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俺はおまえを離さない

 どうしよなもく駄目な自分に気付いた時、あまりに醜い自分を感じた時、貴方はどうしますか?生きて行くってことは甘いものではなくて、綺麗事ばかりでは生きてはいけないとは思いますが、時に自分の考えや行いを改めることが大事なことってあると思います。その機会に恵まれた時、自分を見直す勇気があればいいですよね。

 「琴美!」それまで1度も呼び捨てで呼んだことがなかったのに、しかも俺を避け続けていたのに、俺は夢中で、必死でそう呼んでいた。苦しんでいるおまえをどうしてやる事も出来ずにいた自分を責めながら、吐血するおまえをただ呼び続けた。おまえは本当はずっと俺に助けを求めてたんだよな。ごめんな、気付いてやれなくて。死んだりしないよな。酷く苦しんでいるおまえを、どうしてやることも出来ない自分に無力感を抱きながら、救急車で運ばれて行くおまえを見送った。

 「おい、坂下、金を貸してくれ。」一旦戻った教室は、まだ騒然としていた。床には、おまえが吐いた血がまだべっとり残っていた。おまえの後を追いかけて行きたくて、必死だった。

 「俺は何も出来ないけど、高田さんを頼む。」坂下は三千円貸してくれた。それを握って俺は教室を飛び出し、職員室に行って、電話連絡を受けている教頭の話してる内容で病院を知った。

 「おい、荻野、どこ行く気だ?」職員室を出て行くところを、電話を切ったばかりの教頭に呼び止められた。

 「琴美が運ばれた病院に決まってんだろ。」その後、何も聞き入れずに学校を飛び出し、タクシーを拾って病院に直行した。

 「荻野君、授業は?なんて野暮みたいね。」付き添いで救急車に乗って来た横井先生に呼び止められた。

 「琴美はどうなんですか?」

 「今、処置中よ。検査してみないとはっきりしたことは云えないけど、多分胃潰瘍だろうって。」胃の病気?

 「胃潰瘍って、それどうなんですか?琴美は助かるんですか?」病気のことは分らないので、凄くやばい病気だったらどうしようってまじ心配だった。

 「荻野君、ちょっと落ち着きましょう。」自分でもどうしようもないくらい動転していた。他人のことでこんなにまじになったのは初めてだった。親友の健の時でさえ、取り乱すことなどなかったからだ。まして、女子のことでこんな気持ちになるのは完全に初めてだった。それは、俺が女子に対して初だからではなかった。おまえに出会うまでの俺は、1人1人の女子にそれ程価値を感じていなかった。

 「血吐いたんですよ。輸血とか大丈夫なんですか?」

 「そう云えば、荻野君もO型だったわね。」健もO型だったから、横井先生も俺も、その当時輸血の為の採血をしてもらっていた。

 「先生、採血は?」

 「もうしてもらったわよ。」

 「高田琴美さんの関係者の方ですか?」丁度女性の看護師さんが来た。

 「どうなんですか?」

 「緊急手術をするので、O型なら採血のご協力をお願いしたいんですが。」

 「O型です。必要なだけ採って下さい。」おまえを救えるならいくらでも採られてもいいという気持ちで、俺は400ccの採血を受けた。採血室から戻って来たら、おまえの両親が来てた。もちろん初対面だった。

 「ありがとうね、琴美の為に。」

 「授業を投げ出してまで来てくれたんだってね。しかも献血までしてくれて、すまない。」後で分ったことだけど、このお父さんも開業してる耳鼻科を臨時に早く閉めて飛んで来たらしい。

 「琴美さんの為だったら、何だってしますよ。」普段泣くことなんてない俺が、その時は、いつの間にか涙が溢れていた。お父さんは俺のそんな言動にかなり驚いていたみたいだった。

 「私、献血行って来るから。」

 「お父さんは行かないんですか?」

 「僕はA型だから、血をやることは出来ないんだよ。」親は両方O型しかないと思い込んでいたので、本当のお父さんじゃないのか?なんて勘違いしていた。

 「俺その分400ccしましたから。」

 「そんなにしてくれたのか、君は。・・あの失礼だけど、君は・・?」

 「荻野太平と云います。」お父さんは何故か少し驚いていた。

 「荻野君は、琴美とはどういう関係なのか?教えてもらってもいいかな?」

 「安心して下さい。まだ、手も握らせてもらったこともありませんから。」

 「それなのに、そうまで琴美のことを想ってやってくれてるのか?今の云い方で云うイケメンでかっこいい君の様な子が、琴美のことを・・」お父さんは何か凄く感激してくれていたみたいで、俺は自分が恥ずかしかった。

 「あの、俺、琴美さんの為に何も出来ていません。今日だって、琴美が、琴美さんがこんなになるまで、何もしてやれなかったんです。すみません。」

 「琴美は何も云ってくれてなかったから・・」

 「すみません、俺みたいなのが急に現れて。」

 「そうじゃないんだ。謝らなくてもいいんだ。ありがとう。そんなに想ってやってくれて、何だ、その、親として嬉しいんだ。ありがとう。」お父さんの感激ぶりに、凄く申し訳ない気持ちで一杯だった。何故なら、俺は、大人の人に褒められるのとは真逆の最低の奴だったからだ。まして、娘を持ってる人にとっては敵の様なくそがきだったからだ。そう、中3のあの頃までの俺ときたら~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「おい、荻野、今度は紗枝さえ佳那かなをやらねえ?」悪友の麹原こうじはらがニヤけて云った。

 「それいいな。佳那は胸でかいし、紗枝は俺に熱上げてて、何でも云うこと聞きそうだし、あいつらめっちゃ仲いいから2人まとめていっちゃおうか。」

 「火付け役に、錠野じょうの麻里沙まりさを誘って、王様ゲームでいつもの様に・・・」

 「じゃあ、場所は麻里沙の家でいいな。女子の家なら、あいつらも安心して来るだろうし、盛り上げさえすればこっちの思い通りだしな。」錠野は俺と同じバスケ部の悪友で、サッカー部の麹原とで俺達3人は、俺がもてることを利用して、自由に女子を誘ってはエロいことをやりまくっていた。麻里沙は錠野の彼女で、こいつらはもう何でもOKのエロカップルで、仲間うちなら人前でも平気でHして、その場の空気をその色に盛り上げてくれるスペシャリストだった。麹原は専ら、計画立案専門で、俺が表看板の誘い役だった。初めはちょっと引く女子もいたけど、小学校の時に童○を捨てた俺は、女子をその気にさせることに長けていた。イケメンで長身のバスケ部でかっこいいことを武器に、圧倒的にもてることから、処○を捨てるならぜひ荻野君としたいという流行にも乗り、中2になる頃には既に2桁の数の女子と経験済みだった。そんな俺が当時ひっかけていた女と、ダブルデートをしたことで、錠野や麻里沙と遊ぶ様になった。その後又別の女2人を誘って、初めての王様ゲームをして、それに参加して童○を捨てていい思いをした麹原が、味をしめて仲間に加わった。すっかり、女子をおもちゃにすることに慣れた俺達はどんどんエスカレートして、ブスとかよほどうざいのとかはのけて、学校中の女子を次から次と誘って、やった。ちくりそうな奴には、麹原が携帯で写真を撮って口止めしていた。俺は巧みに誘い込んで同意の上でやっていたつもりだけど、麹原の奴少し強引なところがあって、やり過ぎを感じてはいた。でも、咎めもせず、黙認してしまっていた。錠野と麻里沙は互いに付いたり離れたりしながら、複数の異性と付き合う様になった。そのせいか、紗枝と佳那を誘った時も、男女3人づつの予定が、男4人女5人という人数になってしまった。余分に加わったうち男女1人づつは、前にもこの会に参加したことのある顔見知りだったけど、その女の方は別の中学の女子で、そいつが学校の友達を誘って参加していた。その新顔の女が問題で、初めは気付かなかったけど、どうも変な薬に溺れてて、その薬のせいで、俺らよりも更に遥かに不特定多数とやりまくっていたらしい。でもそのことが発覚して問題になるのはもう少し後で、初めに表に起こった問題は、紗枝が妊娠したことだった。俺は苗字が荻野ということもあって、避妊にはうるさかったから、不思議な程それまで失敗は少なかった。けど、この時は違った。いつもよりも遥かにやばい雰囲気になって、紗枝はもろ危険日なのをどう勘違いしたのか、複数受け入れていた様だ。だから、誰のがくっ付いたのかも分らなかった。それなのに、紗枝は俺のだと云って来た。

 「荻野君、出来ちゃったみたいなの。」初めにそれを聞かされた時のショックは半端なかった。

 「下ろせよ。俺そんなの関係ねえし。」

 「荻野君の子供がお腹にいるのに、そういうのないじゃない。」泣きながら、詰め寄って来た。最悪にうざかった。

 「おまえ、みんなにやらせといてそれはないだろ?」

 「初めは荻野君だから、荻野君で間違いない。それは紗枝が1番知ってる。」

 「安全日だから大丈夫だって自分で誘っておいて、それはないだろ。いいから、下ろせ!子供なんて、絶対有り得ねえ。」

 「ずっと好きだったのに、人の体好きにしといて、それだけ?」

 「おまえな、妊娠て嘘だろ。そう云って俺のこと独り占めしたいんだろ?」

 「酷い!嘘なんて云ってない。それに、他の奴にやられるなんて嫌なのに、止めてくれなかったから我慢してたのに。」

 「知るかよ。したんなら、全部自分の責任だろ?好きでもないおまえ1人に縛られるのは、世界が滅びても無いから、2度とうざいこと云うなよ。」実際にこいつがやられてた時、俺は佳那の胸に夢中だったり、麻里沙の変態に付き合うのに忙しかったり、他の2人も凄かったので、もう紗枝なんてどうでもよかった。

 「下ろすお金もないし、どうしたらいいか分らない。」

 「産むなら、もっとずっと金いるだろ?馬鹿かおまえはよ。」

 「じゃあ、死ぬね。」うざい嘘つき女の捨て台詞だと思ったし、まじでうざかった。

 「勝手に死ねよ。」俺は最後にそう云って、彼女に呼び出されていた校舎の裏を離れた。紗枝が首を吊ったのは、その翌日だった。妊娠を苦の自殺だと断定されたみたいだ。最悪だと思った。罪悪感がなかった訳ではなく、通夜や葬式で紗枝の親の悲しみに、初めて俺の胸は強く痛んだ。そう、今までおもちゃ同然に遊んで来た女子にもほとんど親がいた。そんなこと、何も考えずにただ欲望に溺れていた自分が“悪”だと知った。でも、それを償う勇気はなかった。そんな中途半端な罪悪感に追い打ちをかけたのは、当時のバスケ部の顧問の辻口つじぐち先生だった。37歳で独身だったその熱血顧問に、俺と錠野は呼び出された。

 「おまえら、心は痛まないのか?」

 「何のこと云ってんすか?」いきなり錠野がつっかかった。

 「俺はな、おまえら生徒を犯罪者にするつもりはねえ。でもな、おまえらには罪の重さを知ってもらい、自分を大事にすることを知ってもらわんといかん。」

 「お説教すか?」錠野は、明らかに態度が悪かった。

 「そうとも云うが、まあ聞け。」

 「先生は何を知ってるんですか?」俺は正直びびっていた。

 「板園紗枝のことは、何の証拠もない。でもな、俺はおまえらの日頃の行いを薄々知っていた。知っていながら、今回のことを防げなかったことに胸が痛い。」

 「何だよ。自分の懺悔かよ。」

 「ああ、それもある。でもな、俺は何よりおまえらに立ち直ってもらいたい。」

 「はー?俺達は何も落ち込んでもねえし、ちゃんと立ってるんすけど。」

 「俺達?ほんとに荻野も同じ考えなのか?」

 「俺は先生が何を云いたいのか、よく分りません。」とぼけた。

 「そうか。じゃあ聞くが、おまえにとって異性って何だ?」

 「この世には男と女がいて、求め合うのが自然じゃないんですか?」

 「そうだな。男と女が求め合うのは自然なことだな。でもな、おまえらの今ある命は、おまえらのご両親が信頼して結び付いて出来て、おまえらはその愛情の元で育ったんじゃないのか?」

 「くせえこと云うんだな。俺の親なんて、親父は親父で適当にやってるし、ばばあはばばあで適当にやってるんすけど、それが何か悪いんすか?」

 「でも、少なくともおまえに命を与え、育ててくれたんだろう?」

 「だから、何が云いたいんすか?」

 「板園のことは俺の憶測でしかないが、別の子が今回のことを受けて告白してくれたんだ。その子の名前は云えないが、その子も板園と同じ様に妊娠して、一時は板園と同じ道を選ぼうと悩んだそうだ。でもな、その時考えたそうだ。自分が死ねば、せっかく芽生えたお腹の命も亡くなるんだと。そして、自分が今あるのは、自分の両親が芽生えた自分の命を生かしてくれたからなんだってな。自分はその親が与えてくれた大事な命をも粗末にしてることに気付いて、涙が止まらなかったそうだ。結局、お腹の子は自分には産めないと悟って中絶をしたが、その犠牲は無駄にしたくないから、もう板園の様な悲劇を繰り返して欲しくないからと、俺に打ち明けてくれたんだ。」

 「何だ、先生は全部知ってるんだ。で、俺達のこと処分すか?いいすよ、俺もうバスケに未練ないし、いつでも辞めますよ。」

 「荻野も同じなのか?」

 「俺はバスケ好きだし、それに、先生の云うこと何となく分る気がする。」

 「俺はな、処分を望んでいないし、おまえらがその与えられた命で青春の若い炎を燃やすなら、それに目一杯応えたいんだ。おまえらが命を粗末にする行為に溺れて行くことが、見ていて辛いんだ。」

 「いいかっこして、正義ぶったこと云うけど、本音は俺達が羨ましいんじゃねえのか?俺、先生よりも一杯女知ってるぜ。それが羨ましくてしょうがねえ、童○のおっさんのジェラシーなんだろ?何だったら、俺の女1人紹介してやろうか?」もう耳を疑う様な悪態だ。何ちゅうことを云うんだと思いながら、俺も内心この熱血の顧問のことを、女を知らない童○だと思って馬鹿にしていた。

 「羨ましいか?痛いとこ突くな。俺もな、男と女は求め合うものだということは全く否定してないよ。ただ、命の尊さを無視したおまえの考え方は悲しいよ。」

 「馬鹿馬鹿しい。俺こんなおっさんのとこで部活やりたくねえよ。退部するし、もういいっすよね。」錠野は、その呼び出されていた部屋を出て行った。

 「命を粗末に考えた行動は、いつか自分の命を脅かしに牙を剥いて来るぞ!」出て行く錠野の背中に、先生は謎の言葉を浴びせていた。

 「先生は、俺のこと許してくれるんですか?」

 「だから、俺はおまえを処分する気も、ただ責めるだけのつもりはねえよ。おまえが自分の命をどう使うか、その大切さに気付いてくれたら、それで充分だ。」

 「いつか自分の命を脅かしに牙を剥くって、どういうことですか?」

 「それはそのうち分るとは思うが、分った時には手遅れになってることもあるからな、この俺の様に。だから、すぐにでも止めた方がいいぞ。立心偏に生きると書いて、男性女性の性。生きる“生”も、性別の“性”もどちらも神聖であり、デリケートであり、尊いものだと、俺は思う。命はな、誰にとっても、自分を支える全てだ。失うと全てを失う。おまえはそれを失わない様に、改めるべきだ。それだけだ。」それだけ云われて、俺は部屋を出された。その先生の言葉の謎が分るまでそれ程時間はかからなかった。俺はそれまでの間、その謎が気になって、麹原や錠野との関わりを避けた。

 「おい、荻野。最近つれねえな。まだ、紗枝のこと気にしてんのかよ?」

 「辛気臭えだろ、麹。こいつ辻口に何か云われてから、変なんだぜ。」

 「おめえらんとこの顧問は、うぜえよな。」

 「おう、けどもう顧問でも何でもねえ。俺バスケ止めたし。」

 「錠野、おまえこそ考え直さないか。辻口先生は、いつでも待ってるってよ。」

 「馬鹿か、俺があんな話し何とも思わねえの、知ってんだろ。女なんてよ、ちょっとでも情けかけたらそこにつけ込んで来て、この様だぜ。」そう云って左の頬の下の方を抑えた。

 「まじざまあねえよな。タメの女にやられてよお。殴るなら右限定君。」

 「うっせえよ、麹。」

 「ははは、まあ空気分ったわ。おめえいねえと同じ女ばっか飽きるし、早く戻って来いよ、待ってるぜ。」麹の奴は、訳有りの錠野と違って、根っからの性悪さを感じていたが、案外俺にはやけに寛大だった。

 俺は、奴らと組まないだけでなく、単独でも女を控えた。別に好きな女子がいた訳でもなく、飽きてしらけてきていたのもあり、控えることにそれ程の苦痛は伴わなかった。そのエネルギーをバスケにぶつけることに快感を感じ始めていたので、禁欲の苦しみがほとんどなかったのだ。そして、そんな矢先、衝撃的な事実が俺を襲った。

 「おい、荻野。いいとこにいたぜ。」性懲りもなく、麹原が話しかけて来た。

 「何だよ、今忙しいんだ。女なら、いらねえよ。」

 「ああ、だろうな。俺も今はそういう気分じゃねえんだ。」

 「はあ?」嫌な予感がした。

 「この前紗枝達とやった時、初顔の女いただろ?あいつかなりやばいんだ。」麹原がその女の中学の知り合いから聞いて来た情報では、そいつはエイズ感染者だということだった。

 「まじかよ、それ?そんで、エイズってどれくらいやべえんだ?」

 「知らねえのかよ?1度うつったら一生治らなくってなあ、10年後くらいに確実に死ぬんだぜ。それも、だんだん弱ってきてよお。」麹原の奴もかなりびびっていた。俺もこれは大変なことになったと思い、さっそくインターネットで調べてみたら、麹原の云ったことと大差なかった。ただ救いは、感染の可能性は高くないということ。でも、あの女とはかなりいろいろしたから、死の病の恐怖を確実に感じていた。その恐怖感から逃れるには、感染していないことを確認することが必要だった。けどエイズの検査は、接触してから3カ月経たないと検査の意味がないらしい。したのは1カ月半程前だったので、まだ後1カ月半も不安のまま待たなくてはならなかった。辻口先生の云ったことがよく分った気がした。この1カ月半俺は、命というものをよく考えてみた。それまでの自分の愚かさが身に沁みた。紗枝のことも改めて考え、とんでもなく酷いことをしたと悔いた。佳那に頭を下げて、板園家のお墓を教えてもらい、紗枝の墓参りをする様にもなった。命に対する意識は日に日に高くなって行った。それと同時に、バスケに真剣に打ち込む様になった。真剣に考える様になったとはいえ、気の滅入るのは嫌だったから、辻口先生の云う通り、努めて毎日青春の炎を燃やすことに必死になった。先生も約束通りそれに応えてくれて、俺の能力が目一杯伸びる様に練習メニューを組んでくれた。もちろん、バスケはチームプレーなので、チームの輪の中で俺が伸びる様にいつも熱く指導し、見守ってくれた。1カ月半待ったエイズ検査の結果は陰性だった。それに安心したからといって、以前の馬鹿な自分に戻ることはなかった。過去の自分が凄く恥ずかしかった。もう絶対にあんな屑に戻らないと、心に誓った。その甲斐あって、俺のバスケの技量は飛躍的に伸び、同時にチームも強くなった。3年の最後の大会の感動は忘れはしない。結果こそ県大会のベスト4で、決勝を逃したけど、埼玉最強と云われたチームと堂々互角に渡り合ったからだ。この時、自分の進むべき道を見付けた。プロのバスケット選手になる!明確な将来の目標で、ただの夢で終わらせないと心に強く誓った。そして、この時の活躍が評価されて、大宮学園にスポーツ特待生扱いの推薦入学が決まった。同じさいたま市内とはいえ、岩槻区の中学から大宮学園までは距離があり、幸い、俺の悪だった中学時代を知る奴は誰も来ていなかった。

 「高校生になった俺には、新たな出会いが待っていた。1年で同じクラスになった倉元には、女子の気持ちを考える大切さを教えてもらった。隣のクラスだったけど、入間や国島とは知り合ってすぐに仲良くなれた。中学以来バスケ以外で本当の友達が出来たのは初めてで、まじ嬉しかった。女子では、同じ体育館で練習していたバレー部の戸倉に、付き合って欲しいと云われて、初めに少しだけ付き合った。しかし、性格が合わずに好きになれなかったので、キスもせずにすぐに別れた。その直後に、同じクラスの優菜が俺を追いかけてバスケ部のマネージャーになった。多くの女子に云い寄られて来たけど、優菜みたいな奴は初めてだった。振っても、振っても諦めないのだ。挙句、振られることになれて、振られてる意識が無くなって慢性化して行った。戸倉にしろ、優菜にしろ、中学のあの頃までの俺なら、好きな振りしてやりたい放題していただろう。けど、もう俺にはそんな愚劣なことは出来なかった。優菜がどんなに一生懸命になって尽してくれても、好きになれる気はしなかったし、いい加減なまま受け入れることが、それに応えるベストとは思えなかった。だから、本音で諦めて欲しかったけど、あいつは一向に諦めてはくれなかった。さんざん女子を好きにしておきながら不埒なことを云う様だけど、それまで俺は本気で女を好きになったことなんて1度もなかった。おまえに会うまでは、本当に恋なんてしたことなかったんだ。2年になって、おまえを初めて見た時の衝撃はまじ凄かった。大人しくて目立たなかったとはいえ、同学年にこんな眩い女子がいたなんて、まじときめいた。生まれて初めての感覚だった。それでも、初めはその想いに自信が持ち切れなかった。おまえに抱いた想いと、中学時代に女子に抱いた欲望ばかりの思いに、どれ程の差があるのだろう?と、自分を問い直したりもした。でもやっぱり、おまえはそれまでの女子とは違い、確実に俺の心を虜にして行った。一見大人しく影の薄い存在の様で、実はおまえには他の奴にはない男心をくすぐる気品みたいなものを感じた。それと更に、何故か寂しそうで、悲しそうだった。気になった。気になって仕方なかった。そんなある日、高校に入ってからのバスケ部の仲間とカラオケに行った時、戸倉と来ていたおまえと偶然に出くわした。女子なんて全然珍しくなかった俺が、全く声すらかけられなかった。自分の意外な初さに愕然とした。まあ、その時優菜も一緒だったせいで、優菜に気兼ねしたのもあるにはあるけど、おまえが眩し過ぎて気遅れしたのも確かだった。トイレに行く振りをして、おまえが唄っている部屋の前を通って、おまえに対する想いのもやもやした部分が吹っ飛んだ気がした。部屋の中から聴こえて来たのは、まじで超やばい天使の歌声だったんだ。俺の汚れ切っていた心が一気に洗われる気がした。部屋の中には、おまえと戸倉の2人だけだ。戸倉とは付き合ってた時1度カラオケに来たことあったけど、下手なアニソンしか唄わないので、プロの歌手顔負けの歌は、おまえに違いなかった。もう、女子はおまえしか見えなくなった。他の女子が全員つまらなく見えた。更に、“国島のグローブに鼻水事件”の時見せた、佐伯に対するおまえの優しさに心が強く震えて感動した。命がけで愛せる女だと実感した。何とかして、おまえに近付きたいと思った。女子を誘うのには慣れてるはずだったのに、何故か勝手が違っていた。よく考えてみたら、それまではもてることに胡坐をかいていたんだなと気が付いた。それをただ、上辺だけ上手く誘い込めさえすればいいと、いい加減な気持ちでいたことにも気付いた。本当に大切にしたい女子に声をかけることが、こんなに緊張するものなのかと、今更ながら新鮮な気持ちになれた。だから、カラオケに誘って一緒に行けて、おまえの歌声を間近で聴けた時の感動は、童○を捨てた時よりも大きかった。けど、それから進展しないまま時間ばかりが過ぎて行った。きっと以前の俺なら、じれったくなって騙して連れ込んだりしてたのだろう。それが、おまえには絶対そんな思いにはならなかった。おまえとの関係は、例えかなりの時間がかかっても、ゆっくり大切に育てて行きたいと思った。何より、おまえの気持ちを大切にしたいと想った。そんな想いの中、親友の健が事故で意識不明になった。重苦しい時間だった。千里の悲しみが痛々しかった。それと同時に健と千里の絆の深さを感じて、まじ羨ましいとも思った。幸い健は快復して、ほっとしたし、まじ嬉しかった。しかも、怪我の功名とも云える思いもよらないチャンスをくれた。それは修学旅行の班割りで、願ってもない4人グループの実現をもたらせてくれた。心に迷いの無かった俺はここぞと思い、おまえへの想いを公言して、その旅行をきっかけにおまえとの距離を一気に縮めようと思った。本当に心から打ち解け合えると期待した。それが旅行の準備段階ではいい感じにいっていた。だから、思いっ切り期待に胸を膨らませて飛行機に乗った。それにもかかわらず、ハワイでの初日にその淡い期待は裏切られた。しつこい上に乱暴なことをした優菜につい切れてしまって、思わず頬を平手で叩いてしまった。それも、おまえの見ている前でだ。いくら相手が聞きわけがなかったとはいえ、女子に対して手を上げるなんて俺は最低だ。案の定、暴力が大嫌いなおまえを酷く傷付けてしまい、嫌われてしまった。落ち込んだ。純情少年の様に落ち込んで、坂下に随分慰められた。坂下はいい奴だ。俺なんかと違い、本当に根っから女子に優しくて、大切にしていた。それも下心の欠片も感じない。尊敬に値する奴だ。その坂下のおかげもあって、光明もあった。3日目におまえの満面の笑みを見ることが出来、その上サンセットビーチで2人になれたんだ。しかも、俺の広い心に包み込まれたいなんて、まじ嬉しいこと云ってくれたんだ。“よっしゃー!”という気持ちでハワイから帰って来たのに、信じられない程それからのおまえは逆行する様に頑なになった。何か重苦しい思い出に縛られて、独りでもがいてる様に見えたけど、俺を妙に避けるおまえにどうすることも出来ず、苦しかった。そんな時、それに追い打ちをかけるかの様に、かつての恩師辻口先生の病気を知った。

 「まさか、荻野が見舞いに来てくれるとは思わなかったよ。」先生は酷く痩せていた。

 「先生みたいに元気な人が病気になるとは思わなかったですよ。」

 「元気な人か?必死で隠してたからな。」

 「まさか、前から悪かったんですか?」

 「ああ、俺はエイズ患者だからな。」電撃食らった程ショックだった。

 「分ってたんですか?」

 「ああ、十何年も前から分ってたよ。若かったから苦しんだな。」

 「じゃあ、俺にくれたあの時の言葉も、その経験からだったんですか?」

 「俺、おまえに何云ったかなあ?俺な、若い時は人に云えない様な馬鹿ばっかりやって、ちょっと女にもてるのにいい気になってたんだよ。だからな、天罰が当たってこんなどうしようもない病気にかかってな。でも、自分の人生を考え直してみて、このまま腐って死にたくないと思って、残された命で何が出来るのか必死で考えたよ。それで、考え付いたのが全然大したこと無くてな、ただ俺みたいな馬鹿な思いはこれからの子供達にさせちゃいけないって、そんな単純なことだけだった。自分にはもう出来ない明るい未来を夢見た道を、こいつらには歩いて欲しいって、そう思うことで実は自分を慰めてたんだな。」

 「俺、そんな強い先生に教わっていたんですね。」

 「荻野、おまえ、何か勘違いしてるよ。俺は強くなんかないんだ。ただ、生きることに必死だったんだ。それはおまえも同じはずだろ?ほんとに強い人間なんていやしないと思うよ。ただ、負けてしまうと、自分に与えられた命がもったいないだろ?だから、みんな必死に負けまいとしてるだけだと思う。俺なんて、独りだったらとてもここまで生きて来れなかったよ。何て、これ内緒な。まあ、俺なんかよりよっぽど荻野は強いと思うなあ。今、俺はおまえを見て、正直羨ましいよ。おまえは凄くいい目になった。甘えかもしれないけど、俺の分も生きてくれよな。」その後もう少しだけ話してから、深々と頭を下げて病室を出た。俺は先生がくれた言葉を胸に、バスケに打ち込んだ。おまえと上手く行かないことに落ち込んでばかりはいられないから、必死に負けまいと、バスケに打ち込んだ。だから、バレンタインデーまでは負けずにいられた。でも、おまえにチョコをもらえなかったことはまじショックだった。坂下が羨ましかった。そして、つい魔が差して、優菜と付き合ってキスもしてしまった。間もなくして、辻口先生の死を知った。

 「荻野君ね。辻口先生からの伝言があるの。」通夜に出た時、中学校時代の女の先生に呼び止められた。確か、辻口先生より1つか2つくらい年下だったと思うけど、直接習ったことのない、何の教科が専門なのかも、名前すら知らない先生だった。

 「俺にですか?」

 「そうよ。彼ねえ、貴方のこといつも気にかけててねえ。『荻野は眩しい程の未来のある奴だから、どんな時も本当に大切なものを見失わずに生きて欲しい。』って。『それだけは伝えてくれ。』って、息を引き取る直前まで云ってたのよ。」

 「先生は、辻口先生と親しかったんですか?」

 「想像に任せるわ。あ、でもね、彼の病気のこと知ってるでしょう?彼は、うつす訳にいかないからって、チューとかは一切なかったのよ。」そう云って、ちょっと寂しそうな笑みを浮かべていた。先生同士の哀しい恋を悟った。俺はお礼を云って、軽く会釈した。そして、魔が差したことを悔いた。坂下からの貴重な助言があったのは丁度そんな時だった。もうまじ凄い嬉しかった。と同時に、おまえが凄く苦しんでいることを改めて悟った。もう必ず俺が救ってやると決意したんだ。希望通り、又同じクラスにもなれて、絶対おまえの苦しみを和らげてやれると思っていた。それなのに、おまえは俺の想像を遥かに超えて追い詰められていたんだな。こんな俺のことを信じてくれていたのに、俺はそれすらちゃんと受け止めてやれてなかった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「琴美さんは、前から体悪かったんですか?」

 「いやー、最近食欲なくて元気はなかったが、まさか胃潰瘍になってるとは思わなかった。」

 「胃潰瘍って、俺分らないんですけど、琴美さん大丈夫でしょうか?」

 「大丈夫だよ。診てくれてるのは偶然僕の医大の後輩で、さっき会って話し聞いたんだけど、早く処置すればどうってことないんだ。」

 「お父さんは、お医者さんなんですか?」

 「耳鼻科だけどね。でも、学生時代は一通り勉強してるから、だいたいのことは分るんだ。」道理で、娘が倒れた割に落ち着いてる訳だ。

 「そうだったんですか。あー、でもよかった。」ほっとしたら、又どっと涙が溢れて来た。こんなに涙を流したのは多分保育園以来だと思う。

 「荻野君だったね?」

 「あ、はい。荻野太平と云います。」

 「荻野君は背が高いけど、バスケットボールとか、何かスポーツをしているのかい?」

 「はい、バスケットやってます。」

 「そうか。琴美の様な引っ込み思案の子に、こんなスポーツマンのボーイフレンドが出来てたなんてなあ。」

 「琴美さんは、家ではあまり学校のことは云わないんですか?」

 「そうだねえ、大概決まった友達のことしか云わないな。その子だけはよく家に泊りに来てくれたりするんだけどね。正直、他の人達とはあまり仲良く出来ていないんじゃないかと心配でね。」佐伯のことだ。佐伯はよく泊りに行ってたのか?

 「じゃあ、ほんとに俺のことは何も云ってなかったんですね?」

 「うん、だから正直凄くびっくりしてるんだよ。」

 「あの、俺一生懸命琴美さんのこと大事にします。だから、お付き合いを許して下さい。お願いします。」

 「いや、こちらこそよろしくしてやって下さい。」と、おまえ本人の確認も取らずに、お父さんはすんなり俺を信じてくれた。これで、おまえのこと大事に出来なけりゃ、俺は男じゃないぞと肝に銘じた。

 「荻野君、心配なのはよく分るけど、今聞いたでしょ?もう大丈夫だから、学校に戻りなさい。手術受けてその後もしばらく寝てるから、待ってても遅くなるし、ご両親も見守って下さるから、心配しないで1度戻りなさい。」横井先生も、すぐ傍にいた。更にそこへ、採血が済んで出て来たお母さんに、

 「本当にありがとうね。又、目が覚めたら来てやってね。」と云ってもらえた。

 「はい、分りました。そうします。」医者のお父さんがいてくれると云われて、それ以上自分が出しゃばる訳にもいかなかったから、素直に応じた。

 「これ、タクシー代だから、受け取ってくれないか?」お父さんは、1万円も渡してくれた。

 「これは多過ぎます。いくらなんでも受け取れません。来たのだって、俺が勝手に来たんですから。」

 「じゃあ、尚更受け取ってくれよ。400CCもしてくれたんだし、栄養補給もしてもらわないといけないし、何よりもその誠実さに対して、これくらいは当然だよ。」そこまで云ってもらって、

 「分りました。ありがとうございます。では、失礼します。」素直に受け取り、学校へ戻った。

 「荻野君、病院行ったんじゃなかったの?」教室は丁度3時限目が終わった後の休憩時間で、いきなり佐伯が聞いて来た。

 「今、病院から帰って来たんだ。」

 「琴ちゃんはどうなったの?」

 「胃潰瘍って云ってたけど、琴美さんのお父さんが大丈夫だって云ってくれたから戻って来たんだ。で、胃潰瘍ってどういう病気なんだ?」

 「ストレスとかが原因で、胃の粘膜が欠損する病気だよ。」

 「ストレスか?俺、結局何も分ってないな。琴美さんは一体何を思い悩んでるんだ?佐伯さん、何か知ってたら教えてくれないか?」

 「琴ちゃんはきっと私のせいで思い悩んでるんだと思うよ。」

 「何だよそれ?2人仲いいんじゃないのか?」

 「人の彼氏取ったりするから、自責の念に駆られてるんだよ。」

 「佐伯さん、まだそのこと根に持ってるのか?俺なんて、坂下を責めたことないし、もちろん琴美さんも信じてるしな。」

 「さすが荻野君、やっぱり経験の早い人は大人になるのも早いね。私なんか、ついこの前まで処○だったから、そんなに大人になれないんだよ。」正直、自分の耳を疑った。

 「何か、凄いこと云うんだな。佐伯さんてそういうキャラだった?」

 「さあねえ。経験積んで、キャラ変わったら楽になれるのかな?」

 「ならないよ。楽になんかならないよ。」ついしみじみと云ってしまった。

 「そうだよね。やっぱり私には優馬君しか駄目。優馬君は誰にも渡せない。」

 「そういう坂下はどこ行ったんだ?」と聞いたら、佐伯は泣いていた。

 「坂下と喧嘩でもしたのか?」

 「しないよ。優馬君優しいから、私が怒っても全然云い返さないの。云い返さずに泣くんだよ。力はあんなに強くなったのに、優しさは初めて会った頃と全然変わってないんだよ。」4時限目の授業が始まって、会話はそこでぷつりと途切れた。何故か、坂下が教室に戻って来なかった。鞄はあるのに、どこ行ったんだろう?

 「優馬君、屋上にいるみたい。」昼休みになって、佐伯が教えてくれた。メールで分ったらしい。

 「屋上で一体何してるんだよ?授業さぼるなんて、あいつらしくないな。」

 「行ってみようかな?」

 「ちょっと行ってみるか。」昼飯を後回しにして、行くことにした。佐伯は後から来ると云ったので、とりあえず俺だけ行った。屋上に着いてみると、坂下と入間が手すりに寄り掛かる様にして、何やら喋っていた。

 「何だよ、おまえら授業さぼって、そんな深刻な相談かよ?」

 「千里が妊娠して、学校辞めたんだって、びっくりした?」まずは驚いた。そう云えば、3年になってから貝沢に会ってなかったんだ。

 「自分のこと棚に上げて、人のスキャンダルを得意そうに云うなよ。」

 「もう俺、自分のこと考えたら頭変になりそうなんだ。」

 「当たり前だろ。同時期に2人とやりやがって、最悪の二股じゃないか。俺だって、千里としかないのに、びっくりだろ?」

 「何だよ、おい、高校生がそういうことしてていいのかよ?」あまりに驚いて、つい云ってしまったけど、俺が云えた筋合いではないなと思った。

 「それより、高田さんはどうなんだ?」

 「ああ、胃潰瘍で緊急手術してる。え、おい、ところで2人って、佐伯ともう1人は琴美じゃないだろうな?」

 「違うよ。高田さんのことはこの前話した通りだよ。」

 「そっか、ならいいんだ。すまん、すまん。」

 「血を吐いたんだってな。それって、大丈夫なのか?」

 「琴美の親父さんが、大丈夫だって云うからな。親父さんも耳鼻科だけど、医大で勉強したから分るって云うから、信じて帰って来たんだ。そうだ、これ返すな。ありがとな、助かったよ。」帰りのタクシーのお釣りで崩れた千円札3枚を、坂下に返した。

 「使わなかったのか?」

 「使ったけど、琴美の親父さんが1万円くれたんだ。娘をよろしくって。」

 「何か複雑だなあ。健のとこも、荻野君とこも、大変だけど親とかに認められてて、ハッピーエンドが見えてる感じでさ。やっぱり俺だけなのか、やばいのは。」

 「優馬だって、親に認められてるだろ?優馬の親には佐伯が認められてて、月岡の親には優馬が認められてるんだろ?」

 「坂下、おまえ、もう1人って月岡かよ。」もうびっくりを通り越していた。

 「それも、自宅で佐伯とやった5日後に、月岡の家でだぜ。優しくて誠実そうな顔して、優馬が1番やることえぐいじゃんかよ。」

 「おい、もうそろそろその話し止めた方がいいぜ。もうすぐ佐伯がここに来るんだ。」

 「あー、俺もう知らねえぞ。ちゃんと忠告もしたのに、聞かねえで暴走する優馬が悪いんだからな。」

 「両方から迫られてどうしようもなかったし、健に相談しようと思っても、全然会わなかったからな。」

 「ほんとは、俺もパワーの試合応援に行くつもりだったんだぜ。けど、その日は千里の妊娠が分ったばかりで、親に云いに行く日だったんだから、しょうがねえだろ。」

 「あーあ、どうしよう?」丁度世間では、若手俳優が二股騒動で思いっ切りバッシングされてたばかりなので、頭を抱える坂下が心配だ。

 「おい、佐伯来たぞ。」入間が気付いた。

 「優馬君、今日はここでお弁当食べよ。」

 「ここで食うのか?それって、ちょっと。」月岡のクラスの奴に見られないか?

 「いいじゃないか。俺達は邪魔になるし、下りようぜ、荻野。」

 「はは、そうだな。仲良くしろよ、坂下。」入間と2人で屋上を後にした。佐伯はさっそく弁当を広げかけていた。坂下の分も作って来たのかな?

 「千里は元気なのか?」

 「ちょっと悪阻はあるけどな、まあ一応元気だな。」

 「そっか。予定日とか、男の子か女の子とかは、分ってんのか?」

 「11月の中頃なんだ。どっちかはまだ分らない。」

 「結婚するんだろ?」

 「卒業したら、籍入れることになってるんだ。」

 「何か、入間も急に落ち着いて来たな。」

 「そうでもねえよ。すげえ、焦ったんだ。結婚するまでは最後の一線は越えないつもりだったのが、事故以来求め合う気持ちが強くなったって云うかな。まあ、どっちの親も理解してくれたのが救いだけど、早く一人前の坊主になるの必死なんだぜ。」

 「まあ、いいじゃないか。進むべき道がはっきりしてるって云うか。」

 「ああ、そう考えると、問題はあいつだな。」

 「おう、まじかよ?俺、秘かにあいつのこと尊敬してたのに、優し過ぎるのも考えもんだな。これからの展開考えると、まじ恐えよ。月岡がどんな奴なのか知らねえけど、普通なら傷付くぞ。」

 「しー!もう誰に聞かれるか分らねえし、その話題はタブーな。」

 「あー、そうだな。俺達が炎上させたらまずいもんな。」入間も、俺も、坂下のことはもはやどうすることも出来ず、静観するしかないということで一致した。

 その日部活に行くと、珍しく優菜がしょげていた。おまえを虐めていた黒幕として、誰かにちくられたらしい。

 「大平、私はただ、あいつには負けたくなくって・・」

 「汚い手使っても、勝ったことにはならないぜ。汚い手使った方が負けだ。」

 「あいつのとこ、見舞いに行くの?」

 「当たり前だろ。放っておけないからな。」

 「私のことは許してくれないの?」

 「もう2度とするなよな。」

 「じゃあ、私のこと振り向いてくれる?」

 「それは又別の話しだ。ただ、もしこれ以上汚ねえことしたら、そん時は許さねえからな。」練習を終えてシャワーを浴びた後、しょげ切って泣いている優菜を尻目に部室を後にし、再びおまえのいる病院に向かったんだ。病院に着いたら、手術は無事終わっていて、おまえは既に目を覚ましていると聞いた。病室を教えてもらって、さっそく向かった。その病室を探していると、中学生くらいの男子とすれ違った。その直後、おまえのいる病室を見付けた。“高田琴美”の名前だけ。個室?果して、おまえが喜んでくれるか?まじ心配で少し躊躇した。

 「大平!太平!」おまえの声。俺の名前を呼んでくれている。それも、呼び捨てだ!まじ嬉しかった。

 「琴美、大丈夫か?」ドアを開くなり、すぐに声をかけた。

 「荻野君!やだ、私。」おまえはベッドの上で上半身だけ起き上がって、真っ赤になって焦っていたなあ。けど、俺も訳が分らず、混乱していた。

 「急に来て迷惑だったかな?」

 「じゃないの、弟がまだそこにいるんだと思って、ごめんなさい、弟の名前も同じ太平なの。」朝親父さんが俺の名前聞いた時のリアクションといい、納得した。

 「呼んで来てやるよ。」

 「いいの、大した用事はないの。お願い、ここに居て、欲しい。」本音を振り絞る様に云ってくれた気がして、立ち止まった。今度こそと、まじ嬉しかった。

 「俺もいろいろ話したい。」

 「ここの椅子にかけて。」ベッドの隣に置かれた付き添い用の椅子にかけた。

 「まさか弟さんが同じ名前なんて、琴美さん何も云ってくれてなかったから。」

 「琴美でいい。“さん”はもういらないよ。」

 「さっきは、俺の勘違いで、つい云っちゃっただけだから。」

 「さっきだけじゃない。血を吐いた時、私、荻野君に助けて!って心の中で叫んで、そしたら、“琴美”って呼んでくれて、凄く嬉しかったの。目の前真っ暗で、苦しくって、でもそれがたった1つ救いだったの。」

 「そっか。じゃあ、琴美も俺のこと、“太平”って呼んでくれないか?」

 「いきなり、それは何か、恥ずかしいな。」

 「でも、弟をいつもそう呼んでるんだろ?」

 「それはそれ。荻野君を急に呼び捨てでは呼べないよ。ねえ、“太平君”じゃ駄目かな?」

 「うん、それでいい。上の名前で呼ばれるより、断然近付いた気がするしな。」

 「うん、何か前みたいに体硬直しなくなってるし、凄く近付けた気がする。」

 「そうか、よかった。俺の気持ちが通じたんだな。」

 「でも、皮肉だね。元気なうちにもっと近付きたかった。」

 「どうしてそんなこと云うんだよ?元気になって、付き合ってくれないのか?」

 「私、死ぬんだよ。死ぬって分ってからなんて、ちょっと複雑なの。」おまえは目に一杯涙を溜めていたなあ。

 「何云ってるんだよ。死ぬ訳ないだろ。誰がそんなこと云ったんだ?」

 「誰も云う訳ない。癌の私に、癌でもう助からないなんて云う訳ないよ。嘘付いて慰めてくれてるんでしょ?」

 「胃潰瘍で、ストレスが原因で、もう大丈夫だって聞いたんだけど、胃潰瘍っていうのも癌なのか?」

 「胃潰瘍なんて嘘。パパもママも、私が絶望しない様に嘘付いてるんだ。」

 「琴美って、ネガティブなんだな。」すると、少し間が空いた。おまえは1人で何か考えてる様で、俺も何も云わず、とりあえず見守った。しばらくして、微妙な苦笑いを浮かべたおまえだったなあ。

 「ほんとは私だって、もっとポジティブに考えたいけど、でもどう考えても悪い方に行っちゃうの。」

 「それって、ストレスが原因の病気には致命的なんじゃないのかな。」

 「だよねえ。どうしてこんななっちゃったのかな?・・美野里ちゃんに悪いことしたから・・・」

 「自分を責め過ぎなんじゃないか?」それに対して又少しだけ間が空いた。

 「私、美野里ちゃんが恐いんだよね。」ちょっとびっくりした。おまえと佐伯は超仲がいいと思っていたから、おまえの口からそんな言葉が出るのが意外でもあった。ただ、佐伯が恐いというのはちょっと同感だった。

 「佐伯って、凄い変わったよな。初めは地味で、全然ぱっとしないと云うか、俺の記憶じゃあ鼻を垂らしてて、何かガキみたいだったのに、意外といけてる女になって来てるし、テストでも凄い点取るし、云ってることも強烈なこと云うよな。」

 「強烈なことって、どんなこと?」

 「俺のことなんか知ってるはずないのに、経験の早い人とか、自分はつい最近まで処○だったとか云うんだぜ。」

 「そうだね、突然鋭いこと云ったり、耳を疑う様な大胆な言動があったりするんだよね。」

 「一体あいつは何者なんだって感じだな。って、琴美は佐伯の秘密を何か知ってるのか?」その問いに、おまえは頷いたんだ。何故か、その瞬間ぞくっとした。

 「でも、それ以上は何も聞かないで。それと、私が何か知っていることを、誰にも云わないで欲しい、絶対に。」

 「一体何なんだよ。何か超恐かったりして?」

 「だから、何ももう聞かないで。」

 「分ったよ。」とんでもない秘密があるんだなと悟った。おまえは、一旦俺から視線をはずし、部屋を一通り見廻してから、さっそく話題を変えて来た。

 「ねえ、個室なんて凄い高いのに、贅沢だと思わない?こんなにしてくれたりするから、癌だと思っちゃうんだよね。」

 「それもあるな。俺も同じ立場なら、そう思ってそうだな。」

 「太平君もネガティブに賛成なんだ。」

 「じゃなくって、それだけ琴美は両親から大事にされてるんだよ。ストレスが原因なんだから、ちょっとでもストレスが無い様に個室にしてくれたんだろう?」

 「そうだね、パパもママも、私には凄い甘いんだよね。だから、余計心配かけちゃいけないと思うんだ。」

 「俺も、それにちゃんと応えなくちゃいけないな。」

 「ごめんね、太平君ずっとこんなにストレートなのに、私がちっとも素直じゃなくって。」

 「素直になってるじゃないか。もう充分伝わってるよ。」

 「太平君も、坂下君に負けないくらいやさしいんだね。」

 「おいおい、何だよ急に、俺と坂下を天秤にかけるのか?」

 「ごめんなさい、大平君の言葉使いが、私と喋っている時だけ凄く優しいから、坂下君みたいだなと思って。」いや、それ何のフォローにもなってないし・・

 「そうだな。あいつ女に過剰に優しいよな。でも、琴美に対する想いは比べもんにならない程持ってるし、琴美にはまだまだ優しくなれるんだぞ。」そう云った途端、おまえは両手で顔を覆って泣き出した。

 「何か嘘みたい。嬉し過ぎて、夢見てるみたい。」

 「嘘じゃないよ。俺、まじで琴美のことが大切なんだ。」

 「うん、うん、私にも充分伝わってるよ。」椅子を歩み寄せ、ベッドのおまえを抱き締めようとした。けど、おまえは躊躇った。

 「ごめんなさい。それはやっぱりまだ少しだけ待って。寄って来られると、やっぱり思い出すんだ。太平君とあいつとは全然違うのに。」

 「何があったのか聞いちゃ駄目か?云った方が楽にならないか?」

 「これはね、パパやママにも云ったことのないことで、知ってるのは美野里ちゃんと坂下君だけなんだよね。」それはそれでショックだった。

 「坂下には云ったんだ。じゃあ、誰にも云わないから、尚更聞きたくなった。」

 「妬いてくれるんだ。」

 「妬かせて喜んでるのか?」

 「そんなんじゃない。でも、正直、私のことそれだけ想ってくれてるんだと思って嬉しい。もう、太平君だけに甘えたいな。」

 「素直になって甘えればいいじゃないか。俺は絶対に琴美のこと大切にするし、絶対に裏切らないよ。」

 「私、処○じゃないの。それも、中学入る前からなんだよ。」

 「それ、俺だって同じだし・・」突然のあまりに衝撃的な告白に、咄嗟に云い返して、はっとした。事情が違うだろうこととか、何も考え無さ過ぎた。

 「何か、凄いびっくりした。」

 「それは、俺だって同じだよ。」

 「太平君も初体験、小学生だったの?」

 「でも、琴美の場合と全然違うと思う。」

 「大平君から、先に告白して。何があったか告白して。私も太平君のことをもっと知りたいの。」と云われても、

 「琴美に、俺の過去は云えない。」当然。

 「じゃあ、私も云えない。」その後少し沈黙があった。

 「俺が話したら、琴美も話してくれるのか?」又少し間があった。

 「うん、ちゃんと正直に云ってくれたら、私も云うよ。」決心した様だった。でも、俺は迷っていた。云わなければ、云ってくれない。かと言って、あんな汚れた過去を打ち明けて、琴美の俺に対する気持ちがどうなるか、まじ恐かった。それでも、坂下には打ち明けられたことが、俺には閉ざされたままという事実が、俺の心を突き動かした。乗り越えなければ進展出来ないとも思った。

 「俺、とんでもない悪ガキだったんだ。」そして、小6の修学旅行で、ませた者同士先生の目を盗んで初体験したことや、中学時代はやりまくっていたことまで話し出した。

 「もういい。もう聞きたくない。」やっぱりまずかったなと思った。

 「そうだよな。こんな話し、胃潰瘍にはよくないよな。」

 「太平君は、私と違って遊んでるんだとは思ったけど、正直違い過ぎるんだね。何か根本から違うって分った。」一瞬のショックは半端なかったけど、そこで怯んだら何もかも台無しになると思い、兎に角信念を貫こうとすぐに切り替えた。

 「でも、今は違うんだ。肝心なとこをまだ話してないし、まじで凄く後悔してるんだ。病気とかも恐くなって、エイズの検査にも行ったことあるし、それからは全然していない。信じて欲しい。検査も大丈夫だったし。」

 「エイズ受けたんだ。あれ、凄いどきどきするよね。私の場合は完全にレイプだったから、相手がどんな奴でどんな病気持ってるか分らなかったから・・」

 「さり気なく云うんだな。予想はしてたけど、琴美の口から聞くと、まじショックだな。辛かったんだよな。」意外とあっけらかんと云ったかと思ったら、俺の言葉を聞いた途端、おまえの目から大粒の涙が溢れ出るのが分った。どれだけ辛い思いをして来たのかという気持ちと同時に、強い罪悪感に襲われた。俺は、無意識のうちに罪滅ぼしをしようとしていたのかもしれない、と思った。

 「ごめんな。俺みたいな屑が、どれだけ人を傷付けて来たかと思うと、何か、いたたまれないというか・・」

 「もういいよ。太平君は後悔して、ちゃんと改めて生きてるんでしょ?・・・泣いてるの?」紗枝のことを思い出していた。今頃になって懺悔の気持ちになっても遅過ぎるのに、紗枝を死に追いやったのは間違いなく自分だと、抱え切れない程の罪悪感に押し潰されそうで、耐えられずに泣いていた。この日2度目の涙だった。すっかり涙線のスイッチが入ってしまったな、って感じだ。

 「男のくせに、かっこ悪いよな。」

 「そんなことないよ。人の心の痛みが分って泣ける人は素敵だと思うよ。」結局2人して号泣していた。そのままお互い何も云わず、しばらく泣いた。

 「誰にも云わなかったってことは、琴美を襲った奴ってまだ捕まってないんだよな?」涙がちょっと落ち着いたのを見計らって聞いてみた。

 「云い訳になるけど、学習塾の帰り道で暗かったから、事件以来もう5年半もなるのに、恐くて夜になると手を繋いでもらわないと歩けないんだ。」

 「そっか、そういう訳だったのか。そんで、日が暮れることに神経質になってたんだな?なあ、これからは夜も俺が琴美を守ってやるからな。もちろん絶対暴力は振るわないし、命がけで大切にするよ。」

 「ありがとう。凄く嬉しい。でもね、これだけは云っとかないといけないと思うんだけど、その犯人はもう死んでるんだよ。」

 「へっ?犯人の正体知ってたのか?」

 「さっきもうこれ以上聞かないでって云ったばかりなのに、これもね、美野里ちゃんが関わってるんだよね。」

 「何だよ、それ?話しがよく見えないな。」

 「レイプされた時ね、あいつはグレーの目出し帽を被ってて、暴力で冒された挙句、私が耳鼻科の娘だと知ってて、人に云ったら殺すって脅されたの。」

 「許せねえ!そいつが卑怯なせいで、琴美はずっと苦しみ続けて来たんだろ?」

 「やっぱり、美野里ちゃんと同じ様なこと云うんだね。」

 「佐伯が、そいつをどうかしたのか?」

 「分らないけど、美野里ちゃんに告白した1か月後にね、入間君の事故の時、そいつが死んだんだよね。」

 「あっ、グレーの目出し帽って、新聞に載ってたな、そう云えば。って、偶然かよ?それって。確か、琴美と佐伯は入間達とあまりいい雰囲気じゃなかった気がするけど・・」かなりやばいことに気付いてしまった気がした。

 「やっぱりそう思うでしょ?普通に。やっぱりこれって偶然じゃないよね。」

 「おいおい、そう云えば、何か心当たりになることが他にもあるよな。」

 「でしょ?」

 「でしょって、まじやばくないか?もしかして、琴美の胃潰瘍の原因のストレスって、佐伯のことが大きいんじゃないのか?恐いって云ってたのはそういうことだったのか。」

 「ストレスの原因はそれだけじゃないけどね。」

 「優菜のことも解決しなくちゃいけないし、俺がもっと琴美の安心にならないといけないんだよな。なのに、あんな話ししてごめんな。」

 「私が話してって云ったんだから、しょうがないよ。」

 「なあ、こんな俺じゃ嫌か?」

 「過去はいくら頑張っても、変えられないじゃない。でも、正直ちょっとショックだった。だから、今日はもう心の整理に独りにして欲しいな。」

 「それって、俺振られたのか?」

 「違うよ。振るのに、下の名前で呼び合う様になる訳ないでしょ。」

 「分ったよ。又明日来るな。嫌じゃなきゃ。」

 「太平君だって、ネガティブに考えてることない?私はただ臆病なだけだよ。やっと硬直した心と体が解けかけているのに、見離さないで。」その言葉を噛み締めて、その日は病院を後にした。正直、おまえだけじゃなく、俺にも心の整理が必要な要素が一杯あった会話だった。

 翌日も、部活の後おまえに会いに行った。それを見送る優菜の哀しい顔に、少し心が痛んだ。でも、おまえの笑顔に会えて、やっぱり来てよかったと思った。耳鼻科があるせいか、おまえの両親は帰った後で、2人きりになれた。

 「なあ、何かして欲しいこととか、昨日聞くの忘れたけど、持って来て欲しい物とか、遠慮なく云ってくれよな。」

 「そうだね、苦しくなった時とか、背中とか撫でてくれたら嬉しいな。」

 「こんな風にか?」試しに撫でてやると、おまえは凄く気持ち良さそうにしてたな。」

 「こういう風にされるの好きなんだよね。もう最高で、凄く嬉しい。」

 「持って来て欲しいものの方は?」

 「もう持って来てくれてるよ。」

 「早く会いたくて、何も持って来てないのにか?」

 「その太平君の優しい気持ちを持って来てくれたのが、1番だよ。」

 「何か無理矢理なこじつけの気もするけど、それまじ嬉しいな。何か、抱き締めたくなるな。」

 「けど、それは待って。臆病過ぎると思われるかもしれないけど、きっともうすぐ、もう大丈夫だよって云えそうな気がするから、もう少しだけ待って、お願い。」その言葉に、確実に心が溶け合って来ているのを感じ、その日も満足して帰った。

 そして、その翌日も、俺はおまえの背中を撫でに行った。

 「ねえ、太平君。大事なこと云うの忘れてたんだけど、パパがね、素敵なボーイフレンドだねって、凄く喜んでくれてるんだよ。ボーイフレンドって云い方は古いけどね。ママも頑張りなさいって云うんだよ。」

 「そっかあ。なあ、琴美の名前って、楽器のお琴に由来してるって聞いたことある様な気がするんだけど、お琴とか弾けるんだっけ?」

 「太平君には云ってなかったかなあ?私の両親は和楽器が縁で結婚してて、弟の太平は太鼓の太で、名に恥じない様に太鼓上手いし、私はお琴得意なんだよ。」

 「聴いてみたいな、琴美のお琴。」

 「うん、退院したら家に来て。私の部屋にね、お琴あるんだよ。それとね、キ○もしたいし・・」

 「今、何て云った?肝心なとこがよく聞こえなかったんだけど。」

 「私ね、中学入る前から処○じゃないのに、キスはまだしたことがないんだ。」

 「何か、俺も初めてみたいにときめいているんだけど。」

 「一緒だね。」そう云って笑うおまえは超眩しくて、可愛い。そんなおまえと日に日に打ち解けて行ってるという実感で、超幸せだった。

 「琴美、おとといと比べたら、大分元気になったな。」

 「太平君のおかげだよ。毎日ね、太平君が来てくれるのが凄く嬉しくて、楽しみなんだよね。」

 「じゃあ、明日はもっと楽しみだな。」特に深い意味はなかった。ただ、今日よりも明日、おまえとの距離が縮まってる様な気がして、期待していた。

 「でもね、明日は耳鼻科の夕方の診察ないから、パパとママが来てるかもしれないよ。でもいいよね。パパもママも、太平君のこと気に入ってるし。」

 そして、その翌日雨の中行ってみると、おまえの予測通り、病室に行くと両親が来られてた。

 「いつも、ありがとうね。」お母さんが笑顔で迎えてくれた。

 「あ、あの俺も好きで来てますから。」

 「荻野君のおかげで、琴美がみるみる元気になってるんだ。胃潰瘍になる前よりも元気なくらいで、何てお礼云っていいか分らないよ。」

 「パパもママも、分ってるなら、さっさと帰って。挨拶出来たら充分でしょ?」

 「はいはい、じゃあごゆっくりね。」

 「あの、すみません、俺が追い出したみたいで。」

 「気にしなくていいんだ。琴美をよろしくね。」両親は帰って行かれた。

 「何か、琴美退院出来るんじゃないか?もう。」

 「うん、先生も快復が順調だって、びっくりしてたんだよ。でもね、かなり悪かったから、もう少し病院で様子を診ようって。だからまだもう少しなんだよね。」

 「そうか、早く退院出来たらいいな。」

 「でもね、ちょっと複雑なんだ。この病室で太平君と打ち解ける様になったから、もう少しここでの時間楽しみたいって云うか、ね。」そして、この日も、すっかり日課になった背中を撫でる行為を繰り返しした。おまえの笑顔が日増しに愛おしくなっていた。

 そしてその又翌日、運命の11日金曜日。気が付かなかったけど、優菜が後を付けて来た。後で分ったことだが、3日がかりでやっと病院まで来れたらしい。俺に続いて病室に入って来た時は、優菜の執念を感じた。

 「何しに来たんだ?」

 「悪いことしたと思ったから、謝りに来たんだけど、悪かった?」

 「純粋に謝りに来たならいいけど・・」

 「ごめんね、高田さん、意地悪云って。太平の大事な友達なのにね。」

 「なあ、優菜。いや、優菜さん。」そう云って俺はいきなり病室の床に膝ま付いて、土下座の体勢を取った。

 「何、太平、止めて!それだけは止めて!」

 「優菜さん、すまない。俺みたいな奴を好きになってくれて、」

 「止めてよ!お願い!」

 「今まで一杯尽してくれて、」

 「止めてったら、もうそれ以上云わないで!」

 「でもな、本当に申し訳ないけど、」

 「嫌だー!お願い云わないでー!」

 「俺、優菜さんの想いに応えることは出来ない。」

 「云わないでって云ったのに、嫌だー!」

 「本当にごめんな。」土下座しながら云う俺に、優菜はたじろぎ、ついに言葉を失った。そして、みるみる大粒の涙を零して、泣きながら病室を出て行った。

 「何か、可哀そう。飯岡さん、ほんとに太平君のこと好きだったんでしょ?」

 「でもな、それにちゃんと応えることの出来ない俺が、このまま中途半端にあいつと付き合うことの方がずっと不誠実で、可哀そうなことになると思うんだ。俺が本当に愛してるのは、琴美1人だからな。」

 「ありがとう。飯岡さんの気持ちを犠牲にしたんだから、太平君の気持ち、絶対に無駄に出来ないんだね。」

 「ああ、俺にはもう、琴美を愛することに、何も足かせはないんだ。」

 「ありがとう。そんなに私のことを想ってくれて、ほんとにありがとう!もう、私もこれで素直になれるよ。もうとっくに体も強張らなくなってるし、抱いてくれて平気だよ。」おまえは涙を一杯溜めていたなあ。

 「琴美、愛してるよ。」ベッドのおまえを強く抱き締めた。

 「太平君、私もこの日が来るのをずっと待ってたんだよ。私だって、太平のことずっと好きだったのに、体が心とばらばらで苦しかったんだよ。だから、今は凄く幸せ。ずっと一緒に居て、ずっと抱き締めていて欲しい。」

 「ああ、ずっと離すもんか。俺は一生琴美のこと大切にする。愛してるよ。」

 「私も、太平君のこと愛してるよ。」そう云うと、おまえはそっと目を閉じた。

唇を合わせた瞬間、それまでには感じたことのない超幸せという名の電流が体を駆け巡った。まるで、ファーストキスの様に・・・

 この物語はフィクションであり、実在する個人及び団体等とは何ら関係ありません。さて、その件なんですが、登場人物の名前はかなり適当に、およそ有りそうであまり無さそうな名前を、あまり偏ることなく付けているつもりです。それでも気になって、先日、登場人物と同じ苗字が実際どれくらい存在するのか調べてみました。すると、意外と多かったものや、かなり希少なものなどあって、結構参考になりました。それはさておき、人の感情って、上辺の世界よりも遥かに大きいと思いませんか?1人1人の中に宇宙とか、異次元が存在する様に思いませんか?誰かを好きになるってことは、その果てしない世界に焦がれる様なものかもしれないなって、大袈裟でしょうか?それが両想いなら、素敵ですよね。そんな互いに想い合える人と出会えたら、どんなに幸せでしょう。貴方にはそんな方いらしゃいますか?などと余計なこと聞いてしまいましたが、今回も長い話しにお付き合い頂き、誠にありがとうございました。

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