秘密
友達が抱えている悩みを打ち明けられたことはありますか?そして、他言しないことを切願されて、それを約束したとしたら、貴方はそれを守り通せますか?もしもそれが抱えきれなくなった時、それを打ち明けても大丈夫な人がいて、それが本当に信頼出来る人であればいいんですが・・
その時、私は凄く迷っていました。こんなことしても自分が余計惨めになるだけなのは、よく分かっていたはずなのに、私は寂しさをどうしようも抑え切れなくなっていたのです。自分だけが置いて行かれていることのやり切れなさを、私はこれ程までに感じたことはありませんでした。荻野君はあんなに私のことを想ってくれているのに、皮肉なことにそれがかえって私の心を締め付けていました。平手で何度も叩かれ脅されて体をぐしゃぐしゃにされた、あの忌まわしい思い出と、マウイ島で飯岡さんの頬を平手で打った荻野君が重なってしまう。一瞬の過ちで、彼もあんなに反省していて、私も許して、その後すぐに楽しく過ごせたはずなのに、後になってからその時の映像が、よりによってあの時とダブって蘇る様になっていました。夢でも何度か見て、日が経つにつれ薄れるどころか、逆に脳裏に焼き付いて来て、恐怖で体が竦むんです。荻野君に近付く程、心と裏腹に体が硬直してしまうんです。当のあいつは死んでもういないというのに、何てことでしょう。私はもう普通の女子にはなれないのかという絶望感が、心を支配しかけて耐えられなくなっていました。でも、救いも1つはありました。そんな心を和らげてくれる男子がたった1人だけいたんです。それがよりによって、親友の彼氏の坂下君です。暗くなると怖いからと、部活動もしなければ、友達付き合いもすっかり悪くなって、周りから浮く様になって久しい私に、彼だけは変わらない優しさで接してくれます。親友の美野里ちゃんの恋を応援して、優しい気持ちで見守るつもりでいたはずなのに、その親友をいつの間にか羨ましいと思う様になっていました。だから、せめて1度でいいからその想いを伝えたいという衝動に負けて、私はバレンタインチョコを手作りして、メッセージを添えて、彼に渡そうとしていました。その行為は、私にとって生まれて初めての一大事でした。あの忌まわしい事件が起こるまでの私は、容姿が可愛いことで優越感を持っていた為か、男子にチョコを渡すなんて考えたことありませんでしたし、事件後は男はみんな恐いと思う様になっていましたから、尚更バレンタインデーなんて、私にとって全く無関係な行事だったんです。けど、今年は違いました。彼への想いに突き動かされて、夢中で私だけのチョコを作ってしまったんです。更に私は、そのチョコを誰にも気付かれずに彼に届けるチャンスに恵まれたんです。美野里ちゃんは坂下君を出迎えに校門に向かい、その彼の机の上には、彼女が彼の為に作った大量のチョコが入った紙袋がありました。教室には誰もいません。この袋の中に入れてしまえば、坂下君はいつか気付いてくれます。いつ気付いてくれるかは、神様任せになりますが、それでもいいんです。近い将来確実に私の想いが届くというだけでも、充分です。けど、果してそれをしてしまっていいのかさんざん迷った挙句、誰か来てしまうと時間切れになると思い、迷いを振り切って、その袋の中に自分のチョコを紛れ込ませてしまいました。その直後に、国島君が来ました。もう後戻り出来ません。次々にクラスメートが来て、取り返しが全くつかなくなってから、実るはずもなく、もめごとの種になるだけの自分の行為を悔いました。それで何となく教室にいるのが落ち着かなくなって、外に出ました。外は少し雨が降っていました。そして、校門の方を見たら、誰か女子が1人うずくまっています。もしかして美野里ちゃん?傘を差して校門に向かいました。やっぱり美野里ちゃんでした。その場には坂下君も、月岡さんもいました。一体何があったのか理解出来ない状況でした。ただ、美野里ちゃんは腰を痛めたらしく、私の助けを求めています。それに応じてすぐに手を貸してあげて、保健室まで連れて行ってあげました。とりあえず、もめごとではないことにほっとしましたが、途中での坂下君と月岡さんの会話を聞いていて、頭の中は混乱していくばかりでした。僅かの会話の中にも、坂下君と月岡さんの絆の強さを感じますが、これを美野里ちゃんはどう思って聞いてるんだろう?さほど動揺してない様ですが、美野里ちゃんのこの落ち着きは何なんでしょうか?それと、美野里ちゃんの腰の異変と、坂下君の腰の治り方は不自然です。まるで、坂下君の腰痛が美野里ちゃんに移動したかの様なんです。
「ねえ、どうなっちゃったの?どうして、美野里ちゃんが腰痛になってるの?」保健室で湿布を貼ってもらった美野里ちゃんをベッドに寝かせてから聞きました。
「優馬君を愛してるからだよ。」
「どういうこと?坂下君が急によくなってたみたいだけど、まるで美野里ちゃんが身代わりになったみたいじゃない。」
「不思議でしょ?愛の不思議。」そう云って、美野里ちゃんは笑っています。
「美野里ちゃんて、まさか魔法使い?」
「ただの純愛少女だよ。純愛だから、祈りが届くの。」
「美野里ちゃん、私のこと馬鹿にしてるの?」
「そんなのする訳ないじゃない。私真面目だよ。」美野里ちゃんがそう云ったところで、保健室にクラスメートの田嶋さんと渡瀬さんが来ました。何故か、この2人も廊下を歩いていて急に腰痛になったって云うんです。この2人って確か、昨日美野里ちゃん達の会話を馬鹿にしていた人達です。これも偶然なんでしょうか?私は頭の中が混乱した状態で、美野里ちゃんを保健室に置いたまま、教室に戻りました。教室では私は独りぼっちでした。1人で悩んでいても、誰も話しかけてはくれません。こんな時、荻野君か、坂下君が優しく語りかけてくれたら、なんて勝手な期待をしても、寄っても来てくれません。バレンタインデーは所詮男子は待つ日なんですよね。荻野君にはチョコ渡してないので、きっとこっちからチョコを渡さない限り来ないんでしょう。でも、荻野君に渡す勇気はありませんでした。彼に対する心と体がアンバランスな状態で渡しても上手く行くとは思えなかったんです。ですから、尚更坂下君のことが恋しくなってしまうんです。けど、どんなに心の中で思っても、坂下君には届かないみたいです。きっとチョコに気付いても、私のことまでは構ってはくれないのでしょう。私はただの寂しい道化でしかない。考えれば考える程、自分が惨めになってきました。そんな私にとどめを刺したのは、親友であるはずの美野里ちゃんでした。昼休みに保健室から戻って来て、私に見向きもせず。一直線に坂下君のところへ行って見せつけるんです。その上、意地悪で嫌いだったはずの入間君や貝沢さん達とも仲良くなって4人で、私のことなんか忘れて、凄く楽しそうに話しながらお弁当食べているんです。もう最近の美野里ちゃんは解りません。はっきり云えることは、私だけが、みんなから置いてきぼりをくって取り残されています。もう例え様のない寂しさと悲しさが止めどなく込み上げて来て、教室にも拘わらず号泣してしまいました。もう止めようもなく、凄い勢いで涙が溢れ続けました。すると、しばらくしてやっと私の頭を優しく撫でてくれる手を感じました。
「ごめんね、琴ちゃん、寂しかったんだよね。寂しがらせてごめんね。」凄く優しく云ってくれても遅いよ、遅過ぎるよと心で叫びながらも、やっぱり私には美野里ちゃんしかいないことを痛感して、彼女に甘えました。結局坂下君は来てくれませんでした。彼は、入間君達のところへ戻って来た城崎さんらと楽しそうに喋っていました。私なんか、眼中にないみたいです。私は美野里ちゃんに頭を撫でてもらいながら、食べかけのお弁当も2度と手を付けずに、昼休みが終わるまで泣き続けていました。その間、美野里ちゃんはずっと黙って付き合ってくれました。
「帰ろう、琴ちゃん。」放課後、美野里ちゃんが笑顔で云ってくれました。
「うん、美野里ちゃんの腰、大丈夫?」
「痛いけど、琴ちゃんの心の痛みと比べたら、全然どうってことないよ。」
「心配かけてごめんね。美野里ちゃんのおかげですっかり落ち着いたよ。」
「ううん、私こそごめんね。大事な琴ちゃんのこと放っておいて、本当にごめんなさい。」やっぱり美野里ちゃんは優しい。凄く優しいです。私はすっかり素直になっていました。結局女子同士、美野里ちゃんといるのが1番落ち着きます。その日はそのまま素直な自分でいたくなったので、もう疑問に思ってる謎については触れずに、いつもの楽しい話題だけで喋って、川口駅で電車を下りて別れました。けど、夜1人になると又いろいろ考えちゃいました。特に、美野里ちゃんの謎について考えれば考える程、頭は迷宮に入り込んで行きました。そして、それからしばらく、美野里ちゃんとは学校だけで楽しく喋って、夜は1人で考え込む日が続きました。その間も、ずっと坂下君は絶好調の様で、美野里ちゃんは腰を痛そうにしていました。でも、何とか毎日学校へ来ているのは偉いと思いました。田嶋さんと渡瀬さんの2人は、バレンタインデーの週ずっと休んだままで、翌週になってやっとましになって、痛そうにはしながら学校には出て来る様になりました。一方荻野君は、私がチョコをあげなかったことにめげたのか、ほとんど近付いて来なくなりました。そして坂下君は、まだ私のチョコに気付いていないのか、それとも気付いてくれたせいなのか、私にはとても冷たくなりました。どうして?確かめる勇気はありません。せめて以前の様に普通に接して欲しいと思って話しかけても、わざとそうする様にそっけない返事ばかりです。
「凄く難しかったね。私全然出来なかった。坂下君は、出来ましたか?」3月5日社会のテストの後、恐る恐る聞いてみました。
「出来ないよ。じゃあ。」ほとんどこっちを見ずに返事して、部活へ行く準備をする坂下君に、正直だんだん悲しくなって来ました。
「最近、優馬君何か琴ちゃんに冷たくない?」まだ期末テスト期間中だった雨の帰り道、美野里ちゃんが気にしてくれました。
「仕方ないよ。大会が迫って来てて、テスト期間もトレーニングで忙しいんだから、彼女でもない私になんか構ってられないんだよ。」
「それにしてもあれはないよね。何かわざと避けてるみたいな態度じゃない。どうしてなのか、今度聞いてみるよ。」
「やめて、余計なことしないで。」
「違うよ。琴ちゃんだけの為に聞くんじゃなくって、私も気になるから。」
「別に美野里ちゃんに冷たくはしてないでしょ?」
「もちろん、私には優しいよ。でも私達は友達なんだよ。あんな態度許せないじゃない。優馬君らしくない優馬君は私だって嫌なの。」
「ねえ、美野里ちゃんと坂下君てちゃんと付き合ってるんだよね?」
「勿論、優馬君は私の彼氏だよ。」
「前から1度聞こうと思ってたんだけど、美野里ちゃんどうしてそんなに自信あるの?坂下君はトレーニングに集中してて、美野里ちゃんは腰痛で、まともに会う時間もないんじゃないの?それにライバルだっているじゃない。」
「大丈夫だよ。優馬君は私のラブチョコ食べ続けているんだから、もう間違いなく私だけの彼氏だよ。もう絶対に離さないんだから。」その言葉に、初めて美野里ちゃんのことを恐いと思いました。何か、それまでの出来事を思い出してみても、不思議なことが多過ぎるんです。国島君のこと、入間君のこと、入間君の事故の時に死んだあいつのこと、それらが全て偶然とは思えないんです。何か信じられない魔法の様な力があるんじゃないかと疑心暗鬼になっています。だから、私は返す言葉に困りました。そして、それを察したのか、美野里ちゃんも急に元気がなくなりました。
「私、ちょっと調子に乗り過ぎたかもしれない。どうしよう。もうやっちゃったから、どうにも出来ないな。先生に云っても、仕方ないし・・・」黙ってる私に、美野里ちゃんはそんな訳の分からないことを独りでぶつぶつ云っていました。
「ねえ、美野里ちゃんて本当に・・」云いかけて止めました。
「話題変えよう。歌の話しにしよう。」その提案に乗り、歌の話しを無理やり始めました。
「大平に教えてもらったんだけど、今度の絆の新曲何かいい感じなんだって。知ってる?美野里ちゃん。」
「ううん、知らないけど、絆って、カエデって子がボーカルだよね。」
「そうだよ。あっでも、美野里ちゃんはいきものくらぶの方がいいよね。」
「うん、ずっといい。いきものくらぶの話ししよう。」それからは、川口駅で別れるまでずっと無理やりいきものくらぶの話しをしました。そう、それは明らかに何かを誤魔化そうとしている様な不自然な流れの会話でした。だから、この時の会話で美野里ちゃんへの疑念は限界を超えてしまった気がします。バレンタインデー以降は、腰痛のせいもあってカラオケにも行っていませんし、1度も泊りに来ていません。だからか、すっかり美野里ちゃんのことが解らなくなってきていました。美野里ちゃんは1人で東京に帰って、いつも何考えて何してるんだろう?私はそんなことを考えながら、むしゃくしゃした気持ちを和らげようと、弟に教えてもらっていた絆の新曲をネット検索してみました。発売前の為か動画は1番だけしか視聴出来ませんでしたが、歌詞は全部公開されていました。そして、その歌からどういう訳か、坂下君と月岡さんを連想してしまいました。人が話しているのを小耳に挟んだところでは、腰が治ってから限界を超えたトレーニングをしている坂下君に触発されて、月岡さんも世界大会ペア出場を目指して、それまで以上の猛練習しているそうです。何か云い知れぬ胸騒ぎを感じました。そして、美野里ちゃんの謎について、凄く知りたい欲望に襲われる様になりました。
翌日、期末テストが終わりました。美野里ちゃんは体調が悪いみたいで、この日はあまり喋らずに苦しそうにしていました。
「腰、悪いの?今日うち来る?」
「ううん、東京帰る。」
「じゃあ、東京まで送って行ってあげようか?」
「いい。1人で帰れるから。川口駅で下りて。」あっさり断られ、別れました。そして、その翌日美野里ちゃんは学校を休みました。
『体辛いの?大丈夫?』とメールしてみました。すると、『とても学校へ行ける状態じゃないよー《弱ってる顔の絵》2、3日休むよ。』と返信が来ました。そして、更にその日の昼休み、坂下君と城崎さんが珍しく何やら話しています。つい、聞き耳を立ててしまいました。
「今日は強制的に練習休みだから、放課後すぐに行けるけどいいかな?」
「じゃあ・・・」何か内緒話しみたいで聞こえません。そこで、2人の会話が終わるのを待って、坂下君が離れてから城崎さんのところへ行きました。
「城崎さん、ちょっといい?」
「高田さん、丁度よかった。高田さんにも聞いて欲しい話しがあるの。」
「美野里ちゃんのこと?」
「そう、さえっちのこと。今丁度坂下君とも約束したとこだから、出来れば一緒に来てくれない?」
「分かった。私の方こそ、よろしくお願いします。」そう、それはとんとん拍子で話しが進み、放課後私達3人は、横井先生の家の辺で待ち合わせしました。城崎さんの家は、そのすぐ近くでした。坂下君とは久し振りに横に並んで歩きました。けど、ほとんど口を利いてくれません。でも今はそんなことよりも、美野里ちゃんのことです。
「今から云うことは、絶対に誰にも云わないで欲しいの。坂下君と高田さんだから話すの。2人を信用して話すから約束して。」家族の人は留守で、お茶を用意してからピアノのある部屋に行き、入って座るといきなり城崎さんが云いました。
「分かった。誰にも云わないよ。」
「私も約束するけど、それって美野里ちゃんにも云っては駄目ってこと?」
「さえっちには1番知られたくないの。私がばらしたことが分かったら、殺されるから。私まだ死にたくないから、絶対に云わないで、お願い。」あまりに衝撃的な言葉でした。その時点で体が震え出しました。それでも私と坂下君は秘密を守ることを固く誓い、城崎さんの話しを聞くことを選びました。
「私は、パパの仕事の関係で小さい時から引っ越しと転校を繰り返していたの。さえっちと同じ中学に転校して来たのは3年になる4月だった。1番先に話しかけてくれたのがさえっちだったの。転校生の私にとって、初めに声をかけてくれる人っていうのはありがたくて、私達はすぐに友達になったの。その頃のさえっちはごく普通の大人しい目の子って感じで、特に陰はなかったし、虐められっ子という訳でもなかった。他にも数人の友達がいて、私もそのグループに入れてもらったの。根が優しい子だから、一緒にいて安心で、とても楽しかった。見て、これがその頃撮った写真よ。」数十枚にも及ぶ写真やプリクラが広げられました。
「写真を見てもらってる通り、みんな仲良くって、笑顔で、毎日が平穏でめっちゃ楽しかった。けど、2学期になってから少しづつ様子が変わったの。クラスの男子の中に数人ホラー好きの人達がいて、夏休みに肝試ししたり、その時の様子を撮ったビデオをクラス中に公開したりして、クラスのホラーブームに火を点けたの。心霊写真に心霊スポット、ホラー映画、怖い体験談とか、ホラーに関することなら何でも有りで、2学期のクラスは完全にホラーに染まったの。」
「中3だよね。中2ならともかく、受験じゃないの?」
「進学校でもなかったし、みんな気楽だったと思う。それに、親から受験受験て云われてゲームとか取り上げられて、みんなストレス溜まってたんだと思う。だから、ちょっとしたネタにも飢えてたし、身近で怖い話しとかあったら、みんなすぐに食いついたわ。その中で、さえっちの家の近所の幼馴染の男子が云い出したことで、さえっちは虐められる様になったの。」
「それって、もしかして美野里ちゃんのお父さんのこと?」
「高田さんも聞いたことあるの?」
「私が聞いたのは、お父さんが大嫌いだったってことと、急病で亡くなったってことだけで、それ以上は知らないの。他に何があるの?」
「本当のお父さんかどうかそれも分からないって云ってた。それで、そのお父さんに酷い虐待されてたって云ってた。」
「そうなんだ。美野里ちゃんはそこまで云ってはくれなかったから、ただ恵まれない家庭で育ったんだと思って、・・そんなことあったなんて・・」美野里ちゃんの辛かったことを思い、絶句して、涙を抑え切れなくなりました。坂下君は、真剣な顔をして、黙って聞いていました。
「その男子が云うには、さえっちが4歳の時に、さえっちと2人だけの時に急性心不全で亡くなって、苦しんでるお父さんの横でさえっちは、凄く嬉しそうにしてたとか、遺体は病院の夜勤明けのお母さんが見つけるまでそのままで、さえっちは何事もなかった様に横ですやすや眠ってたとか、それまで陰気だったさえっちが、お父さんが死んだ翌日から、急に元気で外で遊ぶ様になったとか噂流して、それからみんながさえっちのことを呪いの子だと云う様になったの。」
「酷いね、それ。子供だからどうしていいか分からなかっただけだし、見てもいないことでそんな風に云ったり、だいたい呪いなんて、お父さんが亡くなったことはただの偶然じゃないのか。」
「そう思うでしょ、普通。けどね、それだけじゃ済まなかったの。その噂を流した男子が急病で2カ月くらい入院したんだけど、それでますますさえっちの立場がおかしくなって、中でも財前麗香っていうヤンキーのクラスの子が執拗にさえっちのことを虐める様になったの。初めのうちはあまり気にしていなかった周りの友達も、だんだんそれに巻き込まれるのが嫌で、さえっちから離れて行ったの。丁度その頃、鼻炎か何かで急に鼻の具合が悪くなったさえっちは、大量の鼻水が出る様になっていて、それが虐められて泣くと余計酷くなって、“鼻垂れ怨霊”ってあだ名まで付けられて、日に日に虐めは度を超す様になって、教科書やノートに“怨念少女”とか“きもい”とか、“死ね”とか書かれる様になって、さえっちの傍に最後に残っていた私ももうどうすることも出来なくって、私弱かったから、逃げて、傍観者になっていった。親友を見殺しにする自分に自己嫌悪する様になって、さえっちに申し訳なくって・・・」城崎さんはもう泣いていました。坂下君も、涙ぐんでる様で、初めて見る彼の涙に、彼の美野里ちゃんへの想いを感じました。
「酷いね、酷過ぎる。でも、城崎さんは自分を責めないで。私だって、同じ場面でどうしていたか自信ないよ。」私も泣きながら云いました。
「でもね、本当の地獄はその後だったの。その財前麗香がさえっちを虐めながら云った言葉が、大変なことを起こしてしまったの。」
「美野里ちゃんの力はただの噂じゃなかったってこと?」震えながら云った言葉に、城崎さんは頷いて続けました。
「『呪いの力があるとか生意気云ってるんじゃないよ。』って。さえっちは、『そんなこと云ってません。』って何度も泣きながら云っても、『おまえのその陰気臭い鼻くそまみれの顔がそう云ってるんだよ。』って、つばかけられたり、雑巾で顔拭かれたりしながら、『悔しかったら、おまえの呪いの力であたいを呪い殺してみなよ。やれるもんなら、やってみな、このいんちき鼻垂れ怨霊が。』って、もう見てられない様な酷いことを他の仲間の子達とする様になったの。」
「そこまでエスカレートするまで、先生は一体何してたんだい?」
「それがさ、担任ていうのが若い頼りない先生で、『本当に呪われたら大変だから、虐めるのは止めよう。』とか、信じられないこと云うの。むしろそんな先生の馬鹿な発言で、財前は意地になってそんな風にエスカレートしたくらいなの。」
「それで、その財前って人はどうなったの?」恐る恐る聞いてみると、
「その3日後に、本当に死んだの。」
「嘘でしょ。そんなの、いくらなんでもそんなこと・・」
「嘘じゃなく、本当に現実に起こったの。それも、私達クラスメートの目の真前で、物凄いえぐい死に方だったの。恐い!本当に恐いの!」城崎さんは真剣な形相です。私も気がどうかなりそうでした。何故なら、心当たりから云って、それを嘘だと否定出来る要素がなかったから。きっと美野里ちゃんが城崎さんのことを嘘つきだと云ったのは、この事実を私に知られたくなかったからでしょう。悲しい嘘をついたのは、美野里ちゃんの方だったんです。転校の挨拶の怯えた顔も、今日のこの表情も、城崎さんが嘘を云ってるとは、とても思えませんでした。
「それも偶然じゃないのか?」坂下君は信じ切れない様子です。
「偶然なんかじゃないの。それからみんな、これは見せしめだって本当に怯える様になったんだけど、それだけじゃ済まなかったの。財前と一緒に虐めてた子が階段で足踏み外して大怪我したり、自宅が失火で全焼した子もいたの。その火事では誰も死ななかったけど、家族の人が煙吸って一時危なかったりで、もうみんな本気で恐がって、さえっちに遠慮したり、ごますったり、呪われない様に真剣にさえっちのご機嫌をとる様になったの。元々友達だった子達でさえ、元通りの気楽な友達には戻れずに、お互い先に見離したのは自分じゃないってなすり合いしてた。私はそのどれにも加わらずに、遠巻きに怯えてた。私だって、虐められてたさえっちを見殺しにしてたから、真剣にさえっちのこと恐がる様になった。さえっちは私のこと凄く頼りにしてたのに、勇気あれば助けられたかもしれないのに、ただ見殺しにして逃げた私のことを、許してくれるとは思えなかった。だから、怖くって怖くって、毎日気が変になりそうだったの。でもね、さえっちはそれをも感じてたみたいで、時々私のこと悲しそうに見るの。その度私は思い出してた。虐めがきつくなる前にさえっちがよく云ってた言葉。『もし私に不思議な力が本当にあるのなら、人を笑顔にすることとか、幸せにすることに使いたい。』って。きっと、そうじゃない方にどんどん成って行くことで、さえっちは、私が想像するよりずっと深く悩んでた気がする。みんなにごますられて、何でも云うことを聞くクラスメートに表面上は調子に乗っていろんなこと命令してたけど、それがだんだん憂鬱そうに見える様になったの。時々私の方を見てたのは、きっと助けを求めてたんだよね。」そこまで聞いて、今までの美野里ちゃんの不思議な言動の謎がたくさん解けた気がします。可哀そう過ぎて、もう涙が止まりません。坂下君も同じみたいで、泣いています。やっぱり彼は優しい人です。そんなこと思ってるうちにも、話しは続きます。
「けど、私は何も出来なかった。そんなこともちゃんと解ってあげようとしないで逃げたの。さえっちの意に反することをして呪いをかけられるのを、本気で怖がっていたから。その中で、さえっちは信じられないことをやってのけたのよ。2学期の期末テストのほとんどでクラスの1番だったの。みんながさえっちに対する恐怖心で実力が出ずに、平均点が低かったのは確かだけど、元々成績があまりよくなかったさえっちが、全科目で90点以上取ったのは奇跡的だった。きっと、単にいいところを見せるつもりだったんだと思うけど、みんなは余計さえっちの底知れなさに怖れを抱く様になったの。」美野里ちゃんは実は凄い実力を隠してるんだと、驚きました。一体何者なのでしょう?
「そして、終業式の日にさえっちが希望したカラオケを、クリスマスイブに行くことになって、それには私も呼ばれたの。私の他にも15人程呼ばれてて、団体の部屋取らないといけないんだけど、イブに取るの大変だから、必死で空いてるカラオケ店探して、やっと新宿で見つけてみんなで入って、よってたかってさえっちを女王様扱いして気遣っていたの。そして、私がさえっちと唄う様に指名されて、それなのに委縮してしまって声が出なくて、そしたら、さえっちが急に号泣し出して部屋を飛び出したの。」
「そうだったのか。それでミノリン・・」坂下君が、運命的な出会いの訳を聞いて反応しました。私も、美野里ちゃんの身になって感動しました。
「さえっちが出て行った後の部屋はもうパニックで、『誰が機嫌を損ねた。』とか、『私はちゃんとしたから大丈夫だ。』とか、まじで『死にたくない。』ってパニクってる子もいたけど、しばらくしてさえっちが戻って来て、『もうみんな帰っていいよ。』って、解散したの。」
「その時、ハンカチを持ってなかった?」
「あー、そう云えば持ってた。何か知らないけど、白いハンカチに頬擦りして嬉しそうにしてたから、凄く不思議に思って、よく憶えてる。」思わず坂下君と顔を見合わせました。全ての辻褄が合った瞬間でした。美野里ちゃんの気持ちも、城崎さんの気持ちもよく解る気がしました。
「実は、その白いハンカチ、その時廊下で出会った僕が渡したものなんだ。」
「えー、そうだったんですか!それで、帰りの受付でよその人達をじっと見てたんだ。えー、じゃあ坂下君もあそこにいたんだね。何か、びっくり。」
「けど、僕達が出たのは1時間くらい後だよ。ミノリンはその時もいたと云ってたけど、ずっと待ってたのかな。」
「そうだと思う。私達を帰らせた後も、何か気になることがあるみたいで、店から出て来なかったから・・。まさか、それがさえっちと、この学校で再会するまでの最後になるとは思わず別れたの。」
「そう云えば、美野里ちゃん3学期は全然学校行ってないって云ってた。」
「うん、さえっちは結局卒業するまで1度も来なかった。その代わり、卒業式が間近に迫ったある日、さえっちから手紙が来たの。それがこれなの。」その差し出された手紙を、坂下君と一緒に読みました。
『大好きな舞ちゃんへ、
舞ちゃんが私のことを恐がるようになってもう4カ月になります。
私のいなくなった学校は楽しいですか?
もうすぐ卒業だね。
舞ちゃんとは3年になってからだけど、
中学の3年間の中で、舞ちゃんと過ごした日々が1番楽しかったよ。
修学旅行で京都へ行ったことや、
夏休みに行ったディズニーランドや、
カラオケで一緒に歌ったこととか、一杯思い出が出来ました。
これからはこの思い出を宝物に生きて行こうと思います。
だから、1つお願いがあります。
舞ちゃんが、私のことをどうしても恐いと思うなら、
もう舞ちゃんとは会わないでおこうと思います。
会えば、せっかくの大切な思い出までも壊れてしまいそうだから・・・。
もし、どこかで偶然に会っても、もう私のことは無視して下さい。
今までありがとう!元気でね。
さようなら。
ずっとずっと舞ちゃんのことを心の中で親友だと思ってるさえっちより』
それは、紛れもなく、美野里ちゃんの字でした。それもショックでした。
「それ読んでしばらく涙が止まらなかった。何度か読み返しては、その度泣いてたの。でも、返事は結局出せないまま、私は悲しく重い思い出を忘れる様にして、いつしか記憶は薄れつつあったの。まさかこの学校に来て再会するなんて、心の準備も何もないまま、さえっちの前に再び転校生として現れたって訳。その2度目はお互い険悪なものだったな。いきなり私を恐い顔で睨みつけるさえっちを見て、私がどれだけ恐怖を感じたか知らないでしょ?」
「分かってたわよ。理由はわからなかったけど、あの瞬間のただならぬ2人の様子ははっきり憶えてる。」
「そっか、流石現在の親友ね。それで、さえっちは私のこと何か云ってた?」
「嘘つきだって、私、それを真に受けて、ごめんなさい。」
「そうかあ、さえっちはそれだけ過去のことを貴方達に知られたくないってことなんだ、」
「どうして、城崎さんは逃げなかったの?別の学校に再転入とか考えたりしなかったの?」
「そんなの出来る訳ないわよ。ここに来ることだって、私の我儘をパパやママやお姉ちゃんがやっと許してくれて、ローン組んでこの家買ったの。もう本社から離れることは少なくなるだろうし、もういい加減落ち着こうって、東京の物件探してたのを、私が横井先生のいるここにしたいって云ったのよ。」
「横井先生の知り合いなの?」
「私も園香ちゃんも幼い頃からピアノやってたから、小学生の時出た関東エリアのコンクールで会ってからずっとライバルだったの。」
「園香ちゃんって?」
「ごめん、高田さん知らなかったんだよね。横井先生の姪っ子さんで・・」
「パワー部の前島園香だよね。確か、横井先生の姪って云ってたから。」
「そう、前島園香ちゃんといつも一緒だったので、最初はお母さんかピアノの先生かと思ったんだけど、私のピアノ凄く筋がいいって褒めてくれて、それから何度か園香ちゃんと一緒にレッスン受けたの。先生は私の長所も短所もちゃんと見てくれていて、私にとって1番信頼出来て、慕える先生なの。でも、園香ちゃんが音楽部じゃなくて、パワー部なのはびっくりしたな。」
「だから開き直ったの?」
「さえっちの手紙思い出して、お互い無視していればもう恐いことは起こらないと信じたの。そう信じるしかなかったって云った方が正解だけどね。」
「それで、健の事故の時あんなにショックを受けてたんだね。」
「千里ちゃんや入間君が仲良くしてくれたことが嬉しかった半面、2人共さえっちのことあまりよく云ってなかったから内心心配だった。その心配があんなはっきりした形で起きるなんて、もう気が狂いそうだったの。でもね、さえっちはそんな私の心が限界なのを解っていたのね。事故以来ショックで学校を休んでた私のところへ、学校休んだのか、さえっちが突然やって来て、久し振りに話したの。」
「あの日美野里ちゃんにメール送ってもなかなか返事くれなかったのは、そういうことだったんだ。」あの日、あいつが死んだことを確信して、私はあまりの偶然に酷く動揺してそわそわしていたんです。
「そうね。さえっちは何かとっても大事なことする時は凄く集中してやるみたいだしね。でも、それは結局は貴方達との関係を大切にしたかったからなんだ。その為には、私が発狂でもしたら台無しだから、それ食い止める為だったんだ。もう友達には戻れないって、完全に諦めてたことに凄く寂しさ感じたけど、私の心に沁み付いた恐いという気持ちがどうにもならなかったから、何も云えなかった。それ感じてか、さえっちは泣きながら、入間君の病院に回復を祈りに行くからって、誘ってきた。それから2人で病院に行ったけど、さえっち、貝沢さんに凄く嫌われてるからって、建物の外から祈ったの。不思議だったのは、私の家をどうして知っていたのかも分からないし、入間君のいる病室だって教えた訳じゃないのに、だいたいこの辺だと思うって、本当に入間君のいる近くまで行って祈ってたの。もう完全に超能力者って感じで、隠そうともしないの。ただ、必死で証明したかったみたいなの。自分の力はけっして呪いなんかじゃないってことを云いたかったんだと思う。ぼろぼろ涙流しながら必死で祈ってたの。そして、最後にこう言い残して東京に帰って行ったの。『私の秘密を誰にも云わないでって云えないの。』って。『私のお願いは、お願いにならなくて、脅迫になるから、何もお願い出来ないの。』って。『でもこれだけは解って欲しい。私も死にたい程悩んでるの。』って。」
「美野里ちゃんは本当に超能力者なの?」
「そんなのあるはずないと思うのが普通だとは思うけど、もはや否定出来ない現実よ。ただ、超能力なのか魔法なのか解らないけど、普通の人間じゃないことだけは間違いないの。」
「それをちゃんと理解すれば、付き合っていけるんじゃないかな?無理なの?」
「これは、それまでのさえっちの言動から見た私の推測なんだけど、ちゃんとコントロール出来ないみたい。何が出来て何が出来ないかも確信ないみたいなの。ただ強く想うことで、切り開こうとしてる様な気がするの。」
「なるほどな。僕もそれに賛成だよ。ミノリンは必死で自分と戦ってるんだ。」
「そうね。だから、私も、間もなくして入間君が本当に目を覚ましたことに安心して、このまま平穏に時が過ぎればいいと願って、さえっちの傍にいる高田さんと坂下君のこと、勝手に、さえっちの力の暴走を食い止めてくれると期待して見てたの。」
「なのに、どうして今になって云うつもりになったの?」
「園香ちゃんに聞いてさ、坂下君と真奈ちゃんのこと。」
「前島さん、何云ってんだよ。」坂下君は何か不満そうです。
「園香ちゃんだけじゃないよ。真奈ちゃん本人からも聞いたからさ。」
「城崎さんは、真奈美さんとも仲いいのか?」
「ハワイで仲良くなったの。真奈ちゃんて凄いのよ。サーフィン初めてなのに、1番早くこつ掴んで、かっこよかった。女子同士でも憧れちゃった。」
「それで、城崎さんは何聞いて知ってるんだい?」
「『あの2人はお互いはっきり云わないだけで、密かに両想いだ。』って、園香ちゃん云ってたし、真奈ちゃん本人も、『今度は坂下君と一緒に世界行きたい。』って、それだけははっきり云ってた。何かやたらと熱いの。つい応援したくなっちゃう。」
「実際どうなんですか?坂下君はやっぱり月岡さんのこと・・」
「何か、話しが拷問になってきてるみたいで、辛いんだけど・・」
「逃げるんですか?大事な話しなのに、このままあやふやなまま2人と付き合うんですか?」つい突っ込んで聞いてしまいました。少し意地悪だったのかもしれません。きっと彼は元々月岡さんのことを好きだったとこへ、美野里ちゃんが入って来たのだから、仕方ないと云えば仕方ないんでしょうけど、
「美野里ちゃんと本気で付き合うんなら、男らしく月岡さんのことは諦めるべきなんじゃないんですか?」
「僕はどちらの気持ちも大事にしたい。」そう云って、彼は泣き出しました。
「どうやって2人共大事にするんですか?だいたい、月岡さんのことが好きなのに、どうして美野里ちゃんとデートしたんですか?泣いて誤魔化さないでもらえますか。」私にそんなこと云って責める資格なんかあるはずないのに、つい云っちゃいました。きっと私は性格悪いんでしょうね。坂下君は、とても男子とは思えない程泣き崩れてしまいました。その様子を、私は複雑な気持ちを自分の奥に感じながらも、ぼうっと見ていました。
「高田さん、そこまで云ってあげると可哀そうじゃないかな?坂下君みたいに優しいからこそ、その優しさをさえっちは求めたんだと思うし、今さえっちが坂下君の優しさを失うことは、さえっちの不思議な力の暴走につながると思うの。」
「美野里ちゃんの嫉妬が恐いってこと?」
「普通に考えて、凄く好きな男子がいたら、ライバルには消えてもらいたいと思うもんじゃないかな。それが普通の女子ならいいけど、さえっちがそう思ったとしたら一体何が起きるの?考えてみたら、入間君が事故に遭ったから、修学旅行で4人組になれて、坂下君とさえっちは仲良くなったんでしょ。」
「恐いこと云うんだね。美野里ちゃんがそこまでやるかな?」
「だから云ってるじゃない。コントロールしきれないんじゃないかって。人間の心の中って、誰だって天使と悪魔がいて、その悪魔の心のままに事件が起こるとしたら、そう考えると恐くてしょうがないの。」
「城崎さんはそんな風に美野里ちゃんのこと見てるの?」
「だって、さえっち、自分の力のことで死ぬ程悩んでるのよ。それって、そういうことなんじゃないかな。」
「だとしたら、みんな酷く傷付いちゃうね。」
「はっきり云って、さえっちの心が傷付くことも、真奈ちゃんの身に何か起こったりしないかも、両方共心配なの。真奈ちゃんみたいに、まっすぐで、努力家で、有言実行で、同性から見てもあんな素敵な女子はそういないから、守ってあげたいの。だから、バレンタインデーの朝ははらはらして見てたし、これはもう放って置けないと思って、坂下君が教室に戻って来るより先回りして、メッセージチョコをこっそり置いたの。」
「そんなことしてたの?」人のこと云えない私のその問いに、そのチョコの説明を受けました。彼女も私同様作って準備したものの、決行は迷った末に最後にはどさくさの中、人目を盗んでさっと置いたとのことです。
「じゃあ、僕は一体どうしたらいいのかな?」
「さえっちだけを受け入れて、真奈ちゃんを振ってくれればいいの。」
「それは坂下君自身が決めることじゃないの?」でも、その本人は“決め切れないよ。”と云わんばかりに泣いていて、とても答えを聞けそうにありません。
「けど、そうするしか仕方ないでしょ。」
「でも、それには1つ凄く気になることがあるの。」
「気になること?」
「絆の新曲知ってる?」
「絆って、カエデがボーカルのバンドだよね。」
「そうだけど、知ってるの?」
「新曲は知らないけど、カエデなら、入間君が目を覚ました日に、坂下君と入れ違いに病院を出た後、病院の前で見たの。坂下君達と中学の同級生だよね。」それを聞いてびっくりしたと同時に、新曲のモデルが坂下君と月岡さんで間違いないことを確信しました。それで、その歌の内容を話しました。すると、坂下君はあっさりそれが間違ってないことを認めました。城崎さんはかなりショックを受けたみたいで、すっかり頭を抱えてしまいました。坂下君と月岡さんの2人の仲を大きく後押しする様なその内容に、2人を引き離すことの困難さを痛感したようです。そして、話し合いはその後堂々巡りを繰り返し、すっかり進展しなくなりました。結局は、坂下君が月岡さんを振り切るのは無理かもしれないという結論が出て、彼の二股を黙認するみたいな雰囲気になり、私と城崎さんの2人で、もめごとや美野里ちゃんの怒りに発展しない様に、出来る限りフォローすることになりました。私は内心そんなことに納得出来るはずありませんでしたが、承諾するしかありませんでした。城崎さんも苦渋の決断だった様で、それ以上何も云えなかったんです。もしかしたら、城崎さんには何か考えがあったのかもしれませんが・・。
「どうしよう、もうこんな時間。」6時10分前なっていました。天気は曇りなので、もう暗くなりかけていました。
「送って行こうか?」優しい坂下君は、こんな状況でも、夜の闇に怯える私を気遣ってくれます。正直嬉しかったです。
「ありがとう。」遠慮出来る程1人で帰る自信がなかったので、甘えることにして、城崎さんの家を出ました。けど、口を利いてくれません。手も繋いでくれません。未だに、手を繋ながず夜道を歩くと、不安で落ち着かなかったんです。
「手、繋いでくれませんか?」恐る恐る頼んでみました。
「まだそんなに暗くないじゃないか。川口着いたら繋いであげるから、それまでは我慢してくれないかな。」ちょっとショックでした。それだけ云って、後は黙って先に歩いて行く彼を、追いかける様にして、
「私があんなこと云ったの怒ってるんですか?」
「正直云って、高田さんてよく分からない。僕のことをからかったり、困らせたり、一体どうしたいのか知らないけど、2人の前で泣かされて、凄く恥ずかしかったし、僕はそんなに強くないから、一杯一杯なんだ。今日は成り行きで又こうなったし送って行くけど、こんな風に送って行くのはこれで最後にしたい。」
「私、坂下君をからかったりしません。」
「じゃあ、あのチョコはどういう意味なんだよ。」何も云い返せませんでした。城崎さんに告げられた美野里ちゃんのことは物凄く衝撃的だったし、心に重くのしかかったけど、坂下君の冷たい言葉は、その時の私にはそれ以上にきつかったんです。むしろ、親友の美野里ちゃんが遠い存在に思えたりもしていたから、それ故に坂下君には優しくして欲しかったんです。だからもう辛くて、黙って大宮駅まで、彼の後ろを泣きながら付いて行きました。どうしてあんな酷いこと云っちゃんたんだろうと、自分の言動を悔いたりもしました。時々声をあげてしまっても、私の泣き声なんて無視して相手にもしてくれません。完全に嫌われたんだという絶望感で一杯になっていきました。暮れ行く街を、車のライトが眩しく照らす中、私は独りでした。親友の美野里ちゃんは私の手に負える存在じゃなくって、私のことを好きって云ってくれていた荻野君とは上手く付き合える自信がないまま疎遠になって、唯一頼れると錯覚していた坂下君は、私なんかとっくに見離してるみたいです。それは自業自得なんでしょう。もう私みたいに心の歪んだ女子は、独りぼっちです。
「いっそのこと、死んでしまいたい。」そう云えば気に懸けて振り向いてもらえるんじゃないかって、浅い考えの呟きも、
「もういい加減にしてくれないかな。」って、一刀両断されました。だからもう耐えられなくなって、必死で嘆願したんです。
「ごめんなさい。どうしたらみんな傷付かないで済むか必死で考えて、でも、坂下君の気持ちとか全然考えなくって、本当にごめんなさい。お願い、もう冷たくしないで。」彼のブレザーの裾を掴みました。
「人が見てるから止めて欲しいんだ。川口駅を出て、人込み離れたら手を繋ぐ約束は守るから、それまで1人で考えさせてくれないか。」振り返り様に云われて、従うしかなくて、私も考えました。このままでは坂下君にとても誤解されたまま、変な子としてもうずっと相手にされなくなると思いました。これ以上誤解されない為には、私の心が歪んだ原因のあの忌まわしい出来事を告白するしかないと思いました。パパやママにも云ったことがなく、美野里ちゃんにしか云ったことがなく、美野里ちゃんに云ってしまったばかりにあんなことが起こってしまった、あのことを・・・。
「自転車は?」川口に着いてから、彼が聞いてくれました。
「今夜は置いて行きます。」
「保管料がかかったり、明日の朝大変じゃないかな?」
「いいんです。どうせ雨の日は歩いてるし、お金のことより、今日はちゃんと話したい。友達としてでいいから、ちゃんと聞いて欲しいの。」
「分かったよ。」そう云って右手を差し出してくれました。私は素直に左手を出して繋ぎました。
「2度までもこんな我儘云って、させてしまって、ごめんなさい。」
「訳が有るんだろう?」それに、黙って頷きました。それから2人で、夜の街を歩き出しました。
「坂下君は、城崎さんの話し信じるんですか?」
「普通は信じられる話しじゃないけど、今までのミノリンの不思議な言動が全部説明出来る程、辻褄合ってるというか、城崎さんの真剣な顔といい、何から何まで疑う余地ないんじゃないかな。むしろ、後から後から心当たりの出来事が思い浮かぶくらいで、もう驚愕の真実って感じだね。高田さんもそうなんだろ?」
「うん、野球部が夏の大会で負けた試合だって、あの試合だけ私が誘って行ったんだけど、国島君のエラーで負けた瞬間、美野里ちゃんが、『これで国島君も、人の痛みが分かる様になるね。』って云ったんです。」
「そうか。それで、次は健の事故か。あの時、手術中の待合室に城崎さん来てて、凄く思いつめた感じで泣いてたからな。」
「そうだったんだ。城崎さんなりに、本当に悩んでたんですね。でも、あの事故にはもう1つ奥深い意味があったんですよ。それを知っているのは、美野里ちゃんと私だけですけどね。」
「もう1つの奥深い意味?」
「この告白は、私にとって親にも誰にも云えないで、美野里ちゃんだけに打ち明けた、誰にも知られたくない秘密だけど、それを云わなきゃ、坂下君は私のことをただの訳の分からない変な子としか見てくれないだろうから、云います。」
「いいよ。そんな秘密なら云わなくても、もう変な子と思わないから。」
「本当にごめんなさい。私自分のしたこと棚に上げて、坂下君のことを責めたりして、それで、冷たくしないでなんて、虫良過ぎるよね。」すると、少し間を開けて、
「僕って、今はパワーやって、筋肉付いて、男子として少し自信持てる様になったけど、中学まではひ弱で、何の取り柄もなくて、女子にもてるなんて全然考えられなかった様な冴えない男子なんだ。それが急に、『愛してる』とか云われたり、その子が実は超能力者だったり、片想いだと思って諦めかけてた相手が実は両想いみたいな感じになったりで、どうしていいか分からないんだ。その気持ちを壊すことが恐くて、それがどちらも余計どんどん膨らんで行くみたいで、もうどちらも今更壊せなくなってて、その上に高田さんみたいに、僕とは全然不釣り合いなくらい可愛い女子に恋しいとか云われて、そうかと思ったら今度はめちゃくちゃ責められて、真剣に、遊ばれてていたぶられてるとしか思えなかった。」
「ほんとに、ほんとにごめんなさい。そんなつもりじゃなく、信じて欲しい。遊んだり、ふざけた気持ちじゃないことだけは信じて欲しい。」
「どうして、高田さんのことを好きだと云ってる荻野君じゃなくって、僕なのかな?」
「坂下君優しいから、その優しさが私には必要なの。」
「僕みたいな中途半端な優しさがかえって相手を傷付けるかもと思っても、こんな僕ことを信頼してくれる女子にはちゃんと応えたいし、優しくしたい。結局僕なんて、優しいだけが取り柄の男子なんだよね。だから余計高田さんの態度に戸惑って、ごめん、自分でも何云いたいのか解らない。」
「ううん、解る。私が坂下君を余計混乱させてたんだよね。もう何て謝っていいか分からない。」
「もういいよ。過敏になって冷たくして悪かったよ。嫌な感じだったこと、ごめんな。期待はずれで、こんな弱い奴だったこと、ごめんな。」
「そんなことない。そんな誠実な坂下君だから信頼出来る。」
「ありがとう。今は素直にそう云ってくれたこと喜ぶよ。」その後少し考えて、間を置いてから、やっぱりあのことを告白することにしました。
「もう少し行ったところの裏手に、あいつの家があるの。もう今は空き家だけどね・・・」事故の後、強姦魔の容疑者として公表されたそいつの名前を、こっそり家のカルテから見つけ出し、住所と実際の家の場所を知りました。
「あいつって、誰のこと?」
「入間君の事故を起こした変質者で、私の体と心をぐちゃぐちゃにした奴よ。」
「それって・・・いつ?誰にも云わなかったってことは、警察にも?」
「小学6年の時の学習塾からの帰りに、ビルとビルの間の人目のないところに連れ込まれて、脅されて、人に云ったら殺すって云われて・・・」又泣いちゃいました。
「近所の奴なら、顔知らなかったの?」
「グレーの目出し帽ってやつ被って、向こうは私のこと知ってたの。だから、いつも見張られてる様な恐怖を感じてた。」
「・・・」やっぱり凄く衝撃的だったみたいです。
「美野里ちゃんにそのこと云ったら、1か月後に退治してくれたんだよ。私達のこと、馬鹿にしたり意地悪してた入間君や貝沢さんを懲らしめるのと一緒にまとめて。初めは偶然だと思ってたけど、その後も不思議なこと続いて、そしたらやっぱりって感じで、でもびっくりだよね。そんなことほんとにあるなんて・・」正直、入間君達が坂下君の大事な友達だという配慮に欠けたなと思ったけど、坂下君はそのことには触れず、私の気持ちだけを考えてくれて、
「何て云っていいのか分からない。そのことでずっと悩んでたんだ。独りで苦しんで、怯えて、なのに、ごめん。」強く手を握ってくれました。凄く嬉しかったです。嬉し過ぎて、私は調子に乗って、
「男子受け付けられなくなって、やっと荻野君と打ち解けられる様になったと思ったら、ハワイで飯岡さんに暴力振るった荻野君と、あの時平手で何度も叩かれたことが重なって、荻野君の傍に行くだけで体が震えたり固まったりするの。笑っちゃうよね。」涙一杯流して訴えてしまいました。
「けどどうして、マウイ島の後で、4人で楽しくやってたし、ワイキキでは2人で仲良くしてたんじゃなかったのか?」
「そうなんだよね。あの時は平気でいられたのに、後になってから夢で何度も見たりしているうちに、重なって、自分で自分の心がどうにも出来なくなっていったの。それに、ハワイでは、坂下君も傍にいてくれたから、平気でいられた。」いつの間にかもうすっかり、坂下君に甘えていました。すると坂下君も、
「そんなに僕のこと信頼してくれてるんだ。」それを受け入れてくれたので、
「他の男子の前じゃ体が強張るのに、坂下君の傍だけ普通で居られるし、落ち着くの。だから、美野里ちゃんのこと羨ましく思う様になって、私・・・」つい、体を寄せて号泣してしまいました。するとそれにも優しく、
「辛かったんだ。ずっと独りで、なのに僕は自分の都合で冷たくしてたのか。」又強く手を握ってくれました。私はもうその温もりの恋しさを抑え切れず、持っていた鞄を放って、彼に抱き付いてしまいました。いけないと分かっていても、それまで抑えていたものが噴出される様に、もう止まれませんでした。
「高田さんて、夜暗くなると甘えて来るし、手を繋ぐと理性なくなるんだね。」
「そんなにストレートに云われると困るな。自分でももう解らないの。信じられる人と、そうでない人への態度が、暗くなると余計はっきり出ちゃうの。」
「しょうがないな。こうしていれば安心なんだろ。」坂下君も私を抱きしめてくれました。彼の云う通り、私はこの状況になると理性を無くすみたいです。周りの人達と疎遠になってるうちに、心の中では凄く温もりに飢えていたんですね。美野里ちゃんともご無沙汰だったので、余計その温もりが心地よくって、放したくなくなりました。そして、彼の顔を見詰めてしまいました。すると彼も私のことを見ていました。もう心地よ過ぎて、嬉し過ぎて、完全に理性無くしてました。そのまま彼に唇を奪って欲しい衝動にかられて、見つめ合ったままそっと目を閉じました。
「駄目だよ。キスは駄目。お互いファーストキスは、それぞれ大切な人にとっておかなくちゃ、こんなんで流されちゃあ駄目だよ。」少しだけ止まりかけていた涙が、又堰を切って溢れ出しました。そして、何も云えないでいる私に、
「大丈夫。高田さんと荻野君はきっと上手くいくよ。それまでの間だけ、僕が支えていてあげるよ。」もう彼のそんな底抜けの優しさに、私の心は完全に溶けて、しばらくその彼の温もりに甘えました。
「ごめんなさい、2度も同じことをして。やっぱり坂下君の云う通り、こんな風に送ってもらうのは、これっきりにした方がいいみたいだね。私、坂下君の優しさに甘えないでいる自信ないから。」その後はすっきりして、何事もなく、玄関前まで送ってもらって別れました。
そして、翌朝川口駅まで歩いている途中、中学からの友達で、同じ大宮学園に通っているバレー部の戸倉弥生ちゃんに呼びかけられて、私は自分の行為を悔いました。自転車で追い抜きざまに、彼女はこう云ったんです。
「昨夜見ちゃった。琴美、パワー部の坂下君と付き合ってるんだね。」
人は誰しも、誰にも云えない様な秘密を抱えていて、その秘密故に孤独で、いやそんな大袈裟なものがなくても、自分のこと理解出来る人が欲しくて、独りが寂しくて、誰かに温もりを求めてしまう生き物なんでしょうね。それが心の繋がりでもいい人もいれば、体の温もりも欲しくなる人、又はそんな時もありますよね。いずれにせよ、本当に理解し合える人が居てくれたら幸せですね。長い話しにお付き合い頂き、本当にありがとうございました。尚、この物語はフィクションであり、実在の個人及び団体等とは一切関係ありません。では又、お会いしましょう。




