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奇跡のバレンタインチョコ

 好きな人に愛を告げることは、とても素敵な行為だと思いませんか?この日こそは、日頃秘めて云えずにいた想いを込めて、大好きなあの人に、貴方はどんな想いをぶつけ、何をしてあげますか?その尊い気持ちが、相手に通じたらいいですね。

 「優馬君、大丈夫?」美野里が心配そうに覗き込んでくる。腰痛を起こしてもう10日になる。先週1週間、ベンチ以外の練習はしていない。医者に行って治療にも努めているが、一向に良くならない。このままでは、スクワットとデッドリフトが弱くなってしまう。焦って、連休に自宅でトレーニングしたら、症状が悪化してしまった。これではもう勝てない。もちろん、真奈美さんとの世界大会ペア出場なんて、ただの夢で終わる。明日はバレンタインデーだというのに、僕の心は、外の天気同様からきし冴えない。痛い上に、すっかり落ち込んで、机に塞ぎ込んでいた昼休みのことだった。

 「もうどうしたらいいのか分からない。結局僕はこの程度の人間でしかないのかもしれない。」そんな弱音を吐いてしまった。きっとこれが運命の分かれ目だったのだろう。

 「そんなの、全然優馬君らしくないよ。泣かないで。」

 「泣いてなんかいないよ。恥ずかしいから、そんなこと云うなよ。」と強がってみても、実は涙目になっていた。

 「可哀そう。優馬君、可哀そう。」云われれば云われるほど、余計目頭が熱くなっていった。

 「お願いだから止めて欲しい。」両腕で完全に顔を伏せながら云った。他の女子もいるのに、本当に恥ずかしかった。

 「もう放って置けないよ。こんな優馬君を放って置くなんて出来ないよ。私の愛のチョコで、優馬君の腰治してあげるね。」美野里の奴、何訳分からないこと云ってるんだよ。

 「愛のチョコで、腰治してあげるねだって、聞いた?」

 「笑っちゃうよね。付いてけないわ、あの世界。」ほら、云わんこっちゃない。思いっきり笑われてるじゃないか!正直、最近美野里のこの馴れ馴れしさが少しうざくなってきていた。一途で優しい子なのは分かるけど、ちょっと度が過ぎる。

 「美野里ちゃん、今はそっとしといてあげな。お医者さんでもないのに、私達じゃどうしようもないよ。琴美に云われて、美野里の声がしなくなった。しばらくして顔を上げてみると、教室内に美野里も琴美の姿もなかった。笑っていた女子達も他の話題で盛り上がっていて、こちらのことは知らん顔していた。ただ1人、舞だけが何故か僕の方を見ていた。この子も僕に気があるのだろうか?

 その日の練習は休んで、さっさと下校した。こんな情けない姿を、あまり真奈美さんに見られたくなかったのだ。又、美野里と一緒にいるところもだ。体調は兎も角、最近の僕は果してもてているのだろうか?それとも、近頃の出来事が何かの間違いなのか?などと、天気がうっとうしかったので、お医者にも行かず、自宅安静しながら考えていた。キッチンでは、妹が母に、「受験生がそんなことしていていいの?散らかして、後ちゃんと片付けておいてよ。」と云われながら、誰に渡すつもりなのか、せっせと手作りチョコ作っていた。きっと今頃これと同じ様に、あのマンションのキッチンで美野里が、僕の為に作ってるのだろう。真奈美さんはどうしてるかな?こんな僕のことなんか、もうどうでもよくなってやしないかな?そんなことを思いながら眠りに就いた、バレンタインデー前夜だった。

 『私も坂下君のことずっと好きだったの。このスクワット挙げたら、チョコあげるね。』試合会場で云われて、チョコを手作りしている真奈美さんの告白に、僕はとんでもない重量のバーベルを次々と挙げながら嬉し泣きして、彼女にチョコをもらおうとしたら、後ろから背中を撫でてくれる手を感じ、振り返ろうとするけど、首が動かない。『一緒にチョコ食べようね。』と云う真奈美さんの姿が何故か遠ざかり、慌てて追いかけようとすると、後ろから凄い力で掴まれてて、どんなにもがいても動けない。『真奈美さん!』と叫んで振り切って走り出すと、何故か場所はマウイ島で、琴美が泣きながら『温もりが欲しい。』と云う。その顔が美野里に変わっていて、場所は教室なのに2人きりで、腰痛のせいで立てないでいる僕の前から、女子が1人去って行く。誰?待って!痛い腰を必死で伸ばそうとして、目が覚めた。運命の2月14日の目覚めは、決して爽やかではなかった。外は雨模様。

 「一杯チョコもらっといでよ。」と珍しく母親に見送られて家を出た。それにしても、腰の具合は少しもよくなった感じはない。憂鬱な気分のままの登校だ。そんな僕を、傘を差して校門で待ってくれていた女子がいた。遠くからこっちを見ていた彼女は、やっぱり美野里だった。

 「おはよう、優馬君。」何故か満面の笑みで出迎えてくれた。

 「おはよう。けど、どうしてこんなところで待ってたんだい?どうせ、すぐ教室で会えるのに・・」真奈美さんがもうすぐ来るかと思うと、都合も悪かった。いきなり変な夢の再現か?と恐れてる僕に美野里はお構いなしだ。

 「だって、1番に渡したかったんだもん。他の誰よりも先に優馬君に愛を伝えたかったの。1番に食べてもらいたかったの。」そう云って、チョコを押しつけて来た。簡単な包みの、3口分くらいのチョコだ。

 「ありがとう。教室に着いたら食べるよ。」

 「教室には、もっともっと一杯あるの。これは今すぐ食べて。」この子のすることはよく分からない。でも、その眼は真剣そのものだ。拒絶出来る雰囲気じゃなかった。真奈美さんと鉢合わせしてもいけないので、躊躇せずに云われるままにさっさと包みを解いて、それを口にした。美味しい!その瞬間の正直な感想だ。でも急いでいたので口には出さず、残りを全部口に入れた。その間にも、何人かの他の生徒が横切って行った。

 「美味しかったよ、ありがとう。さあ、早く教室へ行こう。」まだ口に少し残ってるうちに早口で云って、教室に向かいかけた。しかし、美野里が付いて来ない。しかも、何か様子がおかしい。

 「どうしたんだい?どこか痛いのか?」戻って駆け寄って聞くと、

 「大丈夫だよ。先行ってくれて。すぐ行くから。」

 「でも、何か辛そうじゃないか。一体どうしたの?さっきまで何とも無さそうだったのに・・」

 「ちょっと腰が痛いだけだよ。」本当に痛そうだ。

 「え、腰が?」どういうことか、元々腰痛だった僕はいつの間にか何ともなくなっていた。

 「ね、私の愛が効いたでしょ。」彼女はその場に倒れ込んだ。事態が理解出来ない。でも、そんなこと云ってる場合じゃない。登校して来た他の生徒も、何事?大丈夫?って感じで寄って来る。

 「大丈夫?ミノリン。何無理してるんだよ。」僕の為に徹夜でチョコを作った。

 「全然大丈夫だよ。ちょっとぎっくり腰みたいになっただけだから。」

 「坂下君、どうしたの?その子調子悪いの?」真奈美さんが本当に来てしまった。でも、具合の悪い子を気遣ってる感じで、問題無さそうだ。

 「何か、ぎっくり腰みたい。」

 「こんなとこいちゃ駄目だし、私がおぶって保健室連れて行ってあげるから、鞄A組の教室に届けといて。」さすがパワー部の真奈美さんだ。しかし、

 「ありがとう!でも、それは僕がやるよ。うちのクラスの子だから。」

 「けど、坂下君も腰悪いでしょ。もう無理しないで!早く治して!この子は、私に任せといて!」

 「大丈夫、もう自分で歩けるから。すみません、心配おかけして。」

 「美野里ちゃん。」校舎の方から琴美が出て来た。

 「あ、琴ちゃん、いいとこ来てくれたね。ちょっとだけ手を貸してくれたら歩けるから。ほんとに心配かけて、すみませんでした。」美野里は、琴美の手を借りて保健室保健室に向かった。真奈美さんと僕は、それを見守る様に後から付いて行った。少し雨が強まったので、校舎に着くまでは、僕が2人に真後ろから傘を差してあげて、更にその後ろから真奈美さんが自分の傘に僕を少し入れてくれていた。校舎に着いて見たら、真奈美さんの服や髪が少し濡れていた。美野里はかなり痛そうで、支える琴美も少しよたよたしていた。それを、真奈美さんがカバーする様に時折支えてあげていて、成り行きで保健室まで付いて行く感じになった。

 「坂下君の腰は、もう大丈夫なの?」美野里達が少し安定して歩く様になったところで、真奈美さんが聞いて来た。保健室へ向かう廊下で、前の2人を真後ろで見守る様な位置関係での会話だ。

 「凄い不思議なんだけど、僕の腰痛はどっか行っちゃったみたいなんだ。」

 「昨日お医者さん行ったの?」

 「行ってないし、ついさっきまで痛かったはずなんだけど、今全然治ってる。」

 「え、どういうこと?治ったつもりでも、又ぶり返すんじゃないの?」

 「それが、そんな感じもしない程、嘘みたいに何ともないんだ。」

 「治ったのならいいけど、無理しないでね。」

 「けど、無理くらいしないともう大会まで後40日しかないんだ。」

 「坂下君はやっぱり私と同じなんだね。本当なら体の方が大事で、無理しない様に願うべきなのに、自分のことの様に、頑張ってって云いたくなる。」

 「うん、今日から又全力で頑張るよ。どうしても今度は僕も世界行きたいから。」

 「うん、でもやっぱり無理はしないでね。」こんな真奈美さんとの会話を、すぐ前にいる美野里はどう思って聞いているんだろう?美野里も琴美も何も云わずに、まるでこっちの会話に聞き耳を立てているかの様に黙っていた。成り行きでこういう状況になって正直かなりはらはらしていたが、不自然になるのもどうかと思い、半分やけくそでありのままの会話をしていた。

 「じゃあ無理しないで、お大事にね。」保健室に着いて、真奈美さんが云うと、

 「ありがとうございました。」美野里は、再度お礼を云っていた。

 「で、あの子、あんなとこで何してた訳?」

 「は、は、何してたんだろうね。」咄嗟にとぼけた。

 「確か、佐伯さんだっけ?ちょっと変わった子だよね。」

 「確かに、変わってるな。」

 「後から来た高田さんて、可愛いよね。」

 「真奈美さん、高田さん知ってるの?」

 「そりゃまあ、体育はあの人達と一緒だし、喋ったことないけど、凄い可愛い子だから、目に付くな。」

 「女子同士でも、そんな風に見るんだね。」

 「そんな風って?・・本心云うと、あんなに可愛くなれたらいいなって思うな。こんなでも、私も女子だし、でもあんなに成れる訳ないけど・・やだ、私何云ってるんだろう。」照れてる様に見えた。

 「真奈美さんは、今でも充分素敵だと思うけどな。」

 「ほんとに。・・ほんとにそう思ってくれてるなら、嬉しいな。そうだ。ちょっと待って、・・・上手くは出来なかったけど、一生懸命作ったの。」鞄を開けて、その中から取り出して、照れくさそうにチョコをくれた。真奈美さんからは去年ももらっていたが、その時のは間違いなく義理チョコだった。けど、今年のは明らかに少し雰囲気が違う気がしたし、どきどきそわそわした。ただ、夢のこともあり、嬉しい半面、心の中はかなり複雑だった。

 「ありがとう。」とりあえず去年同様、義理チョコをもらった様なノリでお礼を云ったら、

 「私達のホワイトデーは、3月25日だからね。」それだけ云うと、B組より1つ手前のA組の教室に入って行った。

 B組の教室に入ると、いきなりどよめきが起きた。何かと思い教室を見廻して見ると、何と僕の机の上には大きな紙袋。しかも、その袋には赤い大きなハートマークが描かれていた。更にその横には、別口らしい2つのチョコ。そこへ、今真奈美さんからもらったばかりのチョコを持った僕が来たもんだから、大騒ぎだ。

 「どうして、おまえこんなにもててんだよー!」太平が何か動揺していた。

 「優馬にもついに春が来たか。良かったな。」と、健が肩を叩いて来た。

 「いや。これって、一体どうなってるのか自分でも分からないよ。」

 「何だよ、素直に喜べばいいじゃないか。まあ、俺には分かってたけどな。優馬は優しくて芯の強い奴だから、いつかこういう日が来るってな。」さすが親友だ。

 「そうだよ。分かる女子には分かるんだから。あ、その横に置いてあるのが私からのだからね。」と、毎年義理チョコをくれている千里。

 「ありがとう、いつも。」

 「今年はいつもの義理チョコじゃないよ。大きな感謝を込めた半分マジチョコだからね。」

 「いやあ、照れちゃうな。で、こっちのは誰からかな?」

 「そっちかよ。普通はその大きい方だろ?」太平の突っ込みだ。

 「これな、もう誰か分かってるからさ。」と云ったら、みんな頷いて納得していた。それにしてもかなりの大量だ。一体どれだけのお金と労力をかけて作ってくれたんだろうと思うほど、紙袋の中身は美野里の愛情のこもった包みで一杯だ。

 「あのさ、俺見たんだけどさ、これ云っていいのかどうだか?」直人が寄って来た。

 「何だよ、じらさずに云えよ。何だよ?」太平が気にしていた。

 「おまえに1番云いたくない事実なんだよな。」

 「そんなこと云われたら、余計気になるじゃねえか、早く云えって。」

 「俺が来た時、丁度佐伯が教室出て行った後でさ、片手にチョコ持って走って行ったから、よそのクラスの奴に渡すのかなって見てたんだよ。」

 「あ、それも俺にくれたんだ。」僕は、男同士喋る時は大概“俺”を使い、女子と話す時は“僕”と、だいたい使い分けていた。

 「その手に持ってるのが、そうか?」太平が聞いたので、

 「いや、これは又別の子からもらったんだ。」

 「何かそれも本気っぽいじゃねえか。何なんだ、一体?で、直人の話しの続きははどうなったんだ?」

 「おう、その後な教室入ったら、まだ女子が1人いただけでな、丁度そいつがその袋の中にチョコを入れてるところだったんだよ。だから、初めはその紙袋もそいつが置いたと思って、こいつ、坂下のことそんな好きなのかと驚いたんだ。」

 「そんで、その女子は誰なんだよ、じらすなよー、いらいらするな。」

 「高田なんだ。」

 「え、今何て云った?」

 「それ、高田だったんだ。」

 「何でだよ?義理チョコなら、そんな怪しいことしないで普通に渡せばいいじゃん。」

 「だろ。だから、おまえには云いたくないって云ったんだ。」

 「おい、坂下。どういうことなんだよ。どうしておまえばかりな訳?」

 「もう1つの横にあるのは誰からだった?」健が聞いたので、

 「いや、名前書いてないから、誰だか分からない。けどこれって、国島君が来てからだったら、誰か見てるんだろう?」

 「いや、それが俺からは紙袋の死角で、初めからあったのかどうかも分からないし、誰も知らないみたいなんだよな。」

 「私が置いた時には、もうそれはあったよ。」

 「まじかよ。謎のチョコまでついて、坂下の時代じゃねえか。」

 「正直云って俺も脱帽したよ。坂下がこれほどの奴とは、俺の負けを認めるしかないよな。まじでやるじゃねえか。」直人にしては珍しい言葉だ。

 「大平、落ち込むなよ。」健が慰めていた。

 「もう、嘘だろ。まじショックで、立ち直れないよ。」丁度そこへ、タイミングよく戸ががらがらと開いて、優菜が入って来た。

 「太平、お待たせ!優菜の手作りチョコだよ。」

 「うわおー、とどめじゃー!」

 「もう、いい加減素直になってよ。」

 「おまえこそ、俺にその気がないことにいい加減気付けよ。」

 「そんなの、気付いたら負けじゃん。私は太平が振り向いてくれるまで、絶対諦めないんだから。って、何この大きなラブチョコ袋、誰?」

 「坂下、知ってるだろ?」

 「知ってるよ、この子でしょ。パワー部だよね。で、誰からもらったの?」

 「佐伯だよ。」

 「あの佐伯ちゃん?へー、大人しいと思ってたら、案外やるねえ。で、本人はどこ行ったの?」

 「腰痛で保健室に行った。」今度は僕が答えた。

 「嘘、腰痛なの?何で、このクラス腰痛流行ってるの?って、腰痛ってうつるんだっけ?」

 「うつらないだろう、普通。それに、他に誰が腰痛なんだよ。」

 「田嶋と渡瀬の2人して、腰がおかしいから保健室行くって、さっき廊下で変な格好して歩いてたよ。」昨日、美野里との会話を馬鹿にして笑っていた声が、多分その2人だったなと思った。それって、どういうこと?

 「あれ、優馬は腰治ったのか?」健が聞いてきたので、

 「ああ、それがちょっと変なんだけど、その3人と入れ替わる様にすっかり治ってるんだ。」

 「坂下君がうつしたんじゃない、やっぱり。」優菜が笑っていた。

 「馬鹿。風邪じゃあるまいし、人にうつして治るもんじゃないよ。」

 「でも、それ凄い偶然だよね。」千里が妙に感心していた。そこへ、

 「おはよう!あれ、どうしたの、この大きな紙袋?」茜が入って来た。

 「坂下が佐伯に貰ったらしい。」直人が答えていた。

 「へー、あたしのよりたくさんあるね。でも、あたしのは種類一杯あるわよ。はい、直人君。」

 「どうせ、おまえのは、家のコンビニからくすねて来たんだろ?」

 「違うよ、ちゃんと愛を込めて作ったんだからね。」と、茜と直人が話し出したくらいから、あちこちで話しがばらけ出した。まあ何だかんだ云っても、茜と直人は似合いのカップルぽくなってきてるなと思った。太平は相変わらず優菜の押しに困り果ててるって感じで、琴美への想いは暗礁に乗り上げてる様だ。健と千里は、事故以来より一層絆が深まった感じで、この2人は結婚間違いなしみたいだ。そして僕は、真奈美さんと美野里と、何故か琴美も絡んで来てて、おまけに謎の女子?もいるみたいで、一体どうなってるんだろう?って感じだ。しばらくして教室に戻って来た琴美は、とぼけて何も云わなかった。何を考えてるのか、俯き加減に何か悩んでる様にも見えた。僕はこれ以上女子との関係がややこしくなるのを怖れて、この日彼女に話しかけることは止めておいた。それよりも、もっと気になるのは腰痛だ。田嶋と渡瀬の2人は、保健室で湿布を貼ってもらって一旦すぐに教室に戻って来たが、座ってると苦痛らしく、2人共午後の授業を出ずに早退してしまった。そして美野里は、保健室に行ってから余計痛みが増したらしく、午前中ずっと寝ていたみたいだ。まるで、それと引き換えに治った様に、僕の腰はすっかり良くなっていた。

 「たくさんあるでしょ。」早退した2人と入れ替わる様に笑顔で教室に戻って来た美野里が、久し振りに健達と弁当を食べていた僕のところへやって来た。

 「凄いたくさんなんで、びっくりしたよ。随分頑張ったんだね。」

 「愛する優馬君の為だから、頑張っちゃった。」

 「大丈夫なのか?腰?」

 「優馬君の腰さえ治れば平気だよ。」と云いつつ、痛そうだ。

 「あんた、お昼まだでしょ?優馬の隣おいでよ。一緒に食べよ。」初めて千里が美野里を誘った。もう嫌ってないみたいだ。

 「いいんですか?」

 「遠慮すんなよ。優馬のこと好きなんだろ?」健も誘ってくれた。

 「ありがとう、今お弁当持って来ます。」僕は、美野里の弁当と椅子を運ぶのを手伝ってあげた。

 「佐伯さん、ごめんね、今まで冷たくしてて。」

 「いえ、いいんです、もう。」

 「舞から聞いたの。」

 「舞ちゃん、何云ったんですか?」美野里が突然真剣になった。“舞ちゃん”?1度も話してるところを見たことないのに、美野里と舞は実は仲いいのか?ところで、そう云えば舞は教室にいなかった。学食にでも行ってるみたいだ。

 「学校休んで、健のことお見舞いに来てくれてたんだね。」

 「どうして、それを?」

 「遠慮して、病院の外から祈ってくれたって聞いて、正直びっくりしたよ。」

 「私、・・・・・入間君、どうしても助かって欲しかったの。」

 「昨日聞いたの。どうして今まで黙っていたのか知らないけど、舞、今頃になって、泣きながらそのこと云うの。舞も変なとこで泣くから、ちょっと訳分かんないけどね。」

 「今から思うと、丁度その頃な、不思議な夢見てた気がするんだ。真っ暗な所に閉じ込められてる俺にさ、『もう出ていいよ。』って天使の声がして、そっちの方へ歩いて行ったら、少しづつだけど、小さな光が大きくなって行って、眼が覚めたんだ。その歩いた距離が、半端なく長かったけどな。」

 「舞の話しによると、佐伯さんが祈ってくれてたのが、健が気が付く1時間半くらい前だって云うじゃない。それだと、何か辻褄合うんだよね。しかも、その場所は、健のいた集中治療室のすぐ外なの。知ってたの、健のいた場所?」

 「だいたいの勘なの。偶然だと思う。」

 「今日の腰といい、何か凄過ぎるな。そうだ、偶然と云えば、ミノリンと初めて会ったのは、中3のクリスマスの夜楓に付き合って、健や千里と新宿のカラオケ店行っただろ。」

 「あー、行った、行った。そこにいたのか?」健の問いに、美野里が頷いた。

 「凄ーい!それって運命的出会いじゃん。」千里が興奮ぎみに叫んだ。

 「優馬君は忘れてたみたいだけど、私は優馬君のことも、入間君のことも、貝沢さんのことも、憶えてたから、よく見たら思い出したの。」

 「はー、なるほどねえ。それで、一緒にカラオケ行った時、私達の顔見てたんだね。何だ、それだったら早く云ってよね。」

 「優馬君に思い出してもらって、自分から云って欲しかったの。」

 「そういう奥ゆかしい女心なんだ。まあ、私も女子だし何か分かるな。」

 「千里は全然奥ゆかしくないじゃん。」

 「うるさいな、健は。そんで、結局じれて、佐伯さんからばらしたの?」

 「去年のイブのデートで、その同じ場所に優馬君連れて行って、ばらしたの。」

 「えー、あの新宿の同じカラオケ店に行ったの?」

 「同じカラオケ店の、同じイブの同じくらいの時間の、廊下の同じ場所だよ。」

 「えー、それって、凄いロマンティックじゃない。それでどうなったの?」

 「でもね、その夜、優馬君、私のこと冷たく突き放したのよ。こんなに愛してるのに、何云っても無視したの。」

 「そんなこと、何で今云うんだよ。」

 「それは優馬が悪いな。デートに行って、女子にそこまでされていながらそれはないよな。」

 「そうそう、それはないない。優馬が悪いよ。」

 「何だよ、健も千里も、云ってることが前と真逆じゃん。」

 「それを云うなって。」

 「そうだよ。済んだことより、これからだよ。これから3月25日の全国大会までこの愛のチョコレート食べて、必ず勝って、世界大会出場決めてね。」美野里の口から、こんな力強い前向きな言葉が飛び出すとは、正直かなり驚いた。

 「何かいい話しだね。そうだ。優馬が世界大会行けることになったら、みんなでお祝いにカラオケ行かない?」

 「みんなって、この4人がいいな。後増えるとしたら、琴ちゃんと荻野君くらいにして欲しい。」

 「何で、何で?舞も行きたがると思うんだけど、駄目?」

 「城崎さんこそ、私とは行きたがらないんじゃないかな。」

 「え、どうして?さっきは確か“舞ちゃん”て云ってなかったっけ?」

 「ごめんなさい。琴ちゃん泣いてるから・・・」こっちの雰囲気が盛り上がっていて全く気が付かなかったんだが、琴美がお弁当の箸を止めて、1人号泣していたのだ。美野里は、健と千里に頭を下げて、ペットのお茶をポケットに入れて、食べかけの弁当と椅子を持って琴美のところへ行こうとした。しかし、腰が痛そうだ。僕はさっと立って、椅子を運んであげた。すると、琴美の涙が半端じゃないことが分かり、愕然とした。凄く気になったけど、美野里に強く促されて、健達の処へ戻った。振り返って見てみると、美野里は琴美の頭を撫でながら何やら云っている様子だったが、もちろん聞こえはしなかった。当然気にはなったが、こっちには学食から戻って来た舞達数人が加わり、わいわいがやがやと、僕のことをもてはやし始めた。話しの内容は専らパワーリフティングのことで、「全国大会頑張ってね。」と、舞と一緒にいた2人のクラスの女子から、多分余りものと思われる義理チョコをもらった。そんな訳で又チョコが増えた。ところで、舞はその様子を横で黙って見ていただけで、直接には何も云って来なかった。

 放課後、美野里の腰を気遣う琴美と、琴美の心を気遣う美野里の2人を見送った後、美野里から貰ったチョコを一口食べてから、残りの貰ったチョコを全部教室に置いたまま、部活に行った。

 「本当に腰、もう大丈夫なの?」真奈美さんが心配してくれていた。だから、

 「うん、もうすっかりいいみたいな感じ。あれから1度も痛くないし、何か力が漲って来る感じなんだ。」と、ありのままを云った。すると、

 「分かった。でも、強がって無理しちゃ駄目よ。私も、そこまで頑張る坂下君を見て、頑張らない訳にいかないから・・」だけ云って、自分のやるベンチプレスの準備に行ってしまった。

 「優馬だけ義理チョコなかったみたいだったけど、もう先にもらってたのか?」間もなくして、春樹が聞きに来た。

 「ああ、朝もらったんだ、義理チョコ。」

 「嘘云え。義理チョコじゃないだろ。」

 「さあな、まじチョコと義理チョコはどうやって見分けるんだ。」

 「優馬さ、カナダからの土産で何貰った。」

 「何って、メープルシロップとクッキーと、携帯ストラップだけど、みんな一緒じゃないのか?」

 「シロップとクッキーはみんな一緒だけど、俺も三田村もトランプで、ストラップは優馬だけなんだぞ。」

 「俺だけがストラップだったんだ。」

 「おまえ、その意味分かってんのか?ストラップっていうのは、携帯と一緒でいつも持って歩くものだから、優馬にはそれなんだぞ。」

 「それだけ、俺のことを特別に思ってくれてるってことなのか?」

 「そういうことだ。一時藤堂さんに惹かれたみたいなことあったけど、その時でさえ、真奈は優馬のことを想ってたんだよ。」

 「云いきるか?」

 「ああ、云い切れるな。俺の恋愛診断に間違いはない!」

 「そうか、今日はもう嬉し過ぎて気が狂いそうだよ。これだけ一杯応援されるとテンションはクライマックスだ。俺もやるぞー!」

 「何か、凄い気合いだな。優馬じゃねえみたいだ。でも、腰は大丈夫なのか?」

 「俺自身にも分かんないけど、全然大丈夫なんだ。」僕は早速スクワットの準備をした。シャフトの感触はよかった。何かいくらでも挙げられそうな気がした。実際やってみると、本当にどんどんクリア出来、バーベルの重量を上げて行った。そして、ついに今までノーギアで挙げたことのない160キロに挑戦して、それをもあっさり挙げた。」

 「嘘でしょう?腰痛でブランクがあったなんて思えない。信じられない。」と、真奈美さんは嬉しさと驚きが混ざった様な賛辞をくれた。更にその後165キロも挙げて自己記録を更新し、彼女の熱い涙を誘った。彼女は、もう感動し過ぎて言葉も出ない感じだった。はっきり云って、それから真奈美さんは変わった。本気度が更に数段上がったというか、顔つきが真剣そのもので、練習に取り組む様になったのだ。まるで、鬼でも乗り移ったみたいだ。そして、僕自身は上々の出来で久し振りの本格的な練習を終え、下校する真奈美さんを笑顔で見送った。彼女が学校から遠ざかったのを確認してから、教室に戻って、貰ったチョコレートを回収して、意気揚々と帰宅の途についた。

 「ただいま!」

 「どうだった?一杯チョコレート貰えた?」キッチンで後ろ向きながら、夕食の支度で忙しそうにしている母に聞かれたので、

 「うん、量が多過ぎて、持って帰って来るのが大変だったよ。」その返事に母が振り返って、凄く驚いていた。

 「どうしたの?優、今年こそはチョコ貰えたの?」と云った妹も、次の瞬間眼を丸くしていた。

 「これ、一体どうなってるの?優って、こんなにもてるの?」

 「どうなってるのか僕にも分からないけど、間違いなく本気は1人で、多分本気が2人で、よく分からないのが1つで、後は義理チョコが4人だから、これでも人数はたったの8人なんだ。」

 「今までせいぜい義理チョコ1つだけだった優が、これは充分過ぎるよ。」

 「いや、去年は義理チョコ2つだったんだけど。」

 「はいはい、そんなどっちでもいいことより、兎に角大躍進じゃない。」

 「けど、これからはその子達の気持ちを大事にしなくちゃいけないし、優馬も大変ね。その中から1人を選ばなきゃいけないけど、ややこしくならない様に頑張りなさい。」ここでも驚きの賛辞や、アドバイスを貰った。

 その後、一旦自分の部屋に戻って、琴美が入れたらしいチョコと、謎のチョコを確認しようした。すると、そこへ携帯のメール受信の着うたが鳴った。楓からだ。

 『坂下優馬君、頑張っていますか?カエデだよ《絵の顔=省略》バレンタインプレゼントは“君と共に行こう”の発売日のお知らせです、イエーイ!なんと、3月14日ホワイトデーに出ることが決まりました。全力で唄うからよろしくね《笑顔の顔》」もう正直云って、バレンタインプレゼントは既に胸に一杯で、本来嬉しいはずのことなのに、もう訳分からなくなっていた。それに、まだ気になることを確認していなかった。僕は、それを恐る恐る1つづつ開いた。

 琴美のチョコは精密な力作で、お琴の形になっていて、それにメッセージが付いていた。

 『親友の彼氏にこんなことをする私を許して下さい。もちろん美野里ちゃんには黙ってて下さい。坂下君の優しさが恋しくてどうしようもなくなりました。でももう2度とこんなことはしません。1度だけ伝えたかっただけですから。ごめんなさい。」何か重い物を抱えて生きてるんだなと思った。けど、それに応える術を僕は持っていない。ただ、琴美が云う様に、その想いを知ることしか出来なかった。

 次に謎のチョコの方だが、これには名前が書いてなくて、代わりに携帯番号と、これにもメッセージがあった。

 『このことは佐伯さんには絶対に云わないで下さい。』謎めいていたが、何となく誰からか想像はついた。実際それは当たっていたのだが、この時点ではそれを確かめる勇気がなかった。何か嫌な予感がしたんだ。それが、近い将来あんな形で実現するとは・・・

 人はピンチに陥った時こそ、その真価が問われると思いませんか?辛さに負けてやけを起こして足を踏み外すことは安易なこと。けど、それでは貴方の人生はいけないんじゃないですか?もし貴方がピンチになったなら、貴方のことを心から心配している気持ちに応えることも大切ですし、何より貴方自身の為に耐えて、乗り越えて下さいね。今回もお付き合い頂きまして、ありがとうございました。尚、この物語はフィクションであり、実在の個人及び団体等とは一切関係ありません。

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