ホワイトデーキス
今回は、初めに誤解ない様に、決して“二股”を肯定したい訳ではありません、ということを明言させて下さい。ただ、登場人物に対して凄くサディスティックな考え方かもしれませんが、葛藤させたいんです。恋愛、目標、迷い、助言、誘惑、そして選択。果して、どんな答えを出すのでしょう。
バレンタインデー以来、僕は絶好調だった。それはまるで美野里の愛の魔法にかかった様に、毎日彼女の愛のチョコを食べては力が漲って来た。それも、腰痛でベンチプレスしか出来なかったから、ベンチだけが伸びるはずがむしろ逆で、スクワットとデッドリフトが凄く調子よく、やればやるだけ自己ベストが伸びる感じだ。僕はそれが楽しくって、以前にも増して激しい練習をする様になった。もちろん、腰はもう全然平気だ。
「嘘、この前170キロクリアしたばかりなのに、もう175キロ挙がるの?」
真奈美さんは、もうすっかり僕の練習を見る度に感動してくれる様になった。
「まだまだだよ。まだまだこんなもんじゃ勝てないし、実際まだまだ伸ばしてみせるよ。」僕はもうすっかり自信に満ちていた。
「本当にもう腰は何ともないの?いくらなんでも頑張り過ぎじゃない。私、感動と心配が混ざって、もう坂下君から目が離せないよー。」気のせいか真奈美さんの僕を見る目がうるうるしてることが多くなった。
「大丈夫だよ。絶対僕達はポーランド行こ。」そう云っていつも笑ってあげた。すると、決まって彼女も笑い返してくれた。それが当たり前になった。
「私も負けてられないな。」彼女も又僕に触発されて、以前よりも遥かに過激に頑張る様になっていた。どうやら、僕のことを勝つ為にかなり無理して根性だけで頑張ってるんだと誤解してるみたいだった。そう、僕はこの時本来自分に備わった以上の力が湧いて来るのを感じていたのだ。でも、僕は誤解をあえて解こうとしないで、ひたすら激しいトレーニングに励んでいた。すると真奈美さんもエスカレートして、こんなの女子がやっていいのかと思う程過激な練習をする様になっていった。
「真奈美、大丈夫、無理してない?」園香が心配していた。
「無理くらいするわよ。滝先生から聞いたんだけど、京都の竹宮さんはもう300キロを軽く超える実力を持ってるって。これくらいで音をあげてたら絶対に勝てないの。去年の夏負けた時の悔しさはずっと忘れられないし、勝てなきゃポーランド行けないしね。それに、坂下君はあんなに頑張ってるんだよ。」
「でも、体壊したら元も子もないじゃない。」
「うるさいな、園香は。世界を目指していない人はちょっと黙っててくれないかな。」
「心配してるんだよ、真奈美のこと。」
「ごめん、云い過ぎた。でも、今は静かに応援してて欲しいな。」
「じゃあ、まだまだやるの?」
「当たり前でしょ。やれるだけやらなきゃ。ううん、絶対勝たなきゃ一生悔いが残ると思うんだ。」
「坂下君はどう思う?真奈美、今日授業中寝てるのよ。今まで授業はどんなことあってもしっかり受けてたくそ真面目な真奈美が居眠りするくらいだから、よっぽど無理してるんじゃないかと思わない。」
「もう、坂下君に余計なこと云わないでよ。恥ずかしいじゃない。」
「別に恥ずかしいとかないじゃないか。真奈美さんがどれだけいろんなことで頑張って優秀か知ってるんだから、今は、そんな真奈美さんの頑張りを信じて応援したいな。前島さんも、三田村君や春樹もみんな仲間だし、お互いの健闘を祈ればいいんじゃないか。」
「そうなの?でもなあ。」
「放っておけよ、園香。もうこの2人は止まりゃあしない。本当にぶっ倒れるまでやるぜ、きっと。」
「さすが倉元君、ちゃんとお見通しだね。私もう絶対どんなことあっても、自分に負けたくないの。そういうことだから、余計なお世話で騒がないでね。」
「さあ、練習を再開しようか、真奈美さん。」
「うん、まだまだがんがんやるわよ。」
「うん、僕も負けないよ。」
「負けた。完全に負けたわ。もう付いていけない。」園香が根負けする程、僕達の世界大会ペア出場への情熱は、互いに心に固く誓った確たるものだった。でも、真奈美さんの頑張りはやはり限度を超えていた。以前はただ生き生きと練習する爽やかな人だったのが、すっかり強い悲壮感を覚える様な頑張りに変わっていた。歯を食い縛り、汗か涙か分からない液体を流しながら、真剣そのもので取り組んでいた。きっと、本当は滅茶苦茶辛く苦しかったと思うけど、弱音1つ云わない。きっと彼女は、僕のことをそうだと思っている様で、僕が自分に負けずに弱音を吐かずにいることに、強く感動して触発されて、もう本当にぎりぎり一杯頑張っているみたいだった。隠さずストレートだから、それがひしひしと伝わって来た。さすがにこのままでは本当に体を壊すなと思い、滝先生に相談しようとした。すると、丁度先生の方も同様の考えだったらしく、毎週水曜日は真奈美さんと僕だけ、強制休養日を命じて来た。大会前ということで期末テスト期間も練習があったけど、テスト終了の翌日の3月7日は急に部活休みになった。
ところで、バレンタインデー以降僕が部活に集中している間にも、クラスではいろいろ動きがあった。茜は本当に吹奏楽部を辞めて、野球部のマネージャーになって、話題のアニメに触発されて、『私が野球部をマネジメントして、今年こそ甲子園出場を実現するんだ。』と日々奮闘するも、以前からのマネージャーの子らとぶつかって浮いてるそうだ。もちろん、直人はそんな茜に手を焼いてるそうだ。太平は、琴美からチョコを貰えなかったことに物凄く落ち込んで、それを紛らわすのに優菜の誘いを適当に受け入れて、一応付き合ってるみたいになっていた。諦めたのか、琴美にはあまり近付かなくなった。琴美はと云えば、何故あんなに好きだと公言してくれてた太平ではなく、僕にチョコをくれたりして、一体何を考えているのかだんだん解らなくなって来ていた。太平にも渡すもんだと思っていた僕は、正直困って、琴美とどう接していいのか解らなくなり、あまり相手にしなくなった。すると琴美は、又以前の様に美野里とだけくっ付いていた。健と千里は相変わらず、見てるこっちが恥ずかしくなる程ラブラブで、教室でもキスしていた。事故の件があるせいか、周りもこれに好意的な目で見ていて、2人の熱愛はもう王道だった。美野里はそれに触発されているのか、すっかり彼女化していて、僕に平気でくっ付いて来る様になった。ただ、美野里と接するのはいつも教室に限定されていた。僕が部活に忙しいのと、美野里が腰痛なのとで、他に会う機会がなかったのだ。これは、むしろ僕にとって好都合だった。クラスメートは、僕達の仲には無関心みたいで、僕達の関係は真奈美さんには全く知られていなかった様だ。ただ1人、舞だけが以前よりも増してこっちを見て来る様になっていた。それも大抵、美野里と僕が向かい合ってる時に、美野里の背後から見ていた。だから、美野里はそれに気付いていないと思う。
そして、期末テスト中の出来事だ。僕は少し花粉症ぎみなのか、春になると少しだけ鼻が調子悪くなる傾向が出て来ていた。
「今日の優馬君、何か冴えない顔してるね。テスト出来なかったの?」
「いや、ちょっと花粉症ぎみみたいなんだ。」
「なーんだ、そんなこと。ハンカチ出してみて。」
「ハンカチでどうするんだ?」と云いながらも、云われるままに白いハンカチを出した。
「ちょっと貸してみて。」美野里はハンカチを手に取ると、1度それを広げてみて、何かを確認していた。そして、間もなくにっこり笑った。
「何を見てるんだい?」
「ほら、ここ見て。」その指すハンカチの一隅を見てみると、赤く小さなハートマークが縫い付けてあった。それは云われなければ分からない程小さくて、かつ端の折り返しに隠れ気味になっていて、形もぎりぎりハートと分かるくらいだった。
「これは、去年私がここで責められた時に、優馬君が渡してくれた方のハンカチだよ。」
「もしかして、もう1つにもこれみたいな印があるのか?」
「うん、そっちのも赤いハートマークだよ。少しだけ角度が違うけどね。それと、印だけじゃないよ。少し鼻に当ててみて。」
「まさか、これを鼻に当てると治るとか?」と云いながら、実際当ててみた。すると、奇跡が起きた。その瞬間から、みるみる鼻がすっきりしていったのだ。
「いい感じでしょ?」美野里はにこにこしていた。
「何か塗ってあるの?」
「まさか。クリスマスイブから何度も洗ってると思うから、そんなの残ってるはずないでしょ。第一何も塗ってないし。仕掛けは、私の愛だよ。」
「そう云えば、前にも同じ様なことがあった。」
「このハンカチで?」
「いや、あれは6月だから、初めに返してもらった方だったはずだ。東北に復旧支援活動に行った時、少し怪我して、そこにハンカチ当てておいたらすぐ治ったんだ。不思議なことがあるなと思ってた。」
「そうでしょ。やっぱり私の愛は効くんだ。やったー!」
「ミノリンて、もしかして魔法使いなのか?」
「琴ちゃんと同じこと云うね。違うよ。優馬君だけを愛してる純愛少女だよ。」
「ミノリン、ありがとう。嬉しくて、感動してる。」
「その感動は始まったばかりだよ。これから一杯愛して生きて行くからね。」僕は本当に凄く感動していた。真奈美さんを想う気持ちも、真奈美さんから感じる想いも凄く大きかったのに、美野里からの愛だってとんでもなく大きくて、それに対する美野里への気持ちも抑え切れなくなっていた。その両方の想いの狭間で揺れ動く様になっていたのだ。そして、僕がそうやって悩んでいると、必ずと云っていい程、舞がこっちを見ていた。舞はもしかして、何か云いたいのかな?何かを知っているのかな?そう疑問に思った。その疑問はついに、僕の知りたい気持ちに火を点けてしまった。その数日後の3月6日期末テストが終わったその日、翌日は部活の強制休養を指示されてる水曜日だったので、謎のチョコの主に連絡をとってみることにした。帰宅してから夜、メッセージに書かれた番号にかけてみた。
「坂下君ですね?城崎です。」何も云わないうちから、彼女は僕を云い当てた。
「どうして分かったの?」
「千里ちゃんに坂下君の携帯番号聞いてて、登録しておいたから着信で名前出るんです。」
「なるほどね。」
「私だと分かってましたか?」
「よくこっちを見てたから、何かあると思ってさ・・」
「じゃあ、私とさえっちが中学の同級生だということは知ってましたか?」
「さえっちって、ミノリンのことだよね?」
「そうです。」
「今初めて聞いたよ。」正直びっくりした。
「そうか、やっぱりさえっちは何も云ってないんだ。」
「チョコ、ありがとう。それで、このチョコの意味って?」
「もちろんさえっちのことを、さえっちに気付かれず知らせる為です。」
「僕のことを想ってくれてるんじゃないんだ。」それに対して少し笑い声。
「さえっちが夢中になるだけの優しくて素敵な男子だと思ってますよ。」
「気遣ってくれてありがとう。」
「じゃあ本題なんだけど、さえっちに気付かれない様にゆっくり話し出来る時間が欲しいの。土日とかに会ってもらえませんか?」
「じゃあ、10日の午後はどうかな?」
「午前じゃ駄目ですか?午後は用事があるんで。」
「分かった。じゃあ10日の午前にしよう。」
「詳しいことは又金曜の夜決めるってことでいいですか?」
「OK。そういうことで、じゃあ。」美野里の不思議な言動と、虐められていたという中学時代の謎に、僕の興味は大きく膨らんでいた。
翌日学校へ行ってみると、当の美野里が学校を休んでいた。それでも、遅れて後から来るかもしれないと思い、僕も舞も慎重になって動かなかった。けど、そんな警戒は不要だったみたいで、美野里は午前の授業が終わっても出て来なかった。もうこの日は完全に欠席だと、昼休みになってやっと確信した僕は、思い切って舞のところへ寄って行った。
「今日は休みみたいだね。」小声で云った。
「でも高田さんがいるから、さえっちにちくられる恐れがあるな。」
「今日じゃ駄目かなと思ったんだけど、やっぱり予定通りにしようか?」
「待って。高田さんのことは、後で何とかするからいい。本当はあの子にも聞いて欲しいことだから・・」
「じゃあ、今日に変更してもいける?」
「うん、もう私も独りで抱えるの限界だから、早い方がいいし、今日でもいいけど、部活終わってからだと遅くなるね。」
「今日は強制的に練習休みだから、放課後すぐに行けるけどいいかな?」
「じゃあ、尚更今日がいいね。坂下君、横井先生の家って知ってる?」
「うん、大きな家で有名だから。」
「私の家そのすぐ近くなの。先生の家の正面はちょっとまずいから、門から少し東にずれたところで、4時半に待ち合わせでどう?」
「分かった。じゃあそういうことで。」僕が舞の所を離れた後、今度は琴美が舞の所へ行って何やら話していた。普段この2人が話してるところなんか見たことないのに、果して偶然なのだろうか?どうやら、琴美もその話しに参加することになったみたいだ。実際放課後待ち合わせ場所に行ってみると、琴美が先に来ていた。しばらくはほとんど無視していたので、何か気まずいなと思ったけど、間もなくして舞が来てくれて、3人で舞の家へ行った。そして、そこで驚愕の事実を告げられた。あまりの美野里の可哀そうな生い立ちや中学時代に、涙を堪え切れなかった。あの白いハンカチの出会いの裏にあった美野里の気持ちを想うと、もう彼女への優しさを抑えることが出来なかった。美野里は、自分の中にある不思議な力のことで深く悩んでいるんだ。そして、琴美と2人で美野里の家を訪ねた時に美野里が云った言葉が蘇った。
『絶対に私から離れて行かないで。見捨てられたら、私死んじゃうから。』
『だって、優馬君が離れて行くことは、私にとって死ぬより恐いことだから。』何故か強く印象に残って、僕は忘れずに憶えていた。僕は改めて強く、美野里を愛し続けなければいけないと思った。けど、そうしたら真奈美さんとのことはどうなるんだろう?今の自分があるのは間違いなく、真奈美さんへの熱い想いがあったからこそだし、真奈美さんともお互いはっきりした告白をしていないだけで、既に心は強い絆で繋がっていた。僕はその2つの大きな想いで心が溢れて、涙が抑え切れないでいた。それなのに、琴美はそれに尚追い打ちをかけて、二股扱いして責めて来た。もう胸が張り裂けそうに辛くなって、2人の女子の前だというのに号泣してしまった。それでもまだ尚、琴美は責め続けて来た。友達の彼氏だと分かっていながら、バレンタインチョコで僕に理解に苦しむ告白をして来た彼女が、僕のことを本気で責めて来たのだ。一体この人は何なんだと思いながら、彼女の言葉の棘に耐え切れずに泣き崩れてしまった。まるで拷問を受けてるみたいだった。琴美の恐さと、2つの想いの重さと、2人の女子の前で泣き崩れてることの恥ずかしさで、もう心はぐちゃぐちゃだった。結局、舞がフォローしてくれたり、カエデの歌が話題になり、僕がどちらか1人を選ぶことは無理ということを解ってくれて、僕の二股の恋を、この2人の女子がフォローするという、信じられない結論で話しは終わった。
3人での話しが終わった後、暗くなりかけていたので、又琴美を送って行くことになった。はっきり云って琴美って、顔は凄い美少女だけど、訳分からな過ぎでかなり性悪で、もうかなりうざくなっていた。しかし、暗くなると恐いと云う訳有りの女子を、男子としては冷たく突き放し切れなかったのだ。そしたら今度は急に甘えて来た。正直、ちょっと頭のおかしい人だなと思った。こんなんだから、友達が出来ないんだ、とも思った。でも、川口駅に着いてから話しているうちに、それがだんだん僕の誤解だったことが解った。そして、決定的な琴美の告白は、美野里の力が本物だという更なる裏付けと同時に、琴美への強い同情心を呼び起こした。彼女は彼女で、誰にも云えずに、辛く苦しい思い出を独りで抱えて生きて来たんだ。彼女も可哀そう過ぎだった。でも、彼女に本当に相応しいのは僕ではないな、とも思った。だから、彼女が態度でキスを求めて来た時も、僕は流されることなく、冷静に対応することが出来た。
翌日、学校へ行くとまだ美野里は休んでいた。舞は元通り知らんふりしていた。前日の驚愕の告白を秘密にする為に必要な態度なんだろう。僕もそれに付き合って舞のことは知らんふりした。問題は琴美だった。何か疲れていた。
「昨日の夜、大宮駅前で一緒のところと、川口着いてから抱き合ってたとこ、見られてたの。」深刻な顔をして小声で云って来たので、衝撃を受けた。
「一体誰に?」
「近所の幼馴染の戸倉弥生ちゃんて子。2年C組でバレー部なの。」
「口止めしてくれた?」
「うん、向こうは自転車だったけど、必死で走って追いかけて、同じ電車に乗って・・」
「ありがとう。大変だったね。」
「ううん、元々私が悪かったから、迷惑かけてほんとにごめんなさい。」
「その子、僕のこと知ってたのかな?」
「うん、知ってるの。だからまずいなと思って・・。一応約束してくれたけど、どっちかと云うと口軽めだから、ちょっとやだけど、ほんとにごめんなさい。」
「仕方ないよ。気にしないでおこう。あ、でもどの子か教えてくれないか。」
「修学旅行で、飯岡さんと同じ班だった背の高い活発な子だけど、知らない?」
「ああ、あの子か。」バレー部のエースで、顔だけは知っていた。ところで、琴美とは秘密を共有する様になったせいか、何かすっかり気安くなった。
その日の部活は1日筋肉休養をしたせいか、又絶好調だった。それは、美野里の愛のチョコを食べていたせいかもしれない。そして、真奈美さんも相変わらず凄い気迫だった。一呼吸しようが、彼女のテンションは一向に落ちていなかった。
その翌日3月9日は僕の17歳の誕生日だった。でも、それを公表はしてなかったので、誰も知らないと思っていた。残念だったのは、せっかくの誕生日なのに、天気が悪かったことだ。この日を最後に、3学期の登校日は19日の終業式だけになっていたので、美野里へのホワイトデーのお返しはこの日にしないともう間に合わないのに、すっかり忘れていて何も準備していなかった。でも雨だし、体調が悪いらしい美野里は来ないかもしれないと思った。登校してみると、やっぱり美野里は来ていなかった。
「ミノリン、調子悪いのかなあ。」先に来ていた琴美に聞いてみた。
「昨日メールしてみたら、今日は来れたら来るみたいな返事だったけど、・・どうして坂下君、気になるんだったら自分で確認しないの?」
「それもそうだね。ミノリンがあまりかけて来たり、メールくれないからこっちもつい忘れてた。」
「私はこんなのだからよく分からないけど、恋人同士ってそんなものなの?」
「そう云えば、ミノリンは声だけとか、文字だけだと余計恋しさが耐えられなくなるから、携帯はあまり好きじゃないって云ってた。」
「そんなものかなー?私だったらきっと、会えない時は携帯しまくると思う。」
「それはそうと、高田さん急に話し方変わったね。」
「話し方って、馴れ馴れしいってこと?」
「この前までは、クラスメートなのに、“です”とか“ます”とか丁寧言葉だったのに、まあ今の方が自然とは思うけどさ。」
「遠慮してたんだと思う。そうやって自分で勝手に壁創って、そんでもって勝手に寂しくなって、もうそろそろそんな自分を卒業しないといけないと思ってさ。」
「そうだね。じゃあ、その意気で1度高田さんから荻野君に話しかけてみたら、きっと世界がもっともっと変わると思うよ。」
「そうかもしれないね。けど、まだそれは自信がないな。」
「そうか。まあ、焦らずゆっくりいけばいいさ。」
「ありがとう。」
「じゃあ、僕は1度ミノリンにかけてみるよ。」さっそく携帯で美野里に発信した。
「何?優馬君、どうしたの?」
「何だ、かけて悪かったみたいだね。」
「うん、凄く体調悪いのにちょっと無理して、今忙しいの。」
「無理って、何してるんだい?何かばたばたしてるじゃないか?」
「うん、早く優馬君に会いたくって忙しいの。切っていい?」と同時に、戸を開け閉めする音が2重に聴こえた。
「ミノリン、もしかして・・?」そう云いながらドアの方を振り返った。
「後ろだよ。ハッピーバースデー、優馬君。」そう聞こえたと思った次の瞬間、後ろから抱き付かれた。誕生日、知ってたんだ。
「ありがとう、ミノリン。けどどうして?」
「知ってるに決まってるでしょ。愛する優馬君の誕生日だもん。」
「分かった。凄く嬉しいけど、もう離してくれないか。これじゃあミノリンの顔見れないよ。」
「そうだね。あー、琴ちゃん、こんな傍にいたんだ。おはよー。」
「いいよ、私は2の次で。」
「もう、そんな寂しいこと云わないで。2人共私の大切な人なんだから。」
「どうしたの、美野里ちゃん。何か今日テンション高いね。体大丈夫なの?」
「もう今日はね、凄ーく忙しいの。もう体調悪いなんて云ってられないのよ。」
「じゃあ、私邪魔なんじゃないの?」
「もう、だからそんなつれないこと云わないで。もう今日と終業式しかこのクラスないんだよ。3年になって、又同じクラスになれたらいいけど、どうなるか分からないし、琴ちゃんとは最近寝てないしさー。」
「寝てないって、何か云い方いやらしいんだけど。」
「ごめん、云い直すよ。最近キスしてないしさ。」
「ちょっと、何暴露してるの、誤解されるじゃない。違うの、坂下君・・」
「女子同士でキスするの?」
「うん、友情の印だよ。そんなの中学の時から普通にしてることだよ。」
「中学の時からなの?」
「でもね、男子とはまだ未経験だよ。優馬君と早くファーストキスしたいな。」
「ミノリンて、やっぱり大胆だね。17歳になったばかりの僕は、何かどきどきするんだけど・・」本当に心臓ばくばくしてた。
「大丈夫だよ。先に17歳になった私がリードしてあげるから、後でバースデーキスしようね。」そんな予告をされてそわそわしてるところで、1時限目の始業のベルが鳴り、ほぼ同時に社会の先生が教室に入って来た。いつも早めに来る先生だが、この日は特に早かった。社会といえば、唯一まだテストが返還されていない科目で、他の科目のは美野里が休んで受け取れないうちにみんなには返っていた。そして、この最後に残った社会のテストは今回非常に難しく、社会科だけが得意科目で満点常連の健でさえ、今回は全然出来なかったと嘆いていたほどだった。それなのに、この社会の先生はその答案返却に随分張り切っていたのだ。
「みんなも知っての通り、今回は難し過ぎたみたいで、学年平均点は30点を切っています。でも、その中で何と1人だけ100点満点者がいます。その生徒は、普段あまり出来なかったので、今回の解答には大変驚かされています。大人のしっかりした人でもこんなしっかりした解答はそうは出来ない内容で、勿論不正行為で書けるものでもなく、本人の並々ならぬ努力と、現代社会の鋭い見方に先生も、教師になってから1番の感動をしています。本当は200点くらい付けたい程の内容です。」選択や穴埋め問題は少しで、“リーマンショックはどういう仕組みで起こったのか説明せよ”とか、現代社会の状況をどう思い、今後の日本や世界をどう展望するかなど、文章を要求する問題が主だったのだ。もちろん、僕はこの時点で予感していた。続く先生の発表とみんなの反応を・・。そして、
「では、その生徒の名前を発表します。佐伯美野里さん。」教室中が大きなどよめきで揺れていた。予想済みとは云え、美野里の底知れない実力に鳥肌が立って収まらないでいた。当の彼女の方を見ると、クラス中の視線を一身に集めて、照れくさいのか顔を両手で覆っていた。琴美は茫然としていた。舞はと云えば、予想済みと云わんばかりに、何故かこっちを向いて頷いていた。
「ごめんなさい、つい本気出しちゃって、反省してます。」1時限目が終わってから、いきなり美野里が、普通には理解に苦しむことを云い出した。
「どういうことよ、佐伯さん。今までは猫被ってた訳?健でさえ82点で、それで本来なら充分1位なのに、一体何者?能ある鷹は何とかってあれ?」千里が興奮していた。
「だから、ごめんなさい。」
「じゃないでしょ。おかしいでしょ。何なの、そのごめんて。」
「本当にごめんなさい。」そう云って美野里は泣き出してしまった。
「ねえ、どうしてそこで泣くの?全然訳分かんないんだけど、ねえどういうことなんよ?」
「まあまあ千里、こいつは何か凝り性みたいなとこあってさ。今回は何か社会科に凝って、そればかり勉強したみたいなんだ。」僕が割って入った。
「へえ、そうなの。それにしてもあのテストで満点取れるなんて、優馬の彼女って頭いいんだね。」
「千里、それくらいにしとけよ。それじゃ、褒めてるのか嫌みか分からねえ。」健も割って入って来てくれた。
「ごめん、ごめんね。何か混乱して、別に責めるつもりなかったの。」
「なあ、優馬。近いうちにおまえとゆっくり話したいことあるんだけど、時間ないか?大会前で大変だろうけど、どうしても話したいんだ。」
「学校じゃ駄目なのか?」
「ああ、おまえと俺の2人だけの時間が欲しいんだ。」
「分かった。明日の午前か、午後か好きな時間を選んでくれたらいい。」
「ほんじゃあ、午前9時に、優馬と千里が話したことのある公園で待ってる。」
「OK。」そう返事したら、健はすぐに千里の手を引っ張って、教室の隅っこの方まで行ってしまった。代わりに美野里が寄って来て、
「ありがとう。フォローしてくれて。」
「正直、僕もびっくりしてるんだ。凄いんだね、ミノリンて。けど、何も泣いて謝ることではないだろう。一体どうしたんだい?」舞から聞いていたことで、本当は何となく美野里の気持ちが解る様な気がしたけど、わざと何も知らない振りをした。
「優馬君に、このまま馬鹿でつまらない子と思われたくなかったし、月岡さんに何でも負けてるのが癪だったから、つい意地になっちゃったの。」
「そうか、ミノリンてやっぱり凄く可愛くて、それでいてかっこいいな。頑張ってそこまでやり切れるって、僕も誇りに思うよ。」
「嬉しい。優馬君にそんなに褒めてもらえるなんて、幸せ過ぎてやばいよー!」今度は嬉し泣きしていた。
「大好きだよ。」2時限目の始業のベルが鳴っていたけど、美野里の肩をそっと抱いて、耳元で囁いた。本心だった。真奈美さんのことを本気で大好きな癖に、それでいて、美野里を愛しいと思う気持ちも抑え切れなくなっていた。
「ねえ、14の日部活何時まで?」
「あ、その日は部活休みなんだ。朝からずっと空いてるよ。」
「やったー!ホワイトデーは会いたいの。」
「うん、会おう。時間と場所は後でゆっくりと決めよ、授業が始まる。」
「うん、絶対だよ。キスはその日まで我慢するから。」
「ああ、分かった。じゃ後で・・」
その日の3時限目は体育だったので、2時限目が終わってすぐに女子は着替えの為に教室を出て行った。体育はもちろん男女別で、それぞれA組と合同だ。つまり体育の時間は、美野里や琴美と、真奈美さんや園香はこの1年間顔を合わせていたことになる。お互いにどれくらい知っているのかは知らないけれど・・・。この日女子は体育館での授業で、男子は体育の滝先生が前回にみんなの希望を聞いてソフトボールをする予定だったが、生憎の雨なので、仕方なく教室で保健体育特別授業、高校生の健全な男女交際について、になった。安易に性的な接触をする交際ではなく、お互いを高め合う精神的な恋愛を奨励するもので、云わばプラトニックラブを説く内容だった。それは、真奈美さんとここまで歩んで来たものを強く肯定している様に聞こえた。そして、その授業が終わってすぐに、
「荻野君は飯岡さんと付き合ってるんだよな。」太平に聞いてみた。
「ああ、琴美さんにチョコ貰えなかったし、つい魔が差して優菜の誘いに乗っちまってよ。けど、今は後悔してるんだ。もうあいつから逃げられないのかな。」そういう云われ方する優菜のことを可哀そうには思ったが、
「そんなにまじで嫌なのか?」嫌々付き合われていることの方が結局は可哀そうだとも思い、太平の気持ち次第だと思った。すると、
「本当に本当だって、信じてくれよ。」とまで云う。
「じゃあ、どうして付き合ってるんだよ?」それって、優菜に失礼だと思った。
「だからさ、魔が差したんだって。あいつそんな一瞬の隙も見逃さないんだ。」それを聞いて、ここは心を鬼にしてでも、はっきりさせるべきだと思い、
「そうか、やっぱり諦めさせるしかないってことだな。」
「それが諦めるってこと知らない奴だから、困ってんだよ。」
「高田さんと上手くいけば、諦めるんじゃないか。」
「どうだか?あいつは恋のライバルに何するか分からないタイプだぜ。」
「もちろん、ちゃんと飯岡さんと別れてからするべきだけど、それでも追いかけて来た時は・・」
「確実に追いかけて来るんだよ、あいつは。」
「そうかな?飯岡さんは確かに異常に積極的だと思うけど、本当に相手に恋人が出来たら、案外その時はあっさり諦めるタイプだと思うけどな。」
「坂下って、倉元と同じこと云うな。さては、あいつの入れ知恵じゃねえか?」
「そんなこと聞いたかも知れないけど、俺もそう思うんだ。」
「そんなもんかな?でも、肝心の琴美さんがな・・」
「彼女は悩んでるんだよ。今でも、荻野君のことでさ。」
「けど、バレンタインデーに坂下に渡して、俺にはくれなかったのはどう説明するんだよ?」
「理由は云えないみたいだけど、彼女は極度の男性恐怖症なんだ。特に暴力を振るう男性は恐くて体が震えたり、硬直するって、泣いてたんだ。」
「坂下は力持ちだけど、穏やかで優しいから、彼女に信頼があるってことか?」
「あーその通り、単純な話しだろう。あのマウイ島の事件だけが、彼女の心と体をちぐはぐにさせてるんだよ。チョコだって、荻野君のことが嫌いとかじゃなく、男性恐怖症の彼女には元々バレンタインデーにチョコを渡す習慣がないんだ。本当は今年こそ荻野君に想いを伝えたかったんだけど、心と体がアンバランスな自分に自信がなかったから渡せずに、そんな苦しい気持ちを聞いてくれる唯一の男子が俺だったって訳なんだ。」
「本当か、それ?」
「おととい、彼女から聞いたばかりの本心だよ。俺思ったんだ、荻野君と高田さんはきっと上手くいく。彼女は荻野君の優しさを求めてるんだよ。」
「ありがとう、坂下。」
「けど、焦らないであげて欲しいんだ。高田さんの心は本当に重症なんだ。根気良く付き合って、解いてあげなきゃ駄目なんだ。」
「分かったよ。俺が救えるなら、喜んで根気よく付き合うよ。俺やっぱ、あいつのこと好きなんだ。ほんとにありがとな、坂下。」太平がそう云ったところで、体育館でバレーボールをやっていた女子も次々に帰って来た。しかし、4時限目が始まっても、美野里と琴美が戻って来なかった。5分程して琴美だけ戻って来たが、美野里は4時限目は欠席だった。
「ミノリン、どうかしたのか?」昼休みになってすぐ、琴美に聞いてみた。
「見学中倒れて、保健室行ったの。」
「倒れたって、大丈夫なのか?」
「倒れたって云っても、立とうとしてふらふらとして軽い貧血みたい。腰もまだ治ってないから、立てないでいたら、月岡さんにおんぶしてもらって保健室に行って、今はまだ寝てると思う。美野里ちゃん、何か辛そうだったから。」
「ちょっと行って来る。」すぐに教室を飛び出して向かった。
「ミノリン、大丈夫か?」
「あ、優馬君。」彼女の顔は何故か涙でびしょびしょだった。
「どうしたんだい?真奈美さんに何か云われたのか?」彼女はすぐに首を横に振った。
「いろいろ考えちゃって、ちょっと悲しくなったの。でも、優馬君が来てくれたから、もう大丈夫だよ。教室連れて行って!一緒にお弁当食べよ。」
「立てるのか?」
「立てないから、おんぶして。」頼まれるまま、おんぶして教室へ向かった。
「ミノリン、お医者さん行ってるのか?」
「行ってないよ。」
「1度診てもらった方がいいんじゃないか?」
「そういうんじゃないの。私は特異体質なの。お医者さん行っても無駄だし、行きたくもない。」その後少し沈黙があった。
「寝ちゃったのか?」
「ううん、起きてるけど気持ちいいの。パワー部って凄いね。おんぶしてもらうととても安心で、まったりしちゃう。」
教室に戻ってみると、さっそく琴美と太平が向かい合ってお弁当を食べていた。久し振りなので、2人共どこかぎこちなかったけど、互いに嬉しそうだ。後は、優菜が押し入ってさえ来なければ云うことはない。これで、こっちも遠慮なく2人きりで食べられるというものだ。僕は美野里を下ろすと、彼女の鞄と椅子とお弁当とお茶を用意してやり、僕の机で仲良く食べ始めた。美野里は満面の笑顔だった。
「14日だけど、又僕が東京へ行くよ。」
「試合前の調整期間なのに、ごめんね。」
「気にすんなよ。僕だって、ミノリンに会いたくて行くんだから。」
「嬉しいな。凄く幸せ。」もう涙ぐんでいた。
「どこにする?」
「うちに来て欲しい。お互い余計な体力使えないからね。お母さんもその日は昼間の勤務のはずだし、ちょっとでも一緒にいたいから朝に来て欲しい。何も持たずに、手ぶらで来て。ホワイトデーのお返しはキスさえあれば他には何もいらないから。」
「本当にするのか?」
「嫌なの?嫌なんて云わないで。」
「そうじゃなくて、ほんとにいいのかなって。」
「いいに決まってるじゃない。愛してるんだから。あっ、そうだった!」彼女は急に箸を置いて、鞄に手を伸ばした。
「何だよ、急に大きな声出して。」
「誕生日プレゼント渡すの忘れるとこだった。はい!」鞄から取り出した小さな可愛い柄の紙袋を渡された。
「ありがとう。」僕も箸を止めて、さっそく中身を出してみた。それは、高校生カップルの人形で、男子が女子に白いハンカチを渡している様子を模った携帯ストラップだった。
「世界だたった1つの特製だよ。」彼女は得意顔だ。
「まさか、これってミノリンの手作りなのか?」かなり細かく、かつ鮮明に出来ていて、とても素人が作ったものに見えない凝ったものだったから、感動した。
「そうだよ。優馬君のこと想って、一生懸命作ったの。」
「どうやったら、こんな凄い物が作れるんだ。ミノリンて、とんでもない天才?」
「へ、へ、それは秘密だよ。でもね、天才とか買い被られても困るな。私はほんとに優馬君のことだけを愛してる只の純愛少女だよ。」彼女の揺るがない気持ちには、本当に圧倒される。
「本当にありがとう。ずっと大切にするよ。」
「おっと、大事にしまっておかない様に!それは携帯ストラップだよ。少々のことじゃ壊れない様に、頑丈に出来てるからね。」
「うん、後で携帯に付けるよ。」正直困った。携帯には既に真奈美さんからカナダ土産にもらったストラップが付けてあったのだ。
「今すぐ付けて欲しいな。」躊躇とか迷いとかなく、限りなくストレートな言葉に押されて、真奈美さんからもらったストラップを手早く携帯から外して鞄に片付け、彼女がはっきり見ている目の前で、美野里特製のストラップを付けた。
「初めて付けたのに、凄くしっくりくるな。」
「でしょ。これで優馬君と私の絆は、絶対に壊れないよ。」満面の笑みで云い切られた。もう云い返す言葉なんて見付けられず、
「うん、壊れたりしないよ。」そう云う以外考え付かなかったし、美野里に対して純粋にそう思ってしまった。じゃあ真奈美さんとのことはどうするんだとまで考えられずに、僕はどんどん深みにはまって行く感じだった。更に、
「そうだ。バレンタインのチョコはまだある?」
「25日の全国大会まで計算して均等に食べているから、大会が終わるまではあるよ。あれ食べてると絶好調なんだ。」その見えない力に、僕はもう釘づけにされていたのかもしれない。その言葉にも、思わず感謝を込めていた。
「うんうん、じゃあ大丈夫だね。」彼女もそれを確信しているかの様に、再度満面の笑みをこぼしていた。その時、僕達は確かに打ち解けていた。だから、その後も盛り上がって、仲良く昼食を食べ終えた。
その日美野里は、天気が悪いのもあってとても東京へ帰れる様子ではなかったので、横井先生の家に泊めてもらうことになった。そして、先生の用事が終わるまでの間、美野里の希望でパワー部の見学に来ることになった。僕は少し悩んだ挙句、携帯のストラップは美野里のが付いたまま鞄に入れておき、もうこの日は美野里に近付かないで、真奈美さんともほどほどに接することに決めた。まず横井先生の案内で、美野里の鞄を前もって先生の車に乗せに行ってから部活に行った。すると、美野里は先に自力で来ていて、真奈美さんと何やら話していた。凄く気にはなったけど、近付いて行って聞くことはさすがに出来なかった。この2人が直接接するなんて、もう想定外でどうしていいのか分からなかった。それがそれほど長い会話ではなかったが、はらはらして結構長く感じた末、ようやく美野里のところを離れた真奈美さんが僕の方へやって来た。
「あの子今日体育の時間さ、調子悪いって見学してて、貧血起こして倒れたんだよ。もうびっくりしちゃった。でも凄いよねー。あの社会のテストで100点だってね。山が当たってやったーと思った私でも、やっと78点で、それでもクラストップなのに、一体どれだけ頑張ったんだろう?」
「うん、そうだってね。」わざとぼそっと云ってみた。
「何?人ごとみたいだね。クラスメートでしょ?関心ないの?」
「まあ、そうでもないけど、凄いね。」
「もー何?話し乗って来ないね。まあいいけど。よーし、じゃあ今日も練習頑張ろうか?」真奈美さんはこの日もやる気満々で、いつもと変わらず顔を真っ赤にして、それも汗なのか涙なのか、頬を濡らしながら練習していた。もちろん、美野里のチョコを食べた僕も絶好調で、かつ目一杯頑張った。美野里とは、真奈美さんに感付かれない様に、予定通り知らん振りをしていた。美野里の方も、ホワイトデーの約束をちゃんとしてあって安心みたいで、それには納得してるみたいだった。これは僕にとって非常に好都合なことだが、美野里との仲は、真奈美さんには知られていなかった様だ。僕達の教室での仲の良さを1番噂しそうな2人が、腰痛になってから急に大人しくなったのも、上手く作用している様に思えた。
練習が終わると、僕はさっさと先に引き揚げて、着替えて帰った。美野里のことは心配には違いなかったが、横井先生を信頼していて安心だった。美野里は翌日回復して、自力で東京まで帰ったらしい。ただ、横井先生の家に泊った夜のことは、何があったかまで、僕は知らなかった。
さて翌朝、僕は健と待ち合わせをしていた公園へ行った。9時少し前に行ったのに、健はもう先に来ていた。
「悪い、待たせたみたいだな。」
「俺も今来たばっかだから、気にすんな。それより寒いな。」
「ああ、ここで話しすんのは無理あるな。」
「歩きながら話そうか。優馬はよくトレーニングで歩くんだろ?」
「そうだけど、いいのか?そんなのに付き合わせて。」
「気にすんなよ。俺も事故の後長い間安静にしてたから、運動不足で太ったんだ。ウォーキングはダイエットになるし、いいリハビリにもなるからな。」
「そっか、じゃあどこ行く?」
「どこでもいいけど、大宮公園とか氷川神社とかがいんじゃないか?」
「随分距離あるな。時間かかるぞ。」
「たまにはいいじゃんか。その方がゆっくり話せるだろ。」すぐに歩き始めた。
「そんで、その話しって何だよ?」
「優馬さ、今誰と付き合ってるんだ?」
「佐伯美野里かな、一応。」
「何だ、それ?はっきりしないのは、お前の心の中には、確実にもう1人の女子がいるんじゃないか?」いきなり答えにくいことを聞いて来たので、しばらく何も云えなくなった。
「何で黙ってんだ?」
「どうして急にそんなこと云うんだよ?」
「楓から聞いたんだ。お前、本当は月岡のことが好きなんじゃないか?聞いたところじゃ、月岡もお前との世界ペア出場目指してて、すっかり意気投合してんじゃないのか?楓の新曲みたいに・・・」正直、そのことを敢えて考え詰めない様にしていた。考えたところで答えは出せないし、辛くなるだけなので、なる様になると自分に無理矢理言い聞かせていたのだ。だから、そう問い詰められるともう耐えられなくなって、涙が込み上げて来た。健はそんな僕を、時々ちらっと見ていた。
「どちらも大切なんだ。」泣きながら云った。
「やっぱりな。優馬は優しいから、そんなことだろうと思ったよ。」そう云われて僕は、パワー部に入ってすぐに真奈美さんに片想いをして、彼女へ告白することを励みに頑張って力を付けて来たことや、その想いがやっと通じて来て、お互いはっきり云わないまでも心が通いかけている手応えを感じていることや、美野里が僕との出会いに運命的なものを感じていて、僕のことをどうしてもなくてはならない存在として見ていることを打ち明けた。
「なるほどな。それで、佐伯とはどこまでいってるんだ?」そこで僕は、美野里とのイブのデートの様子や、その後無視して迎えた3学期の始業式の日に落胆していた美野里と交わした約束について話した。ただ、舞から聞いたことは伏せた。
「飽きっぽい俺が、真面目な優馬にこんなこと云うことになるなんて思ってもいなかったけど、俺もな、あの事故以来変わったんだ。俺を変えたのは何だったと思う?」
「千里だろ。俺も見てたからな。千里の心底真剣な祈りをな。」
「あいつの声や涙な、心に染みたって云うか、何があってももう一生あいつ泣かせちゃいけねえって思ったんだ。」
「それは俺だって、もてなかった頃には全然見えていなかった女子の気持ちとかが、最近になって急に一杯見える様になって、それを大切にしたいと思ってる。」
「けどな、男と女って、おまえが思ってる様なやり方でやると大変なことになるぞ。」
「でも、女子と広く付き合ってるのは、健の方が遥かに上じゃないか?」
「広いのはいいんだ。深いのを1人にさえすれば、いくら異性の友達が出来ても問題じゃねえ。けどな、優馬の場合2人と同時に深くなりかけてるだろう。」
「どっちとも、まだ何もしてないぞ。」
「それは優馬が初なだけで、心の中のレベルで云うと充分重度の二股だぜ。」
「痛いとこ突くな。」
「痛いとか、そういう問題じゃねえっつうの。現実に女子の気持ちを甘く見てると、どちらも傷付けて、お前も傷付くことになるぜ。まあ、まだ何もしてないんなら、両方と何かならないうちに1人に絞れよ。」
「それって、キスもってことか?」
「ああ、キスしたらもうそいつを選んだってことだな。基本的に女は本当に好きな男としかキスしない。逆に云えば、キスするってことは本命の証だと思っていい。」そう云われて、益々心の中の矛盾が浮き彫りになった。美野里とキスする約束をしておきながら、真奈美さんを諦める気がなかったからだ。もうしっかり地下で心が通じ合ってるという確信があったんだ。今更ふることなんて出来る訳ない。僕が真奈美さんをふるなんて、有り得ないと思った。そんな風に心中もがいてる僕に、健は更に別の話をし始めた。
「それとな、もう1つ気になることがあるんだ。」いつの間にか、大宮公園球場の外周を歩いていた。
「1つで充分どーんと来てるのに、まだあるって、いい話じゃないよな。」
「ああ、残念ながらこれも悪いけど、重い話しだ。知ってるか、俺の事故の時死んだ奴がどんな死に方だったか?」
「確か即死だったみたいに聞いたくらいで、それ以上は知らないけど、むごかったのか?」
「俺も衝撃で意識が無くなったから、後で親父から聞いたんだけど、首取れたんだぜ。胴体から完全に切れたんだ。」
「嘘だろ。どうすればそんなことになるんだよ?それに千里は何も云ってなかったし・・・」強烈なショックを受けていた。“呪い”が頭に浮かんだからだ。
「千里が云う訳ないさ。思い出したくもないだろうし、俺のことで頭一杯だったみたいだからな。よく解らないけど、いくつかの偶然が重なって、鋭利な刃物状の物が露出してしまい、丁度そこへ飛んで、更に上から、乗っていたバイクが勢いよく抑えつける形になって切れたらしい。俺も酷い目に遭ったけど、それはもっとむごたらしかったんだ。」
「確かに気が重くなる話しだな。」
「それだけじゃねえんだ。この前、新曲のこと聞いた時なんだけど、楓と会った時偶然その話しになってさ、そしたら楓の奴、もっと恐い話ししたんだよ。」
「むごい死体とかの話しか?」
「ああ、楓の兄貴がヤンキーで、楓もその兄貴から聞いた話しで、3年前の秋に楓の兄貴が夜暴走してた時偶然出くわした事故でな、楓の兄貴ってえのはかなり過激な人で、東京まで行って対立する族と張り合ったらしいんだけど、その時も東京だったらしい。地元の有名なヤンキーの女で、何か空手やってて喧嘩もめっちゃ強くて、埼玉のヤンキーの間でも名前知らない奴いないくらいの悪の女が事故死したんだ。」
「3年前の秋ってことは、俺達が中3の時だよな。」
「そう、中3の時だけど、その死んだ女も俺達と同じ中3だったんだぜ。中3にして、周りの高校の女とかもみんなびびるほど強かったらしいぜ。もちろん学校でも、スケ番で子分たくさんいたみたいだけど、聞いた話しでは、文化祭の打ち上げで集まった子分達やクラスメートの前で死んだらしい。」
「財前麗香。」ひらめいたまま、呟いた。
「何で知ってるんだ?」健はとても驚いていた。
「たまたま名前だけな。事故のことはよく知らないんだ。」とぼけた。
「何か名前知ってるだけでも気になるな。」
「で、事故はどんな風にえぐかったんだ?まさかそれも首飛んだのか?」まさかとは思ったが、一応云ってみたら、
「ああ、クラスメートの目の前で、必死の形相で助けてくれって叫んでるところへ、事故に巻き込まれたトラックの荷台の積荷の硝子が落ちて来て、首がスパッと切れて、血が飛び散ったらしい。同じクラスの何人かがその血を浴びたんだぜ。」
「まじかよ。」あまりのことに急に気分が悪くなった。
「ピタゴラスイッチって知ってるだろ?」
「NHKでやってる、ドミノ倒しの仕掛けみたいなヤツだろ。」
「まあそうだな。まるでそれみたいに偶然が重なって繋がって、その仕上げに首が切れたみたいなんだ。」
「どういう偶然だよ?」
「初めの接触は財前が後ろ乗ってたバイクとワゴン車だったらしいんだけど、その衝撃で運転していた男は大したことなかったのに、財前だけが酷く飛ばされて、そこへ乗っていたバイクが覆い被さって身動き出来なくなったらしい。一方でワゴン車の方は更に別のトラックと接触して、巻き込まれたトラックの運転手はサイドブレーキを引いて下りようとしたところへ、後続の大型トラックがよけ損ねて追突して、その衝撃で下りようとしていた運転手がサイドブレーキの方に倒れて気を失い、倒れた勢いでサイドブレーキを解いてしまったらしい。ブレーキが効かなくなったトラックは大型車の衝撃に押される様に動き出して、衝突の衝撃で解けかけていたいた積荷の硝子が丁度身動きの出来ない財前に襲いかかったんだ。」
「おはよう、優馬君。」14日の朝、約束通り美野里のマンションを訪れると、彼女はジャージ姿でいきなり抱き付いて来て迎えてくれた。
「おはよう、ミノリン。」健の話しが僕の心に影響しなかったはずはなく、舞の気持ちが改めて身に沁みて解って、正直美野里の得体の知れない力を恐いと思う様になっていた。10日の健が別れ際に云った言葉も気になった。
「今まで人には云った事ねえけど、俺寺で生まれ育ったせいかちょっと霊感あってな。1年の時から佐伯に何か感じてたんだ。優馬の彼女のこと悪く云ってすまねえな。」健ははっきり口には出さなかったが、美野里が麗香の事故があった近くの東京の子だということも、美野里と舞が繋がりがあって舞が何か知ってることも、健自身の事故の起こりと回復のことや、腰痛のことや、社会のテストの快挙で何か不思議な力が働いていることも、何か感付いているらしい。ただ、敢えて云わなかっただけで、「何か困ったら、1人で抱えないで云ってくれよ。」とだけ云った。正直、美野里への感情は彼女への純粋なものばかりではなく、舞の云う通り真奈美さんを美野里のジェラシーによる脅威から守りたい想いも強くあった。もちろん、美野里の辛さも痛い程分かり、僕の優しさで包み込んであげなきゃあいけないという想いも凄く強かった。本当に、どちらも愛しかったんだ。
「上がって。今日はお母さんが出掛けてから、痛い腰に鞭打って掃除頑張ったんだよ。」本当によほど頑張ったらしく、部屋中とても綺麗にしてあった。そして、かつリラックス出来る空間を作り上げてた様に思う。そのせいか、会話はいきなり弾んだ。彼女は僕を信頼し切っていて、開けっ広げって感じで全然壁がないのだ。僅かに沈黙があってとしても、2人で居られる幸せに浸れるらしく、話すことがなくなったらどうしようとかいう固さが全くなくて、凄くリラックスしてて尚更自然と会話は弾んだ。話題は実に様々で、日常の学校のことや、テレビを見ながらのたわいない話しや、カラオケや歌の話しに、ゲームの話しと、次々に本当に欠くことなく、いくらでも湧いて来る様にあった。お互い、相手に嫌われない様にしなくちゃという固さがなかった気がする。元々鼻水だらだら垂らしていた美野里を見たのが始まりだったせいか、それを受け入れた僕には構えることはなかった様だ。平気で大きな口を開けて欠伸したり、ぷっと音がしたと思ったら、
「ごめん、おなら出ちゃった。」とあっけらかんとして、笑っていた。それさえも、全然下品な感じが全くなくて可愛かった。
「ミノリンて、ほんとに可愛いな。」
「やだ、彼氏の前でおならしたのに可愛いって、素直に喜べないじゃない。」と云いながらけらけら笑っていた。
「そんな飾らないミノリンが僕は大好きだよ。」不思議なことに、2人で楽しく話して過ごしているうちに、キスするという事も、真奈美さんのことも、美野里の得体の知れない能力のことも自然と忘れていた。ただ、目の前の美野里との楽しい空間があるだけになっていた気がする。まるでそれ自体、美野里の魔力にかかっているかの様だった。僕達はソファに隣り合わせで座っていた。やがて美野里は僕にもたれかかって来て、自然と彼女を抱き寄せていた。
「ずっと離しちゃ嫌だよ。ずっと一緒だよ。」
「うん、2人でこうやっていると何か幸せなんだ。」
「ミノリンもだよ、優馬君。」甘えた様な声に呼びかけられた気がして見ると、彼女は先にこっちを見て微笑みながら、嬉し涙を流していた。そしてそっと目を閉じた。でも、僕はやっぱり躊躇った。すると、美野里が目を閉じたまま、僕の頭を探る様にして両手で掴んで引き寄せて、僕の唇と自分の唇を合わせてしまった。その感触は、にゅるにゅるした凄く不思議な感じだった。時間が止まった気がした。そして、キスしたまま固く抱き締め合った。
長い話しになってしまいましたが、お付き合い頂き、ありがとうございました。御蔭さまで、起承転結の“転”はここまでで、次回からは、物語の仕上げとも云うべき“結”に突入して行きます。そこには、過酷な行く末が待っているのかも知れませんが、それぞれのキャラクターがどんな運命を、どう受け入れて行くのか、ご期待頂ければ、幸いです。尚、この物語はフィクションであり、実在の個人及び団体等とは一切関係ありません。




