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暗礁に乗り上げた恋

 人間は普段大切に想っていることがあっても、突発的に大きな出来事があって、そのことで強い心配事が生じたりすると、一時的に忘れたり、見えなくなったりするもんではないでしょうか?本来はとても大事なことを。

 10月13日木曜日、健の事故から5日目を迎えていた。手術は夜明け前無事終わってはいたが、依然意識が戻らず重体のまま、予断を許さない日が続いていた。僕らは連休明けの11日から登校していたが、心はどんより重いままで過ごしていた。もちろん、千里は休んだままだった。病院に入り浸りみたいだ。何か動きがあったら報せてもらうことになっていたが、音沙汰無しだ。きっともう疲れ果てているに違いない。更にもう一つ気になったのは、あの日以来城崎舞も学校を休んでいたことだ。そして、今日になって佐伯美野里も休んでいる。そのせいか、高田琴美が何かそわそわしていた。ところで、健の事故はただの事故ではなく、強姦魔が逃走中に起こした事故だったそうだ。昨日になって、新たに分かった真実として報道されていた。事故現場近くであった強姦事件で犯人が被っていたグレーの目出し帽を、事故死した男が所持していたらしい。男が死んだとはいえ、許せない気持ちに変わりはない。そんな奴のとばっちりを食った健と千里が可哀そう過ぎる。

 結局、その日の放課後まで何の連絡もなかった。僕はその日まで、携帯電話をすぐ傍に置いて練習をするなど、緊急連絡を逃さない生活を続けつつも、10日の午前以来病院には行っていない。ついに、もうどうにも気になる気持ちを抑え切れなくなり、その日の放課後部活を休んで病院に寄った。すると、待合所に千里が座っていた。近付くと、やっぱり泣いていた。

 「健に何かあったのか?」

 「優馬!」僕の顔を見るなり、千里が首を横に振り泣きついて来た。

 「一体どうしたんだよ。」この数日で、すっかりやつれた千里の体を感じた。

 「起きないの。いくら呼びかけても起きてくれないの。健のお父さん、未だに意識戻らないならもう駄目かもしれないって、私に、将来があるから、健のことは諦めて下さいって云うの。諦められる訳ないじゃない。私どうして生きていけばいいの?健や私が一体何をしたって云うの?酷いよ!酷過ぎるよ!」もう手がつけられない程泣き喚いてしまった。知り合って4年半の間、1度も泣いているところなんか見たことなかった千里なのに、あの日以来泣いている千里しか見ていない。もう僕にはどうすることも、慰めの言葉さえ見つからなくなっていた。その時だ。

 「千里。」途方に暮れているところに、突然聞き覚えのある声がした。

 「か・え・で?」僕の胸から顔を離し、そっちに向けて千里が云った。

 「健の具合悪いの?」歌手になった、中学時代の同級生の大石楓だった。

 「意識戻らないの。いくら呼びかけても、返事してくれないの。もうどうしたらいいかわからないの。」千里は、今度は楓に泣きついた。

 「ねえ、どうして何も知らせてくれなかったの?あたし達友達じゃなかったの?これってちょっと水臭くない?」楓の目にも涙が滲んでいた。こんな楓を見たのも初めてだ。

 「ごめん、楓人気出て忙しいと思ったの。」

 「何云ってんの。どんなに忙しくなったって、健や千里のこと忘れたことなかったよ。第一今のあたしがあるの、健や千里の御蔭だと思ってるしね。声出なくてスランプの時も、いろいろアドバイスくれて励ましてくれたし、音感よくてセンスのいい2人には一杯教わること多かったし、それにさ、楓なら絶対プロになれるって自信が揺るぎそうな時支えてくれた最高の友達なんだよ。そんな絆があたしの宝物だから、”絆”って付けたんだよ。なのにどうして?」

 「ごめんね、楓。そんなつもりじゃなかったんだけど、ごめんね。」

 「今日久し振りにさいたま帰って来たら、お母さんが、もしかして中学の同級生じゃないのって事故のこと教えてくれて、もう気が変になりそうだった。」

 「本当にごめんなさい。楓のこと、大事なのに、ごめんなさい。」

 「もういいよ。1番辛いの、千里なんだから。けど、今からは一緒に祈ろう。」

 「ありがとう、楓。」2人は抱き合って泣いていた。丁度その時だった。

 「千里ちゃん、健が目を覚ましたから、来て。」健のお父さんが喜び勇んで、知らせに来てくれたんだ。その瞬間の千里の表情の変化は凄かった。泣いてることには違いないけど、悲しみに暮れていた泣き顔から一変して、感情が爆発した様な顔になって、楓と目を見合わせてすぐに、

 「本当ですか?」そう云うのが早いか、動き出すのが早いか分からない程、健のいる集中治療室に向かって走り出していた。僕と楓も、その後を追おうとしたが、

 「あー、ごめんねえ。まだ診察待ちだから、他のお友達は診察の結果が出るまでの間、もうちょっと待ってやってくれますか。」そう云い残して、お父さんは千里の後を追って行かれた。

 「良かったー、て云うか、あたしラッキーだよね。」

 「本当、良かったです。」

 「あ、君確か、坂下君、だよね?」楓はすっかり大人っぽくなった感じだった。

 「お久しぶりです、楓さん。最近、テレビで見てます。」

 「ありがとう。それより、君、何か体つき変わったね。今まで、誰か分からなかったよ。高校で何かスポーツやってるの?」

 「パワーリフティングやってます。」

 「重量挙げやってるんだ。」

 「いや、それはウェイトリフティングで、僕がやってるのはパワーリフティングって競技です。」

 「え、違うの?どんなことするの?」そこで一応の説明をした。

 「へえ、そういう競技があったんだ。けど、どうしてそれ始めた訳?その部に好きな女の子がいるとか?」図星!

 「どうして分かったんですか?」

 「男子がそういうの急に始める動機って、大概そういうのに決まってんじゃないかな。」

 「正確に云うと、始めた訳は強くなりたかったからで、好きになったのは入部を迷ってた時からで・・」と何故か云い訳していた。

 「ふーん、そんで今付き合っての?」

 「いえ、僕の片思いで、まだ伝えてもいません。」

 「何、告ってもいないんだ。相手の子、彼氏いるの?」

 「いえ、まだそんな感じはないみたいで、実は彼女2年でこの前世界大会行ったんですが、来年は一緒に行こうねって云ってくれたんです。」

 「良かったじゃない。けどどうしてその時告らなかったのさ?」

 「僕にまだ自信がなかったんです。世界大会出場決めたら、その時告るつもりです。」

 「それを励みに頑張るんだ。凄ーい!青春じゃん!あたし、そういう話し大好きなんだよね。頑張りなよ、恋も、そのパワーもさ。」

 「ねえ、あれ絆のカエデじゃない?」話しの途中、中学生くらいの女子の声が聞こえた。

 「やば、病院だからって油断してたわ。ファンはありがたいんだけど、プライバシーが大変なんよ。」苦笑いする楓に、僕もそうするしかなかった。

 「あ、そうだ、健のこと、高校の友達に報せてやらないと・・」僕は楓から一旦離れて外へ出て、太平や茜に健の意識の回復の報せを入れた。連絡を終えて待合所に戻ってみると、健への面会の許可が出ていて、待ってくれていた楓と一緒に集中治療室に行った。健はまだ管とか付けていたが、93時間も意識がなかった割には元気で、本人は瀕死の怪我人という自覚がないみたいだった。診察の結果も、もう大丈夫とのこと。千里はもう堰を切った様に感情が爆発して、笑ったり泣いたり大変だった。そこへ茜がやって来て、人気歌手のカエデがいることに感激しまくって、健の見舞いどころじゃない感じで、千里に怒られまくっていた。僕は、健の体と千里の心に気遣って、楓と2人でさっさと病室を出て来た。

 「思ったより元気そうで良かったね。」

 「はい、良かったです。」

 「あのさ、あたしらタメなんだよ。さっきから、有名人だからって遠慮してんのかもしんないけど、敬語なんかいらないよ。」

 「ごめんなさい。つい・・」

 「まあ、別にいいけどさ。それよりさ、恋成就させなよ。応援してるからさ。」

 「ありがとう。」

 「又、進展してら教えてね。歌のネタにするから。」

 「僕の恋が、歌になるんですか?」

 「約束は出来ないけど、出来たら連絡するよ。メアド交換しよ。」何と、人気歌手のカエデからの云い出しで、メアド交換までした。

 「あたし東京帰るのに大宮駅まで歩くから、ここでね。」

 「僕も応援してます。じゃなくって、応援してるよ。」

 「うん、ありがとう。よかったら、CDとかも買ってね。」そう云って手を振って歩いて行く後ろ姿は、小柄ではあるけれど、さすがダンスも上手くスタイル抜群の楓は凄くかっこよかった。そんな彼女を見送った後、鞄をザック状に背負い、ウォーキングも兼ねて、家に向かい、日の暮れたさいたまの街を歩いた。僕らが病院を出た後、太平や直人が見舞いに来たことは後で知った。太平と一緒にバスケ部マネージャーの優菜も来ていたそうだ。

 さて、健のことが一安心した僕にとって、ここからの方が大問題になった。今年になって、よく馴染みの女子の泣き顔を見るようになったなんてことを、歩きながらふと思った。家までの距離の半分を超えたくらいのところで、大震災の時泣いていた真奈美さんのことを思い出していた。そういえば、真奈美さんの家は確かこの辺だったなと気付いた。以前に部で雑談していた時に、彼女自身がおおまかな住所を漏らしていたのを思い出したんだ。そこは住宅地でもあり、その近辺に彼女の家があっても不思議ではないなと思った丁度その時だ。見覚えのあるワゴン車が僕の横を通り過ぎてすぐに、ある家の前で止まった。咄嗟に立ち止まって見ると、それは藤堂さんの家の車に違いなかった。一抹の不安を感じたが、それはすぐに現実の映像へと変わった。大宮学園の制服っぽい姿の女子が下車して、手を振って、走り去る車を見送った後、その家の玄関へと消えて行った。薄明かりに映ったシルエットの様な背格好は、確かに真奈美さんのそれだった。僕は、恐る恐る門の表札を確かめ、『月岡』の文字に落胆した。何故なら、世界大会からの帰国後、藤堂さんは部活にほとんど顔を見せなくなっていたが、たまに来る度真奈美さんとよく話しているのを見かけていたからだ。それがごく最近になって、藤堂さんが連日部活に来る様になった。そう云えば、真奈美さんと親しそうにしていた気もするが、丁度僕は健のことで頭が一杯になってからで、気に留める余裕もなかったんだ。深く考えない様にしていたのもあった。だが、目の当たりにした現実は、はっきりと自分の恋が暗礁に乗り上げたことを感じさせるのに充分だった。

 「昨日、藤堂先輩来てたの?」翌日、放課後部活に行くなり、早速三田村君に聞いてみた。

 「そう云えば、昨日は来てなかったけど、何でだい?」

 「じゃあ、月岡さんは来てたかい?」

 「勿論来てたよ。月岡さんは真面目だから休まないね。昨日2年で休んでたの、坂下だけだよ。でも良かったな。気が付いたんだってな、入間君。」

 「あ、あーありがとう。一安心だよ。」

 「それにしては、今一浮かない顔してんじゃん。藤堂さんと月岡さんのこと、そんなに気になるのか?」

 「昨日見たんだ。月岡さんが藤堂先輩とこの車に送ってもらったとこを。」

 「それ誰が運転してた?」

 「暗くて、そこまでは見えなかったよ。先輩のお兄さんじゃないのか?」

 「学校にばれたらうるさいからここだけの話しだけど、藤堂さん18になってすぐに免許取ったらしいんだけど、もうあちこち乗ってるみたいなんだ。」

 「じゃあ、藤堂先輩の運転だったってこと?」

 「多分な。第一、藤堂さんが運転してるって情報は、月岡さんから聞いたんだからな。」

 「おう、優馬、おまえ何もたもたしてたんだよ。おまえがとろいから、藤堂さんに持ってかれてんじゃんよう。」春樹が話しに割り込んで来た。

 「しょうがないだろ。世界大会以来仲いいみたいだから。」三田村君は、一体何をどこまで知ってるんだろう?

 「知らなかったのは、俺だけってこと?」

 「何だ、優馬全然知らなかったのか?相変わらず鈍い奴だな。」

 「何?坂下君知らなかったの?」園香まで話しに寄って来た。

 「真奈美さんは?」見回してみた。

 「ちょっと喋ってたんだけど、先行っててって、3年の教室の方へ行ったよ。藤堂さんとこ、行ったんじゃない。」

 「付き合ってるってこと?」

 「付き合ってるみたいだよ。藤堂さんも結構アニメ好きだから、話しばっちり合って、この前秋葉行って来たって、プリクラも見せてもらったよ。」

 「気落とさず、元気出せよ、優馬。」春樹は肩を叩いてくれたけど、ショックは相当だった。

 「そうだよ、何も女子は月岡さんだけじゃないしさ。坂下、結構最近人気出て来たみたいだし、これからだよ。」だから、三田村君は誰に何聞いてそんなこと云ってんだろう?

 「そうだよ。うちのクラスの女子の中にも、坂下君のことかっこいいって子いるよ。」と云われても、

 「もういいよ、そんな慰めてくれなくても・・」そこへ真奈美さんが来た。

 「おう、真奈、藤堂さんとこ行ってたのか?」そんな春樹に、

 「もう、からかわないでよ。藤堂さんとはそんなんじゃないんだから。」

 「別に、会いに行ってたっていいじゃんよねえ、真奈美。」

 「うるさいな。園香にそんなこと詮索される憶えないわよ。借りてた本を返しに行ってたの。」何か、初めて見る喧嘩腰の真奈美さんだった。

 「詮索なんかしてないよ。どうしてそんな云い方するの?」

 「まあまあ、2人共落ち着いて。」

 「あ、彼氏が止めに来たよ。」何か、真奈美さん凄く機嫌悪!園香の方はもうノーコメントで、苦笑いして、その場を外した。

 「さあ、練習しようか。今日の練習メニューは・・・」三田村君が不穏な話しを断ち切り、練習の打ち合わせを始めた。部員は僕達2年生5人の他に、1年生8人が遠慮して控えていたから、キャプテンとして当然の処置だ、しかし、その日の練習は、普段ムードメーカーの真奈美さんが珍しく機嫌悪かったせいか、最悪の雰囲気だった。1年生部員はともかく、2年生でまずまず調子良かったのは、マイペースの春樹くらいで、みんな調子が悪かった。特に、真奈美さんと僕はボロボロだった。挙句、真奈美さんは体調不良を訴え、練習を中断して帰ってしまった。それを僕はただ見てるだけで、声もかけられなかった。何か、急に虚しく寂しくなった。せっかく、楓に励ましてもらったばかりなのに・・。僕は所詮根性なしだ。その夜は考え事ばかりして、なかなか眠れなかった。そんな夜がしばらく続いた。健の事故以来急激に心身共に疲れが溜まって来てもいた。そんな僕が、いつか気持ちを伝えるんだというかつての情熱を取り戻すまでには、かなり時間を要するみたいだ。すぐに泣き崩れて弱い一面を見せたりもするけど、女子は立ち直りは意外と早い様だ。真奈美さんは、週明けには、以前の様に元気に練習に打ち込んでいた。ていうか、彼女は初めっから、僕なんかのことで悩んでなんていなかったんだろう。所詮片思いの道化でしかないんだ、きっと。あーあ、でも負けてちゃいけない。僕も頑張らなくっちゃ!真奈美さんを好きな気持ちは変わらない。以前通り、仲間として明るく接してくれる様に戻ったから・・・。

 ありがとうございました。人と人の関わりって、時に大きくすれ違ったりして、上手くいかなくなることありますよね。それでそのまま駄目になる関係って、そういう運命だったんでしょうか?本当に強い絆があれば、何があっても又向かい合える時が来るのでしょうか?では、・・・。尚、この物語はフィクションであり、実在の個人及び団体等とは一切関係ありません。

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