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美野里の苦脳

 生い立ち。それまでの人生を振り返るって、どんな時でしょうか?これまで自分が歩んで来た道を客観的に見て、あの時どうしてあんな言動したんだろう?ってこと一杯ありますよね。今の自分なら、あーしていたとか、こうすればよかったのにとか思うことも多いでしょう。でも、その時の自分ではそれが精一杯だったのかもしれません。どう思ってみても、やっぱり過去は変えられません。大切なのは、過去に学んで、これからの自分に活かすことではないでしょうか。

 「琴ちゃん、ほんとに良かったね。」病院の玄関のところで、泣きながら出て来た飯岡さんと偶然すれ違って、ちょっと予感しながら病室へ行ってみて、そっと扉を開いて独りごと。本当はずっと想い焦がれてた両想いの彼氏とやっとファーストキス出来て、幸せ過ぎて、私が来たことなんて気付いてないよね?優馬君や舞ちゃんのことで一杯一杯で、琴ちゃんが血を吐いたその日しか来れてなかったから、金曜くらいはと思って来たけど、今日はもう帰るね。正直、羨ましい!何故なら、琴ちゃん達には未来があるから。哀しい運命を背負っている私には、やっぱり羨まし過ぎるよ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~始まりはいつだったのか、はっきり憶えていない。物心付いた時には、今住んでいるマンションに暮らしていた。東京豊島区の2LDK。お母さんと私とあいつの3人家族。お母さんはあいつを、私のお父さんだと教えた。従順な振りをした私は素直にそう呼んだ。でも、信じていなかった。何故なら、周りやテレビで見るお父さんとは全く違っていたからだ。食べるのが遅いと叩かれた。うるさいからと蹴られた。云う事を聞かないとつねられた。口答えをすると云って付き飛ばされた。チャンネルは取られた。おもちゃは捨てられた。宝物は壊された。おねしょしたら、空腹地獄が待っていた。泣いたら、追い出された。大嫌いだった。子供心に、死ねばいいのにと思った。死んだ。お母さんが夜病院の仕事に行ってる間に、私の目の前で苦しんで死んだ。動かなくなったあいつを見て、子供心に、死んだと分った。とても嬉しかった。もう嫌な目に遭わなくて済むから。もう痛い目に遭わなくて済むから。もう苦しい思いをしなくて済むから。安心して、ぐっすり眠れた。それから、お母さんと2人だけの生活になった。ずっと楽になった。けど、お母さんはいつも忙しかった。疲れていた。寝ていた。幼い頃のお母さんとのいい思い出と云えば、唯一夜童話を読み聞かせてもらったことくらいだと思う。その童話の思い出だけが、私の心の支えだった。それ以外のお母さんは、あまり思い出せない。寂しかった。でも云えなかった。これ以上お母さんのお荷物になったら、生きていけないと悟ったから。何故なら、私にはお母さん以外に頼れる人は、誰一人いなかったから。

 「ねえ、私にはお爺ちゃんとか、お婆ちゃんとかいないの?」お母さんがその問いにちゃんと答えてくれることはなかった。いつしか私も諦めてしまい、もう全く聞かなくなった。私は成長する程に、愛情に飢える様になった。だから、その寂しさを埋める為に、ささやかな願い事をした。すると、その願いが叶い、寂しさは紛れた。だから、又願った。すると、その願いも叶った。又、寂しさが少し紛れた。だから、それを繰り返す様になった。それが当たり前になった。それが当たり前で育った。自分が特別だとは、はっきり気付いていなかった。

 あれは確か小学4年の夏休み頃だったと思う。その数カ月前から、お母さんにしては妙にうきうきしてると思っていたけど、ある日突然落ち込んでいた。子供の私には初めは訳が分らなかった。ただ、不安で、お母さんのやることが気になる様になった。不安は的中して、お母さんに殺されそうになった。正確に云うと、殺されそうになる前に私が気付いた。

 「ごめんね、馬鹿な母さんを許して。」泣き崩れるお母さんを呆然と見ていた。

 「ねえ、そのお薬どうしたの?」大量の謎の錠剤があった。お母さんはそのことには何も答えず、別の告白をし始めた。

 「いい人だと思ったから。結婚しようって云ってくれたから。子供がいてもいいって云ってくれたから。・・・でも、全部嘘だったの。」

 「私がいたら、結婚出来ないから、私を殺すの?」

 「母さんも一緒に死ぬつもりだったの。でも、出来ない。」

 「私、死にたくないよ。ね、こんなの悲し過ぎるから、もうしないで。」泣きながら訴えた。お母さんはもうしないと約束して、薬を全部捨てた。正確に云うと、お母さんは捨てたつもりだった。それからしばらくして、ある日の夕方、仕事から帰ったお母さんがニュースを見て、凄く驚いていた。結婚詐欺男の不審死を伝えていたのを、はっきり憶えている。何故なら、お母さんには云ってないけど、2、3度そいつの写真を見たことがあったからだ。私達親子の生活を脅かす奴はみんな死ねばいい、と思った。

 中学生になった頃の私は、自分の不思議な力を意識する様になっていた。正体も原理も何も確信はなかった。でも、願えば不思議と叶う力に、妙な自信が付き始めていた。欲しいと思ったものは、物にしても、友達にしても、知識でさえ、普通の努力とは全く比例しないで手に入った。いなくなって欲しい人は、よくいなくなった。私は特別に選ばれた人間なんだと思った。でも、それを公表しようとは思わなかった。何故なら、こっそり願って叶うことで充分満足していたから、自慢して目立つことには興味を感じていなかった。内心、母子家庭で恵まれていない生活にコンプレックスがあった。目立って、いたずらに恥ずかしい面を人に知られたくなかった。だから、いつも大人しくしていた。ただ、親から抱き締められた経験の少なかった私は、人肌の温もりに飢えていた。飢えたままに友達と接した。ちょっとえっちな子と、友達に思われていた。そこから付いたあだ名が“さえっち”だった。でも、それは女子同士に限られていた。友達ばかりで居る時は、女子同士で平気でキスもした。挨拶代わりにするから、初めは引いていた友達も徐々に慣れて来て、応じてくれる様になった。男子とは接したいとは思わなかった。幼い頃あいつから受けた暴力のせいで、男子との恋愛への憧れはほとんどなかった。かっこいいなくらいに思ったことはいくつかあったけど、本当に男子を好きになったことはなかった。ただ心の奥底で、私にはいつか童話の様に素敵な王子様が現れてハッピーエンドになることを、想い描いてわくわくしていた。そんな夢見る少女だった。基本的に、人付き合いは下手だった。一人っ子だから、家庭で学べる社会は凄く限られていた為か、べたべたとしたスキンシップが、友達を繋ぎ止めておく唯一の武器だった様な気がする。それでも、少しづつではあったけど、学年が増すにつれて、友達付き合いのコツを憶えて来た気がする。中学2年になる頃は、何人かの気楽な友達が出来ていた。3年になっても、そのうちの数人と又同じクラスになれて、とても嬉しかった。でも、親友と呼べる子に初めて出会えたのは、3年になってからのことだった。そう、忘れもしない1学期の始業の日、その子は現れた。

 「城崎舞です。早く友達が欲しいので、よろしくお願いします。」丁度私の隣が空いていたので、舞ちゃんが隣に来た。

 「私、佐伯美野里って云うの。よろしくね。」優しそうな子だったので、自然と笑顔で云えた。

 「ありがとう。こちらこそ、よろしくね。」舞ちゃんも満面の笑顔で返してくれた。すぐに仲良しになれた。既に仲良しだった子達も交えて、4~6人のグループで固まったり、遊んだりした。舞ちゃんはその中にすぐに溶け込んで、以前からの友達みたいになった。中でも、初めに声をかけたことの義理があったのか?それとも本当に気があったのか?私には特に親しくしてくれた。舞ちゃんは友達想いの優しい子で、彼女といると私も優しい気持ちになれて、毎日がとても楽しく、笑顔で満ち溢れていた。そのせいか、不思議な力のことは自然と忘れ、記憶も薄れかけていた。しかし、とんでもない悪夢が私達を待っていた。

 2学期に入ってすぐに、一部の男子が肝試しをしたビデオをクラスで公開したことを発端に、クラス中にホラーブームが起こってしまった。凄く嫌な予感がした。すぐにそれが的中した。柏谷篤志かしわやあつしという男子の暴露話で、私が槍玉にあがった。篤志は、私のマンションのすぐ近くに住むクラスメートで、私が幼い頃父親を名乗るあいつに虐待を受けていたことを、親から聞いて知っていたらしい。虐待の仕返しに、私が呪い殺したみたいな話しをクラス中に広めた。それをきっかけに、私は変なからかわれ方をする様になった。そのからかいは、だんだん嫌がらせとなって行った。みんなの高校受験のストレスのはけ口にもなっていたんだと思う。友達は初めのうち気にしていなかったり、私をかばってくれてたりした。しかし、エスカレートするうちに、巻き添えを恐がって徐々にかばってくれなくなって行った。それでも、舞ちゃんだけは私の味方だった。

 「舞ちゃん、もしね、ほんとに私に不思議な力があるんだったら、人を笑顔にすることとか、幸せにすることに使いたいよ。」心の奥では、私を虐める奴らはみんな消えてしまえばいいと思っていたけど、舞ちゃんに云ったその言葉も嘘ばかりじゃなかった。何故なら、舞ちゃんたちが他人を思いやることを教えてくれていたので、私の心には優しく温かい光も灯っていたから。その頃の私は、両極に揺れる自分の心に悩む様になっていた。そんな矢先、篤志が急病で入院した。それも結構重いという噂が広がり、すぐに、暴露した腹いせの呪いだと囁かれ出した。その頃から、クラスの女番長と云われていた財前麗香が、子分の子と一緒に、私を執拗に虐める様になった。丁度その頃鼻の具合が急に悪くなって、拭っても拭ってもきりがないほどの凄い鼻水が出る様になっていた。家から1番近い耳鼻科にさっそく行ってみたら、その帰り道麗香達に出くわした。偶然だったのか?待ち伏せだったのか分らないけど、通行料だと云って、持っていたお金を全部取られた。3千円以上あった。しかももらって来た鼻炎のお薬まで、「こんなの効かないからさあ、うちらが捨てといてやるよ。」って取り上げられ、「代わりにこれやるよ。」とポケットティッシュを渡された。宣伝用に街頭で配られてるものだった。翌日学校で別のティッシュを使って鼻をかんでいたら、「うちらの好意はどうしたんだよ?うちらのは使えないのかよ?」とそのティッシュも取り上げられて、「どうせ、おまえの洪水みたいな鼻水は、そんなもんじゃおっつかねえよな。」と云って、雑巾で顔を拭かれた。泣いて止めてくれる様に頼んだけど、止めてくれなかった。舞ちゃんも、巻き込まれるのが恐くて、助けてくれなかった。学校へ行くのが恐くなって、その翌日から学校を休んだ。でも、お母さんは何もしてくれなかった。仕事と生活で目一杯だったから、体の弱いお母さんは、私の虐め問題まで構う余裕がなかった。しかも、そこへ追い打ちの電話がかかって来た。

 「はい、佐伯です。」お母さんはまだ帰ってなかったから、私が出た。

 「美野里さんのクラスメートですけど、美野里さんいますか?」作った声?

 「あの、私です。」

 「何だよ、おまえかよ。だったら初めからそう云えよな。」麗香の子分の綾乃あやのの声だった。

 「貸せよ。・おい、学校来いよ。逃げてんじゃねえよ。・・何黙ってんだよ?」

麗香の声に変わった。

 「虐めるから、嫌です。」

 「とぼけたこと云ってんじゃねえよ。おまえさ、呪いの力あるんだろ?正々堂々勝負しろよ。そんではっきりさせてやっからさ、おまえの呪いの力なんか、あたいの敵じゃねえってことをさあ。」

 「呪いの力なんかありません。」

 「じゃあ、学校来な。家にこもって、呪いの呪文唱えてんじゃねえよ。それとさあ、おまえの名前決まったしな。“鼻垂れ怨霊”って立派なリングネーム付けてやったからさあ。おい、聞いてんのか?逃げても無駄だからな。」その夜から、マンション周辺の暴走族の爆音が始まった。麗香が暴走族に入っていたことは知っていた。私が学校へ行かないと嫌がらせが続いて、お母さんまで眠れなくなる。3日続いたところで、仕方なく覚悟を決めて登校した。休んでる間に、文化祭のクラスの出し物がお化け屋敷で、私が怨霊役だと決まっていた。虐められる日々が続いた。

 「呪いの力があるとか、生意気云ってんじゃねえよ。」文化祭の前日、いつもの様に麗香達のグループに囲まれて、麗香に顎を持たれながら云われた。

 「そんなこと云ってません。」

 「とぼけたこと云ってんじゃねえよ。ぶっ殺すぞ!」

 「ほんとに云ってません。」泣きながら云った。他のクラスメートも遠巻きに見ていた。その中に、舞ちゃんの姿もあった。

 「呪の力あるんだろ?」

 「ありません。」

 「あるって、云っただろう、おまえ。」

 「云ってません。」

 「云ってなくても。思ってんだろう?」

 「思ってません。」

 「嘘つくなよ。おまえのさあ、その陰気臭い鼻くそまみれの顔にそう書いてあるだろ?」云われながら、つばをかけられた。

 「もう、止めて下さい。」しわくちゃに泣きながら訴えた。

 「悔しかったら、おまえの呪いの力であたいを呪い殺してみなよ。」そう云いながら鼻をほじったかと思うと、その指を私の顔になすりつけて来た。

 「そんな恐いこと、嫌です。」

 「嘘云うなって云っただろう。ほんとはそうしたいと思ってるくせによう。やれるもんならやってみなよ。このインチキ鼻垂れ怨霊がよ。ほら、おまえらもやってやんな、このごみ女に。」寄ってたかってつばをかけられたり、雑巾で顔を拭かれたりした。

 「麗香さん、お化け屋敷の呼び込み文句考えたんすけど。」綾乃が云った。

 「どんなか云ってみな。」

 「鼻垂れ怨霊に鼻水付けられたら、呪いがかかるので注意!ってのどうすか?」

 「それじゃ、びびって客減るじゃん。」

 「まだ続きあるんすよ。呪い返しに自分の鼻くそを怨霊になすり付けたら、回避されるってどうすかね。」

 「あー、それ受けるう!」子分の蒔絵まきえがはしゃいでいた。

 「顔になすり付けたら、幸せになれるってのはどう?」子分の葉月はづきが更に悪乗りした。

 「それ、もう馬鹿受け!」蒔絵はいかれてた。

 「よし、それでいいよ。明日から儲けるよ。おい鼻垂れ、もし休んだりしたら、本物の怨霊にすっからな。」そう脅かされて、3日間泣きながら怨霊役をやった。お化け屋敷は大繁盛で、同学年はもちろん、下級生の子達からも本当に鼻くそを付けられたり、からかわれたりした。それも後になる程エスカレートして、私は学校中のおもちゃにされていた。でも、泣きながら時が過ぎるのを待って耐えた。心の中では、幼い頃お母さんに読んでもらった童話の様に、王子様が助けに来てくれることを夢見て願った。けど、誰も助けてはくれなかった。酷い時はトイレに行かせてもらえないで、我慢もさせられた。

 「そこで漏らせよ。それはそれで受けるからさあ。」麗香に云われたけど、さすがにそれは恥ずかし過ぎて出来なかった。だから、もう必死で我慢した。辛さの中で、麗香への憎悪は限りなく膨らんで行った。最後まで堪え切るのに、その憎悪だけが心の支えとなって行った。そして、憎悪が心に充満する頃、やっと終わった。麗香達は儲かったと喜んで、その夜みんなで打ち上げをすると云い出した。だいたい、入場料を取るなんて認められていなかったはずなのに、私をネタにしてお金を取っていたらしい。それに、私がこんなに酷い目にあっても、先生達が何も云わない。裏でどれだけ麗香達に弱みを握られていて、どれだけ脅されてるんだろう?麗香の父親はPTA役員で、モンスターペアレントだと聞いたこともあるし、学校外での麗香の力をも、みんな恐がっていた。虐められても相談の1つもしない母子家庭のぼっちを構ってみても、何もいいことなんて無いってことか?もう何もかもに失望して、ただ1つの困難をやっと乗り越えただけの感だった私は、疲れ果てていて、打ち上げには参加しないで、さっさと家に帰った。

 翌日学校は休みでほっとしていたら、電話がかかって来た。当時携帯を持っていなかった私の家の電話番号を知っていたのは、学校では、PTAの親の力か何かを使った麗香達くらいだったので、嫌だなと思った。しかし、お母さんは仕事に行っていなかったので、学校以外の電話であることを願って、仕方なく出た。

 「佐伯美野里さんのお宅ですか?」聞き覚えのある嫌な声だった。綾乃だ。でも何か変だ。声は作ってないのに、言葉使いや雰囲気がいつもと違う気がした。

 「美野里です。お願いです、もう止めて下さい。」

 「ううん、あたいの方こそ、ごめんなさい。もう絶対にしませんから、許して下さい。」何故か泣き声だ。

 「どうしたんですか?又新しい嫌がらせですか?」

 「もしかして、知らないんですか?ほんとに知らないんですか?」

 「何をですか?」

 「兎に角、ごめんなさい。ほんとにもう絶対にしませんから、許して下さい。お願いします。」号泣に変わっていた。よほどの何かがあったなと悟った。

 「分りました。もうほんとにしないのなら、許します。でも、何があったんですか?」そう聞いた途端電話が切れた。もしかしてと思い、半信半疑で新聞を見た。愕然とした。麗香の交通死亡事故の記事だった。複雑な気分だった。解放された嬉しさよりも、恐さの方が大きかった気がする。この時初めて、自分がとんでもない化け物だと自覚した。それまでは、願えば神様が願いを叶えてくれる選ばれた人間だとくらいに思っていた気がする。けどこの時ははっきり、私の麗香への強い憎悪が、強い呪いの力になったんだと理解した。私は少し迷った挙句、舞ちゃんの携帯に電話をかけた。

 「さえっちだよ。昨日舞ちゃんは打ち上げ出たの?」

 「ごめんね、何もしてあげられなくて、ごめんね。お願い許して。」

 「どうしたの?舞ちゃんまで、変だよ。」

 「さえっち、昨夜何があったか、知らないの?」

 「財前麗香が死んだんでしょ?」努めて平静を保って云ったつもりだったけど、それがかえって舞ちゃんを余計恐がらせたのか、少し絶句した後、

 「知ってるんだ。そりゃそうだよね。でも・・・」

 「でもどうしたの?ねえ、麗香が死んだんだから、舞ちゃん達とは又仲良くなれるよね?」それにも、なかなか返事がなかった。

 「私、さえっちのこと見殺しにしたんだよ。だから、罰を受けるんでしょ?」やっと聞こえて来た返事は、涙声だった。

 「罰なんてないよ。舞ちゃんは友達だから、安心して。」

 「本当?殺したりしないよね?」

 「する訳ないじゃない。」

 「ほんとにごめんね。ほんとにごめんね。」

 「ねえ、舞ちゃん、怒ってなんかないから、ちゃんと普通に喋って!」と云う口調は、ちょっと強くなってしまった。

 「ごめんなさい。ほんとにごめんなさい。許して。」

 「許してるし、怒ってもいないって云ってるでしょ。」少しいらっとした気がする。

 「ねえ、何喋ったら怒らない?」

 「もういい加減にして。普通に喋ってくれたら、何も怒らないよ。」

 「私、卑怯だよね。弱くて、自分が巻き込まれるのが恐くて、ごめんね。」

 「もういい。そんなことしか云わないなら、切るね。」

 「ごめんね。こんな友達で、ほんとごめんね。」そこまで聞いて、切った。親友に恐がられてることが、とても不愉快だった。そして、この時から私は暗闇に落ちて行った。そう、虐められてた日々は地獄だったけど、そこからは暗闇だった。

 翌日も休みだったけど、夜麗香のお通夜があると担任から連絡があった。でも、行かなかった。私が行ってどうなるか、だいたい想像が付いた。その翌日からは、又学校だった。行ってみると、想像以上だった。虐めてた子も、見殺しにした友達も、次々と謝りに来た。ひたすら、謝りに来た。何故か、その中に綾乃の姿がなかった。見渡しても、教室のどこにもなかった。

 「蒔絵さん、綾乃さんはどうしたの?」

 「家の階段転げ落ちて、大怪我しました。」怯えてるのがよく分った。

 「いつ?」

 「おとといの朝の10時頃です。」電話で話した直後だったみたいだ。謝って来たのに対して、許すと云ったすぐ後だから、気持ち複雑だった。それって、呪いのブレーキは効かないということかと思った。呪いと云っても、何か道具を使う訳でも、儀式をする訳でもなく、ただ心の中で思うだけで現実になってしまう。自分でも訳が分らないまま、起こってしまう。あの夜麗香の身に何があったのか気になって何人かに聞いてみたけど、みんな恐がって云わなかった。気になった。だから、授業の途中、告別式に行くみんなに付いて行った。みんな、恐がって私を避けた。でも、斎場でどういう人かは知らないが、おばさん達の囁きでおおよその真実を知った。不運な事故に巻き込まれた末、不思議な偶然が重り、身動き出来なくなって恐怖に怯える麗香に板硝子が勢いよく滑り落ちて、首が完全に切れて転がったらしい。それも、丁度クラスメートのほとんどが目撃する前で起き、飛び散る血をみんなが浴びたというのだ。みんなに恐がられることに納得した。しかも、その日の少し後で分ったことだが、麗香の血を最も浴びたのが舞ちゃんだったらしい。子分の3人も近くにいて相当浴びたらしいが、勢いよく吹き出した方向にたまたま舞ちゃんがいて、着ていた服が真っ赤に染まったらしい。彼女が強いトラウマを抱えたことが容易に想像出来た。更にその翌日の夜、葉月の家が失火で全焼し、家族の人が煙を吸って一時重体になった。もうみんな怯え切って、私に遠慮したり、胡麻摺ったり、ご機嫌をとって来る様になった。舞ちゃんはと云えば、それには加わらず、遠巻きに見ていた。凄く怯えていることが分った。

 初めのうちは、私の心は2重人格の様に両極に分れていた。みんなが私に従うことに快感を感じ、みんなに命令したりもした。けどその反面、もう1つの心は確実に深い闇を転がり落ちて行った。揺れ動く心の中で時々耐え切れない寂しさに襲われ、舞ちゃんの方を見た。でも、私のそんな声は届かなかった。私の視線にさえ、むしろ怯えているのを感じた。気が付くと、みんなが従うことに対する快感はほとんど無くなっていた。お互い思いやりを持って接する人間関係の大切さが身に沁みて分った。ただ、虚しい真っ暗な闇の中にぽつんといた。それでも、私は地獄の日々に耐えて来たから、少しの闇は耐えられた。闇の中で必死にもがいて、もう1度みんなが心から仲良くしてくれることを夢見て、勉強を頑張ってみた。私の力は暗いことだけではないことを証明したい、そんな単純な思いで頑張った。結果は、期末テストの全科目90点以上で、ほとんどクラストップだった。元々あまり成績のよくない私だから、それは奇跡だった。努力はしたけど、何故こんなに勉強が出来る様になったのか?自分でも不思議だった。こんな力もあるんだ、やったー!という気分だった。でも、みんなの反応はむしろ余計恐がる様になった。遠慮、胡麻擦り、ご機嫌取りは益々エスカレートして、そこから感じる心は冷たくどす黒い恐怖心でしか無くなっていた。期末テストの返還が終わり、期待を裏切られた強い落胆からか、終業式が迫るにつれ、心は再び深く果てない闇を転がり落ちて行った。あんなに辛く苦しかった地獄の日々よりも、強い絶望感を抱く様になった。何故なら、虐められてた時でさえ、舞ちゃん達の“ごめんね”という思いを感じていたのに、もう口で「ごめんね。」と云う彼女達の心から感じるのは、重苦しい恐怖心ばかりだったから。昔お母さんが無理心中に使おうとした薬を、隠し場所から取り出して、見て悩んだりもした。でも、やっぱり死にたくはなかった。だから、最後の望みをかけて、みんなでカラオケに行くことを希望し、終業式の日舞ちゃん達も含め10人以上に声をかけた。実施日はクリスマスイブにした。イブは、毎年決まってお母さんが夜勤なので、余計寂しかった。特に盛り上がったら、好みのメンバーを夜通し付き合わせようとも思った。

 運命のイブ、新宿のカラオケ店。大部屋に15人くらいだったと思う。適当に誘ったので何人だったか憶えてないけど、誘われた子はみんな私に逆らえないので、みんな律儀?に来てたみたい。男子も何故か5人いた。誘ったか?憶えていない。ただ、盛り上がるシチュエーションを自分なりに計算した結果だと思う。でも、盛り上がらなかった。やっぱり、みんな私に気を遣い過ぎていた。まるで、私の機嫌を損ねたら殺されると思っているんだろうなって感じで、空気が重かった。何とか盛り上げさせようと、唄ったり、唄わせたり、ちょっとえっちなことまでもさせてみた。王様の決まっている王様ゲーム状態だった。でも、何をやっても固かった。どれだけ恐がられているか身に沁みた。だんだんそれが耐えられなくなって、限界に来ていた。

 「舞ちゃん、一緒に唄おう!」わざと無理に楽しそうに云ってみた。

 「盛り上がらなかったら、ごめんなさい。」ネガティブなまま唄い出した舞ちゃんは、いきなり声が上ずっていた。歌は普段上手いはずの彼女なのに、声がかすれてて、唄いながら横を見たら涙目になっていた。それまで必死で盛り上げようとしていた心が、その時ついに折れた。

 「もういいよ。そんなに私と唄うの嫌だったら、もういいよ。」

 「ごめんなさい。ごめんなさい。」真剣に謝る舞ちゃんを見て、笑顔に満ち溢れていた頃を思い出し、もう元には戻れない程怯えてることを改めて感じた。もう舞ちゃんには、私は恐怖の化け物としか見えてないんだ。私の呪いによって死んだ麗香の血を大量に浴びて、転がり落ちた生首を目の当たりに見たから仕方ないんだ。だって、引きつっていたから。次の瞬間、私はついに限界を超えて、切れた。号泣して、部屋を飛び出してしまった。そして、部屋から少し離れた廊下で、大声で泣き続けた。誰も追いかけて来なかった。寂しかった。寂しくて、自分の運命が恐くて真っ暗だった。そんな時だった。突然、誰かがぶつかって来た。私は少しよろけた。

 「ごめんなさい。」聞き飽きた台詞だったけど、聞き慣れない男子の声。焦っている感じだったけど、凄く優しそうな声だった。私は鼻炎が全然治っていなくて、号泣したら酷く鼻水が出るのに、そのことを忘れていた。

 「あの、これ洗ってから全然使ってないから、使って下さい。」白いハンカチを差し出したその言動は、とても優しかった。上辺で胡麻摺ってご機嫌をとられていた時には全く感じなかった、心のこもった優しさに触れた気がした。もしかして、王子様?自分の顔が涙と鼻水でぐしょぐしょで酷いのを忘れて、その人をまじまじと見た。嘘みたい。凄い優しそうな素敵な人。何故だろう?真っ暗だった私の心にとても温かく優しい光が差した気がした。

 「ありがとうございます。」ハンカチを受け取って、それを半開きにして泣き顔を覆った。普通の白いハンカチのはずなのに、凄い温もりを感じた。

 「おい、ゆうま、何してるんだ。知り合いか?」友達が呼びに来たみたい。もう少し一緒にいたいのに、お邪魔虫だと思った。でも、名前が分った。ハンカチ王子は、“ゆうま”って云うんだ。どんな字だろう?

 「いや、知らない人だけど、ちょっと。」もう少しここにいて!と願った。

 「もうゆうまの入れた曲が始まるぞ。急げ!」えー、もう行っちゃうの?

 「あー。」そう友達に返事した後、「ほんと、ごめんなさい。」と再び声をかけてくれた。僅かな言葉だったけど、その人の優しさが凄く伝わって来た気がした。私はそのまま軽く頷いた。すると、彼は少し気にかけるそぶりをした後、立ち去った。すぐに追いかけた。けど、ゆうま君は急いでいたんだろう?曲がり角を曲がった彼を見失ったまま、同じ角を曲がってももうその姿はなかった。そのすぐ先にも曲がり角があり、たくさんある部屋のどこかに消えた彼の行方は全く分らなくなった。それでも探してみた。何部屋か覗き込んだ。すると、恐そうなお兄さんが出て来た。

 「おい、人の部屋何じろじろ見てんだよ、ぶす!」

 「せいじ、どうしたの?」同じ部屋から、その人の彼女らしいのまで出て来た。

 「何か知らねえけど、ずっと覗き込んでやがったんだ。」

 「え、何こいつ鼻垂れてんじゃん。きもい!ちょっといかれてんじゃない。」

 「おい、きもいんだよ。あっち行けよ。2度と覗くなよ。」恐くなって、もう探せなくなった。仕方なく、みんなが待ってる部屋に戻った。そして、「もうみんな帰っていいよ。」って解散した。すると、みんなさっさと帰って行った。私だけ残って、受付の近くでハンカチ王子を待ち伏せした。待つこと約1時間、ゆうま君達4人グループが支払いの為受付にやって来た。又会える様にしたいと思った。でも何すればいいか分らないし、勇気がなかった。廊下で出会った時と違いお互いコートを着ていたけど、私は分った。けど、向こうは気付いていないみたいだった。コートを脱いでアピールしようかと思ったところへ、運悪く“せいじ”達も受付にやって来た。目が合ってしまい、慌てて店を出た。ちょっと離れただけだったけど、それが大失敗だった。完全に見失った。憶えようとじっと見て眼に焼き付けたつもりだったけど、本当にどれだけ憶えられたか?自信がない。結局新宿駅でも見つからず、諦めて帰った。白いハンカチが置き土産の、一瞬の出会いだったけど、凄く恋しかった。又どこかで会いたい!年は同じくらい?年の差があっても1つ上か下かくらい?東京のどこかの子?きっと、この出会いは神様からのクリスマスプレゼント。愛しのハンカチ王子ゆうま君、又いつか私の前に現れて!涙と鼻水でべちょべちょのハンカチを握りしめて眠った、クリスマスイブだった。

 3学期に入っても、学校へは行かなかった。もう学校の誰にも会いたくはなかった。鼻炎は治っていなかったけど、耳鼻科へは行かなかった。せっかくもらった薬も捨てられたので、もう行きたくなかった。進路も迷っていた。地元の高校だけは絶対に嫌だった。学校へも行かず、進路に迷っている私を、お母さんは悲しそうな目で見ていた。でも、腫れものに触る様に、あまり話さなかった。2人きりの家族なのに、滅多に話しはしなかった。ゲームをするか、ゆうま君を想い描いて妄想するかの日々が続いた。かなり、えっちな想像もした。ハンカチには、分るか分らないかくらいの小さな赤い❤を刺繍して、肌身離さず持っていた。あれから1度も使わず、お守り代わりに持っていた。ある日、それをお母さんに見られた。

 「そのハンカチどうしたの?」珍しくお母さんが話しかけて来た。

 「へへ、これはねえ、ハンカチ王子にもらったんだよ。」

 「甲子園のハンカチ王子?」考えてみれば、そのハンカチ王子も偶然近くに住んでるんだ。それに、名前も似てる。

 「違うよ。私だけのハンカチ王子だよ。」笑って云った。

 「美野里だけのハンカチ王子?そんな人いるの?」お母さんの前で笑ったのなんて久し振りだったので、急に話しに食いついて来た。カラオケ店での出会いを話した。

 「だから、いつか再会出来ることを信じてるんだ。」

 「美野里はやっぱり母さんの娘だね。王子様か?親子で同じ様な夢を見るのね。」

 「きっと、よく読んでくれた童話の影響だよ。あっ、もしかして、あれってお母さんの願望で読んでたの?」

 「そうかもしれないね。いつまでも少女みたいで、だからよく男に騙されるんだよね。その度、美野里のお世話になって。」お母さんは私の不思議な力に気付いていた様だ。その力で、お金を騙し取られるのを未然に防いだこともあって、娘の私に一目置いていた。と同時に、舞ちゃんと同様に恐がってる感じもあった。

 「ねえ、私が埼玉の高校へ行くって云ったら嫌?」さいたまの大宮学園高校は、私学の割には授業料が安く、校風も生徒の自主性を強く重んじていて、部活動の強制も何もない。行き帰りが負担なのと、多分都内にいるだろう“ゆうま君”から遠ざかりそうなこと以外は、ここしかないと思える理想の高校だった。兎に角、私の得体のしれない力のことを、誰も知らないところへ行きたかった。もうそのことで虐められるのも、恐がられるのもたくさんだった。通信制の高校という選択肢もあったけど、何故かそれよりも、そのさいたまの高校に魅力を感じた。理屈よりも、直感だった。後から思えば、その予感も不思議な力の一部だったのかもしれない。ただ、貧乏だから、埼玉の私学に行くなんてなかなか言い出せなかった。それを、いいチャンスだと思って切り出した。

 「美野里が行きたいなら、母さんは駄目とは云えないよ。」その言葉に甘えた。不登校のまま、郵送で手続きして、願書を出して、受験して合格した。卒業式が迫ったある日、舞ちゃんにお別れの手紙を書いて、誰も知らない?新天地に明日を懸けた。返事は来なかった。

 4月に入って、いよいよ新生活が始まった。周りは知らない人ばかりだった。少なくとも1年間はそう思っていた。後から思えば、どうして気が付かなかったんだろうと思うけど、思い込みや思い違いで、気が付かなかった。まあ、髪形や服装が全然違っていたのもあるが・・。それに、それよりまず自分自身の学校生活が大変で余裕がなかった。覚悟はしていたけど、行き帰りと、学費稼ぎの内職の生活はきつかった。携帯とパソコンを買って、インターネットもやり始めた。頑張るしかなかった。ただ、相変わらず鼻炎が酷かったので、鼻水と鼻詰まりは半端じゃなかった。それでも、耳鼻科へは行きたくなかった。初めのうちはティッシュを持って登校したけど、毎日すぐに使い尽した。ハンカチもすぐにびちょびちょになった。ポケットティッシュを買い足すのも面倒になり、すっかり鼻垂れ娘になった。友達はいなかった。クラスで浮いてるのを感じたけど、虐められはしなかった。地獄や暗闇よりずっとましだったので、開き直った。もう見栄えなんて、どうでもいいと思った。一部毛嫌いする人達もいたけど、そんな人は徹底的に無視した。無視することで、その人達への憎悪を抑えた。忙しかったので、意外と充実して、闇の力が暴走することもなかった。正確に云えば、気が重かったので闇の力のことも無視していた。少なくとも、1年間は無視していられた。樫木七海という口の悪いクラスメートが病気で来なくなったのも、清々したくらいで、あまり気に留めなかった。しかし、2年になってしばらくしてからその子が亡くなったのを聞いて、流石に気にせずにはいられなくなった。彼女は、私のことを“教室の汚物”と云い始めた張本人だったからだ。けれど、元同級生が1人死んだことくらいで、周りはあまり気にしていない様子だった。それは、1年の終わりに起こった大災害の衝撃があまりに強過ぎたことが原因だろう。私はその日、学校が午前中だけで早く帰ったので、自宅マンションで地震に遭った。お母さんもたまたま非番の日で、恐くて2人で抱き合った。幼い頃でも、あまりお母さんの肌に触れた思い出が少ない私なのに、皮肉な親子のスキンシップだった。当然、誰しもその巨大な出来事に心は奪われたんだけど、七海が死んだのはその2日後だったらしい。

 さて、少し話しは前後するが、そんな感じであっという間に1年が過ぎた。灰色の1年だったけど、そんな高校生活にも慣れていた。それに、意外と充実はしていた。ただ時々、都内にいるだろう?ゆうま君への想いで切なくなるくらいだった。心の中では、王子様像を拡張させては、1人にたついたりもした。2年になってクラスが変わったけど、私を毛嫌いしてる人達とは又同じクラスになり、ショックだった。いくら無視してるとはいえ、やっぱり嫌なものは嫌だった。でも、救いもあった。友達が出来たんだ、やっと。それが何と超美少女で、それでいて凄く優しい子。名前は、高田琴美。“琴ちゃん”、“美野里ちゃん”と呼び合う様になった。琴ちゃんは上品な大人しい子で、鼻を垂らしている私とも、普通に接してくれた。

正直、見た目でしか人を見ない上辺人間を見分けるのに、自分の様は案外いいかもと思っていた。琴ちゃんが、どうして私なんかと仲良くしてくれるのか分らなかったけど、いつも傍にいてくれる様になった。嬉しかった。毎日が少し楽になった。けど、そんな高校生活がある日激変した。

 忘れもしない5月13日金曜日。そう、13日の金曜日は、キリスト教で厄日と云われる日。一応無宗教だけど、心の中ではどこか神様を信じてる私にとって、ちょっと嫌な日。それが半分もろに的中した。野球部の国島君が登校して来て、教室の中で、それも私のすぐ近くで、愛用のグローブを床に落とした。私はつい単純な親切心でそれを拾おうとした。それが仇になった。彼は、鼻水が付いたと怒り出した。それも激怒だ。そんなに怒られるとは思っていなかったので、びっくりして、怖くて立ち竦んでしまった。私はもう慣れっこで鼻水に無頓着になっていたけど、1年から同じクラスで、ずっと私のことを汚物でも見る様な目で見ていた彼にとっては、それが凄く不快だったみたい。更に、追い打ちをかける様にクラスの人達が彼に味方して、私を罵倒し始めた。その中には、彼と同じく1年の時から私を毛嫌いしていた入間君や貝沢さんもいた。中3以来で凄く悲しくなって、涙がぼろぼろ流れた。鼻水は余計酷くなり、それにさえ罵声を浴びせられた。高校生にもなって、どうしてこんなことでという情けなさも感じた。辛くて、その場にしゃがみ込んでしまった。すると、後ろから背中を撫でてくれる手。琴ちゃんだ。凄く温かく優しい手だった。少し慰められた。

 「いい加減にしろよ!鼻水くらい、誰だって出るだろう。」大きな声がした。こんな人がクラスにいたんだ。あまり希望を抱かず、平穏に過ごそうと思うあまり、周りをほとんど見てなかったから、その存在にすら気付いていなかった。きりっとした凄い素敵な人だ。どこか、ゆうま君に似てる。新たな王子様出現?その人が私のことを本気でかばってくれるまでは、私の王子様は東京のゆうま君だけだと思っていた。彼は、自分よりもずっと体格のいい国島君に食い付いてくれていた。私の為にだ。まじバトルになったらどうしようと心配していると、かっこいいイケメンの荻野君がこっちの味方についてくれたみたいだ。荻野君は琴ちゃんに気があるらしい。女子に凄くもてるのに、琴ちゃんにだけ優しい。荻野君は、2人が殴り合いの喧嘩にならないように割って入ってくれた。更に、私の苦手の入間君も2人の間に入った。次の瞬間だった。

 「ゆうまも落ちつけよ。」その“ゆうま”と云う云い方と声が、仕舞い込んでいた記憶を呼び起こした。まさかと驚いているうちに、騒ぎは治まって行った。担任の横井先生が来て、落ち着きを取り戻し、

 「これ、洗ってまだ使ってないから、使っていいよ。」白いハンカチ!

 「ありがとう。」それを受け取って鼻の下を押さえながら、その彼の顔をまじまじと見た。嘘!東京だとばかり思っていた。いつの間にかこんなに近くにいたなんて!もう、生まれて最高に感動していた。神様は本当にいるんだ!そう思った。

 「よかったね、美野里ちゃん。」

 「うん、琴ちゃん、ありがとう。」そして、感動の再会をしたゆうま君には、放課後改めてお礼を云った。すると、彼は又優しい言葉をくれた。初めて会った時でも充分素敵だったのに、その時よりも又更にずっと素敵になっていた。嘘みたいだけど、妄想で勝手に作り上げていた“ゆうま君”よりももっと素敵になって、私の前に再び現れた。凄くときめいた。

 「あの、これちゃんと洗ってあります。本当にありがとうございました。」初めて会った時にもらった方のハンカチを返した。それには、その日ほとんどずっと一緒にいた琴ちゃんがびっくりしていた。同じハンカチなら、洗ってアイロンをかける間なんて全然なかったから、当然の驚きだろう。ちょっとした悪戯になってしまった。

 「お母さん、今日ね、もの凄ーくいいことがあったんだよ、ほら。」びちょびちょのハンカチを見せた。13日の金曜日で、初めはろくでもないことがあったのをすっかり忘れて、テンションがめっちゃ高かった。

 「それって、使わずにお守りにしとくって云ってたのよね?」

 「そう、それはちゃんと返したんだ。それで又・・」

 「そうなの?どこの子だったの?」

 「同じクラスにいたんだよ。嘘みたいでしょ。」

 「じゃあ、埼玉の子?それで美野里は埼玉の学校に?」

 「違うよ。ほんとに偶然だったの。もう、天と地がひっくり返る程びっくりしたんだ。」

 「向こうは何て云ってた?」

 「あー、そう云えば、優馬君は気付いてなかったなあ。気付いてくれるまで、黙ってようっと。」それから、学校へ行くのがすっかり楽しくなった。けど、テンションは上がるばかりでもなかった。受け入れたくない辛い現実もあった。優馬君はパワーリフティング部に入ってて、こっそり覗いたパワー部で、彼の視線を追いかけるといつも同じ部の女子部員の月岡さんがいた。女の直感で、彼が彼女に恋してることを悟った。それが、永い苦脳の始まりだった。しかも、七海が死んだことを知ったのも丁度この頃で、七海もパワー部だったことが分った。

 6月17日金曜日、成り行きでクラスの人達とカラオケに行くことになった。入間君や貝沢さん達も一緒なので、ちょっと嫌だったけど、琴ちゃんの誘いと荻野君がサポートしてくれるということで、行くことにした。残念ながら優馬君は来ないみたい。でも、この日の昼休みの会話でいろいろな事実が分った。あの出会いのイブに、どういう訳で優馬君があそこにいてくれたのかや、入間君や貝沢さんもあの時会っていたこと、又琴ちゃんの家が耳鼻科だということ。カラオケが終わった後琴ちゃんの家に行き、鼻を診てもらってお泊りすることにもなった。カラオケには国島君もやって来て、一時嫌な雰囲気になったけど、琴ちゃんや荻野君が守ってくれたから、意外と楽しめた。でも、飯岡さんは荻野君にべたべたし過ぎだし、山野さんは相変わらず凄く憎たらしかった。私は、イブの記憶を思い返しながら、入間君と貝沢さんのことをついじろじろ見てしまった。記憶していた小さなほくろの位置を確かめた。まあそんなことより、琴ちゃんの歌の上手さは半端じゃなかった。音程は完璧だし、声は凄く綺麗だし、美少女なのに、どうして神様はこんな不公平なんだろうと思った。荻野君が夢中になるのも分る気がした。女子の私でも、今夜こんな可愛い子と一緒に寝れるのかと思うと、うふっという感じだった。上手く行けばお風呂とかも一緒に入れるかなと、わくわくした。

 カラオケが終わって、琴ちゃんの家がある川口駅に着いた時は、天気が今一だったこともあって、もう真っ暗になっていた。そこで、いきなり琴ちゃんが手を繋いで欲しいと云って来た。カラオケでも手をずっと握ってくれてたけど、ちょっとレズっ気?かと思った。まあ美少女で、それでいて凄く優しいし、私も嫌じゃなかった。それに、優馬君に告白する自信もなかったから、凄く嬉しかった。この人とうんと仲良くなりたいと心から願った。

 「ねえ、琴ちゃんはどうして私に優しくしてくれるの?」

 「大好きだからだよ。」女子同士の告白?舞ちゃんとは又少し違ったタイプの子だけど、この子となら舞ちゃんと以上に仲良くなれると感じて、凄く嬉しかった。嬉しくて、涙が溢れて来た。

 「ねえ、ずっと友達でいてくれる?」本心からそう願って聞いた。この子といると心が洗われて、優しい自分でいられると思ったから。

 「もちろんだよ。」期待通り優しく答えてくれたので、感激して思わず琴ちゃんの右手を強く握った。それから少し行ったところで、琴ちゃんの家に着いた。琴ちゃんの家族は両親も弟もみんな優しそうで、いい人ばかりだ。夕飯を頂いた後、耳鼻科のお医者さんのお父さんに診てもらった。お薬までもらった。久し振りに鼻がすっきり通って、呼吸もしやすくなった。爽快な気分で、初めて琴ちゃんの部屋に入ってびっくりした。大きな和室に立派なお琴が置いてあった。それも普段弾いているのか、部屋の真ん中にどーんと置いてあった。私がねだると、琴ちゃんは得意気に弾いてくれた。歌だけじゃなく、お琴も滅茶苦茶上手い!琴ちゃんて、素敵過ぎる!舞ちゃんはピアノが滅茶苦茶上手いし、楽器が得意なんて何か魅かれるなと思った。そう云えば、舞ちゃんも両親をパパママと呼んでいたけど、琴ちゃんもパパママだった。私は、かつて無くしたものを取り戻そうとしている気分になった。楽しかった。舞ちゃん達と過ごし中3の前半以来2年ぶりに、心の底から楽しいと思えた。更に琴ちゃんは優しかった。それは、それまで出会ったことのない凄く繊細な優しさだった。繊細でいて、凄く温かい。もう好きで好きで堪らなくなった。きっと飢えていたから。求めて止まないものを、琴ちゃんが持っていたからだと思う。一緒にお風呂にも入った。琴ちゃんは顔だけじゃなく、体も均整がとれていて凄く綺麗だった。広いお風呂にも感激した。背中の流しっこもした。ちょっとだけ身の上話もした。湯船から上がろうとして少しのぼせててふらっとした時、支えてくれた琴ちゃんに、そのまま抱き締められたい衝動にもかられた。部屋に戻ってみると、お蒲団が敷いてあった。ちょっと離してあったので、くっ付けて、寝転びながら話した。お互いの好きな男子のことも話した。でも、琴ちゃんはちょっと素直じゃなかった。見え見えの嘘をついて、荻野君のことを否定した。私は素直に認めたけど、ライバルの月岡さんのことを思って辛かった。だから、目の前の温もりを求めた。

 「ずっと、友達でいてね。高校卒業しても、大人になってもずっとずっと友達でいてね。」そう云ってキスをした。琴ちゃんはちょっとびっくりしてたみたいだけど、すぐにちゃんと応じてくれた。キスして、抱き締め合った。凄く温かくて気持ち良くって、ぽかぽかした気分のまま、知らないうちに眠っていた。琴ちゃんとの友情はその日から一気に深まり、金曜ごとに鼻の治療を兼ねて、泊りに行く様になった。鼻は、見る見る良くなっていった。

 地味でつまらないけど、特に大きな事件も表沙汰にならなかった灰色の1年の時とは違い、2年ではわくわくも、ほっとする温もりにも出会えたけど、どういう訳か、得体の知れない力も又活発化して行った。恋のライバルの月岡さんが、同じパワー部の前島さんと話しているのを小耳に挟んだことから、優馬君が月岡さんに気があることを確信した日に、彼女が腰を痛めた。普段は放課後さっさと帰宅する私が、その日は気になって、こっそりパワー部の練習を覗こうとしていたその時だったから、偶然ではないと思った。半分抱えられる様に保健室に連れられて行く彼女を、校舎の陰からこっそり見ていた。自分の陰湿な力に吐き気を覚えた。彼女には何の罪もないんだ。

 更に夏休みに入ってから、琴ちゃんの家に数日泊りに行っていた時に、琴ちゃんの希望で、野球部の試合を見に行ったことがあった。野球をよく知らない私達だったけど、甲子園まで後少しだということで、ちょっとは興味があった。当然?国島君が出ることも知っていた。球場に着くと、国島君に気がある山野さんに出くわした。お互い無視したけど、この無神経な子は本当に好かなかった。国島君もはっきり云って嫌いな男子だったから、この2人ががっかりする結果になればいいと、内心思った。すると、その通りになった。国島君が1人で次々と失敗を重ねて、まさかの逆転負けだった。あの国島君が、試合終了と同時にグラウンドで泣き崩れていた。正直、いいきみだと思った。後になってから、夏なのに、根暗な自分に寒気すら覚えた。やっぱり私は救われないのか、とも思った。だから、必死に優しさを求めた。心が綺麗になる様に、ひたすら無邪気な自分を演じた。そうするうちに本当にそうなることを願って、ただ淡い夢見る少女に甘んじた。でも、それが通用したのもせいぜい夏休みまでだった。

 2学期の始業の日、とんでもない運命が待っていた。もう2度と会うまいと思っていた舞ちゃんが、偶然に同じクラスに転校して来た。彼女は、高校の誰にも知られたくない私の秘密を知っているから、彼女の口から漏れるんじゃないかという不安で一杯になった。秘密がばれることで、何もかも失うことが怖かった。真っ暗な闇が急に襲って来たくらい私は混乱し切っていて、どういう言動をしたのかもよく憶えていない。ただ、見る見る目の前が真っ暗になって行く様な気がした。琴ちゃんにも、苦し紛れの嘘をついた。例え、舞ちゃんが中学時代のことを暴露しても、せめて琴ちゃんだけはその恐ろしい秘密を信じない様に、舞ちゃんには“酷い嘘つき”という汚名をかぶってもらおうとした。そして、更に泣いて訴えた。すると、琴ちゃんは期待通り、凄く優しくしてくれた。ただ、ただ、その場の琴ちゃんの温もりにしがみ付いた。もう何でもいいから、もっともっと強い信頼関係で結ばれる様に、琴ちゃんと親密になろうとした。でも、その行為があまりにレズっぽかったからか、それとも眠かったのか、琴ちゃんは拒絶して、さっさと眠ってしまった。私は、その横でしばらく泣き続けた。

 「おまえの様な悪魔の力を持った奴は、この俺が滅してやる。」陰陽師の様な人にお寺みたいなところに追い詰められて、お経の様なものを唱えられていた。その人は、入間君に似ていた。彼の唱えるお経で私の体は自由を奪われ、真っ赤な炎がどんどん大きくなって近付いて来た。

 「いやー!止めて!」気が付くと、琴ちゃんの部屋だった。

 「びっくりした。どうしたの?」

 「夢だったの?凄く怖かった。」琴ちゃんに抱き付いた。

 「恐い夢見たんだね。可哀そう。私もよく見るから分るよ。」

 「そう云えば、琴ちゃんも今の私みたいに『止めて!』って寝言で叫んでたね。」

 「私にも、絶対思い出したくないことあるから、夢が恐いことよくあるの。」

 「琴ちゃんも可哀そう。」でも、そんなこと云ってる場合じゃなかった。2学期の2日目の朝だ。早くしないと遅刻してしまう。琴ちゃんの悪夢と、それにまつわる秘密には興味あったけど、それは又放課後にして、兎に角学校へ急いだ。もちろん不安は大きかったけど、もう舞ちゃんのことは無視することにした。いたずらに暴露しないと信じようと思った。正直、そのことを思い悩むことに、眠くて疲れていた。舞ちゃんだって、何事も起こらないことを期待してるはずだと思った。実際それは当たっていて、しばらくは平穏に過ぎることになった。ただ、その日の放課後、琴ちゃんから衝撃の告白を受けた。それは、琴ちゃんが小6の時にレイプに遭い、人に云ったら殺すと脅されて誰にも云えず、犯人は琴ちゃんのことを知っている近所の人間らしいことだった。その為に琴ちゃんは、5年もの間独りで怯えて、苦しんで来たと云うんだ。私は、そいつを絶対に許せないと思った。そして、その思いが全ての事態を大きく動かした。

 10月の連休中、それは起こった。琴ちゃんを襲った強姦魔が、事故を起こして急死した。しかも、その事故で入間君が巻き添えを食って、意識不明の重体となった。私はその事実を、まず入間君の遭った事故として、連休明けに登校し初めて知った。貝沢さんと舞ちゃんが休んでいた。入間君は嫌いだったけど、優馬君の親友だし、心が痛んだ。舞ちゃんの欠席も気になった。舞ちゃんは翌日も欠席して、入間君は意識不明の重体のままだと聞いた。このまま放っておくと、“死ぬな”と思った。その夜のニュースで、事故の原因が強姦魔の逃走中の事故で、そいつこそが琴ちゃんを襲った奴だと分った。私の力が、顔も名前も知らない相手までも捉えることが出来ることに、我ながら驚いた。翌日、迷った挙句学校を休んで、舞ちゃんの家を訪問した。住所は推理した。ピアノが得意な舞ちゃんだから、転校の経緯からして、音楽担当でピアノが上手い横井先生との繋がりに山をかけた。横井先生の家は豪邸で有名だったので、そこを探してから、目標を見付けだした。思った通りだった。

 「舞ちゃん、久し振りだね。」実際会ったのは午後になっていた。

 「どうして、ここが分ったの?さえっちも学校休んだの?どうして、来たの?」

 「いきなり質問攻めだね。ここはね、だいたい分ったよ。今日はね、舞ちゃんのことが心配で、学校休んで来たんだよ。正確に云うと、舞ちゃんが恐がってることに危機感を感じたから来てみたの。」

 「やっぱり、凄いね、さえっちは。」

 「家の人は誰もいないの?」

 「ママがいるけど、会う?」

 「うん、せっかく来たから、挨拶だけするよ。」

 「ママ、ママ、さえっちが来たの。」お母さんはすぐに出た来た。

 「あら、ほんとだ。久し振りね。」

 「ご無沙汰してます。あの、その節はお世話になりました。」

 「相変わらず、礼儀正しいわね。今日はわざわざ東京から来てくれたの?さえっちも、学校休んだの?」

 「舞ちゃんが休んでるから、心配で来たんです。」

 「えっ?舞が休んでること、さえっちは知ってたの?」

 「ママ、云うの忘れてたけど、さえっちも大宮学園なの。又偶然同じクラスになったの。」

 「あらまあ、それは凄い偶然ね。もう、それだったらどうして云ってくれなかったの?じゃあ、今日は一緒に入間君のお見舞いに行くの?」

 「ごめん、ママ、ちょっと説明してるとややこしいから、兎に角さえっちと2人で話したいの。さえっち、お昼は食べて来たの?」

 「うん、一杯食べて来たから、お腹のことは大丈夫だよ。」

 「じゃあママ、ジュースだけ用意してくれたら、後は構わないで。」少し待ってジュースを受け取って、彼女の部屋に入った。

 「うわ、懐かしいピアノがある。ねえ、ピアノも一緒に引っ越して来たの?」

 「このピアノはずっと一緒なの。さえっちが初めて見た時だって、前のとこから引っ越して来てたのよ。」

 「ねえ、又聴かせてくれない?舞ちゃんのピアノ。」

 「無理なの。ピアノはすぐに心の動揺が出ちゃうから弾けない。」

 「入間君のことが心配?」

 「当り前でしょ。こうしてる間にも、入間君死んじゃうかもしれないのよ。」

 「そうだね。でも私の祈りが通じてたら、入間君は死んだりしないよ。」

 「じゃあどうして、入間君は事故に遭ったの?どうしてあんな目に遭うの?」

 「酷いね、舞ちゃん。まるで私のせいみたいに云うんだね。」

 「ごめんなさい。さっき生理始まったとこだから、いらいらして・・」

 「いらいらしてなかったら、黙って心の中で思ってるんだよね?」

 「さえっちは、私のこと恨んでるんでしょ?」

 「恨んでなんかないよ。手紙にも書いたでしょ。舞ちゃんはずっと心の中では親友だよ。そうやって、恐がられることが辛いだけ。」泣いて云った。

 「手紙今でも持ってて時々読むの。私だって、頭では、さえっちがそんな恐い子のはずないって。でも、どうしようもないの。」麗香の血をまともに浴びたことのトラウマが、どれ程のものか想像がついた。

 「もうその話しは止めよう。どう云ったって、現実がそうなってるんだよね。でも、今日はそれをいい方にしたいの。入間君を元通り元気にしたいの。」

 「ほんとにそんなことが出来るの?」

 「やってみなきゃ分らないけど、それには優しい気持ちになることが大切みたいなんだよね。だから、それも兼ねて来たんだよ。」

 「じゃあ、私はそれに何をすればいいの?」

 「ピアノが駄目なら、せめて昔の写真見ながら、思い出話しがしたいな。」舞ちゃんはそれに応じてくれて、楽しかった頃の話しを一杯した。思い出話は楽しかったけど、舞ちゃんの私を見る目は、その頃とは全く違っていた。やっぱり寂しかった。

 「ねえ、私達はもう以前みたいに友達にはなれないの?」こっちが云いたい様な台詞で、舞ちゃんが聞いて来た。

 「うん、もう無理だと思う。」だって、舞ちゃんは知り過ぎてるから。そのくせして、否定して欲しかったけど、それに対して何も云い返してくれなかった。哀しくなって、又泣いた。偶然かもしれないけど、『ほんとに私に不思議な力があるんだったら、人を笑顔にすることとか、幸せになることに使いたい。』と舞ちゃんに訴えたのは、丁度2年前の、同じ10月13日だった。きっと舞ちゃんは日までは憶えてないだろうけど・・・。虐めが酷くなったのはその翌日からだった。

 「そろそろ、入間君の快復を祈りに病院に行こう。」泣きながら云った。それから2人で赤十字病院に行って、病棟の外から祈った。泣きながら必死で祈った。だから、舞ちゃんにも伝わったと思う。

 「私の秘密を誰にも云わないでって云えないの。」

 「どういうこと?」

 「私のお願いは、お願いにならなくて脅迫になるから、何もお願い出来ないの。」

 「お願いされたことを、聞かなかったらどうなるの?」

 「私にも分らないの。分らないから恐いの。」

 「さえっちって、一体?」

 「でも、これだけは解って欲しい。私も死にたい程悩んでるの。」それだけ云い残して、舞ちゃんに背を向けた。振り向かずに、大宮駅に向かった。家に帰り着くまで、何度かめまいした。人の命を助けようとすると、その見返りに、私の体にダメージがあるみたいだ。でも、よかった。翌日無理してでも学校に行って、いい報せが聞けた。入間君が快復して、舞ちゃんもほっとしている様子だった。そして琴ちゃんは、戸惑っていた。

 「あいつ、死んだね。」

 「美野里ちゃんもそう思ったんだ。」

 「だって、グレーの目出し帽で、琴ちゃんの家の近くに住んでたんでしょ?琴ちゃんは、近くにいることを感じてた。だから、明るいうちに帰りたいのに、近くの高校は選ばなかった。違う?」

 「何か、今日の美野里ちゃん、いつもと違うね。名探偵みたい。」

 「琴ちゃんも同じ風に思ってるんでしょ?」

 「でも、こんな偶然て、ほんとにあるのかな?」

 「いいじゃない。あいつが死んだっていう事実さえ確かなら、それでいいんだよ。」果して、琴ちゃんは納得してくれたか疑問だった。

 余談だけど、10月23日自宅で競馬中継に熱中していた。競馬なんて元々興味なく、普段は全然見ることはないのに、5月にたまたま見た優駿と云う名前のレースに興味を持って、その時優勝した馬がこの日の菊花賞を取れば久し振りに三冠馬が誕生する、みたいなことをテレビで云っていたのを憶えていたからだ。優駿から優馬君を連想したのは云うまでもない。だからこそ、一時的に競馬というおじさんの趣味に興味を持った。その憧れの優馬君と、本当に仲良しになれるなんて、夢みたいだった。

 その幸運?は、修学旅行の班分けから始まった。琴ちゃんと2人きりだったところへ、なんと優馬君と荻野君が入ってくれて、入間君達が欠席することで4人グループになった。丁度、月岡さんがパワー部の先輩と付き合ってるという噂を聞いていたので、ついにチャンスが来たと思った。私はその頃から、身嗜みやお洒落に気を遣う様になった。琴ちゃんの協力を得て、目一杯自分を可愛く見せた。

 「佐伯さん、これ僕が考えた観光コースなんだけど、どうかな?」

 「琴ちゃんや荻野君の意見も聞かないといけませんし・・」

 「あの2人、何か仲良さそうだろ?邪魔したら悪いからな。それに、佐伯さんの意見をまず聞きたかったんだ。」その言葉が嬉し過ぎて、つい泣いちゃった。すると、優馬君凄く心配してくれて、ほんとに優しい優馬君に胸のときめきは高まるばかりだった。同じ班でハワイに行けるなんて、もう夢みたい!だった。

 「琴ちゃん、荻野君といい感じだね?」

 「そう云う美野里ちゃんだって、坂下君と凄くいい雰囲気だよね。」琴ちゃんも超ご機嫌だった。何だかんだ云って、琴ちゃんも荻野君のこと好きなんじゃん。

 「ハワイで告っちゃおうかな。」

 「えー、そうなの?美野里ちゃん勇気あるんだ。」

 「琴ちゃんはどうするの?」

 「私はとっくに告られてるし、困っちゃったなあ。」

 「困ってる様に見えないよ。琴ちゃん嬉しそうだよ。」

 「でも、私は男性恐怖症だし、荻野君にもし迫られたら、ほんと困るな。」

 「あいつはもう死んだんだよ。いつまでも引きずってないで、勇気出して!」

 「美野里ちゃんて、大人しいとばかり思ってたけど、意外と頼もしいんだね。」

 「だって、チャンスなんだよ。ねえ、3日目の班行動の日の夕方、上手く2組に分れようよ。」

 「美野里ちゃん、ほんとに告るつもりなの?」

 「うん、このチャンス逃したら、一生後悔すると思うから。」

 「そうかあ、頑張ってね。あーあ、私も頑張らなくっちゃ。」

 「あーでも、丁度女の子になっちゃうんだよー。」

 「私も、終わりくらいに掛かっちゃうかもしれないんだよね。帰るまで持ってくれればいいけど・・・」

 「あーあ、せっかくのときめきの修学旅行なのに、こればっかりはねえ。」そんな心配がいきなり初日に現実になってしまった。機内でちょっと来たかなという感じで、マウイ島観光の最中本格的に始まって、調子が悪くなってしまった。丁度、荻野君が飯岡さんともめて、琴ちゃんの機嫌が最悪になってたけど・・

 「美野里ちゃん、大丈夫?」

 「ごめんなさい。せっかくの修学旅行なのに、足引っ張って。」

 「全然気にしないでいいよ。もう、あーなったら1度ブレイクするしかなかったから、むしろ好都合だよ。」

 「ねえ、琴ちゃん、荻野君のこと許してあげないの?」琴ちゃんには云ってないけど、暴力が嫌いなのは私だって同じ。だけど、荻野君は凄く後悔してるし、反省してる。それに何と云っても、琴ちゃんに首ったけなんだよ。

 「気持ちでは許せても、体が受け入れられるか心配なの。」

 「琴ちゃんも意外とえっちだね。いきなりそこ?そんなの、心から少しづつ解きほぐせばいいんだよ。踏み出して行かないと、いつまで経っても同じだよ。」そんな私の後押しもあって、ハワイ2日目の夜には4人又仲良しになった。ただ、優馬君に云われた、「佐伯さんは、僕にとって大切な友達」の言葉には、ちょっと複雑だった。でも、もうこうなったら、勇気を出して踏み出すしかないと思った。そしてその翌日、女の子もだいぶましになったし、琴ちゃんの方はまだ来てないみたいで絶好調だしで、最高に楽しい1日になった。夕方には計画通り2組に分かれて、私はついに優馬君に告白した。彼はそれを受け入れてくれて、イブのデートを約束してくれた。超嬉しかった。

 帰国して数日休養した後、終業式の前日川口で琴ちゃんと待ち合わせた。琴ちゃんは、終業式の後熊谷のお婆ちゃんのところへ泊りに行くということで、この日になった。目的は、カラオケと、私のデートのコーディネイトの為だ。琴ちゃんは、私の初デートが上手く行く様に、ファッションアドバイザーをしてくれた。体調が悪いみたいなのに、親友の私の為に一生懸命してくれた。その後は、いつも通りカラオケで唄った。でも、この日の琴ちゃんは今一調子が変だった。唄いながら急に泣き出したり、ちょっといらいらしているみたいだった。早めに切り上げて、お礼を云って別れた。支払いの時に代わりに受け取った会員証を、琴ちゃんに返すのを忘れたままになった。

 翌日終業式が終わって、急いで帰る琴ちゃんとバイバイしてから、優馬君が話しかけて来てくれた。さいたまでのデートをイメージしていたけど、優馬君が東京に来ると云ってくれた。それも、新宿での待ち合わせの打診。脳裏に2年前の出会いが蘇った。その場所へ連れて行って、再現したいと思った。絶対に感動!わくわくはクライマックスだった。でも、問題もあった。もし、中学校のクラスメートとかにばったり会ったら最悪だと思った。例え会っても、私と気付かれたくなかった。それだけは絶対に避けたかった。だから、変装することにした。せっかく、可愛いコーディネイトを考えてくれたのが活かせないけど、仕方なかった。更に、琴ちゃんには申し訳ないことだけど、返し忘れたカラオケ店の会員証を利用させてもらった。偶然同系店だったから、万が一元同級生が店員でバイトしててもばれない様に万全の為に使った。ただ、優馬君が私を見て何て思うだろう?ちょっと印象悪いけど、彼なら、話せば分ってくれるはずだ。虐めっ子に再会したくないという理由の説明で充分だと思った。それよりも、やっぱり秘密を知ってる元同級生に邪魔されることに神経を尖らせた。それさえクリア出来れば、優馬君との仲は深まると信じていた。そして、日が迫る程に、私の願望は大きく成って行った。月岡さんへの想いが戻ったり、別のライバルが現れない今のうちに、優馬君を私だけの彼氏にしたい!その為なら、彼に全てをあげてもいい。いっそのこと、寝ちゃおう。その夜お母さんはいないのだから、優馬君が終電に間に合わなくなる様に引っ張って、マンションまで誘い込んで、2人きりで夜を過ごすんだ。優馬君だって、男。襲われるかもしれない。でも、彼ならいい。いっそ、抱かれて1つになりたい。頭の中は、ラブで一杯になった。

 デート当日。マックステンションで迎えた私は、もう優馬君と恋人同士になれた様な錯覚を抱いていた。又、そんな押せ押せの気持ちこそが、願望を現実化させると思っていた。もう迷いはなかった。私には、優馬君が必要なんだから。彼といたら、私は暗闇から解放されるのだから。本当はずっとそうなる様願い続けて来たのだから。言葉使いも、呼び方も恋人の様にした。照れよりも、喜びの方が遥かに大きかった。そして、2年前の出会いの告白。感動もクライマックス!涙が溢れて止まらなかった。彼はとても優しかった。緊張しないで、すぐに打ち解けられた。寄り添った。気持ち良かった。もう言葉では言い表せない程幸せだった。けど、思わぬアクシデント?もあった。優馬君何故か廊下に出て泣いていた。私との出会いのことで感動してくれてたのか、彼には彼の人に云えない辛いことがあったのか、号泣していた。そんな彼に、私は優しくなれた。大好きな優馬君だから、とても優しくなれた。彼は、幸せ過ぎと云ってくれた。盛り上がった。もう完全に心が溶け合った気がした。もう何をされても全然平気なくらい、彼に心が溶け込んでいた。もうすぐにでも、体も溶かして欲しいと思った。彼を愛している自分がいた。彼を自宅に泊り込ませるのに必死になった。時には泣いて、彼の優しい気持ちに訴えた。計画通り、ベッドに誘い込むのに成功した。いつも寝ているベッドで、優馬君と密着して寝ているんだ、というどきどき感は凄かった。ついに2年間夢見た王子様と1つに成れるんだ、と思った。けど、彼は私を抱こうとはしなかった。

 「キスして。」仕方なく、私から誘った。

 「ミノリン、今日は成り行きでこうしてるけど、もうこんなこと止めて欲しい。」どうして抱いてくれないの?心が溶け合ってたんじゃなかったの?嫌だよ、優馬君、冷たくしないで!そう心で叫んでいた。でも、声に出せなかった。涙が溢れた。泣いて訴えた。なのに、彼は背中を向けた。後ろから抱き付き、泣いた。それでも、彼はそのまま眠ってしまった。ずっと泣き続けた。体の温もりがここにあるのに、心には隙間風が吹き荒れた。突き落とされた様に寂しかった。それは、朝になっても変わらなかった。彼は、私を無視して帰ってしまった。強引なことをし過ぎた為に嫌われたんだ、と思った。絶望感が襲って来た。心の中が見る見る真っ暗になって行った。この2年間私は、貴方への想いを心の支えに生きて来たんだよ、と独り呟き、ハワイで撮った写真や前日撮ったばかりのプリクラを見ながら、泣き続けた。

 「美野里、一体どうしたの?デート上手くいかなかったの?」仕事から帰って来たお母さんが心配してくれた。

 「ふられちゃったの。」そう云って、大声で泣いた。

 「そう、・・・・・ごめんね、母さん、何もしてあげられない。」

 「いいよ、もうほっといて。」ただただ泣き続けた。お母さん、心配かけてごめんなさい。

 そして、その2日後琴ちゃんの家に泊りに行った。でも、心が晴れることはなかった。琴ちゃんは心配して、一生懸命私を励まそうとしてくれたけど、心は沈んだままだった。琴ちゃんといて楽しいのも、心の中に優馬君が灯してくれた明かりがあればこそだと、つくづく解った。優馬君に全てを期待していた自分に改めて気付いた。彼こそ、神様が巡り会わせてくれた運命の王子様だと信じていた。いつかチャンスが来ることも予感していた。その夢が叶い、更にその先の幸福も信じていた。彼が私を永遠に照らしてくれて、闇を吹き飛ばしてくれると信じていた。けれど、現実は残酷だった。儚い夢の終わり。いくら待っても、彼からの連絡はなかった。こっちからする勇気はもうなかった。年末年始は、どうやって死のうかとばかり考えた。お母さんや琴ちゃんへの遺書も書いた。優馬君や舞ちゃんにも書こうか迷っていた。決心がつかないまま3学期の始業の日を迎えた。お母さんの心配をよそに休んだ。2、3日中に自殺するつもりだった。あー、でもよかった。神様も、王子様も見放してなんかなかった。

 「今一緒に坂下君もいるの。」始業式の後、心配してくれた琴ちゃんが急に来てくれた。それも、優馬君も一緒だと云った。突き落とされた暗闇に再び明かりが差し込み、救いの手を差し伸べられた気がして、嬉し過ぎて止めどなく涙が溢れた。琴ちゃんの前だけど、思いっ切り彼に甘えた。優馬君はそれに応えて、決して見放さないと約束してくれた。大きな期待はお預けになったけど、今度は前よりもずっと確かな光が灯った気がした。もう、我慢するとこは我慢して、どんなことをしてでも、絶対確実に優馬君を手放さない工夫をしようと心に決めた。同時に、琴ちゃんに凄く感謝した。さすが、親友だと思った。やっぱり2人共大好き!しみじみ思った。

 それからはなかなか進展はなかったけど、教室だけのほのぼのとした幸せな日が続いた。でも、優馬君はちょっとお疲れ気味。インフルエンザで休んだり、腰を痛めてすっかり元気が無くなってしまった。初めは励ましてるうちにすぐに治ると思ってたけど、パワーリフティングで世界大会を目指してる彼にとっては、かなり深刻だった。日に日に元気が無くなって行く彼を一生懸命励ましたけど、深刻度は増すばかりだった。もう見ていて心配過ぎて、ついに見てるのに限界になった。

 「どうしたらいいのか分らない。結局僕はここまでの人間なのかもしれない。」そんな弱音を吐いて泣く彼。いつも優しく私を照らしてくれる彼に、今度は私が力を与えようと決心した。丁度、もうすぐバレンタインデーだった。優馬君や琴ちゃんがいてくれてるからこそ、私も優しくいられてた。だから、その優しさで、不思議な力をいいことに使おうと思った。それと引き換えに、私の体に異変が起こってもいい覚悟で、それまでにない強い祈りを込めて大量のチョコレートを作った。そして、バレンタインデーの朝、それを誰のチョコよりも1番に食べてもらおうと、早朝に登校して、校門で彼を待ち受けた。正直本当に効くのか、完全に自信があった訳ではなかった。だから、彼がそれを口にした途端予定通り私の腰に激痛が走った時は、物凄く嬉しかった。同時に彼の動きが軽やかになったのが分ったから。やったー!という気持ちで一杯だった。私の愛の魔法が効いた。これで恋のライバル月岡さんに、1歩も2歩もリードしたと確信した。優馬君は私のものだと思った。その直後2人の会話を聞いたけど、勝ったと思った。そう、この時は単純に嬉しかったんだ。体のダメージはあったけど、それ以外全てに順風満帆だった。それからしばらく、私は調子に乗った。力はこれからどんどん明るい使い方が出来て、優馬君との明るい未来があると確信した。本当の現実は少しづつ違う方に行きかけていたけど、私はそれらを見逃していたり、軽く見ていたりで、全く問題にしていなかった。明るい未来を信じる気持ちが、更に明るい未来を呼ぶんだとも思っていた。でも、それなのに、私の心に迷いを生じさせる出来事が起こった。

 それは、皮肉なことに、優馬君の誕生日の3月9日のことだった。体育の時間、元々体調悪くて見学していた体育館で、ちょっと移動しようと立った時軽い貧血を起こして倒れてしまった。そんな私を、何と月岡さんが保健室までおぶって行ってくれたんだ。その時の彼女の体の温もり、交わした言葉から感じられたさりげない優しさ、そして垣間見えた切ない女子の気持ち。それらを強く感じてしまった。これが恋のライバルじゃなきゃ、いい友達になれたのに。一杯応援してあげられたのに。そう考えると、だんだん悲しくなって来た。彼女は、私が想像していたよりもずっと優馬君のことを想っているとも、感じたからだ。保健室に着いてから、優馬君が迎えに来てくれるまでの間涙が止まらなかった。それなのに、優馬君と一緒にいると、今度は単純に彼への愛で一杯になった。ホワイトデーに私の家で会うことや、そこでファーストキスをする約束をした。ただその日は、東京へ帰る体力がないということで、横井先生の家に泊めてもらうことになった。先生の仕事が終わるまでの間、パワー部の練習を見学した。優馬君は思った通り凄くかっこよかった。と同時に、月岡さんもかっこいいと思った。目標に向かってひた向きに努力する彼女の姿に、凄く感動してしまった。私の心は、この日を境にどんどん2極化して行った。恋のサバイバルに何が何でも勝ち残りたい。優馬君を独り占めしたい。という気持ちと、本当に自分が勝ち残っていいのかという相反する気持ちだった。その夜、久し振りに舞ちゃんの胸に顔を埋めて号泣した。中3の2学期に虐められ始めた頃以来、舞ちゃんの温もりを感じた。舞ちゃんは、涙の訳を聞かずに泣かせてくれた。舞ちゃんには分っていたのかな?

 ホワイトデーは、もやもやしていた気持ちが吹っ飛ぶ程楽しかった。私の全てを受け入れてくれるのはやっぱり優馬君しかいないと、改めて強く思った。月岡さんを泣かせてしまうのは、凄く可哀そうで忍びない気はしたけど、仕方のないことだと思った。そして、優馬君との感動のファーストキス。夢見た王子様とのキスは、一時的にせよ、私の心を幸せのファンタジーの世界に酔わせた。

 でも、ここから事態はハッピーエンドには進まずに、急転して行った。3月25日運命の大宮武道館、パワーリフティングサブジュニアの全国大会。私は、舞ちゃんと応援席にいた。月岡さんの試合は壮絶を極めた。見ているこっちまで、力が入った。舞ちゃんと2人して、必死で応援した。優馬君と月岡さんが揃って世界大会へ行くことに、心の奥にどす黒い嫉妬心を秘めながら、一方では本気で応援していた。そんな私の二重人格を、舞ちゃんは見抜いていたのだろうか?そんな中、月岡さんは見事な逆転優勝を決めた。鳥肌もんだった。そして、愛する優馬君は、圧倒的な強さ優勝に向かっていた。それを、月岡さんはどんな風に見ているのか気になった。その月岡さんの様子がおかしい。物凄く嫌な予感が背筋を走った。“いけない!”と思い、手すりから身を乗り出して注視した。それは、優馬君が優勝を決めた時に襲って来た。ばったり倒れた月岡さんを見た瞬間、死んじゃうと思った。迷いなく、飛び降りて駆け寄った。前島さんが呆然としていた。無理もない。呼吸の途絶えた月岡さんに1番先に触れたのは、前島さんなんだから。ADEを探しに行く彼女をちらっと見た後、私は鼓動の止まった心臓へ、必死に気を送った。月岡さんの口元が微動したことで、彼女の鼓動と呼吸が快復したことを確信して、その場を離れた。その後、月岡さんが運ばれた病院へ、舞ちゃんと前島さんと3人で行った。そこで、前島さんを洗脳することに成功した。舞ちゃんの協力と、前島さんの弱みが味方をしてくれた。私は以前に東京で、前島さんと同じパワー部の三田村君がデートしていることに偶然出くわしたことがあった。そして、その交際を実の叔母さんである横井先生に絶対に知られたくないということを、舞ちゃんから聞いて知っていた。だから、私の不思議な力について人に知られない様に誤魔化したりするのに、彼女は使えた。それよりも本当の問題は、月岡さんの体に起きた異変そのものだった。後に優馬君にはそれを心不全と説明したけど、彼女の心臓を止めた本当の原因は、私の彼女への嫉妬心であることは確実だった。恋のライバルは邪魔だから、私はきっとその気になれば、月岡さんを殺せる。何の罪もない、あんな頑張り屋の素敵な人を、私は自分の都合で呪い殺せてしまう。それどころか、それを願わなくても、心の奥の嫉妬心だけでも、月岡さんの命を脅かすんだ。そんな気が狂いそうな苦悩に襲われる様になった。とりあえず、彼女が倒れた日の夜は、人命救助をした見返りのダメージもあって、1度引くしかなかったけど、もう嫉妬心を煽られることは、大変な結果を引き起こしてしまう。私は、早く優馬君を自分だけのものにすることが必要だと思い、焦った。早く結ばれて、このトライアングルにケリを付けなければいけないと思った。元々、優馬君に全てを捧げるつもりだったから、結ばれることには迷いはなかった。ただ、急いだ。

 4月3日それを決行した。優馬君の家に押しかけた。

 「初めまして、私優馬君とお付き合いさせて頂いています、同級生の佐伯美野里と云います。」お母さんはとても驚いてたけど、快く家に上げてくれて、彼の部屋にも案内してくれた。そこで、いろいろなことが分った。特に興味深かったのは、大学の入学案内書だった。この前の全国大会の好成績を受けて、優遇入学の誘いが優馬君と月岡さんに来た。きっと、その読みで間違いないだろう。月岡さんにはどこから来たのか分らないけど、優馬君には、東京と京都のそれぞれ1つの大学から来ているみたいだった。私の勘では、月岡さんにも京都の大学からの誘いが来ていて、優馬君を京都に誘っている。そう思った。本来進学は、本人の将来の為にあるべきものだけど、私や月岡さんの都合では、優馬君の進学先が、このトライアングルの勝者を決める。東京の大学への進学を決意させるのに、私は全てを使う。彼の家族に気に入られ、その上深い関係になってしまえば、優馬君は東京=私を選ばざるを得ない。だから、今日が勝負だと思った。この時の為に、料理の勉強をした。私との連絡専用のスマホも準備した。どうしたら男子がその気になり、喜ぶのかも勉強した。低気圧が異常に発達して、東京への帰宅が難しくなるこの日を決行日に出来たのは、神様の導きだと信じた。そして、全てを決行した。優馬君とついに体ごと愛し合った。翌朝には、彼の奥さんになる予備体験までさせてもらった。風は完全に私に吹いていると思った。けれど又しても、辛く哀しい誤算が襲って来た。月岡さんの想いは、私の予想を遥かに超えていた。優馬君の優しさは、私だけに向けられていなかった。そして、私自身の心がこんなにも切なくなるとは思わなかった。数日後彼に送ったメールの返信がなかったことから、衝動的にリストカットをしそうになった。風向きを自分に引き寄せる為に力を使い過ぎてて、もう余力がなかった。それも、メンタル面にまで及んでいた。だから、とても弱かった。更にそんな弱っている時に、思わぬところから追い打ちがかかった。

 それは、優馬君のことばかりになって、放ったらかしにしていた琴ちゃんとのコミュニケーションを見直そうとしてた時のこと。4月9日の新年度の始業式の日だった。同じクラスになれた喜びも束の間、信じて止まなかったこの親友に大きく足元を掬われた。よりによって、私の優馬君を誘惑しようとしたらしい。

 「3月7日さあ。ほら、3学期の期末テストが終わった次の日に体育館が使えないからって、みんなでぱーっと遊びに行ったじゃん。あの帰り。家の近くでさあ、あいつが坂下君に抱き付いて、今にもキスする瞬間をこの目でばっちり・・」戸倉さんの家は、琴ちゃんの近くらしい。その最悪の裏切り行為に、心の中の許せない気持ちを抑え切れなかった。それがすぐに形になった。琴ちゃんが顔に酷い怪我をした。そう、美少女の琴ちゃんの顔が強い妬みの対象になっていた。しかも、それをいいきみと思った。でもその直後、そんな自分が堪らなく哀しくなった。中学の時親友の舞ちゃんに恐いと思われて、真っ暗になった。それなのに、琴ちゃんに対して攻撃的な気持ちになってしまい怪我までさせてしまった。優馬君への信頼は辛くも保てたけど、琴ちゃんへの優しさを回復させるまでには、心が暴れてのたうち回った。もちろん泣き続けた。死のうとも思った。でもやっぱり死ねなかった。琴ちゃんは小6のレイプ体験で、精神が少し異常なんだから仕方がないんだ、と無理矢理納得して許そうと思った。結局、仲直りをするのにレズ行為をした。優馬君とは危険日で出来なかったので、その代わりも兼ねてたけど、半分やけになった末の苦肉の策だった。私は再び真っ暗になるのが恐かった。だから、そこから必死で逃れたかった。もがいていた。誤魔化しかもしれないけど、琴ちゃんとの友情を曲りなりに回復させた。ただ、それで疲れ切った。トライアングルの事態に耐えられる力が更に削がれていた。自分が恋の勝者になりたい欲だけが増して、裏腹にその自信は減退していた。だから、神経質になった。優馬君への監視を強め、拘束することが多くなった。月岡さんと接する機会を、部活動だけに制限した。まさか、バイトが一緒とは知らなかった。バイトの残業が嘘だとも知らず、優馬君を信じた。だから、辛くも心を穏やかに保てた。ただ、見落としがあるにもかかわらず、優馬君への監視で一杯一杯になり、心に余裕はなかった。そんな中、琴ちゃんが虐められてるのに薄々気付いた。でも、琴ちゃんは否定した。何か隠していると感じた。少し疑心暗鬼になった。だから又、琴ちゃんへの優しさに陰りが出始めた。その間、琴ちゃんは凄く追い詰められていたんだね。琴ちゃんが血を吐いて倒れた時は、凄いショックだった。又優馬君に集中していられない事態になった。さっそくその日の放課後、見舞いに行った。力を使った。でも、琴ちゃんの胃潰瘍が意外と重かったのか、私の力が落ちていたのか、はたまた私の琴ちゃんへの優しさが足りなかったのか、すぐにはよくならなかった。更に、琴ちゃんが入院して間もなく、今度は思いもよらない問題が起こっていることを耳にした。3年からA組になっていた舞ちゃんが、クラスで虐められているという事実。何があったのか気になった。その真意を調べるのに、琴ちゃんへのお見舞いに行く余裕がなくなった。だから、入院5日目の金曜日になってやっと来れたんだ。でももう、琴ちゃんのことは心配ないね。それよりも、舞ちゃんのことが心配になった。舞ちゃんは、私の為に虐められていたんだ。月岡さんが優馬君とのデートの為に持っていたディズニーランド&ディズニーシーのペアフリーパス券を、舞ちゃんが盗んだことが発端だったらしい。もちろん舞ちゃんは本来そんなことをする子ではない。目的は、2人のデートを壊すことだったんだよね。その話しを聞いて、私はついに決心した。もうトライアングルも末期状態で限界だから。私が彼を独り占めする。

 琴ちゃんのファーストキスの現場を目撃した翌日、私は優馬君の家に泊めてもらうつもりで大宮に来た。そして、前から気になっていたバイト先を訪れた。そこで私が見たものは、月岡さんと一緒に働く優馬君の姿だった。遠目からだったけど、2人に間違いなかった。突き落とされた気分だった。トライアングルは覚悟の上だったけど、圧倒的に優位にいて、ライバルに引導を渡すのは自分だと思っていたから。2人に見つからないうちに、その場からすぐに立ち去った。凄い勢いで涙が溢れた。残業が嘘だということも分った。逆に引導を渡されたりしたら生きていけないので、泣きながら東京に帰った。冷静になるのに時間がかかった。弱っていた力を回復させるのにも、時間を要した。その間自分なりに事態を分析して、最終的に優馬君が確実に私を選んでくれる様に画策した。決め手は、月岡さんにはトライアングル自体想定外だから、荒療治にはなるけど、暴露して一気に相手の心を挫くことだった。力が暴発しないうちに、鬼になることを決めた。

 5月20日日曜日、スマホにGPS機能が付いていることも気付かずに、優馬君達はディズニーランドに向かっていた。私からのメールや着信をリアルタイムで誤魔化す為に、まんまと持ち歩いてくれていた。私は先回りをして、入口で待ち受けた。予想通りの入り口にやって来た2人を見付けると、すかさずその前に現れた。

 「優馬君の赤ちゃんが出来ちゃった。」

 この物語はフィクションです。ここに登場する人物等は、実在の個人及び団体等とは一切関わりございません。まずはお決まりの様ですが、大事なことなので、今回も明記させて頂きます。さて、物語も大詰めです。元々は全36章で書いてましたので、残りは2章分になりますが、話しの切れ目をちょっと見直してみたいとも思います。最終的には38話で完結する様に致します。何卒、よろしくお願い申し上げます。今回も、長い話しにお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

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