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振り切るなんて出来ない。そして、試練・・

 義務ではないことで、人に何かを望まれたとしても、ことによっては、してあげたくても出来ないことや、してはいけないことってありますよね。又、望まれてる様な気がして、相手の期待を裏切らないつもりでしたことが、実際は大きなお世話で、酷く叱られたりすることもあると思います。相手が何を望んでいるのか分からない時は、どう応えていいか分からず辛かったりもしますね。

 1月10日、今日から3学期だ。張り切って早く登校してみると、寒さのせいか日直の子と数人しか来ていなかった。エアコンも点けたばかりみたいで、まだ少し寒かった。まだ、誰も話せる相手がいなかったので、僕は廊下に出てスクワットを始めた。

 「おはよう、坂下君張り切ってるんだね。今日から又よろしくね。」隣のクラスの真奈美さんが登校して来たんだ。

 「今年は絶対世界一緒に行きたいからさ、じっとしてられなくて・・」

 「うん、絶対行こうね。ほんとに楽しみにしてるからね。」それだけ云うと、彼女はさっさと隣のクラスに入って行ってしまった。そこへ今度はクラスの女子が数人来たので、僕は何となくスクワットを止めて、教室に戻った。数人来た中には、2学期に転入して来た城崎舞もいた。この子はもうすっかりクラスに溶け込んでいた。でも、僕はまだほとんど彼女と話したことはなかった。誰か来ないかなと思っていると、そこへ健と千里が仲良く登校して来た。その光景は3カ月ぶりだ。事故後の初登校を知らされていなかったので、嬉しくもびっくりだった。

 「健、もう大丈夫なのか?」

 「心配かけたな、優馬。御蔭で今日から学校だよ。」

 「本当、優馬の御蔭だよ。優馬がいてくれなかったら、あの夜私の心は潰れてたよ。優馬はずっと一緒に祈っててくれたんだよ。」

 「ありがとうな、優馬、今日から又よろしくな。」

 「ああ、こっちこそよろしくな。」健と笑い合ってると、そこへいつの間にか、他の女子と喋っていたはずの舞がすぐ傍に来ていて、

 「本当良かった。」そう云うと、号泣し出した。これには全員唖然とした。

 「ありがとう。舞も心配してくれてたんだな。」しばらく黙ってその様子を見ていた健が、舞の号泣の落ち着くのを待って云った。

 「けどさ、彼女の私を差し置いて少し大袈裟だよ。どうしたの、舞?」

 「ごめんね、つい、けどほんとに嬉しかったの。」その様子を、いつの間にか登校して来た琴美が見ていた。しかし、いつも一緒にいる美野里の姿はなかった。

 「おはよう、高田さん。」

 「おはよう。」元気のない声だった。

 「佐伯さんはまだ来てないんだね。」

 「そのことでちょっと話しあるんだけど、少しいいですか?」その言葉に突然胸騒ぎを感じて、つい、

 「ミノリンがどうかしたの?」そう聞き返してしまった。

 「やっぱり、そういう仲なんですね?2人のことに私が立ち入るのはあまりいいこととは思えないけど、美野里ちゃんのことは放って置けないから、ごめんなさい。」琴美の言動に、心配は募って行くばかりで、

 「来ないのかい、学校。」

 「うん、どうしても行きたくないって、こんなメール来たの。」そのメールを見せてくれた。

 『琴ちゃん、私もう生きてく自信ないよ。もうどうでもよくなって来ちゃった。(T_T)』それを見るに至り、僕はがたがたと震え出した。更に、

 「一体何があったんですか?クリスマスの後何回か美野里ちゃんと会っても、何も云ってくれなくて、泣いてばかりいるんですよ。『振られたの?』って聞いても何も云わないし、笑ってる美野里ちゃんをあれから1度も見てないんです。私、どうしたらいいのか、もう分からなくて、出来たら教えて下さい、何があったか。」琴美の頬には涙が溢れていた。それに対して何も云えず、しばらく琴美の前で立ち尽くしてしまった。彼女は両手で顔を覆って、更に強く泣き出した。ただただ凄く嫌な予感が湧いて来て、止まらなくなった。その近くでは、直人や茜や太平が相次いで教室に入って来て、健の久し振りの登校を祝っていた。太平は、それと同時にこちらのやりとりを気にしていた。

 「坂下、何で高田さんを泣かせてるんだよ。」

 「違うよ。佐伯さんのことで泣いてるんだ。」それで納得した太平はあっさり引き下がり、入れ替わりに何故か舞が話しに割り込んで来た。

 「佐伯さん、どうかしたんですか?」

 「城崎さんには関係ないでしょ。」琴美と舞が口を利いたのを初めて見たが、琴美の舞への冷たさには驚いた。

 「そうですよね。分かりました。佐伯さん、可哀そう。」何をどう納得したのか、又、舞が何を知ってて美野里に同情しているのか分からないが、舞は少し俯き加減にとても深刻そうにしみじみと云っていた。そして、引き下がって行く舞の後ろ姿を、琴美は不思議そうに見送っていた。僕は更にそれらを見てるだけだった。

 「今日、美野里ちゃんの家に行ってみようと思うんですけど、付いて来てもらえませんか?」メールの内容と琴美の訴えから、さすがにこのまま放って置くことは出来ないと思った。しかし、今日から世界大会に向けての部活再開の日でもあった。始業式だが授業も3時まであり、両方は無理みたいだ。葛藤はしたが、結局は美野里がもし自殺でもしたらと思うと、この日部活を選ぶことは出来なかった。

 「分かった。行こう、東京へ。」

 「ごめんなさい。部活あるのに無理云って。」

 放課後、琴美と2人で、美野里の家に向かった。

 「私、美野里ちゃんの家行くの初めてだから、住所だけでちゃんと行けるか心配なんです。坂下君、住所だけで行けますか?」

 「1度行ったことあるから、近くまで行けば多分分かると思うよ。あ、でも夜だったから、昼間の印象が違うかもしれないな。」

 「夜って、イブの日ですか?」

 「うん、その日デートだったんだ。」

 「知ってます。美野里ちゃんたら、凄い楽しみにしていて、私がその日着て行く服とか一緒に買いに行って、髪形もアドバイスしたから。」

 「正直云って意外だな。高田さんて、落ち着いた大人しい人と思ってたので、あれが高田さんのコーディネイトだったなんて。」

 「そんなに趣味悪かったですか?」琴美は、自分の責任を痛感している様子だった。

 「どうしてあんな派手な格好させてあげたの?あれじゃ、いくら変装したいからって、いくらなんでも派手に遊んでる子に見えるよ。」

 「あの、美野里ちゃん、どんな格好だったんですか?」その問いに、僕は憶えてる限りのその日の美野里の姿を答えた。

 「それ、全然私が選んであげた服と違うし、アドバイスと全然違います。どうしてそんなことしたのか、信じられません。どうしてそんな変装しなくちゃいけないのか、東京に帰る時はいつもそんなことしてるってことでしょうか?」

 「デートが新宿だったから、中学時代の友達に会いたくないって云って、それが理由でそうなったみたい。」

 「新宿?私、デートはずっとさいたまだと思ってました。どうして新宿に?」そこで、美野里とは2年前に会っていて、大宮学園で偶然の再会だったことや、白いハンカチのエピソードを話した。

 「あのハンカチ、そういうことだったんですか。そんな秘密があったなんて、全然知りませんでした。そんな運命的な出会いだったなんて。」琴美は話しの内容に単純に感動して、ただ感じたままそう云っただけなんだろうけど、『運命的な出会い』の言葉が、僕にはやけに重く心にのしかかった。

 「高田さんとミノリン、凄く仲いいじゃないか?」話題を変えてみた。

 「レズとかそんなんじゃないですよ。」予防線?

 「ハワイでミノリンが云ってたけど、高田さんは本当は荻野君のこと・・」

 「その話しはしないで下さい。」そう云われて言葉に詰まり、それからしばらく電車に揺られるだけの沈黙が続いた。電車はすぐに池袋に着き、そこで山手線に乗り換え、一駅で目白駅に着いた。恥ずかしい話しだが、僕はあまり東京に出ないタイプで、東京の街の配置や電車の経路がよく分かっていなかったので、この時初めて最短距離での経路を教わった気がする。この前のイブにしたって、この経路を知っていれば、もっと冷静になって帰れたかもしれないと思った。実際、クリスマスの朝も、わざわざ上野まで出て帰ったのだ。我ながら馬鹿だと思った。まあそれはさておき、僕達は目白駅の東口を出て、あの夜の記憶を頼りに美野里の家に向かった。もう少しいろいろ雑談しながら行きたかったが、道に集中しないといけなかったので、他の話しはなるべく控えたが、少しだけ途切れ途切れの会話もした。

 「ミノリンは、高田さんの家に来たことはあるの?」

 「私川口だから、美野里ちゃんはよく来て、よく泊って行きます。」

 「それであんなに仲いいんだね。」

 「私もクラスで浮いてるから、美野里ちゃんがいてくれて助かるし、美野里ちゃんも凄い寂しがりだから、・・・あれ、住所からみて、さっきより遠のいた気がするけど、本当にこっちであってますか?」又家探しに集中する様になって、その甲斐あって、少しして美野里のマンションが視界に入ったので、

 「ミノリンて、学校にいる時には考えられない程大胆なことない?」なんてことを聞いてみた。

 「確かにありますね。坂下君といる時もそうだったんですか?」

 「お風呂とかも入ったことあるの?」つい変なこと聞いてしまった。案の定、

 「えっちですか?」そう云われて返す言葉に困ってるうちにマンションまで来てしまった。

 「ここの2階の1番手前の部屋だよ。」

 「坂下君、美野里ちゃんとお風呂入ったんですか?」琴美が耳元で、小声で聞いて来た。

 「それはないけど、危うく入って来そうで焦ったんだ。」僕も小声で答えた。

 「え、そうなの。・・・無邪気と大胆とは紙一重ですね。私達は女同士だから、しょっちゅう一緒に入ってるんです。けどまさか坂下君とも同じ様に入ろうとするなんて・・」琴美が僕に密着する様に耳元で小声で云ったところで、美野里の部屋のドアの前まで来た。そして、琴美がインターホンを押した。すると、まもなく、

 「どなたですか?」美野里の声だった。しかし、琴美は分からなかったのか、

 「美野里さんの友達で、高田といいます。」

 「琴ちゃん、私だよ。来てくれたんだ。」

 「心配だから来ちゃったんだよ。あんなメールもらったら放っておけないよ。」

 「ごめんなさい。けど琴ちゃんにももうどうすることも出来ないよ。」

 「開けてくれないの?このまま帰れってこと?」

 「せっかく来てくれたんだから、そんなことは云えないけど、ほんと云うと1人にしといて欲しい。もう学校にも行かないし、もう琴ちゃんともお別れだよ。もうどうせ私なんか手に負えないし、もう終わりだよ。何もかも終わりなの。」かなりやけになってる美野里の声が、僕の耳にもはっきり届いていて、凄くショックだった。もちろん琴美も同様らしく、必死で、

 「そんなこと云っちゃ駄目だよ。今一緒に坂下君もいるの。」と叫んだ。すると少し間が空いて、美野里の泣き声が聞こえて来た。嬉し泣きなのか、とまどっているのか分からなかった。ただしばらくその泣き声は続き、やがて途切れたかと思うと、今度は間近で聴こえた。どうやらさっきまではインターホン越しで、今度のは直接すぐドアの向こうの様だ。そう思った次の瞬間、ドアロックを開ける音がしてすぐに扉が開き、美野里が出て来た。

 「心配で、放って置けなかったんだ。」僕が云うと、泣いていた美野里の顔がみるみる余計くちゃくちゃになり、号泣へと変わった。

 「こんなとこで泣いてると変だから、中に入れてくれない?」琴美の言葉に、号泣したままの美野里が、僕達2人を中に招き込んでくれた。

 「お邪魔します。」

 「お邪魔します。」

 「私1人だよ。お母さん仕事行っていないから。」泣きながらだった。

 「ごめんね、無視したりして・・」

 「どうして?どうして返事くれなかったの?ずっとずっと待ってたんだよ。」右手で抱き付いて来た美野里は、左手を握り拳にして僕の胸を叩いて来た。それを見て琴美はかなり驚いていた。

 「止めてよ、美野里ちゃん、もう止めて。いくら女子の手でも、そんなに叩いたら、坂下君痛いよ。」それよりも心の方がもっと遥かに痛かった。

 「いいよ、それで気が済むのならいくら叩いても、僕が悪かったんだから。」後先のことを考える余裕はなかった。ただ、心の痛みに耐えられなかったんだ。それが通じたのか、美野里は叩くのを止めて、僕の顔を見上げて、

 「私が無理ばかり云ったり、したりしたから、もう私のこと嫌いになったと思ったの。もう私のこと2度と見てくれなくなって、真っ暗になると思ったの。」

 「真っ暗にはしないよ。ただ、僕も経験ないし、あのまま深い関係になるのは恐かったんだ。ミノリンためらいとか無さ過ぎて、大胆過ぎて正直恐かったんだ。」正直な言葉ではあったけど、その場の情に流されたことも否めない発言だったんだろう。“あの時は恐かっただけで、決して拒んだ訳ではない。”と云ってしまっている自分に気付いていなかったんだ。

 「ごめんなさい。反省して、もうあんなことしないから、見捨てないで。」その嘆願に、もう僕はめろめろになっていた。

 「何か、私お邪魔虫みたいだね。」

 「ごめん、琴ちゃん。琴ちゃんが優馬君を連れて来てくれたんだよね。こんなとこで立たせたままでごめんね。2人共上がって。綺麗じゃないけど、待たせたくないから、気にしないで。」確かに少し散らかっていたけど、それも美野里らしいといえば、彼女らしかった。美野里はさっさと簡単に片付けられるものを片付けてから、僕達をソファに座らせた。その配置は美野里の指示で、自身を真ん中に琴美が右隣、僕が左隣だった。それまでは何か最悪の事態を避けようとして一生懸命で、冷静にものを考えられなかったんだけど、彼女の横に座って落ち着いた途端、この彼女から離れられないんだという運命を感じた。ただ、琴美が一緒にいてくれたことで、その重みがかなり軽減された気はした。

 「どっちが云いだしたの?」美野里の問いに、ここまでに至る経緯を、主に琴美が説明した。

 「だから、やっとの思いで来れたんだよ。」

 「私ね、偶然窓から2人が来たとこ見てたんだよ。」

 「じゃあ、坂下君も一緒だって分かってたんでしょ。」

 「2人だと思わなかったの。どこかの高校生カップルだと思って、優馬君思い出して、泣いてたんだよ。それが2人だって分かったのは、琴ちゃんが優馬君も一緒って云ったから、混乱しちゃった。

 「カップルに見えるかな。」僕が云った。

 「だって、2人で耳元で囁き合ってたでしょう?」

 「あれは、美野里ちゃんとお風呂入ったこととか、坂下君のお風呂に美野里ちゃんが入ろうとしたこととか、人に聞かれちゃいけない話ししてたからだよ。」

 「そんな話ししてたの。琴ちゃんとのことは女同士の秘密だし、それに、私優馬君のお風呂に入ろうとなんかしてないよ。」

 「ごめんなさい。」

 「まあいいけど・・」少しだけ間が空いて、

 「ねえ、その時お母さんはどうしてたの?」

 「イブの日は、お母さん夜勤だったの。若い子はイブの夜勤嫌がるから、どうしても年いってるお母さんみたいなのが、そんな日に夜勤になるんだよ。」

 「じゃあ、2人で朝までいたの?」

 「そうだよ。」その答えに、琴美はかなりショックを受けたみたいだ。

 「美野里ちゃんがそんな大胆な子だと思わなかった。」

 「琴ちゃんまで、そんなこと云うの?ほんとに好きな男子とは、少しでも一緒にいたいと思うのは普通だよ。」

 「けど、その日が初めてのデートだったんでしょ?」

 「初めてだけど、私達の場合は特別なの。」運命だと言いたげだった。

 「それで、坂下君逃げたんだね。」

 「でも、戻って来てくれたんでしょ。」

 「それは、美野里ちゃんが心配かけたからでしょ。もうこんな心配かけないで。」

 「だって、優馬君が恋しくて、耐えられなかったんだもん。もうあのままだったら、本当に耐えられなかったんだよ。」死ぬ気だったんじゃないかと思った。

 「親友の私がいても駄目なの?」

 「琴ちゃんは大好きだよ。優しくて、2人でいたら心が落ち着くし、なくてはならない親友だよ。でも、優馬君は優馬君なの。2人共いて欲しいの。」

 「欲張りなんだね。私は美野里ちゃんがいてくれたら、充分平気なのに・・」

 「琴ちゃんだって、本当は荻野君のこと好きなんでしょ?」

 「私は・・、その・・、でも・・、まだ恐いの。」

 「あいつはもう死んだんだよ。」何?何?って感じだった。

 「止めて!坂下君もいるのにその話しは止めて!」強い口調だった。

 「ごめん。兎に角、私は優馬君が必要なの。」さすがにそこまで云われたら、僕には応えられないとは云えなかった。

 「分かったよ。誤解してたことも謝るよ。でも、急激なのは今の僕には無理なんだ。今は、3月25日の全国大会に集中させて欲しい。」

 「じゃあ、我慢するよ。けど、無視だけはしないでね。」

 「無視は絶対しないよ。約束する。だから、学校に来てね。待ってるから。」それを聞いて、やっと美野里が笑顔になった。それと引き換えに、僕は彼女の鎖に縛られたんだろう。それがどれだけ雁字搦めになるのかも解らずに。まあ、先のことはどうなるか分からないにせよ、とりあえずその場を和ませることは出来た。

 「よかったね、美野里ちゃん。ちょっと、トイレ貸して。」

 「トイレはそこのドアだよ。」琴美がトイレに立ち、美野里と2人だけになった途端、彼女は僕の右手を強く握って来た。

 「絶対に私から離れて行かないで。見捨てられたら、私死んじゃうから。」

 「恐いこと云わないで欲しいな。」

 「だって、優馬君が離れて行くことは、私にとって死ぬより恐いことだから。」きっとこの時、巻かれた鎖に錠がかけられたんだろう。それでも、何としても彼女を死なせる訳にはいかないという思いに突き動かされていた。

 「分かったよ。だから、もうそんな馬鹿なこと云っちゃ駄目だよ。」

 「琴ちゃんと同じこと云うね。今云ったこと、琴ちゃんには云わないでね。うるさいから。」その言葉と相まってトイレを流す音がして、彼女は手を離し、すぐに琴美が出て来た。

 「もう5時なんだね。外が暗くなってきてる。」

 「琴ちゃん、1人で帰れないよ。私泊めてもらえるなら、送って行くよ。」

 「学校休んだ人がそんなことしちゃ駄目だよ。それに、明日の学校はここから登校しなきゃ、うちでは泊めれないよ。」

 「じゃあ、1人で帰れるの?」以前に夜道で恐い思いをしたんだなと思った。

 「高田さんは、僕が家まで送って行くから大丈夫だよ。」

 「ええ、いいんですか?」

 「夜道を女子1人帰らせられないよ。」

 「もう、しょうがないなあ。夜道になると、琴ちゃん恐がりだから、手繋いだりするんでしょう?」

 「美野里ちゃんが気にするなら、今日はそれは我慢するよ。」

 「いいよ、今日だけ許可するよ。優馬君、琴ちゃんと手繋いであげて。けど、それで2人共勘違いしちゃ駄目だよ。もし、優馬君取ったら、いくら琴ちゃんでも許さないからね。」何か怖!

 「取るはずないじゃない。そんなことするくらいなら、こうやって美野里ちゃんを心配して来る訳ないでしょ。」

 「ごめん。私馬鹿だね、つい自分のことばかり云い過ぎたね。ほんとに今日は2人共、ありがとう。生き返る程、嬉しかった。」

 「じゃあ、明日からちゃんと学校来るんだよ。」

 「うん、分かった。じゃあ、気を付けて帰ってね。」

 琴美と僕は、夕暮れの街を、車に気を付けながら目白駅まで歩き、ラッシュアワーの始まった満員電車に揺られて、途中池袋や赤羽で乗り換えて、川口駅まで乗った。その時、体が密着したり、はぐれない様に手を繋いだりもした。琴美は、僕のことを凄く信頼してくれてる様で、顔を僕の胸に埋める様にして来たりした。間近で見る彼女の顔は凄く可愛く、美野里がやきもち妬くのも解る気がした。川口駅に着いた時は、何かほっとした。

 「ここから家まで遠いの?」もう外は完全に夜になっていた。

 「1キロ半くらいあると思います。」

 「それをいつも歩いてるの?」

 「自転車ですけど、今日は置いて行きます。」

 「乗らないの?」

 「横に寄り添って歩いて欲しいから、いいんです。」

 「じゃあ自転車僕がこぐから、高田さん後ろに乗ればいい。」

 「ママチャリだから、鞄もあるし、それは無理だと思います。」

 「じゃあ、自転車僕が押すよ。鞄は二つ共自転車に乗せればいい。」

 「けど、それだと両手塞がっちゃうでしょ。」本気で手を繋いで歩きたい様だ。さっきは人込みの中仕方なくだったけど、今度は本格的になる。僕はまだはっきりその気はなかったけど、琴美にしてみれば親友の彼氏みたいに思ってるはずなのにだ。その行為を、美野里も仕方ないと云うほど、琴美は夜道で恐い目にあったのだろうと思った。

 「自転車くらい片手で操れるから、片手は空くよ。」その提案に、

 「ありがとう。」凄く素直で嬉しそうな一言だった。電車の中での密着の仕方といい、美野里がやきもちを妬くのが何となく分った。僕は、琴美から絶対の信頼を得ているんだと確信もした。

 駐輪場に自転車を取りに行った後、その籠に琴美の鞄を入れたり、荷台に僕の鞄を括り付けたりして夜の街に出た。そして、美少女の琴美と改めて手を繋いだ。それも、しっかりぎゅっと握って来る。それでいて、冷たくて、優しくて、柔らかい手だ。凄く大人しい分影の薄い子かもしれないが、純粋に容姿だけ見れば、真奈美さんや美野里よりも遥かに可愛く綺麗な女子に違いなかった。そんな彼女に信頼されて、甘えられてる状況に、正直胸はばくばくした。望まれて、かつ仕方ないことなのに、妙に罪悪感を覚えた。

 「温かい。坂下君の手、とても温かいですね。」

 「高田さんの手は冷たいね。」

 「冷え性なんです。」

 「冬は辛いね。」

 「うん、冬は大嫌い。寒くて、暗くって。」急に口調が親しげになった。それに戸惑いながらも、それを隠そうと必死になった。

 「そうだね。暗いのは嫌だね。」

 「男子の手でも、こんなに温かくて優しいんですね。」

 「高田さんみたいな美少女が、僕みたいな男子と手繋いで嫌じゃないの?」

 「嫌なはずないじゃない。」と僅かに聞こえるくらいで独り言の様に云った後、

 「坂下君て、優し過ぎる。どうしてそんなに優しいの?」

 「僕は中学までひ弱で冴えない男子だったんだ。」

 「けど、今の坂下君はとても頼もしくて、優しくて、美野里ちゃんが夢中になるのが分かる。」

 「全然もてた試しなんてなかったのに、どうして最近いろんな女子から頼られるのか、自分でも不思議なんだ。

 「弱さを克服した坂下君には、人の痛みの分かる深い優しさがある気がする。」

 「そんなもんかなあ。」

 「美野里ちゃんの彼氏じゃなかったら、私も坂下君に甘えてしまいたい。」言葉通り既に充分甘えられてる気がした。手を強く握って、体も更に寄せて来た気がした。これじゃあ、人から見たらきっと恋人同士に見えてしまうと思った。その以前に、だいたい僕がいつ美野里の彼氏になってしまったんだろう?

 「高田さんにそんな風に云ってもらえるのは嬉しいけど、あんまり云ってもらえると、僕には荷が重過ぎるよ。」

 「そうだね。私みたいに訳ありで、男子避けてた女子なんて重荷だよね。」

 「どうしちゃったの?いつもの高田さんらしくないよ。」彼女がどんどん僕に心を開いて来てることをひしひしと感じていたから、少し恐くなった。しかし、そんなことお構いなしに、彼女はついに感情を爆発させて、

 「私だって、本当は寂しいの。なのに美野里ちゃんずるいよ。あんなに心配してあげたのに、私の気持ちは無視してる。好きな男子と一緒にいたいのは普通だなんて、酷いよ。私がどんな思いをして、普通じゃない自分に苦しんでるのか知ってるはずなのに、私だって、温もり欲しい時あるのに・・」立ち止まって泣き出してしまった。そして僕に抱き付き、しばらく僕の胸の中で泣きじゃくった。きっと、彼女は夜一緒に手を繋いで歩いたりしたら、理性を無くすタイプなんだと思った。完全に自分の彼氏みたいに甘えてる感じで、これじゃあどこから見てもカップルだ。押していた自転車を支えながら、片手で彼女の頭を軽く撫でてやる。ここで僕まで理性無くしたら、ファーストキスまでいってしまいそうな雰囲気だった。まあ、初な僕には積極的なことは出来ないけど、彼女がこのまま理性を無くして唇でも寄せて来たらと思うと、ちょっとまずいなって感じだった。ここはぐっと理性を全開にして、彼女をなだめるしかない。それが結構長く感じた。

 「ごめんなさい。坂下君を困らせたりして。」ようやく泣き止んだ彼女は、泣くことで感情を焼き尽くしたのか、拍子抜けするほど意外とけろっとしていた。

 「すっきりしたみたいだね。」

 「ほんとごめんなさい。もう大丈夫です。あの、このこと、美野里ちゃんには内緒にしておいて下さいね。」

 「分かってる。誰にも云わないよ。」恐くて云える訳ない。

 「本当に、坂下君は誠実なんですね、ありがとう。」正直、凄く可愛かった。

 その後間もなく『高田耳鼻咽喉科』の看板のある家に着き、彼女が家に入るのを見届け、玄関にも入らずに、何事もない?ままばいばいした。その直後に美野里から着信があり、無事琴美を送り届けて川口駅に戻るところだと云うと、納得した。男は、強くて優しいだけじゃいけないんだなと痛感した一日だった。

 琴美との行動の甲斐あって、翌日から美野里は又元気に学校に来る様になった。琴美はというと、帰り道のことは何もなかった様に普段の彼女に戻っていた。何事もなかって本当に良かった。美野里と琴美の仲も、少なくとも表向きには元通り仲良くしていた。ただ、2学期とはっきり変わったのは、美野里が僕に対してとても馴れ馴れしくなった。僕はそれを、無視しない程度に適当にあしらって、なるべく部活に集中する様にした。美野里も、それが約束なので、我慢してるみたいだ。もしかしたら、僕をあまり困らせない様に、琴美に制御されてるのかもしれない。いろいろあって頭の中大混乱したりしたが、世界大会に出ようと思えば、そんな甘いこと云っていては絶対に無理だ。初詣での年始の誓い通り、僕は心を鬼にして練習に打ち込み、真奈美さんと共に励む日がしばらく続いた。しかし、1月の終盤に入ってそれが暗転して行くことになる。今年こそという思いが強過ぎて、何事にも手を抜かず、特に練習を急ピッチで進めたことの跳ね返りが、体の不調という形で襲って来た。疲労の蓄積、そこへインフルエンザの感染。高熱で3日休んで、2月に入ってしまった。更に、その遅れを取り戻そうとして無理した為に、今度は腰を痛めてしまった。辛くもベンチプレスの練習は継続出来たが、スクワットとデッドの練習が出来なくなった。正直、ライバルがどんどん力を付けてるのに、この時期での腰痛は致命的だ。真奈美さんも、とても心配してくれていた。内心焦りが頂点に達していて、それにもかかわらずまともな練習が出来なくて、辛い毎日が続く様になった。でも、真奈美さんの前では弱音を吐きたくなかった。

 「諦めないでね。焦らないで、明日を信じて頑張ろう!」真奈美さんの言葉が、辛くも僕の心を支えてくれていた。だからこそ、このまま負ける訳にはいかないと思った。そんな窮地を、意外な力が救ってくれるとも知らずに・・・。

 前書きと後書きに何を書くか迷って、前書きに書くべきことと後書きに書くべきことが逆になったかなと思うことも正直ありますが、ここでは明日への思惑について書いてみたいと思います。目標や期待があっても、それが実現するとは限りませんよね。相手がいれば当然相手の思惑を無視出来ないし、周囲の思惑も影響して来ることでしょう。又、不慮の出来事に行く手を遮られることだってあり得ます。そんな時、貴方なら、その様々な障害を乗り越えようとしますか?それとも、自分の思い通りにはならないものだと諦め、現実を受け入れますか?私なら、前者の傾向が強いかなと思います。こんな雑談も含めて、ここまでお付き合い頂きまして、ありがとうございました。尚、この物語はフィクションであり、実在の個人及び団体等とは一切関係ありません。

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