく寂しくて、そしてその子も寂しくて、一緒にいればお互いに少しはその隙間を埋められるって。波長が合ったんだ。簡単にいうと、その子はあなたを好きになっていたんだ」

「……頼成、が?」

 ははっ、と佐羽は思わず乾いた笑いを漏らす。心なしか肌が粟立っていた。

「嫌だな、あんな強面に好かれても……男に好かれるのはちょっと気味が悪いよ」

「そういう意味じゃない!」

「分かっていても、ね。君みたいに可愛い子から好かれるなら悪い気はしないんだけどなぁ」

 軽口を叩く佐羽に彩莉は深々と溜め息をついてみせる。それから彼女はびしりと佐羽に向かって右手の人差し指をつきつけた。

「最後にあなたに言いたいことがあった。あの院長先生は私のこの力を何とかしてくれるって言ってたから、だから力がなくなる前にあなたに言わなくちゃと思って追い掛けてきたの」

「……何?」

 すう、と彩莉は大きく息を吸い込む。

「ありがとう、佐羽。大丈夫、あなたはかけがえのない人に愛されているし、これからあなたを愛してくれる人もいる。恋愛の愛じゃない。あなたっていう人間をただ見て、感じて、受け容れてくれる人に出会うことができる。あなたがどんなに悪いことをしても、悪い人の部分を持っていても、それでもあなたの別の顔をちゃんと見てくれる真っ直ぐな目を持った人に出会える」

 安心して生きていていい。彩莉はそう言いながら指を下ろし、花が咲くように笑った。同時に彼女の周囲から呪文の文字列である青い光の帯が消える。魔法は終わった。佐羽は彼女がくれた預言の言葉を噛み締め、一粒の涙を落とす。

「ありがとう、彩莉ちゃん」


 それから半月ほど経ったある日のことだった。佐羽は自分の通う大学の構内で長い茶色の髪をなびかせた1人の少女と出会う。それは彼が持つもうひとつの忘れがたい思い出と共に今も彼の中に生きる少女であり、物語の始まりを告げる出会いでもあった。

 佐羽は彩莉の言葉を思い出しながらほんの少しの期待を込めて彼女に声を掛けたのだ。

「大丈夫? 今、自転車にぶつかられたでしょう。ここらはマナーの悪いのが多いから。怪我はない?」

 口説き文句なら慣れている。会話の糸口に相手への気遣いを滲ませて警戒心を薄れさせるというのは常套手段だ。そして最近よく同じ夢を見るのだと言った彼女に対して佐羽はうんとひとつ頷いてこう言った。

「そういうことならいい人がいるよ」

 微笑んで告げたその言葉から、彼と彼の大切な人達との同じ夜の夢は始まる。


  END

執筆日2014/05/19

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