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決戦!大宮武道館

 来る日も来る日も一生懸命頑張って来たことが、果して実を結ぶか否かの勝負の時を迎えた時、貴方はその大切な時間を活かせますか?リセット出来るゲームとは違い、その1度のチャンスに全ての結果がかかっている時、命を懸けるのでしょうか?実際、たった1つしかない命を危険に晒すのは問題ですが、時にはそれくらいの意気込みが必要になる瞬間って、ありますよね?

 運命の全国大会まで1カ月を切り、私は焦っていました。京都のライバル=竹宮さんの実力が既にトータル300キロを軽く挙げられる程になってると聞いたからです。彼女には夏の全国大会で接戦の末負けている悔しい思い出があり、今度は絶対リベンジしたかったんです。第一勝ってリベンジしない限り、世界への扉も閉ざされてしまいます。けど現実は厳しくて、今の私の実力では苦戦は必至でした。勝ちたい!どんなことがあっても勝ちたい!そうしないと、坂下君と一緒にポーランドに行けないんです。彼は、腰痛を乗り越えてあんなに頑張ってるんだから。『諦めないで、焦らないで、明日を信じて頑張ろう!』と云う私の励ましや願いが届いたのか、彼はまるでサイヤ人の様に強くなって、大会へ向けて猛ダッシュしています。その姿はもうとっくに感動を超えて私の心を熱く燃え上がらせていました。仲間の1人だった彼がいつしか心の中で大きくなり、揃って世界大会出場を決めて抱き締め合いたいと願う様にまでなっていたんです。男兄弟に挟まれて、大好きな漫画だって少女漫画には見向きもしないで、少年漫画のかっこよさに染まった男子みたいな私。表向きに言葉使いだけは矯正してはいたんですが、それがこんなに女子らしい気持ちになるなんて自分でも意外ですが、それが正直な気持ちです。だからこそ、竹宮さんにも誰にも負けない様、坂下君の頑張りに恥じない様、毎日必死で頑張り続けました。何より、自分に負けたくなかったです。とは云うものの、他にアルバイトや英会話教室、それに期末テストが重なって、そこへ生理まで来て、さすがに体は限界になってました。女子のアスリートにとって生理は大問題で、それが試合と重なったら最悪なんです。そのサイクルを薬でどうにかしようとすると、ドーピングとかのリスクがあるし、だいたい上手くずらせるか分からないんです。それが大会の丁度3週間前に始まったのは、いい流れです。そこへ丁度、坂下君と私がこれ以上無理し過ぎない様に、毎週水曜日が強制休養日になったのもラッキーで、期末テストが前日に終わって1つほっとして、7日は放課後速攻で帰宅し、久し振りに夕方から爆睡しました。お母さんが、「脱いだものはちゃんと片付けなさい。」とかうるさいけど、もうそんなのどうっだっていいじゃないって感じで、何も考えず、夕飯も食べずに朝まで熟睡しました。凄くすっきりして、夕飯で食べるはずだったおかずとかも、朝からたいらげちゃいました。

 「真奈美、もうちょっと落ち着いて食べなさい。」

 「そんなこと云ったって時間もないし、たくさん食べたいし・・」口の中をもごもごさせながら返事して、後はひたすら黙ってがっついた挙句、慌ただしく登校しました。そして、その日の練習は、坂下君と共に絶好調でした。テストは終わってるし、生理も終わりかけだし、こうなったら突っ走るのみだ!

 翌日9日はちょっとした事件がありました。それも3つ程あって、それが全てB組の佐伯さんがらみでした。まず1つ目は、社会の難しかったテストで、奇跡の満点を取ったのが彼女だと分かりました。あの子がそんなに賢かったなんてとても意外でした。次に3時限目の体育の時間、体育館で見学をしていた彼女が貧血で倒れたんです。もうびっくりしました。私は、彼女を保健室に連れて行く役をかって出て、おんぶして連れて行ってあげました。

 「一体どうしちゃったの?」取っ付き難かった佐伯さんも、最近慣れました。

 「体調悪くて、それなのに無理に来ちゃったから・・」彼女の方も慣れて来てくれてました。

 「駄目じゃない、無理したら。」

 「迷惑かけてごめんなさい。」

 「気にしないで。私は全然平気だから。」

 「でも重いでしょ。」

 「全然、こんなのトレーニングにもならないわよ。」

 「凄いな。女子なのに、大人の男の人におぶってもらってるみたいにゆったりして、安心出来る。」

 「そう?お父さんみたいでしょ。」

 「あ、けど男の人におぶってもらったことないな。お父さんは4つの時急病で死んだしね。」うっかり悪いこと云ったと思いました。

 「ごめん、知らなかったの。」

 「気にしないで。私は全然平気だから。」

 「それ、さっき私が云ったセリフだ。」

 「おあいこだね。」そう云って笑ってます。正直、社会で満点取った子とは思えない様な子供っぽさを感じました。

 「佐伯さんは、社会で満点だったんだってね?」

 「まぐれなの。」

 「あのテストの内容で、まぐれは通用しないと思うな。尊敬しちゃう。」

 「月岡さんにそんなこと云われたら照れちゃうな。月岡さんは女子の間でも憧れの人だし、男子にももてるんでしょ。」

 「それが全然もてないんだ。私、女子らしくないしさ。」

 「でも、彼氏いるんでしょ?」

 「いないよ。好きな人はいるけどね。」坂下君のことを仄めかしちゃいました。

 「月岡さんが好きになる人ってどんな人かな?パワー部の人?」

 「な・い・しょ。」

 「きっとね、その人も月岡さんのこと好きなんじゃないかな?」そう云われて、急にうるっとなりました。自分でもびっくりする程、彼のことを想う度熱くなる様になってました。

 「だったらいいんだけどな。」少し間を置いて答えました。

 「月岡さんは、充分女子らしいよ。」そう云われて、どうっと泪が溢れて来て、何も喋れなくなりました。

 「怒っちゃったの?」何も云わなくなった私に、佐伯さんが心配してきました。

 「ごめん、何でもない。怒ってなんかいないわよ。」

 「よかった。」彼女がそう云ったところで丁度保健室に着いて、ベッドの上に彼女を下ろしました。

 「ありがとう。」お礼を云う彼女に少し後ろを向いて、泪を拭きました。

 「お大事にね。もう無理しちゃ駄目よ。」振り返って云ってから、保健室を出ました。

 そして更に最後は、部活に行ったら、何と彼女がいました。“何しに来たんだろう?もしかして、見学しようと云うのだろうか?体調悪いなら、早く帰宅すればいいのに・・”なんて思いながらも、

 「佐伯さん、大丈夫?」声をかけてみました。

 「ありがとう。凄く気持ち良かった。おかげで少しよくなったけど、1人で帰るの無理だから、今日は横井先生の家に泊めてもらうの。」

 「横井先生の家って、確か舞ちゃんの家の近くだったね?」ふと思いつきで云ったんです。すると、

 「月岡さん、城崎さんのことよく知ってるの?」意外と食いついて来ました。

 「よくってほどじゃないけど、友達だから、一応ね。佐伯さんは、舞ちゃんと仲いいの?」舞ちゃんのことよく知ってる様な気がしたんです。けど、

 「ただのクラスメートだよ。」あっさり話題を打ち切られました。

 「そうなの。それで、今日は見学?」

 「うん、一度見てみたいなと思って。」

 「何かちょっと恥ずかしいな。」

 「どうして?」

 「最近、どうしても勝ちたいって気持ちが強過ぎて、すぐ泪出ちゃうんだ。泣きながらなりふり構わずがむしゃらにやるから、きっと傍から見ると凄く格好悪いと思うの。」

 「そんなことないよ。一生懸命やってる姿見て、格好悪く映ったりしないよ。」

 「ありがとう。何か嬉しいな。じゃあ、ゆっくり見て行ってね。」その後坂下君と話したけど、佐伯さんのことに妙に無関心で調子狂いそうだったので、さっさと練習始めました。珍客が居ようが、私のペースは崩しません。この日も、いつも通りなりふり構わず目一杯やりました。何故なら、自分に負けたくなかったから。自分に負けたら、世界にも、坂下君にも手が届かなくなると思ったからです。その彼は相変わらず絶好調だったけど、練習が終わると佐伯さんに見向きもせずに、私にもちょっとそっけなく、さっさと帰ってしまいました。何かあったのかな?心配で呼び止めようと思ったんですが、佐伯さんもいたので、気にしない様にしました。

 「どうだった?かっこよくはないけど、活気はあったでしょ。」

 「うん、凄く感動した。試合たしか25日だよね。」

 「応援に来てくれるの?」

 「うん、絶対行く。」

 「大宮武道館、10時頃からだからね、よろしく!」

 「佐伯さん、待たせたわね、歩ける?」丁度、横井先生がみえました。

 「おぶって行くわよ。」云いましたが、

 「大丈夫、だいぶ楽になったから。」あっさり断れて、

 「それにしても坂下君冷たいわね。」話しを振ってみました。すると、

 「でも、凄かった。めっちゃかっこよかった。」思った以上に感動してる様で、

 「でしょ。パワー部のエースだからね。」何か私にとっても自慢でした。

 「坂下君て、そんなに凄いの?」横井先生が聞いてきました。

 「腹筋なんてかちかちで、12個くらいに割れてるんですよ。」

 「えーそうなの?1度見せてもらいたいわね。」先生も興味津津です。

 「月岡さん、見たの?」更に佐伯さんまでも云ってきたので、

 「うん、見せて見せてって云ったら見せてくれるよ。」

 「私でも、見せてくれるかな?」

 「見せてくれるんじゃない。」そう云ってあげたら満足したのか、

 「今度の大会勝ったら、世界大会に行けるんだよね。」話題を戻してきました。

 「うん、だから燃えるの。」

 「月岡さんと坂下君は行けそうなの?」

 「坂下君は男子で競争激しいのに、今力はトップで確実に行けそうだけど、私はライバルが強いから必死なの。」

 「へえ、そうなのー!でも頑張ってね。今日は本当にありがとう!」

 「うん、こちらこそありがとう!お大事にね。」彼女は、横井先生に付き添われて、練習場から出て行きました。

 「佐伯美野里。底知れない、よく分かんねえ女だな。」すぐに倉元君が寄って来ました。

 「倉元君もそう思う?」

 「あー、あれはかなりの曲者だな。馬鹿っぽい女だと思ったら、あのテストで満点は普通有り得ねえ。出来るくせに馬鹿な振りしてやがるんだ。」

 「雰囲気も最近急に変わったんだよ。ちょっと前までは居るのか居ないのか分からないくらい影が薄かったし、小さな声で敬語しか使わないと思ったら、急に普通によく喋るの。不思議な子だわ。」

 「他に何か知ってるか?」

 「他に何かって何?何かあるの?」

 「いや、俺も知りたいからな。知ってることあったら、教えてくれよな。」

 「倉元君、あの子に気があるんじゃない?」

 「まさか、ねえよ。」あっさり否定しました。まあ私もそれほど興味がある訳ではなかったです。応援してくれることは嬉しかったけど、彼女の謎を追いかける程暇じゃなかったんです。金曜なので、この後すぐに英会話教室があり、土日はバイトと忙しいんです。実際、着々と予定をこなし、練習も12日、13日といつも通り目一杯やりました。しかし、その成果と云えば、坂下君ほど目覚ましく伸びません。もちろん、少しづつは伸びてはいるんですが、果してこんなので勝てるんだろうかと不安にもなります。それがついには、夢となって現れました。

 『何か大したライバルいいひんなあ。後は実力を出すだけやわ。』と竹宮しずかが笑っています。何を云ってるの?私を甘く見ないでよねと思ってスクワットに挑むんですが、上がらないんです。しずかとの差は開く一方で、ベンチはしずかの得意種目。まさかと思う重量を平気で上げてきます。それに対して私は遥かに軽いバーベルでした。『何や、もう勝負ついてしもた。何か拍子抜けやわ。やっぱり国内に敵いいひんかったんやね。まあ、世界行けるし普通に嬉しいけどな。』なんて憎たらしいこと云われて、『何よ、まだデッドが残ってるじゃない。』と云い返しても、その声も虚しく試合場が片付けられて行きます。更に追い打ちをかける様に、『任しといてえな、月岡さん。世界のリベンジは私がして来たげるさかい。』それに慌てて、『待って!勝負はまだ、待って下さい。どうして?待って!待って!』そう叫びながら目が覚めました。枕を涙でびっしょり濡らして、私はしばらく起きれませんでした。けれど、頑張ってバイト行かなくっちゃいけませんでした。というのも、本来バイトは土日ばかりでしたが、いよいよ大会が迫って来て、試合が終わるまでの間の土日のバイトは休ませてもらうことにして、その代わりこの14日にだけ入れたんです。だから、絶対行かなくちゃいけないんです。立つんだ!気合いを入れて起きました。

 1度起きてさえしまうとしゃきっと出来る私だから、バイトもいつも通り快調でした。高1の5月から続けている日用雑貨店です。もうすぐ満2年になります。

 「ごめんね、レジばかりさせて。月岡さん何でも出来るから、ついお願いしちゃうんだ。疲れただろうから、一休みして、後は品出しに回ってくれる?」

 「はい、分かりました。お願いします。」丁度その時、普段音楽が流れる業務用の店内放送で、はっとする曲が流れて来ました。それは初めて聴く曲でしたが、唄い出しの歌詞から、私の心を惹き付けて来たんです。

 『追い越し際の“おはよう”に 僕の胸はときめく

  君の声は僕の胸の奥深く届いて その応えを探してる

  だけど僕の声はまだ小さくて 君に届くはずもない

  限りなく遠い君の背中に 僕は少しでも近付きたくて

  来る日も来る日もただ追い続けた ただひたすらに

  流れる汗のその向こうには 眩しく輝く君の姿がある

  手を延ばせば届きそうな距離でも 君に触れることは夢でも出来ない

  でも諦めたりしないよ きっといつか追い付くから

  憧れが苦しさを超えて 僕は歩き続けるから

   (間奏)

  夢に出て来たその笑顔 僕の胸は高鳴る

  君の汗は明日の勝利だけ強く信じて その答えを求めてる

  だから僕も今はただ追いかける 君と同じその夢を

  少しづつ迫る君の明日に 僕は少しでも重ね合わせて

  想いも強さもただ真似続けた ただひたすらに

  流れる涙さえ振り払い 激しく戦う僕の想いがある

  手を差し出し繋ぎ合わす時まで 君への想いまだ口には出来ない

  ただ胸に固く誓うよ ずっと明日を信じるから

  輝きが眩しさを増して 僕も飛び立てるから

   (間奏)

  遥か遠い夢の彼方に 想いを乗せて

  君と共に行こう 明日をこの手に掴む為に

  遥か遠い空の彼方に 想いを馳せて

  君と共に飛ぼう 未来が拡がるあの世界に

  遥か遠い夢の彼方に 想いを乗せて

  君と共に行こう 明日をこの手に掴む為に

  君と共に行こう 2人の笑顔重ねる為に』

それは、

 坂下君の想い、そして私自身の気持ち。休憩室に向かう足を止め、耳に伝わって来る曲に合わせ、脳裏にこれまで歩んで来た映像が蘇り、無意識のうちに目を閉じていました。胸がどんどん熱くなって来るのを覚え、閉じた目からは涙が溢れ出して、それが止まらなくなりました。バイトに来て、どんな嫌なことや辛いことがあっても泣いたことなんて1度もなかったのに、曲が終わって休憩室に着いてからも感動は収まらず、涙が溢れ続けました。

 「月岡さん、どうしたの?お客さんに何か云われたの?主任に怒られたの?」

 「え、どうしたの?どうしたの?」昼休みでお弁当を食べ終わってくつろいで雑談していたおばちゃん達に、気付かれてしまいました。

 「月岡さんが号泣してるの。何かあったみたい。」次に、大学生の島袋ルナさんの声でした。

 「知らないわよ。一体何があったの?」休憩室はもう大騒ぎです。

 「すみません、何でもありません。」涙声で云うのがやっとです。

 「目真っ赤にして、何でもないってことないでしょ。」

 「ちょっとそっとしといてあげようよ。」

 「そうだね。でも何があったんだろうね?」

 「そろそろ行かなきゃ。じゃあごゆっくり。」

 「行こ行こ。品出し溜まってるし、頑張らないと・・」

 「おばちゃん達、行っちゃったよ。ゆっくり泣きなさい。」ルナさんは、私より1年早くこの職場でバイトしている優しい先輩です。

 「すみません。涙止まらなくなって・・」

 「どうしちゃったの?月岡さんが泣くなんて珍しいわね。」

 「今流れてた歌に感動して、涙が止まらなくなったんです。」

 「今流れてた歌って、絆の新曲のことかな?」

 「絆って、確かカエデっていう女性ボーカルのバンドですよね?」

 「うんそうだよ。確か今日発売日で、曲名はね“君と共に行こう”だったと思うな。」

 「えぇ、それで間違いありません。」私は又、頭に焼き付いた歌詞の一部を噛み締めて、込み上げて来るものが再び強くなり、声出す程大泣きしてしまいました。

 「なるほどね。2年連続世界大会出場目指す月岡さんの好きな子も、同じ部で世界目指してるんだね。どう?大当たりでしょ?」ここではもう、私のパワーリフティングのことをみんな知っていました。そして、ルナさんの図星の言葉に、泣きながら頷きました。

 「何か、この歌そのものって感じだね。感動が治まらなくって、仕事戻れる?」

 「涙止まらなくても、仕事はします。」

 「それはどうかな?お客さんに何か聞かれて応対出来る?」

 「でもやらないと・・・」と云いながら全然涙治まらないんです。正直、生まれてこんな感動して、こんな号泣したこと初めてでした。よりによって、バイト中なのにです。

 「もう今日は上がっちゃいなさいよ。事情云って来てあげるからさ。」

 「あの、でもそれは・・」私が止めようとするのも聞かず、ルナさんは休憩室を出て行ってしまいました。涙でぐちょぐちょだった私は、それを追いかけて行くことも出来ませんでした。すると、しばらくして主任さんが来ました。

 「聞いたよ、聞いたよ。今日はもういいから上がって。」

 「え、それじゃあいけない気がします。」

 「気にしなくても大丈夫だよ。みんな月岡さんがどんな子か知ってるから、今日のことくらいで評価が変わったりしないよ。それに仕事の方はもう余裕出来たし、いざとなれば残業したがってる子もいるから全然平気だし、月岡さんは心おきなく世界大会目指して頑張ってくれたらいいよ。みんなで応援してるからね。今日はお疲れさん。」

 「すみません。ありがとうございます。」もう余計感動して、私は涙でぼろぼろのまま早退しました。ちょっと複雑な気持ちでの初早退でした。そんな早退にもかかわらず、帰り道にCD店に寄って、早速“君と共に行こう”を買いました。CD自体久しぶりだったんですが、アニソン以外のCDを買ったのは初めてだったと思います。

 「どうしたの?真奈美、今日は夕方までじゃなかったの?」帰るなり、お母さんに云われました。

 「ちょっと事情があって、早く終わったの。」

 「目、腫れてるわよ。何があったの?」

 「な・い・しょ。別にお母さんが心配する様な事は何もない。嬉し過ぎて泣いちゃっただけだから。もう、恥ずかしいから放っておいて。」

 「嬉し過ぎてって、バイト先で告白でもされたの?」

 「バイト先にそんな人いないわよ。それと、何度も云わせないでくれる。放っておいて!お兄ちゃんや真次にも余計なこと云わないでね。」みんなで私のこと、いつまでも子供扱いしてからかうちょっとうざい家族です。“私はもう子供じゃないわよ。早く自立してやる!彼氏だって、飛び切り一途で素敵な人いるんだから。ただ、今はまだお互い表に出さずに秘めてるだけ。”そんなことを思いながら、さっさと自分の部屋に戻って、買って来た“君と共に行こう”をウォークマンに入れたりしました。そして、何度もリピートして浸りました。

 翌日は早速ウォークマンを聴きながら部活に行き、みんなに会う直前までその曲を聴いていました。

 「おはよう、真奈美。」

 「あ、おはよう、園香。」

 「何で、あんた朝から泣いてんの?」涙拭くのも忘れてました。

 「ちょっとこれ聴いてたから、うるうるきちゃった。」とウォークマンを指しました。園香がそれを見るのは久し振りだったと思います。

 「珍しいね。英会話?で泣く様な内容なん?」

 「違うよ。」笑って答えると、

 「じゃあアニソンにそんなに泣ける曲があるの?」

 「あるのかな?あんまりそういう経験ないな。」

 「てことは、アニソンでもないんだ。」

 「絆の新曲で、“君と共に行こう”って曲、知ってる?」

 「知らない。どんな曲?ちょっと聴かせて。」すんなり聴かせてあげました。

 「どう?いい曲でしょ。」右耳で聴いてる彼女に、どうだと云わんばかりに云うと、

 「うんうん、これ凄いねえ。今の真奈美にぴったりじゃん。時期的に云っても、まるで真奈美と坂下君の為の歌みたいだね。これ坂下君にも教えてあげた?」

 「ううん、まだ云ってないんだ。」全ては25日と、自分にそう言い聞かせてました。

 「真奈美、すっかり恋する乙女になっちゃったね。うわ、本当これ泣いちゃうよね。」それを一切否定しませんでした。もう照れてる場合でもなかったので、素直に受け入れて、最高のモチベーションで練習に励みました。どんなに体が辛くっても、それまで行き詰っていた壁を乗り越える力を、その曲は与えてくれました。それからというもの、練習中に休憩を挟む時はいつも、坂下君と会話するか、その曲を聴くかのどちらかをする様になりました。そうすることによって、私は絶好調になりました。

 「何聴いてるの?」大会が3日後に迫った練習の合間、ついに坂下君が聞いて来ました。彼が近付いて来てることに気付かずに、目を瞑って“君と共に行こう”に浸り切って涙を流している顔をしっかり見られちゃいました。

 「坂下君も聴く?」その問いに彼は頷き、私はイヤホンの片方を彼の右耳にはめてあげ、リピートをかけました。すると彼の目からもみるみる涙が溢れて来て、2人で両頬を濡らしながら最後まで聴きました。初めて見る彼の涙でした。何も云いません。黙って頷き合いました。もう全てを物語っていて、私も言葉を求めませんでした。体は限界に来てて、もう試合前の調整をするべき状態でしたが、心の中はほんのり温かくなり、辛さを忘れてやり抜きました。後は、勝つのみです!


 3月25日日曜日、ついに運命の日がやって来ました。天気は晴れ。調整をそこそこに、ただハイテンションと強いモチベーションを引っ提げて迎えたこの日でした。絶対に負けないと、ぎんぎんに熱い気持ちで試合会場の大宮武道館にやって来ると、いきなり偶然竹宮しずかとばったり出くわしました。ほんの僅かの瞬間的なものでしたが、間近で目が合い、互いの闘志が空気中でぶつかった気がするほど、熱い睨み合いでした。いざ、決戦の舞台へって感じです。

 会場に入ってまず、競技に先立って検量が行われます。検量とは、階級別に争う競技故の体重チェックです。その結果、57キロ級で戦う私は56.2キロで余裕のパスでした。ライバルのしずかは56.7キロでもちろんパスでした。そして、大好きな坂下君は59キロ級で、59.0キロというぎりぎりのパスでした。わざとでしょうか?神業の様な体重調整です。ところで、その検量の時、ちょっと懐かしい人と再会しました。

 「月岡さん、久し振り!」根岸綾莉ねぎしあやり。中学で陸上やってた時の走り高跳びのライバルだった子です。

 「綾莉ちゃんもパワーやってたの?」

 「私は高跳びで東京の高校に入ったから、今でも走り高跳びの選手よ。トレーニングにパワリフ取り入れてて、勧められて出て来たの。月岡さんこそ、関東大会出て来ないなと思ったら、陸上はもうやってないの?」

 「陸上で世界行くのは無理だから、パワーリフティングに懸けたの。」

 「そうだね、結局私には勝てなかったしね。でも、高校じゃ負けないって云ってたんじゃなかったっけ?逃げたんだ。」“何?久し振りに会ったと思ったら、喧嘩売ってるの?”って感じで、正直凄くむかついて、闘志に余計火が点きました。

 「さすが綾莉ちゃん、高校は特待生だったんだ。高跳びの負けは認めるわ。けどパワーは負けないわよ。」

 「ふーん、じゃあ即席の私に負ける訳にいかないね。パワーリフティング選手の実力を見せてね。」“云われなくても、見せてやる。”と思いました。しかし、スクワットのアップが始まり、私は愕然としました。

 女子の57キロ級は私を含めて6人の争いですが、他の3人はともかく、しずかと綾莉は私より重いバーベルを軽々挙げています。しずかの得意種目はベンチですが、このスクワットも凄いんです。デッドが苦手のはずですが、克服していれば私に勝ち目はありません。綾莉は高跳びの選手だから脚力が強いのは予想していましたが、まさかこれ程とは思いませんでした。デッドも強い可能性が高い気がしました。ベンチで差を付けることが出来なければ、綾莉も馬鹿に出来ません。私の得意は最後のデッドですが、そこへ勝負を持ち越せるくらいの差で付いて行かなければやばいです。“でも負けたくない。どうしても1番になりたい。泣いちゃ駄目!まだ泣くのは早過ぎるぞ、真奈美。”自分に言い聞かせてぐっと堪えて、テンションを保っているのがやっとでした。それに引き換え、坂下君は落ち着いていました。どちらが世界大会出場経験者か分からないくらい落ち着いていました。男子59キロ級は25人の争いで、同年のライバル浦和一高の辻洋一の他に、3年の早生まれの栃木県卓新学園の谷地克彦も出ていました。本来卒業している3年生が高校生の大会には参加出来ないものですが、このパワーリフティングという競技は、卒業した3年生も、世界大会に出場の年に満18歳になる人はサブジュニアとして、1,2年生と同じ舞台で戦えるんです。従って3月生まれの坂下君は、翌年もこの大会に出ることが可能なんです。それなのに、前年夏の大会で3位だった坂下君は、その大会で4位だった辻洋一や、5位だった谷地克彦の記録と比べて、夏の時点の僅差よりもかなり引き離していて、今年のこの大会で既に断トツの優勝候補でした。体重こそ、入学当時から大して増えていないと思うんですが、初めはおっとりしてひ弱そうだった彼が、もう見違えるほど力強く逞しい男性に成長しています。

 「緊張してないの?」

 「しない訳ないじゃないか。でも、今日の為に全力で鍛えて来たんだ。必ず勝ってみせるよ。だから、真奈美さんもファイトだよ。」

 「眩しいな。坂下君、眩しくなった。」

 「何云ってるんだよ。僕にとって真奈美さんはずっと眩しい存在なんだ。その人からそんなこと云われたら照れるじゃないか。」

 「私が眩しい存在?私も照れるじゃない。」すると彼が笑いました。私も笑いました。不思議です。笑い合ってるうちに余計な肩の力が抜けて、再びいい緊張感に包まれて行きました。“よし、間もなく出番だ。やるぞー!”女子57キロ級の競技が始まり、まずはスクワット、前の3人の第1試技が終わり、次は私の番です。

 「バーイズ・ローデッド!」コールがかかります。私は、息を大きく吸い込み、足を前に踏み出しました。

 「ゼッケンナンバー12番、大宮学園高等学校、月岡真奈美選手。重量100キログラム。」

 「月岡、自分を信じて、猛練習の成果見せてやれ!」滝先生の後押しです。

 「真奈美、ファイトー!」園香達の声も聞こえます。

 「真奈美ー!」お父さんも来てくれています。

 「月岡さん、頑張ってー!」舞ちゃん達、学校の友達も応援してくれています。

 「真奈美さん、ファイトー!」そして、坂下君の声です。それらの声を背中に受けながら待機場所から数メートルの距離を行き、振り返りバーベルの手前で立ち止まりました。

 「お願いします。」大きな声で云って礼をしました。周りが一斉に静かになり、静寂に包まれた会場で、胸の鼓動だけがドクンドクンと聴こえる中、バーを握りに行きました。脚を少し緩め、頭をくぐらせて、肩にバーを乗せました。“さあ、いよいよ戦いの始まりだ!行くぞ、真奈美!”自分自身に心の中で掛け声をかけながら、少し緩めていた脚を伸ばしました。その途端バーがラックから外れ、100キロの重量が全て私にのしかかりました。“大丈夫、行ける。”確信して、足元を見ながらゆっくり後ろに下がり、定位置で止めた。“集中するんだ。よし今だ!”顔を上げ、主審を見ました。

 「スクワット!」コールがかかって、重さに押し潰されない様に踏ん張りながら腰を沈めて行きました。“まだだ、もう少し。よし、これで後は立ち上がるのみだ!”上がり始めた途端、静かだった会場が一気に盛り上がりました。

 「真奈、行けー!」

 「上げろー!」

 「行ける、行ける!」熱い声援を受けながら、私は力強く立ち上がりました。100キロの重量が確実に軽くなっていました。練習の成果です。

 「ラック。」主審の合図でバーを戻しました。

 「判定。」旗の色は、白3本。“まずはよし!”です。

 「成功です。」館内放送が会場に響きました。

 「有り難うございました。」大きくそう云って、競技前と同様に礼をして、第1試技を終えました。“感触は悪くない。充分戦える。そして、勝つんだ!”勝負に行く為、第2試技を一気に115キロに上げて申請することにしました。

 「バーイズ・ローデッド!」次は綾莉の番です。

 「ゼッケンナンバー11番、東京修徳高等学校、根岸綾莉選手。重量105キログラム。」

 私は中学時代、走り幅跳びの選手で有望視されていました。しかし、県大会での最高順位は2位。いつも上に綾莉がいました。2位でも関東大会に出られたんですが、そこでも綾莉に勝つことは出来ませんでした。悔しかったし、負けっ放しのまま終わりたくなかったのは確かです。高校に入ってパワーリフティングに転向したのは、別に逃げた訳ではありません。綾莉に対するリベンジが出来ないことは本当に心残りだったんです。ただ、それよりも未来に向かって前を向いていたかったから、世界に行けるパワーを選びました。そのかつての宿命のライバルが、まさかの今ここに、私の夢の前に立ちはだかっていました。

 「成功です。」綾莉はあっさり上げて、いきなり5キロ差を付けられました。彼女に対する悔しさがみるみる蘇りました。堪えるはずだった涙がもう込み上げて来て、少し涙目です。“誰にも見られたくない。こんな弱い私なんて、かっこ悪過ぎる。”

 「ゼッケンナンバー13番、京都酪農高等学校、竹宮しずか選手。重量105キログラム。」

 そして、この子の実力も脅威です。昨夏の悔しさは、まだついこの前のことの様に鮮明に憶えています。“リベンジするんだ!”その想いをあざ笑う様に、

 「成功です。」当然予想はしていましたが、しずかにもあっさり先を越されました。“落ち着け、真奈美。まだ戦いは始まったばかりだぞ!真奈美はそんな弱かったの?”そんなこと思いながら目を瞑っている私に、

 「真奈美さんのデッドはぶっちぎりだから、大丈夫だね。」坂下君の声です。振り向くと笑顔でした。

 「うん、ありがとう。」私は単純です。その一言と笑顔で闘志が復活しました。そして、第2試技です。

 「バーイズ・ローデッド。」再びコールがかかり、いつもの様に息を大きく吸い込み、いざ勝負です。

 「ゼッケンナンバー12番、大宮学園高等学校、月岡真奈美選手。重量115キログラム。」相変わらず大きな声援を受け、私は再度立ち向かいました。

 「お願いします。」再びバーを握り、頭をくぐらせ、肩に乗せる。そして、ラックから外した途端さっきの100キロより遥かに重い重量が私にのしかかった。でも、未知の重さではありません。練習で何度も挙げている重さです。“大丈夫、これもいける。必ず挙げてやる。”

 「スクワット。」コールを聞いて、すぐに屈み始め、しっかり屈んだところから一気に立ち上がります。“重い!でも、私は負けない!”大きな声援を受けながら止まることなく挙げ切り、「ラック。」の合図でバーを戻しました。

 「判定。」は白旗3本です。“よし!”

 「成功です。」

 「ありがとうございました。」第3試技は未知の125キロに挑戦します。私の意気が上がっていました。しかし、綾莉も第2試技で私と同じ115キロを成功させ、しずかは、117.5キロをクリアしてきました。しずかの強さは予想してましたが、綾莉の強さときたら、もうびっくりです。思わぬ伏兵はどこまでやるんでしょう?“でも、どうであっても私は負けない!ポーランドに行くのは私だ!”そして、第3試技です。

 「バーイズ・ローデッド!」さあ、ここからが勝負です。

 「ゼッケンナンバー12番、大宮学園高等学校、月岡真奈美選手。重量125キログラム。」

 「お願いします。」バーを握り、肩に乗せ、ラックから外してのしかかった重みはさすがにずっしり重いです。でも、この重さにも負ける訳にいきません。

 「スクワット。」コールを聞き、私は慎重に屈み始めました。“重い!やっぱり経験したことのない重さだ。”私は押し潰されそうになり、焦って早めに挙げ始めてしまいました。そして、次の瞬間突然軽くなりました。両側の補助がバーベルを支えたんです。“しまった!失敗だ。”もちろん赤旗3本です。

 「ありがとうございました。」“あー悔しい!”でも、もうこの分の取り返しはつきません。とりあえず、後の2人の試技を待つしか出来ませんでした。

 「ゼッケンナンバー11番、東京修徳高等学校、根岸綾莉選手。重量125キログラム。」綾莉も125キロです。“私の失敗をどう思って見てたんだろう?”正直、綾莉も失敗すればいいのにと思いました。この子に負けるのはもうたくさんでした。だから、さすがの彼女も緊張しているのを見て、人の失敗に期待してしまいました。しかし、その憎たらしいばかりの強さは私を打ちのめしました。余裕ではなかったにせよ、挙げ切ったんです。白旗3本です。

 「成功です。」まさかのスクワットで10キロの負けです。屈辱でした。

 「ありがとうございました。」その声が面白くなかったです。更に、しずかも125キロを成功させ、2人は並び、私は10キロも後方に置いて行かれてしまいました。悔しさに打ちのめされそうでした。しかも、さっきまで応援して励ましてくれていた坂下君は、男子59キロ級のアップに行ってしまい、ここからは何があっても自分で立ち直り、乗り越えて行かなければいけません。少し離れたところで、驚くほどの重量でスクワットのアップをしている坂下君の姿が見えました。“彼に恥ずかしくない戦いをしなくちゃ!諦めちゃ駄目。まだまだこれからなんだ。ベンチだって、頑張って力を付けて来たはず。”敢えて自分自身に集中し、人のアップを見ない様にしました。私のベンチの第1試技は、55キロです。果してライバル達は何キロで来るのでしょう?

 ベンチプレスの試技が始まりました。スクワットでしずかと並んでトップの綾莉は、ベンチでは6人中3番目のスタートです。

 「ゼッケンナンバー11番、東京修徳高等学校、根岸綾莉選手。重量35キログラム。」正直吹いてしまいました。それは彼女に対してではなく、彼女にこだわり警戒し過ぎた自分にです。せめて40キロか45キロで来ると思っていたので拍子抜けです。私はまず55キロに絶対の自信を持っていたので、この時点であっさり逆転出来、得意のデッドで再逆転を許すとはとても思えなかったからです。もはや綾莉はもう恐くありません。後はどれだけ差を付けて貫禄を見せ、今までのお返しをするかです。それよりも問題はしずかです。35キロを無難に成功させた綾莉のことよりも、まずは自分の力を確実に発揮することです。

 「バーイズ・ローデッド!」コールがかかり、私はベンチ台に向かいました。

 「ゼッケンナンバー12番、大宮学園高等学校、月岡真奈美選手。重量55キログラム。」

 「お願いします。」そう云うと、ベンチ台に仰向けになり、両足を踏ん張る体勢をとり、バーを握りました。55キロは私にとって、もう重くありません。落ち着いてそれを胸元へ下ろし、そしてあっさり挙げました。白旗3本です。声援を聴く間もない程の楽勝でした。第2試技の申請を65キロに上げることにしました。さて、ライバルのしずかは、

 「ゼッケンナンバー13番、京都酪農高等学校、竹宮しずか選手。重量65キログラム。」予想はしてましたが、恐るべしです。既に10キロ差を付けられてる上に、更にいきなり10キロも広げて来るんです。しかも、しずかはとても落ち着いて見えました。65キロのバーをはやることなく、実に優雅に挙げたんです。京都の宮廷競技かと思うほどのまったりとした余裕でした。もちろん白旗3本です。昨夏の悔しさが頭をよぎりました。それを無理矢理振り払って、第2試技を待ちました。その間、綾莉が40キロを失敗しました。戻って来て舌を出す綾莉に、私は表情を変えない様にしていました。

 「バーイズ・ローデッド!」再び出番が来ました。第2試技です。

 「ゼッケンナンバー12番、大宮学園高等学校、月岡真奈美選手。重量65キログラム。」もう引き離される訳にいかないので、失敗は許されません。緊張と落ち着きのはざまで、私は65キロに挑みました。絶対の自信のある重さではありませんが、練習で調子のいい時に何度か挙げている重量です。実際、仰向けになって重みがかかったこの時の感触は、“いける!”です。“焦るな!”自分に言い聞かせながら胸元までじっくり下ろし、“よし!”と思って挙げ始めました。今度は声援がはっきり聴こえました。私はそれにも応える様にしっかり挙げ切りました。白旗3本、成功です。“次は70キロに挑もう!”そして、しずかの第2試技は70キロで、これも難なく成功してきました。さすがにベンチは強いです。でも1度20キロに広がった差が、これで15キロ差になりました。次私が成功して、しずかが失敗すれば10キロ差に戻ります。仮にしずかが成功したとしても多分15キロ差で、デッド勝負が出来ます。“15キロ以内なら充分捉えられる。”そんなことを思い巡らせているうちに、第3試技は始まり、綾莉は今度は40キロを成功させていました。さあ、次はいよいよ私の出番です。

 「バーイズ・ローデッド!」勝負の第3試技です。これで明暗が出ます。

 「ゼッケンナンバー12番、大宮学園高等学校、月岡真奈美選手。重量70キログラム。」しかし、これまで70キロを成功してのは、練習でのたった1回だけでした。果して本番でベストの力が出るかです。実際バーベルは凄く重く、私は気負いました。そして、現実は残酷でした。第2試技までで腕が疲れていたのか、両腕にその重みを受けて間もなく、少し下ろしかけたところで崩れてしましました。しかも、深く落胆する私を尻目に、しずかは第3試技で75キロを成功させてしまいました。これで、スクワットでの10キロ差に、ベンチプレスの10キロ差が確定して、デッドリフトを残して計20キロ差になってしまいました。“明暗は私に暗と出たのか?でもまだ終わっていない。諦めちゃいけない。デッドのアップはいい感じだ。それに対してしずかは、やっぱりデッドはまだ少し苦手の様だ。でも、差はまだ20キロもある。”20キロの差を逆転出来る程の力の差がある様には思えませんでした。少し離れたところで、男子59キロ級の試技が始まっていました。そして、自分の出番を悠々と待つ坂下君の姿がありました。その彼が、私の視線に気付いてか、いえきっと私のことを気にして時折こっちを見てくれていたんだと思います。笑顔でいて、かつ強い眼差しで見つめてくれました。やがて、間もなく来る自分の出番に備えて、視線をそちらに戻しました。“坂下君、もしこのまま負けたらどうしよう?”もう涙を堪えるのが限界になりかけていました。頭の中で嫌なイメージが浮かんで来ては、必死で否定します。“どうせ泣いてしまうなら、あの歌を聴こう!”デッドリフトの試技が始まるまでの間、ウォークマンのイヤホンを付けました。初めて世界大会へ飛び立った成田空港上空の映像が蘇り、隣の座席に坂下君が居る願望が重なりました。そして、堪え切れなくなった涙を流しながら、その歌詞を噛み締めました。涙の向こうには、第1試技でとんでもなく重いバーベルを軽々肩に乗せて、スクワットで伸び上がる彼の雄姿が映りました。“置いていかれたくない。だから、決して負けないよ。だって、私も坂下君のこと大好きだから。勝って、笑い合いたいな。2人揃って勝たないと、私達のホワイトデーはないんだ。坂下君は憶えていてくれてるかな?そして、ちゃんと云ってくれるかな?その前に、その為にまず勝たなきゃ!絶対に逆転して勝たなきゃ!勝つんだ!勝つんだ!勝つんだ!勝つんだ!勝つんだ!勝つんだ!勝つんだ!勝つんだ!”そんな強い自己暗示をかけている間にもデッドリフトの試技が始まり、やがて綾莉の出番が来ました。

 「ゼッケンナンバー11番、東京修徳高等学校、根岸綾莉選手。重量110キログラム。」

 “そう云えば、私が涙を流しながら‘君と共に行こう’を聴いてる時に1度綾莉が見ていた様な?ドン引きしたかな?陸上の競技会ではそんなとこ見せたことないからな。人前で泣くのは恥ずかしいことだと思ったのはもう昔のことだ。私も、彼のおかげで随分女子らしくなったもんだ。もう勝てれば何でもいい。兎に角勝ちたい!”そんなことを思ってる間に、綾莉は110キロを成功させていました。

 「ゼッケンナンバー13番、京都酪農高等学校、竹宮しずか選手。重量110キログラム。」私が120キロスタートだから、どちらも第1試技成功なら、その時点で10キロ差になります。問題はこの110キロをどれくらいの余裕を持って挙げるかです。これがぎりぎりなら、私は130キロでいいことになります。130キロなら、きっと挙げることが出来ます。私の自己ベストは、この前の練習で2度挙げた135キロです。130キロは何度も挙げてるし、成功率も高いです。しかし、そんな弱気な期待はあっさり裏切られました。しずかは、110キロを簡単に挙げたんです。“まだ行けるの?私の追い上げを、余裕で振り切る気なの?そうはさせない!私だって・・・”

 「バーイズ・ローデッド!」コールがかかり、いざ出陣です。

 「ゼッケンナンバー12番、大宮学園高等学校、月岡真奈美選手。重量120キログラム。」

 「お願いします。」そう云うと、私はバーの正面に立ちました。“ここからが本当の勝負だ!”と自分に気合いをかけました。そして、バーに手をかけ、握り、それを一気に挙げました。元々自信のある背筋力を更に鍛え上げた私の力です。余裕の白旗3本です。次は130キロに挑むことにしました。そして又念じながら心の中で、“勝つんだ!”を繰り返しました。

 「ゼッケンナンバー11番、東京修徳高等学校、根岸綾莉選手。重量120キログラム。」ただひたすら心で叫んでいる間に、いつの間にか綾莉の第2試技が始まりました。もはや問題ではありませんでしたが、今度は綾莉の試技を見てました。

高跳びでは1度も勝てなかったけど、ここではパワー部員として面目を保てそうです。私が余裕で挙げた120キロを、綾莉は散々もがいた挙句、諦めてバーを下ろしました。“勝つ!”イメージを自分に植え付けたい思いで、それを見詰めていた気がします。さて、次は問題のしずかです。

 「ゼッケンナンバー13番、京都酪農高等学校、竹宮しずか選手。重量120キログラム。」この120キロを挙げられたら、私は未知の140キロに懸けなくてはならなくなります。それでも、この時の私は人の失敗を望むよりも、自分の心を強く持つ方を選びました。すると、実際その様になりました。しずかはもがきながらも、最後には挙げ切ったのです。ついに私は追い詰められました。でも選んだのだから、どんなことがあっても諦めないと、この瀬戸際で決めたんだから、私は全力で立ち向かいます。

 「バーイズ・ローデッド!」コールがかかります。もう失敗は許されません。

 「ゼッケンナンバー12番、大宮学園高等学校、月岡真奈美選手。重量130キログラム。」

 「お願いします。」“精神統一!必ず挙げる!”バーを握り、挙げること以外無心になり、私は渾身の力でそれを挙げました。余裕はありませんでした。それでもしっかり白旗3本を得ました。夢を何とか繋ぎ、最後はいよいよ未知の140キロに挑みます。これは私にとってもうぎりぎりの選択でした。昨夏は自分の第3試技の前に、しずかに自力で勝ちを決めてしまった苦い思い出があります。もうしずかは第2試技の120キロが限界だろうと思いますが、もし第3試技で挙げられていまえば悪夢の再現です。予想通り失敗しても、私の140キロははっきり云って自信なんてありません。奇跡的に最大のベストの力が出てくれることを祈っての一発勝負です。そんな状況で自分自身の精神統一も大事だったけど、坂下君のスクワットの第2試技がもうすぐみたいでした。彼はギアを着たまま、軽い準備体操をしていました。ギアを着ていると締め付けられて、体が自由に動かないものですが、彼はもう超人の様でした。私はしばしこっちのデッドを無視して、坂下君を見詰めていました。

 「ゼッケンナンバー62番、大宮学園高等学校、坂下優馬選手。重量190キログラム。」向こうのアナウンスがかすかに聞こえて来ました。第1試技の180キロでも凄いのに、彼はどこまでやるんでしょう。“私のことをずっと眩しい存在と云ってくれた、そう云う君は今ずっと眩しいよ。私の視線を知ってくれているのかいないのか、彼はやけに落ち着いていました。“自信?190キロが重くないの?どうしてそれをあっさり挙げられるの?どうして君はそんなに強いの?余裕の白旗3本。君は間違いなく勝つね。どんなことがあっても置いて行かれたくない。だから、絶対に挙げなきゃ!涙が止まらない。”綾莉が第3試技も120キロを挙げられず、トータル275キロで終わりました。じわじわと私の出番が迫って来ます。

 「ゼッケンナンバー13番、京都酪農高等学校、竹宮しずか選手。重量125キログラム。」やっぱりしずかももう自信がないのでしょう。僅かの5キロの上乗せで来ました。それで逃げ切りを決めるつもりです。挙げてくれるなと祈るしかありません。しずかの方も必死みたいです。私がどれくらい力を付けていて、どれくらい余裕を残しているのか測り切れていないでしょうから、これを挙げることに懸けている様です。バーを握り、彼女にしては険しい形相でもがいています。でも、挙がりません。やっぱり、さっきの120キロが限界だったみたいです。それでも、諦めずに真っ赤な顔をしています。でも、やっぱり挙がりません。よし、赤旗3本です。これで、全ては私の第3試技で決まります。私は涙を拭きました。泣いている場合ではありません。“もう悔し涙は嫌だ!そんな涙2度と流したくない!泣くならもう勝利を決めて、君と笑い合って流す嬉し涙だけにするんだ!”

 「バーイズ・ローデッド!」運命のコールがかかります。私は息を大きく、そして深く吸い込み、足を1歩2歩と踏み出しました。“最後で最大の勝負だ!”

 「ゼッケンナンバー12番、大宮学園高等学校、月岡真奈美選手。重量140キログラム。」大きな声援が上がりました。物凄い声援です。

 「真奈美さん、自分を信じて頑張って!」“一際大きく君の声が聞こえる。負けないよ!君の声援をもらって負ける訳にいかない。”“君と共に行こう”の歌詞が頭を駆け巡ります。

 「お願いします。」バーに手を懸けます。“お願い!後どうなってもいいから、私の全ての力よ、今ここに集中して!”

 「えい!」初めて試合中声を出しました。静まった会場で、私の声が大きく鳴り響きます。でも、恥ずかしいとか思う余裕はありませんでした。この未知の重さにも負けたくありません。負けられないんです。バーは確実に膝の辺りまで挙がりました。後少しです。“重い!経験のない最大の重さだ。でも、奇跡よ、起これ!私の力よ、今爆発しろ!”

 「やあ!」私は再度声を挙げ、それまで出したことのない力で一気に膝の上まで挙げて止まりました。“やったー!挙がった!”少しの制止の後、勝利を確信してバーを下ろしました。そして、旗の色が3本共白であることを確認しました。“勝ったー!奇跡だ。”トータルはしずかと同点の320キロですが、検量で体重が僅かに少ない私が、フォーミュラー《=係数》で上回るんです。

 「成功です。」館内放送が会場に響きます。そして、物凄い大歓声です。

 「ありがとうございました。」私は、大歓声に負けない様に特別大きな声で云って、深々と礼をしました。“やったよ、坂下君。君は私の試合経過を見ていてくれて、勝利を分かってくれてるんだね。笑顔で手を振ってくれる君が恋しい。”もうそれまで必死で堪えていたものが、再び堰を切って溢れ出して、もう涙で顔がぐちゃぐちゃになってしまいました。そして、“君と共に行こう”が頭の中を駆け巡っていました。“後は、君が勝つのを見届けるだけだ。”

 「よくやったな、月岡、おめでとう!」滝先生です。

 「ありがとうございます。」涙声で答えました。

 「やったね、真奈美。」女子52キロ級で、トータル202.5キロの4位だった園香が出迎えてくれました。

 「ありがとう。」涙でぐちょぐちょの顔のまま答えました。こんな酷い泣き顔、普段なら恥ずかしくて人には見せられないけど、もう嬉し過ぎて、恥ずかしいことなんて忘れていました。

 「凄い試合だったね。こんな高いレベルでフォーミュラー勝負なんて、こっちまで感動しちゃうじゃない。」珍しく園香も少し興奮気味でした。又、20メートル程離れたところでは、悔しさに堪え切れないのか、引率の先生に肩をぽんぽんと叩かれながら泣き崩れているしずかの姿が見えました。きっと、彼女も絶対に勝つつもりで京都からやって来たのでしょう。正直私が勝てたのは、運かもしれません。実力は互角か、向こうが上なのか、どうか分かりません。きっと、彼女も厳しい練習に耐えて頑張ったのに違いないんです。“貴方もよくやったよ。”と心の中で呟きました。

 「ねえ、男子59キロ級はどうなってるの?」

 「スクワットの第2試技が終わった時点で、190キロで1位よ。」

 「2位以下はどうなってるの?」

 「2位はサブジュニアで参加の谷地さんの180キロで、3位は浦和一高の辻君の165キロよ。あれ?そう云えば、坂下君こっち来ないね。真奈美の優勝のお祝いに来ればいいのにさ。何であんなところにいるのかな?」坂下君は少し離れたところで、まるで瞑想している様に第3試技の出番を待っていました。きっと、心を落ち着かせて集中力を保とうとしているのでしょう。私はそんな彼をじっと見詰めていました。

 「何だ、坂下来ないのか?感動のお祝いだと思って遠慮してたのに・・」それから三田村君と倉元君が相次いで手厚くお祝いの言葉をくれました。それから仲間と会話しながら、坂下君を見詰めたり、応援したりしました。その坂下君の第3試技は、あっさり200キロを成功させて、第3試技を失敗した辻君や谷地さんに大差を付け、もう鳥肌が立つほどの彼の強さに、私は安心しきって見ていました。更に続くベンチでも、第3試技こそ112.5キロを失敗しましたが、107.5キロの記録で、同じ重量を挙げた辻君との35キロという大差を保ちました。ただ、115キロを挙げた谷地さんとの差が12.5キロに縮まって、この時が唯一の心配の時間でした。それすらも、デッドリフトの第1試技で谷地さんが何とか165キロを挙げた後に、坂下君がいきなり170キロをあっさり挙げたのを見て、彼の優勝を確信しました。安心すればする程に、それまで緊張で抑えられていた疲れがどっと押し寄せて来て、嬉しいにもかかわらず、気分が悪くなって来ていました。

 「真奈美、何か顔色悪いけど、大丈夫?あっちの部屋でちょっと横になった方がいいんじゃない?」園香が心配してくれていました。

 「大丈夫。それに、坂下君がまだ試合中なのに、寝てられないよ。」

 「でも、無理しない方がいいよ。坂下君ならもう余裕そうだしさ。」

 「ううん、最後までちゃんと見届けたいの。」しかし、気分は段々酷くなっていきました。谷地さんが175キロの第2試技をぎりぎり挙げて、続く坂下君が180キロを余裕で挙げ、辻君が195キロをもがきながら挙げてるのを見て、もう逆転される心配がないと確信してから、私の意識は少し朦朧と仕掛けていました。何か、会場のざわめきもどこか遠くのことか、夢の中のことの様にぼんやり聞こえて来ていました。そして、坂下君が第3試技で有終の美を飾り192.5キロを挙げて、トータル500キロの大台に乗せて優勝を決めたことの歓声がやけに大きく、ウェーブの様になっていきました。“えっ何?どうして会場が揺れているの?え、暗くなる・・・”

 「真奈美!」“園香の声・・・”

 何か願いを叶える為に、その分何か災いが起こるとしたら、それでも願いを叶えますか?得るものと失うものの合計は常にプラスマイナスゼロ、なんて考え自体ネガティブなんでしょうね。実際は、努力とか工夫とかで得るものの方がずっと大きくなるのでしょう。他人が関わる場合は、人への思いやりとかも影響するのでしょう。人に対してしたことは、何らかの形で自分に返って来るものでしょう。そういう考えが偽善なのか否か分からないんですが、互いにプラスをもたらせたいですよね。読者の皆さまには大変感謝しております。ありがとうございました。尚、この物語はフィクションであり、実在の個人及び団体等とは一切関係ありません。

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