通い始めた心
心のこもった言葉は強い力を持ち、それを受けた人の心に大きく響きますよね。その言葉が、想いを伝えたい相手の胸で綺麗に、かつ温かく共鳴したら素敵なことだと思いませんか?そんな一言を考えるお話しです。
「優馬、よくやった。いやーほんとにおまえがここまでやるとは思ってなかったなあ。」家に帰ると、まず父が興奮ぎみに祝ってくれた。
「ほんとに良かったわ。これで優馬も、兄としての威厳が持てるわね。」
「うん、うん、今なら優のこと尊敬するよ。ねえ、メダル見せて。」
「ありがとう。」本当に嬉しかった。家族が祝ってくれたこと。そして、妹が初めて僕のことを兄と認めてくれたこと。僕は風香にせがまれたメダルを取り出しながら、嬉し涙を抑え切れずにいた。
「優、泣いてるの?嬉し泣き?」
「もう云うなよな。隠そうとしてんのに。」
「可愛い。やっぱり優可愛いわ。でも、前よりずっと立派になったね。これで友達にも自慢出来るよ。」銅メダルをまじまじ見ながら風香が云った。もう嬉し過ぎて、涙が止まらない。せっかく祝ってくれた家族をその場に置いて、僕は一目散にトイレに逃げ込んだ。
「どうして、優馬はあんなに泣いてるんだ?」
「それは内緒だよねえ、風香。」
「うん、内緒だよ。」
「何だ、おまえ達だけ分かってて、父さんだけ仲間はずれか?」
「男のプライドみたいなもんですよ。」
「そういうこと。」
「ふーん、まあ何となく分かった。」そんな会話を微かに聞きながら、トイレの中で僕は涙を止めるのに苦労した。そして、どうして嬉し過ぎると涙が止まらないんだろうと考えた。それは、一生懸命やって来たことが報われたからかな?逆に一生懸命やって来たのに、思う様な成果が得られなくても、その場合悔しくて涙が出るよね。僕は今嬉し過ぎて泣いているけど、真奈美さんは悔しくて泣いていた。彼女のことを考えているうちに、いつしか涙は止まっていた。そして、今度は真奈美さんのことが心配で、仕方なくなった。夕食を食べていても、お風呂に入っていても、自分の嬉しかったことよりも、真奈美さんが悔しさに堪え切れずに泣いていたことが気になってどうにもならなくなっていた。メールしてみようかな。実は、仲間ということでお互いのメールアドレスを交換してあるにもかかわらず、まだ1度もメールしたことも、メールが来たこともなかった。大震災のショックで泣き崩れてそれからしばらく部活に来なかった時も、腰痛になった時も、僕はメールをしようともしなかった。と云うより、それをする勇気がなかったんだ。僕がお見舞いしたり、心配して、果して彼女は喜んでくれるだろうか?もしかして、返事くれないんじゃないだろうか?何て、ネガティブに考えていたな、以前は。真奈美さんのことが好きで好きで仕方ないくせに、結局自信なかったんだ。でも今は、心配な気持ち、彼女もやっぱり女の子なんだという気持ちとかが勝って、僕は携帯のボタンを押していった。
『真奈美さんの悔しい気持ち痛いほど分かります。ずっと同じ目標持って、一緒に汗流してきた仲間だから。僕は世界には行けないけど、真奈美さんは世界があるから、又頑張って下さい。』そう打って、送信した。すると、10分ほどでして、携帯のメール受信の着うたが鳴り響いた。間違いなく『真奈美』の文字。
『ありがとう!凄く嬉しかったです。嬉しくて号泣してます。又一緒に頑張ろうね。それと、遅れたけど、3位おめでとう!」僕はその夜とても嬉しくて、嬉し過ぎて、なかなか寝付けなかった。それでも疲れてもいたから、いつの間にか寝ていた。きっと、生まれて来てから、最高に幸せな眠りだったと思う。
真奈美さんと次に会ったのは、試合後の休養日が終わり、練習を再開した8月3日のことだった。
「坂下君、おはよう!」いつもの元気な声に振り向くと、真奈美さんがにこにこ笑っていた。
「おはよう。」僕も嬉しくて、笑って応えた。
「メール、ありがとう。ほんとに嬉しかった。」いつもと少し違って、何か照れくさそうに見えた。
「そう云ってくれて嬉しいよ。メールなんかされたら嫌かもと心配したから。」
「どうして?凄く嬉しかったよ。何でそんな風に考えるの?」
「そうだね。変だね。でもよかった。喜んでもらって。それに、いつも通り元気で、ほんとによかった。」
「うん、ありきたりだけど、又頑張ろうね!」いつも通りなんだけど、いつもとは少し違う真奈美さんに僕は嬉しいやら、くすぐったいやらだった。まあ何はともあれ、いい感じだ。何もかもがいい感じだ。そんな幸せな感じの練習再開だった。真奈美さんも、世界大会に向けての再好スタートが切れたみたいだ。
それからというもの、再び充実した練習が続いたのだが、8日頃から凄い猛暑になって、暑さとの戦いが大変だった。節電なので、余計普段の夏より厳しかった。まあ計画停電があり、お盆休みが挟まったりで、疲れた体を休ませるのに僕は丁度よかったんだけど、真奈美さんは酷い暑さで疲れてるはずなのに、焦っていたみたいだ。きっと、、腰痛でのブランクを取り戻して、調整が間に合わなかった全国大会と違い、世界大会は万全で挑もうとしてるのだろう。
「ありがとう。」練習の合間に休憩してる真奈美さんに、僕はうちわで扇いであげる。すると、凄く喜んでくれる。
「ちょっとはましになるかな?」
「ちょっとどころか、凄く助かるよ。ほんとに坂下君、優しいね。」
「あー、又やってる。最近凄く仲いいね。」園香が寄って来て云った。
「もう、ひやかさないでよ、園香ったら。」何か嬉しそうに応える真奈美さん。
「とか云って、真奈美、坂下君のこと、好きなんじゃないの?」
「うん、好きなのかもしれないね。」さりげなく放たれたその超意外な返事に、僕の胸は一気に高鳴り、心臓が飛び出しそうだった。
「うわ、爆弾発言だね。今の聞いた坂下君。」それに対して、僕は凄く焦っていた。何か云わなきゃ。ここですぐに何か云わなきゃって。でも、正直のところ真奈美さんがどれくらいのつもりで云ったのか測り切れず、僕は何も云うことが出来なかった。
「仲間だから。坂下君は凄く頑張ってる、優しい仲間だから。」そう云って頷いて、真奈美さんはまるで自分にそう言い聞かせてる様な感じで、不思議な笑みを浮かべていた。きっと僕はタイミングを逃したんだろう。園香も少し僕の顔を見て、余計なお世話だったことを反省する様に、その後何も云わなかった。それからすぐに、真奈美さんも練習を再開し、僕も自分の練習に戻った。
それから真奈美さんと僕は何も進展のないまま、彼女は世界大会に行く前の最後の日の練習を終えた。あくまでも世界大会に向けて気持ちを集中させているように見えた。僕は、そんな彼女の心を乱す様なことは何も云ってはいけないと思い、何も云わずに帰ろうとした。
「待って、坂下君。」校門を出ようとした時、突然、真奈美さんに呼び止められた。周りに誰もいなくて、2人きりだった。
「カナダのお土産、何がいい?他のみんなは聞いたんだけど、丁度坂下君その時トイレ行ってたみたいで聞けなかったの。」走って来たのか、彼女の息が少し荒かった。
「えー?カナダって、どんなお土産あるのかな?他のみんなは何がいいって?」
「メープルシロップが有名だから、みんなそれでいいって。」
「じゃあ、僕もそれでいいよ。ありがとう、わざわざそれを確認しに走って来てくれたんだね。」
「まあ、それもあるんだけど・・・」何か云いたそうだったけど、そこでじっと僕の目を見て黙ってしまった。だから、
「あ、そうだ、大事なこと云うの忘れてた。」
「大事なことって?」
「世界大会、頑張ってね。」
「うん、分かった、ありがとう。目一杯頑張って来るからね。それと、私からも大事な一言あるんだよ。」
「えっ?」
「坂下君、来年こそは一緒に世界行こうね。」
「うん、もちろん。」
「絶対だよ。」笑顔なのに、少し目が潤んでる彼女が可愛いと思った。もしかしたら、告白して抱きしめるチャンスだったのかもしれない。でも、そんな勇気はまだあるはずもなく、そのままお互い手を振って別れた。来年こそはと、熱い心で。僕は目の前の恋よりも、来年を選んだ。夏休みも終わりに迫ったある日の午後のことだった。
その翌日、真奈美さんは藤堂先輩と共に、世界大会の地カナダへと飛び立った。
想いが伝わった時の喜び。心が通った幸福感は、何にも変えられない尊いものではないでしょうか。逆に伝わらなかった時の落胆。疑念、拒絶、仕方のないことなのかもしれないですね。信じることで生まれる力と、裏切られて傷付く魂。前者がいいに決まってるのに。”カケフ”は、“×(かける)2”とも書きます。喜びや優しさを増幅させ合える出会いを願って付けた名前です。これからもよろしくお願いします。ありがとうございました。尚、この物語はフィクションであり、実在の個人及び団体等とは一切関係ありません。




